ちょっとの距離

遠い、近い、という距離感覚は個人差が大きい。たとえば、普段あまり出歩かない人にとっては、電車で数駅、あるいはクルマで30分の距離を「遠い」と感じるだろうし、普段から2時間近く長距離通勤しているような人ならば、その同じ距離を「近い」と感じるだろう。それでも、日本という小さめな国土の平均的な町で過ごす人にとっての最大公約数的な距離感覚はあるはずで、たぶん所要時間2時間とか3時間あたりが近い・遠いの境目なのではなかろうか。

アメリカ人と話すと、この感覚がずいぶん違うのだなぁと思わせられることが多々ある。若い頃ニューヨークに赴任していたとき、ミネアポリスにある小さな会社と取引があった。その会社はシカゴにも事務所があり、そこの社長は、ミネアポリスとシカゴをよく行ったり来たりしていた。この2つの都市は、東京と大阪くらい1)離れており、飛行機なら1時間半、車だと6時間半ほどの距離だ。彼は、こともなげに「近いからすぐだよ」と鼻歌交じりで2つの都市をしょっちゅうクルマで往復していた。東京と大阪を月に何度もクルマで往復しろと言われたら、運送業でもない限り、僕ならかなり怯む2)。やはり広大な国土に住んでいると、距離感覚がぐっと伸びるのだなぁと感心したものだった。

この、日本人にはかなりの「遠距離」でも、それをものともしないアメリカ人の感覚は、いろいろな場面でひょっこりと顔を出す。同じミネソタで、「美味いアイスクリームがあるからちょっと食べに行こう」と連れて行ってもらった先が、ハイウェイで40分くらいかかる場所だったこともある。全然「ちょっと」食べに行く距離じゃなかった。某IT企業の入社面接で、当否を決める最終段階というわけでもないのに、「ちょっとカリフォルニアまで来られないかな?」と、カジュアルな調子で聞かれたときは面食らった。太平洋は、「ちょっと」越えるような距離ではない。この手の話は珍しくなくて、つい先日も、別のIT企業から、面談したいのでカリフォルニアまで来てくれ、と言われたばかりだ。あ、書いていて思い出した。シンガポールでちょっとディナーをするから、参加しろ、と言われてそのディナーのためだけに6時間かけて飛んだこともある。仕事といえば仕事だけれど、別段大した話でもなかった。本当に「ちょっと」ディナーしただけなので嘘ではなかったわけだが、僕の往復12時間を返してほしい。

アメリカ系企業に勤めてずいぶん経つので、僕の距離感覚も、もしかすると平均的日本人よりもだいぶ伸びた、というか、伸ばされた感がある。たとえばソウルに出張するときは、それこそ「ちょっと」行ってくるわ、てなもんで基本日帰りである。往路は朝一番の羽田発、復路は最終便の金浦発を使うとそれほどムリなく日帰りできる。このパターンだと、夜の付き合いで深酒しなくて済むという利点もあるのだった。

1 正確には東京と姫路くらい。
2 もちろん新幹線なら十分アリだけれども。