知らんがな

普段はあまり劇場で映画を観ない。その代り、と言っては何だが、飛行機の中ではよく映画を観る。出張で6時間以上のフライトが多く、機内で眠れないので時間はたっぷりある。最近は、飛行機のエンターテイメントシステムに入っている映画の数も以前よりはずっと多くなったけれど、なかなかこれ、といった映画がない場合もある。とくに日系以外の航空会社では、字幕版がなかったりすることも多いので1)、最近ではタブレットにまとめて何本かダウンロードしておく。

新しいものも観るけれど、何度も繰り返してみているものも多い。ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドや、ジェイソン・ボーンのシリーズは何度見たことか。ゴッド・ファーザー(パート1と2)とアンタッチャブルもよく観た。昔はバック・トゥ・ザ・フューチャーとかビバリーリルズコップみたいなコメディのシリーズもよく見たけれど、最近はあまり食指が動かない。

そう言えば、もう随分前の話になるけれど、シアトルから東京に戻る便で、米国海兵隊らしき一団と乗り合わせたことがある2)。前後左右見渡す限り、みっちりと、マリーンカット3)のいかつい若者が大挙してエコノミークラスに乗っていた。その真っ只中に、何かの手違いのように僕の席がぽつんと指定されている。さらに間の悪いことに、真ん中列の真ん中という最悪の座席で、丸太のような二の腕のいかつい兄ちゃんが両側にどかんと座っている。彼らの名誉のために言い添えれば、別に騒いだりしているわけではなく、みなとても礼儀正しく、普通に座っているだけなのだが、屈強な若者が集団でいると、その肉体が発する「圧」はけっこうなもので、我々のエリアだけ周囲より気温・気圧ともに少し高いのではないかと思うほどであった。

最初の食事が終わり、食器が片付けられると、みなそれぞれにリラックスする時間だ。眠る者、ゲームするもの、読書する者、音楽を聴く者とみなそれぞれ好きなことを始める。僕は本を読みはじめ、右隣の兄ちゃんは目の前のモニターで何か機内映画を見始めた。しばらくして突然、兄ちゃんが肘でぼくをつつき、目の前のスクリーンを指さして、愉快そうに笑いながら、「Funny, Huh?」と言った。

彼の見ていた映画が、面白い場面に来たのだろう。唐突に「オモロイな」って同意を求められても、こっちは観てないんだが。でも彼はいかにもオモロイといった様子でケラケラ笑ってるし、なんとなく釣られて「そうだね~」なんて言いながら笑ってたら、どうもそれがいけなかったのか、そのあと映画が終わるまでの2時間、こっちが読書してようが何してようが、「Oh My God」だの「Come’on~」だのと彼が映画にリアクションするたびに肘でつつかれて同意を求められるという、なかなかにツライ道中を過ごしたのであった。

「知らんがな」って英語でなんていうんだろうね。

1 というか日系であっても吹替版しかないものも多くてがっかりする。字幕版にしてもらえないだろうか。
2 買収される前のノースウエスト航空で、一団はどうやらフィリピンの米軍基地に向かっているようだった。
3 がっつり刈り上げの超短髪

階級闘争

高度経済成長時代に建設された、いわゆる「ニュータウン」という大規模団地群で育ったせいか、みんな同じ、みんな平等、という感覚をごく自然に吸収しつつ大人になった。周囲はみな、ほぼ同じ間取りに住む、同じような家族構成の、同じような収入の家で、土地に根付いた古くからのシガラミもない。新しい街、近代的な明るい生活、といった空気が満ちた平和なコミュニティであった。経済的には、我が家はかなりつましい生活の家ではあったけれど、世の中の「一億総中流」の流れに乗って、カネのあるなしもそれほど意識させられることもなかった。

長じてからも、そうして刷り込まれた感覚はあまり変わらず、普段は概ね心安らかに暮らしているわけだが、年に数度、「階級」の壁に直面する。そう、国際線の飛行機である。ご存知の通り、飛行機にはあからさまに「階級」が設けられており、待遇が天と地ほどに違う。個人で遊びに行くならともかく、出張なんだからビジネスクラスに乗せてくれよと思うが、なんだかんだと様々な条件があって、10回に9回はエコノミークラスでチケットを手配することになる。青雲の志に燃えた若い頃は、エコノミー大いに結構、海外出張というだけで鼻息も荒く、勇んで出かけたものだが、慣れと老いとは恐ろしいもので、もはや飛行機の中で満足に眠ることもできなくなり、4時間以上のフライトはもう苦行であって、飛行機を降りた時点ですでに疲労困憊、もはや仕事をする体力も気力も残っていない。

ごくたまに、何度も利用するエアラインだったりすると、どういう加減か、チェックインカウンターあるいは搭乗ゲートで、ピンポーンという軽やかなチャイムとともにエアラインの制服を着たにこやかな女神が現れ、アップグレードチケットに交換してくれるという僥倖に恵まれる。でも、ほとんどの場合何も起きず、ないとわかっていながら毎度アップグレードを期待してしまう自分の浅ましさに自己嫌悪を抱きつつ、ドナドナと長い列の後ろに並んで、狭苦しくむさ苦しい最後部セクションに誘導されることになる。

ビジネスとエコノミーのあからさまな待遇差は、もちろん機内だけではない。預け入れ荷物の個数、チェックインの順番、ラウンジ利用の可不可。仕事の場合、ラウンジが使えないのはときに致命的で、一度、ロンドン・ヒースローで天候不順のために乗るはずだった飛行機がずるずると遅れ、結局7時間も空港内を電源とWifiを求めて彷徨うハメになったこともある。こういう目に遭うと、カネ払いの問題だとわかってはいても、おかしいやないか、不平等やないか、と階級闘争に目覚めそうになる。

最近では、やっとわずかに「諦め」という名の「悟り」をひらき、以前よりは心安らかに飛行機移動の時間を過ごせるようになった。コツは、機内食は原則食べない、無理に眠ろうとしない、ことだ。機内は、読書と映画と音楽と書き物の時間と決めて、ジタバタしない。なんだったら瞑想を加えてもいい。ジェイソン・ボーンのシリーズ4作1)を一気に見ようとして眼精疲労で寝込むといった失敗をしつつも、このコツを何度か繰り返すと、だんだんそれが身について馴染んでくる。面白いことに、機中をわざと空腹で過ごすと、到着後も体調が良く、時差ボケも軽く済むことが多い。

1 スピンオフ的な位置づけの「ボーン・レガシー」(主演はマット・デイモンではなくジェレミー・レナー)を入れれば5作ある。