ホバート旅行記 1 タスマニアへ

タスマニアの位置

 タスマニアはオーストラリアの南東の端っこにぶら下がるように位置する島である。日本で地図を眺めているときはそれほど大きくは見えない。2,3日もあればクルマで一周できるんじゃないかくらいの感じだ。でも実際には北海道の8割ほどの大きさだからかなり大きな島だ。

 多くの日本人にとってタスマニアといえば、タスマニアンデビルという恐ろしげな名前の動物のイメージだろう。世代によっては「タスマニア物語」という映画を思い浮かべるかもしれない。田中邦衛と薬師丸ひろ子が出ていた1990年の映画だ1)

 僕も旅行に行こうと思い立つまでタスマニアのことなど何一つ知らなかった。パタゴニアと混同していたくらいだ。(カタカナ5文字と南半球くらいの共通点しかない。)2017年秋のある日、日比谷線六本木駅に続く地下道で、「JALメルボルン線開設」と阿部寛がにっこり微笑む大きな広告ボードをたまたま目にしたのをきっかけに、そうだ、メルボルン行こう、と思い立った。そうだ、京都行こう、みたいなノリで。地図でメルボルンを眺めてみると、タスマニア島がいやでも目に入る。ほう、タスマニアね。面白そうだからちょっと足でも伸ばしてみるかな。

 調べてみるといろいろと面白い島だということがわかってくる。中でも興味深いのは、タスマニアでは近年ウィスキーづくりが盛んで、それもシングルモルトウィスキーを作っているということだ。シングルモルトウィスキーといえばスコットランドあるいは日本というのが定番で、オーストラリアのウィスキーなんて寡聞にして聞いたことがない。でも、2014年にタスマニアのSullivans CoveというウィスキーがWorld Whiskies Awards (WWA) のシングルモルト部門で最高賞を受賞している2)。ウィスキーブームに乗って世界的にも人気が高まっているが、各蒸溜所とも生産量が限られていて現地以外ではなかなか手に入らないらしい。うむ、これはウィスキー好きとして行かねばなるまい。

 

1 主人公が一流企業を辞めて絶滅したタスマニアンタイガーを探しに行くという陳腐な話らしい。制作はフジテレビ。
2 同年のブレンデッドモルトウィスキー部門ではニッカ「竹鶴」17年が最高賞である。

火事始末記(2)

二階はおおかた燃えてしまっているのに対し、一階は比較的いろんなものが残っていた。不思議なのは火元に最も近い一階の仏間がほとんど無傷だったことだ。雨戸が閉まっていたのが幸いしたのだろう。仏壇にある母の位牌もいつもと変わらぬ様子でそこに鎮座していた。母は生前から物事に動じない人であったが、位牌でもそれは変わらないようだ。

消防署の人がやってきて実況見分が始まった。父から出火時の様子を聞き取り記録書類を作っている。ろうきんの火災保険担当者がやってきて、御見舞を述べた後、同じように実況見分をする。全てが焼け落ちた「全焼」ではないが、今後の使用には耐えない「全損」という見立てで、保険金は満額支払われる1)はずだ、と言う。

火元の隣家に一人暮らしをしていたお爺さんがうず高く積もった残灰の中から遺体で発見された。昨晩から連絡がとれず「行方不明」になっていたが、逃げ遅れて家の中で亡くなったのだ。よく火事のニュースで「火元の家に住む誰々さんと連絡がとれなくなっています」と報道されるが、きっと大半はこういったケースなのだろう。半年ほど前に奥さんを亡くし、一人で暮らしていたらしい。どうにも気の毒でいたたまれない気持ちになる。

ずっと旅館にいるわけにもいかないので、まずは仮住まいを手配せねばならない。こういう時にインターネットの不動産情報は役に立つ。駅のそばにすぐに入居できる手頃な賃料のアパートが見つかった。ちょっと狭いが当座の寝起きには十分だろう。

並行して消防署に対して「り災申告書」の作成をする。被害額を確定し、その後の罹災証明の元になる書類だそうだ。動産、不動産に分けて詳細に情報を記入する。火事に気付いてすぐに屋外に逃げた父は、何を思ったか、周囲が止めるのも聞かずに家の中に取って返し、不動産や保険書類、預金通帳や印鑑といった貴重品が入ったバックを持ち出していた。怪我一つしなかったので今では笑い話で済むが、一歩間違えれば「行方不明」がもう一人増えていた可能性もあったわけで、決して褒められた話ではない。しかし、結果として、この書類のお陰でり災申告書の不動産部分の作成は比較的スムーズに進んだ。動産は記憶を頼りに金額が高そうなものからリストを作る。現金、冷蔵庫、テレビ、カメラ、貴金属、着物などなど。

父は退職後に鉄道模型趣味にどっぷりとはまり、二階の一部屋は複雑に分岐したNゲージ線路で埋め尽くされ、数え切れないほどの電車・機関車が走り回っていた。これら模型類はほぼ全てが灰と化しているので、被害額を記入する必要があるのだが、父はごにょごにょと言を左右にしてはっきり数字を言わない。よくよく問い詰めてみたところ、年金暮らしの身分でありながら、なんとン百万も使っていたらしい。まったく困った老人である。

火災現場
かつて鉄道模型が走り回っていた部屋

1 よく柱一本でも残っていれば「全焼」扱いにならず、保険金が大幅に減額されると言われるが、それは昔の話で、今ではより現実に沿った査定がなされるらしい。

Still Loving You (Scorpions)

大学1年のときに組んでいたバンドでライブ用の曲を決めているとき、ベーシストがぼそりと言った。「『Still Loving You』やろうよ。俺、別れた彼女ライブに呼びたいんだけど…」

いや~、どうなん、それ。あまりにベタなんとちゃう?と出かかった言葉を何とか飲み込み、何食わぬ顔で「あ、別にいいけど歌える奴いるかなぁ?」と答えた記憶がある。

スコーピオンズの84年発表のアルバム「禁断の刺青」(原題 Love at First Sting)1)の最後に収録されているバラードである。ルドルフ・シェンカー(リズムギター&作曲)とクラウス・マイネ(ボーカル)を中心として、おそらくアメリカ市場で大成功した唯一のジャーマン・メタルバンドだろう。ただ、僕の周りには、ルドルフの弟のバンド、マイケル・シェンカー・グループ(MSG)とセットで認知していたやつが多かったように思う。二人とも白黒に塗り分けたGibsonのフライングVを愛器としていたが、弟マイケルが技術的に難度の高いソロを繰り出すギターヒーローで日本では「神」と崇められていたのに対し、兄ルドルフはカッティングとリフに時折鋭さを見せるものの、ギタープレイより曲作りにその才能を発揮していた2)

その一方で、MSGがことごとくボーカリストに恵まれなかった3)のに比べ、クラウス・マイネのどこまでも伸びるハイトーンボーカル4)は圧巻で、男子大学生ではまるで歯が立たないのであった。当時のアマチュアバンドの曲決めは、a. ギタリストがコピーできる5) b. 男子ボーカルが歌える6)、の a x b で決まったが、スコーピオンズでbを満たすのは甚だ難しかった。結果として、MSGの曲はライブをやれば必ずどこかのバンドがプレイしていたが、スコーピオンズをコピーするバンドはほとんど見なかったように思う。

Still Loving Youは、多少甘ったるくてベタではあるけれど、今聞いても美しいバラードだ。でもやはりbを満たすボーカリストはおらず、結局当時の僕もやはりプレイしなかった。その後、ベーシストが別れた彼女とよりを戻したという話は聞いていない。

 

1 もちろん「一目惚れ」の意味の Love at first sight とサソリが刺す sting を掛けたタイトル。日本語タイトルの「禁断の刺青」ってなんだよ。まぁ、アルバムカバーのイメージにひっかけたんだろうけれど、それにしてもヒドい。
2 リードギタリストのマティアス・ヤプスはけっこう上手いのに、何故か全くギターヒーロー扱いされない。このあたりの扱いがBon Joviのリッチー・サンボラに似てる。
3 有名どころはグラハム・ボネットくらいだが、バンドの歴史を通じてろくなボーカルがひとりもいないというのは珍しい。
4 HR/HMボーカリストによくあるように裏声を表みたいにパワーをかけて発声するのではなく、ナチュラルに高音まで伸びるような声。歳を取って多少高域が落ちた感はあるが、もうすぐ70歳にならんとする今も健在である。
5 完コピを目指す心意気くらいは必要…たとえできなくても。
6 女子が歌うのは不可だった。

あなたの体は9割が細菌

私たちは微生物に宣戦布告した日に、そうとは知らず、微生物と数千世代にわたって結んできた共進化と共同生活の約束を一方的に破棄してしまった – あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた アランナ・コリン著 矢野真千子 訳 (河出書房新社)

書籍カバー

ヒトの遺伝子の数は21,000個。イネの半分、ミジンコより少ない。ではなぜこれだけ複雑で高度なからだを維持し動かせるのか。それは、数多くの重要な機能を、体内に共生する100兆個もの細菌に「アウトソース」しているからだ。アウトソースすることにより、自身が突然変異によってその機能を獲得するのを待つよりも遥かに早く「実装」できる。

体内に共生する微生物共同体(マイクロバイオーム)の重要性が注目されるようになったのはごく最近のことらしい。例えば、虫垂(盲腸)は、長いこと、ヒトの進化の過程で不要になったでっぱりだと思われていたが、微生物の隠れ家であり、免疫系の育成を担っているらしい。(え?11歳のときに取っちゃったんだけど…1)。)

アトピー性皮膚炎、喘息、食物アレルギーから鬱、自閉症に至るまで、現代病と言われるものの多くがマイクロバイオームのダメージと密接に関わっていることがわかってきた。1940年代を境に、抗生物質によって、天然痘、ポリオ、結核といった致命的な病気が治療できるようになり、平均寿命が急速に伸びた一方で、抗生物質の濫用2)によって体内の微生物共同体もまた大きく傷つき新たな病気を生み出していたのは皮肉なことだ。

本書は、現代の先進国で「健康」でいるために、マイクロバイオームも含めたトータルな「からだ」のバランスを維持することの重要性について認識を新たにさせてくれる。

1 虫垂炎自体も現代病らしい。
2 耐性菌の出現によって、抗生物質の濫用については問題意識が高まりつつあるが、人間だけでなく家畜にも大量に投与されており、人間の医療現場の問題に限定されるわけではない。

食べなさい

毎年元日は私の実家へ、2日はカミさんの実家へ行く。この二日間、我々の胃腸はその能力以上に全力稼働することになる。両方の家で食べ物が次々と休みなく出続けるからだ。とにかくお腹いっぱい食べさせてやりたい、美味いものを食べさせてやりたい、という親の愛情や気遣いはいくつになってもありがたいものだ。が、もういいおっさんになってしまった胃袋は、もはや昔のように食べ物を受け入れてはくれない。おせち料理なら煮物ときんとん、黒豆と角煮あたりをつまむと、早くも満腹感を覚え始める。すき焼きならサシの入ったピンクの牛肉一枚とくたっと煮えた野菜と豆腐少々ですっかり満足する始末。若い頃の暴力的とも言える無尽蔵な食欲を遠く懐かしみながら、今年何歳になるのか現実を自覚する瞬間である。

しかし、親から見れば子供はいつまでも子供。高校生くらいの最大瞬間風速的食欲を基準に食べ物が用意されており、食べなさい食べなさいの波状攻撃が展開される。さらに土地柄もある。北関東で「もてなし」といえば食べきれないほどの食べ物、飲みきれないほどの酒をたっぷりと供することと同義であり1)、かなり余るくらいでちょうど。お皿が空くこと、ましてや足りない、などというのは決してあってはならぬ。その結果、例えば、私がお酒の席で近頃愛飲しているノンアルコールビール、まぁ、アルコールは入っていないのだから、飲めても350ミリ缶せいぜい3,4本というところ、28本入り一箱が用意されているといった具合である。

All Free
4本増量

1 おそらく北関東だけでなく、日本中にこういうもてなし文化はある。司馬遼太郎「竜馬がゆく」にも、来客をもてなすために酒の一斗樽をかついで山を越え、正体がなくなるまで相手を酔わせてやっと満足する場面があった。

火事始末記(1)

 実家が火災に遭ったのは2016年の11月29日。火曜日の夕方だ。いま家が燃えてると父から電話がかかってきたのがニューヨークと毎週火曜日の定例電話会議の直前だったからよく覚えている。慌ててクルマに飛び乗り実家に向かった。

 2時間ほどで実家についたときにはすっかり日も暮れて、現場は鎮火し消防も引き上げていた。燻されたような臭いが濃く立ち込めていたが、周囲の街灯がすべて消えており暗くてよく見えない。父たちは近くの旅館に避難していた。ショックと疲れで呆然としていたが、怪我一つないのが幸いだった。

 火元は隣家で、雨戸を閉めようとしたときにパチパチと爆ぜるような音がしたので不審に思って覗いてみると、隣家の窓からオレンジの焔が吹き出していたとのこと。晩秋の強い風に煽られて、焔はみるみるうちにこちらの家に燃え移ったようだ。二人は外出から戻ったばかりだったが、慌てて外に飛び出したという。

 翌朝現場に行ってみた。火元の隣家は外壁だけを残して屋根と内部は全て燃え尽き残骸となり果てている。我が家は外壁と屋根の一部は残っていて外から見ると一見なんとか無事に見えるが、中に入ってみると二階の2/3と一階の1/3が焼失しており、見上げれば、焼け落ちた屋根の向こうに冬の青空がくっきりと見えた。

二階北側の部屋
屋根の向こうに青い空が見える

 燃え残りの残骸や塵灰からはまだ時折白い煙が糸をひくように立ち上り、火災現場に特有の臭いが鼻を突く。消防の放水で中は何もかもずぶ濡れになっていて、あちこちで水が滴り落ちている。隣りにある小学校はいつも通り授業ををしているはずだが校庭に子供の姿はない。この一角だけ奇妙なくらいしんと静まり返って、時が止まったように見える。場が和むような冗談をひとつふたつ言いたかったが、何も浮かんでこなかった。

Hiroshima Mon Amour (Alcatrazz)

イングヴェイ・マルムスティーンが彗星のようにロック・シーン現れたのは僕が予備校生の時だ。グラハム・ボネット率いるアルカトラスの「ヒロシマ・モナムール」は衝撃的だった。ゆったり物哀しいフレーズから突然堰を切ったように炸裂するクラシカルな超高速ソロは多くのギターキッズを虜にした。

だがイングヴェイが与えた衝撃は、そのギタープレイに留まらなかったのである。ある日、予備校のラウンジで友人と喋っていたところ、入り口のガラス扉から、高校時代の知り合いが颯爽と現れた。黒いスリムジーンズに、白のブーツ、胸辺りに昔の貴族風のフリルがあしらわれたシルクっぽい黒のドレスシャツに、黒のライダースジャケットという出立ちで、なぜかギターケースまで肩に背負っている。その姿は、つまり、イングウェイ100%そのまんまであった。スタジオやらライブ会場であればともかく、予備校のラウンジでの違和感たるや、あたかも足ひれ・ボンベにウェットスーツのスキューバダイバーが沖縄の海から何かの拍子に時空転移してきたかのようだ。しばらくすると予備校の事務員が出てきて、彼は事務室の奥に連れて行かれた。後で聞いた話によると、予備校には勉強するのにふさわしい服装で、ときつく注意されたらしい。

ファッションセンスはともかく1)、クラッシック・スケールを超高速で弾くギタリストは、彼のデビュー以降、すべからく「イングヴェイのコピー」と形容されるくらい、今に至るまで強烈な存在感を見せつけている。ところで、一見すると、同じスキャロップド2)・ストラトキャスター+シングルコイルピックアップ+マーシャルアンプの組み合わせだけれど、リッチー・ブラックモアの音とイングヴェイの音って随分違う。リッチーがガラスを引っ掻くようなキーキーした若干耳障りな音で、ソロの音程も不安定に揺れる傾向があるのに比べて、イングヴェイはよりスムーズで艶のある美しいオーバードライブサウンドで、音程も寸分の狂いもなく安定している。

1 イングヴェイ好きな人は、ステージ衣装も彼と同じような、中世的黒っぽいコーディネートの人が多い気がする。アルカトラスで言えば、グラハム・ボネットも個性派だった。リーゼントでグラサンでスーツって。今でもHR/HM界の横山やすしとして記憶されている。
2 フレットとフレットの間が浅いU字型に抉られたネック。リッチー・ブラックモアとイングヴェイが愛用しているので、これを使うと早く弾けるような気がするが、彼ら二人以外で使っている人を見たことがない。

内向型人間のすごい力

スーザン・ケイン著 古草秀子訳 (講談社)

アメリカ系企業は、研修(トレーニング)それも「インタラクティブ」な研修が大好きである。外資系企業で働いたことのある人の多くが経験しているはずだ。研修のオープニングの挨拶で講師が必ずと言っていいほど「今日のトレーニングはできるだけインタラクティブにしたいと思ってます」などと言う。つまりは一方的にレクチャーするだけでなく、皆さんからも活発に意見、コメントを出してくださいね、ということだ。その結果、講師から基本的な説明・解説を聞く以上の時間を、同僚の愚にもつかない感想やら意見やらを聞くのに費やす羽目になる。

本書にもある通り、アメリカ社会では、「外向的」(Extrovert) であることが高く評価される。他人よりもよく喋り意見を述べ、多くの人と一緒に何かをしようとする人がリーダーシップがあると見なされる。喋る内容は問題でなく、喋ることそのものが重要である。一方、日本を含むアジアでは必ずしもそうではない。口数ばかり多いやつは馬鹿だと思われるし人望も得られない1)。賢い人ほど普段は物静かなものだ。弱い犬ほどよく吠える、言葉多きは品少なしと言うではないか。

本書によれば、実はアメリカ人にも「外向的」であるのが苦手な人も少なくない。みんなと一緒にではなく、一人でじっくり考えて物事をすすめたいタイプも多い。それなのに、世間の評価を得るために、みんな無理して「外向的」を装わざるをえないのだ。著者もそういう無理をしてきた自分を振り返って、「内向的」だっていいじゃないか、世の中を変えるような意義のあることを成し遂げた人々の多くも「内向的」だったじゃないか、と言うのである。

アメリカのIT企業では、ここのところDiversity & Inclusionの掛け声とともに、人種、性別、性的指向など様々なタイプがそれぞれに自分らしく活躍できる職場をつくろうという活動が活発になっている。だが、この外向的・内向的という個性については相変わらず単一の価値を押し付けていて残念なことだ。著者のTED Talkは本書の内容が簡潔にまとまっている。

1 こういう価値観が、シリコンバレーのアジア系移民・留学生が多い一部の高校にも最近では見られるという本書の指摘は面白い。

文豪の女遍歴

 小谷野敦 著(幻冬舎)

多くの人にとって、いわゆる文学作品との最初の出会いは、学校教科書であろう。ゆえに小学生、中学生の頭には「文豪」=「立派な人」といった刷り込みが起こる。立派であるからには、皆の手本となるような生涯だったのだろうと無邪気に思いこむ。結果、国語の教科書に出て来るような作品というのは、立派な人が書いた大して面白くもないお話、ということになるのである。

しかしながら、昔の作家、文士なんてものは、その実態といえば、どこかおかしい人であって、その多くは世間様に顔向けできないような退廃、懶惰、奔放、怠惰、狡猾、荒唐、不合理を宿命的にその身体に抱え込んでいる。異性関係(同性愛の場合ももちろんあるが)などその最たるものであって、本書に登場する有名作家は、爛れたダラシのないエピソードには事欠かない。昔は世間も、作家がそうあることを許容していたように思う。昭和の俳優や歌手、漫才師や噺家が、プライベートでは「おかしな人」あるいは「困った人」であることも含めて世間に受け入れられていた1)のと同じことが作家にもあてはまった時代があったのだ。

こういう背景を知ってみると、子供の頃あれほど退屈だった文学作品が急に生気を帯びてくる。自らの実体験を下敷きにしている、実在のモデルがいるとなると、生身の人間のニオイがしてくるようで、作品への興味と食いつきがまるで変わってくるのである。

1 今ではこの種の芸能人はほとんど絶滅危惧種である。というか世間的に許されなくなってしまった。

Still Got the Blues (Gary Moore)

ゲイリー・ムーアは、日本で「人間国宝」1)とまで賞賛され愛されたギタリストだ。弦を引きちぎらんばかりのハードピッキングから繰り出される速弾きと、ゆったりと悲しく響く「泣き」のフレーズの組み合わせは世界中のギター少年を夢中にさせた2)。初期のフュージョン寄りのテクニカルな音楽からThin Lizzyを経てハードロックの王道を歩んでいた彼が、自らのルーツと語るブルーズのアルバムを出したのが1990年。「Still Got the Blues」はアルバム・タイトルにもなっている代表曲である。

このアルバムが発売された頃、ニューヨークに駐在していた僕は Beacon Theatreでのライブを見に行った。二階のバルコニーの最前列。秋の落ち葉のようなレモン・イエローに退色したレスポールの音色は官能的なまでに美しかった。ハードロックよりも抑えられた音量3)とシンプルなバックのおかげで、彼のギターがより際立ち心を鷲掴みにされる。たしかアンコール前の最後の曲として「Still Got the Blues」がプレイされた時、気づいたら涙ぐんでた4)。コンサートで泣いたなんて後にも先にもこのときだけだ。

BBキングやエリック・クラプトンの例をひくまでもなく、ブルーズギタリストの多くは自ら歌う。声とギターが境目なく繋がって行ったり来たりする。よくメロディアスなギタリストを評して「ギターが歌う」などと表現するが、ブルーズの達人たちにとってギターは歌の一部であり、歌はギターの一部なのだ。ゲイリー・ムーアもまさにギターとボーカルが一体となって魂が響くような音楽を聞かせてくれる。

1 © 伊藤政則 実にしっくりくる形容だと思う。
2 彼のアイルランド・ルーツとアジアの演歌的な泣きの音階との相性がよいためか、アジアのギターキッズからの絶大な支持があったように思う。ソウル、バンコク、バリのライブハウスでゲイリー・ムーアのコピーバンドが演奏しているのを見たことがある。
3 それでもBBキングから「音がでかすぎる」とからかわれていた。
4 後半のソロ(アウトロ)の真ん中くらいでフロントピックアップからリアピックアップに切り替えるところがあって、そこで涙腺が決壊した。優しく歌うような前半から、叫ぶようなエッジの効いた音に切り替わるところ。