子供の頃、スイカのタネを食べると盲腸になる、と言われた。消化されずに腸まで流れていったタネが盲腸にたまってお腹が痛くなるのだ、というもっともらしい理屈がついていたせいもあって、しばらくのあいだ何となく信じていた。
11歳のときのこと。週末に友達と遊んでいたところ、突然お腹が痛くなった。いつもの腹痛とはちょっと違う。慌てて家に帰ったが、次第に吐き気までしはじめた。しばらくうんうんとうなっていたけれど、状態はどんどん悪くなってゆく。普段はあまり病院に行けと言わない母親が、何かを察したのか、すぐに僕を病院に連れて行った。幸運なことに、家の近所に大きな総合病院があり、そこが休日診療をしていたのだ。
当直の医者は「これはまず間違いなく盲腸ですね」と言った。熱も高かったので、そのまま入院。手術をするには週末で準備が整わないので、週明けの月曜日に散らす1)か手術をするか最終的に決めましょう、ということになった。
月曜日に改めて診察をした別の医師は、実に軽い調子で「うん、切ろか」と大阪弁で言った。僕としては手術はコワいし避けたかったけれど、なにせ調子が悪すぎて抵抗する元気もなく、小学生では言われた通りに従うしか選択肢はない。
手術室はドラマで見たまんまのあのランプが沢山ついた照明が天井から下がっていた。全身麻酔で眠っているうちに終わるものだと思っていたら、「まぁ、5年生やったら我慢できるやろ」と腰椎麻酔2)をされた。これは今でも人生の中で最大の激痛として君臨している。下半身だけの麻酔なので、幸か不幸か意識ははっきりしている。「では始めます。」のあとに医者が「手術も久しぶりやな」とぼそりと言った。
手術中は腸がひっぱられるせいか、胃がひきつれる感じで苦しく、30分くらいで終わると言っていたものが、どういうわけか1時間以上かかって終了した。麻酔が切れたあとが最悪で、ベッドの上で七転八倒。最大量まで鎮痛薬を飲んだり打ったりしても、痛みは収まらず、とにかく苦しんだ。
それでも少しうとうとと眠ったのだろうか。ふと目を覚ますと、パジャマが湿っぽい。汗でもかいたのかと思ったが、それにしてはぐっしょりしている。毛布をめくってみると、お腹の右側から背中にかけて、真っ赤というよりどす黒く血が染みて滴らんばかり。うわ!とパニックしながら、ナースコールのボタンを押すと、看護婦さんが駆けつけ、すぐに例の医者が呼ばれた。医者は「あ~、やっぱりひと針足りんかったかな」とぶつぶつ言いながら、その場で手術針と糸を持ってこさせ、麻酔もなしに縫って去っていった。
翌日だったか2日後だったか、回診に来た医者が、「盲腸、見る?」と出し抜けに言った。ポケットから両側を糸で縛られたソーセージのようなものを取り出してブラブラさせながら、「盲腸って小指の先くらいの大きさやけど、それがこんなに腫れてた。あと半日遅かったら、破けて腹膜炎を起こしてたかもしれんな。ギリギリ助かってよかったなぁ。」とにこやかに言った。
切り取られた自分の盲腸がぶらぶら揺れるのをみながら、あの中にスイカのタネが詰まってたらオモロイな、と思ったけれど、口にする元気もなく、はぁと気の抜けた返事をした。