I Wish It Would Rain Down (Phil Collins)

フィル・コリンズは80年代に入るとGenesisでの活動と並行してソロ活動も活発に行った。81年にソロアルバムの第一弾として「夜の囁き」1)(原題 「In the Air Tonight」)をリリースしたが、世界的なヒットとしてはやはり、84年発売の「見つめて欲しい」(原題「Against All Odds (Take a Look At Me Now)」)や「イージー・ラバー」(原題「Easy Lover」)があげられる。ちなみにこの間にソロ作品で見せたいわゆる「ポップ路線」がGenesisでの曲作りにも影響を与えたのか、86年発表の「インビジブル・タッチ」では大きくポップ路線に舵を切りバンド最大のヒットアルバムとなっている。

「I wish It Would Rain Down」(日本語タイトルは「雨にお願い」というなんともトホホな訳がついている)は、89年発表の「バット・シリアスリー」(原題「…But Seriously」)に収録されたバラード曲。ギターにエリック・クラプトンが参加しており、イントロからすぐにそれとわかるプレイをきかせてくれる。80年代半ばのこの時期は、「ビハインド・ザ・サン」から3作連続でエリック・クラプトンのアルバムにフィル・コリンズが関わっており2)、二人の関係が非常に近かった時期でもある。

このビデオはちょっとした寸劇仕立てで背景を知って見ると面白い。(エリック・クラプトンはもちろん、他にもフィル・コリンズとGenesisゆかりのミュージシャンが揃って出演している。)

場末の劇場でボーカリストがいない状況になり、誰か歌える奴はいないのか、となったときに、バンドのギタリスト(エリック・クラプトン)が、フィルに歌わせたらどうだ、と提案する。その時のセリフが「ヤツはいい声だよ。以前有名なバンドでドラムを叩いていたんだけど、ボーカルがいなくなったときに、代わりにボーカルもやったんだ」と言う。もちろんこれはピーター・ガブリエルがGenesisから抜けた時の経緯そのままである。

じゃドラムはどうすんだ?と支配人が聞くと、クラプトンが「チェスターはどうだ?」と答える。チェスター・トンプソンは、Genesisとフィル・コリンズのソロの両方でサポートドラマーをつとめており、どちらのライブでもフィルとの圧巻のツインドラムをきかせてくれる。

最後のシーンもひとひねり入っている。曲が終わって、支配人がこんなバンドなら最初のダンスのほうがマシだ、とぼやいた後で、「あ、ギターだけ良かったな」と言う。すると助手が「あ、エリックはもう来週辞めることになってます」と答えるというオチがついている。

1 プログレ的な匂いを残すこのアルバムのタイトル曲は、その後ライブで長くプレイされた。
2 「ビハインド・ザ・サン」(85)と「オーガスト」(86)はプロデューサー兼ミュージシャンとして、「ジャーニーマン」(89)はミュージシャンとして参加。「

破天荒

若い頃は、「破天荒」とか「無頼」みたいな形容詞で語られる人生に憧れを抱いていた。平凡なレールに乗った人生じゃなくて、人と違った格好いい生き方がしたい、と鼻息も荒く思っていた。若者らしい青い憧れだけれど、平成も終わろうというこの時期に振り返ってみると、甚だ昭和っぽい憧れでもあったのだなぁと思う。

こんなことを考えたのは、「ボヘミアン・ラプソディ」と「エリック・クラプトン~12小節の人生~」を立て続けに見たからだ。フレディとエリックが「破天荒」だったかどうかはさておき、ふたりともセックス・ドラッグ・アルコールといった退廃をたっぷり経験している。70年代から80年代にかけて、世の中への「異議申し立て」にあたっては、このセックス、ドラッグ、アルコールというのは必須科目のようなもので、一般常識や良識を踏み外すためのお決まりの方法論だった。ロックミュージシャンや無頼派の作家などは、みな揃ってこの泥沼にはまり込み、若者は憧れの眼差しでその姿を見ていた。

憧れてはみたものの、この泥沼にハマるのはけっこうハードルが高かった。男子校育ちのやや自意識過剰な男子としては、女子に並々ならぬ興味はあったものの、手当たり次第というほど器用な真似はできなかった。ドラッグは、戦後のヒロポンのようにそこらに転がっていれば試すことも出来たのかもしれないが、マリファナのようなソフトなものであっても入手手段などなかった。代わりに、タバコを吸って、クラプトンのように、ギターヘッドの弦の間に火のついたタバコを挟んで演奏してみたりもしたが、ニオイが生理的に駄目だった。酒は一時期頑張って飲んでみたものの、酔っ払う前に、気持ち悪くなって動けなくなるか、眠り込んでしまうかで、記憶をなくして「破天荒」なことをしでかすはるか手前の段階でダウンしていた。

その後、身の回りで、ドラッグはともかく女や酒に耽溺する人を見てきたが、みな生理的に、というか、ナチュラルボーン・酒好き女好きであって、ムリして溺れている人というのはあまりいない1)。なぜそんなに飲みたいのか、なぜそんなにヤりたいのか、という問いにはあまり意味がない。「破天荒」に生きたくて、なんて人はおらず、ただ、そこに酒があるから、とかそこに女がいるから、みたいな人ばかりである。聞きようによっては孤高の登山家の深淵な哲学と勘違いしそうになるが、何のことはない、好きだから、という生理的な反射に近いのだった。

話がすっかり逸れた。この「破天荒」への憧れが昭和っぽいというのは、つまり、「普通の」人生が、レールに乗ったらそのまま年をとっていくだけの退屈なもの、という前提があるからだ。いい学校に行き、いい会社に就職し、定年までつつがなく勤めて、退職後は年金暮らし、というレール。高度経済成長と終身雇用があたかもずっと続く「真理」のように思い込んでいた昭和が背景にどどんと鎮座していたのである。言うまでもなくこの昭和の思い込みは雲散霧消し、レールなんて探しても見当たらない時代になった。これから、ますます先が読み通せない時代になり、みなそれぞれに変化に機敏に対応しながら生きていくのだとすれば、「破天荒」になるのはますます難しい。だってもはや踏み外すべき「普通」がないのだから。

1 もちろんアルコール依存の問題は深刻で、いつしかアルコールがその人をコントロールするようになってしまう。クラプトンが映画の中で「当時、自殺しなかった理由は、死んだら酒が飲めなくなると思っていたからだ」と語っていたが、まさに酒が人格を乗っ取ってしまうこともあるのだ。

Forever Man (Eric Clapton)

エリック・クラプトンの、ヤードバーズ以来の長いキャリアの中で、僕は80年代から90年代にかけて1)のソロ作品が一番好みである。ギターについては何よりもその唯一無二の音色が魂を震わせる。まさに「エリック・クラプトン」という音色であって、ギターが、アンプが、テクニックがどうのといった技術論はどこか「机上の空論」の虚しささえ感じさせてしまう。その音は、余人の到達し得ない巨大な「素数」というか、因数分解を許さない次元の凄みがある。ギターと同じくらい魅力的なのが彼のボーカルだろう。ギタリストとしての評価が先行したが、キャリアの中盤以降、彼の声の魅力はギターと切り離すことはできない。歌とギターが継ぎ目なく一体となって音楽を編み上げてゆく魅力は、ブルーズギタリストの王道2)とも言える。とくに80年代後半からはアルバムごとにボーカリストとしての魅力が増しているように思う。

「フォーエヴァー・マン」は85年発売のアルバム「ビハインド・ザ・サン」に収録。このアルバムはフィル・コリンズがプロデューサー兼ドラムス・パーカッションとして参加3)しており、従来よりもポップな音、曲調にまとめられているので、ファンの中でも好き嫌いが分かれる。「フォーエヴァー・マン」はシングルカット用の曲を入れる必要から制作されたようで、作曲はクラプトンではなくJerry Lynn Williams、プロデューサーもフィル・コリンズではない4)けれど、クラプトンの魅力をよく引き出していると思う。ドロップDチューニング(ギターの6弦開放をE音ではなくD音に下げたチューニング)をうまくつかった印象的なイントロのリフ、そしてボーカルのAメロ(最初のフレーズ)が素晴らしい。のっけから高音部をちょっと気張ってシャウトっぽく発声するクラプトン節炸裂である。でも、何より心に突き刺さってくるのは、ギターソロの第一音のチョーキング。もうこの音、このチョーキングだけでご飯3杯食べられます、くらいの代物で、タイミング、音色、とてもマネできるものではない。技術的にはロックギターの基本中の基本ともいえるチョーキングだが、それ一発をここまで聴かせるギタリストっていない。生きるレジェンドたる所以である。

1 この年代は、MTVの隆盛とともに「ロック」というジャンルが最も元気だった時代だ。英国のミュージシャンは米国でのセールスを意識せざるを得ず、良くも悪くもアメリカ向けにややポップでわかりやすい曲作りを求められることが多かった。
2 ゲイリー・ムーアもまさにこのタイプだ。
3 次のアルバム「August」もフィル・コリンズのプロデュース。さらに次の「Journeyman」でもドラムス、コーラスとして参加している。
4 ちなみに、ドラムスはTOTOのジェフ・ポーカロ、バッキングのギターはスティーブ・ルカサーが弾いている。