箱根高原ホテルは、秋のススキ原や美術館で知られる仙石原からもうすこし芦ノ湖寄りの「湖尻高原」にある。箱根の温泉といえば、高級旅館が多い強羅や、著名人が多く贔屓にした宮ノ下、塔ノ沢あたりの歴史的湯宿がまず浮かぶ。仙石原は観光スポットをあちこち歩くところで、「泊まる」というイメージはあまりなかったのだが、「温泉博士」松田忠徳さんの「温泉手帳」(東京書籍)に、箱根高原ホテルは首都圏では数少ない「源泉かけ流し」の穴場だと紹介されていたので、訪ねてみた。
都内からクルマで行くなら、御殿場インターまでは東名高速、そこから国道138号線。混まなければ、およそ1時間半で到着。3月はじめはまだオフシーズンなのか、比較的空いているようで、料金も、朝食のみなら一人1万円を切るくらいと手頃だ。僕は、都内でお気に入りのお弁当と夜のつまみやおやつを買い込んで持ち込むのが好きなので、素泊まりか朝食のみにすることが多い。
ホテルは1962年創業、56年の歴史がある。体育館や会議室を備えているので、学校や企業の利用も多いみたいだ。タイミングが良かったのか、うぇーいと盛り上がる団体さんをみかけることもなく、ホテルはとても静かだった。部屋は4階の角でテラス付き。昨年リニューアルをしたばかりとのことで、とてもきれいな和室である。余計な装飾がないのも好印象。晴れていれば、テラスから周囲の自然や星がよく見えたのだろうが、あいにく冷雨がずっと降っていて、何も見えなかったのは残念。
館内の大浴場は「乙女の湯」と「金時の湯」のふたつ。それぞれ露天風呂も備えている。語感とは逆に、「乙女の湯」が男性用、「金時の湯」1)が女性用になっていた。大浴場への入口付近に暗証番号式の貴重品ロッカーが備えられているので、サイフやスマホが心配なら利用すると良い。脱衣場も脱衣カゴ方式ではなく、スポーツクラブでよくある簡易な鍵付きのロッカーなので、「あぁ、オレのシャネルのパンツが盗まれないか心配だ2)」という人でも、まぁ、大丈夫であろう。
このホテルでは自家源泉を持っていて、大浴場の湯は、ナトリウム・カルシウム・マグネシウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉、いわゆる旧分類名では、硫酸塩泉(芒硝泉)。化学の知識が中学・高校あたりの断片しかない文系バカの我々には、「硫酸」という文字だけで、湯の中でカラダがチリチリと溶けてしまう恐ろしげな絵が浮かぶが、もちろんそんなはずはない(たぶん)。ホテルのHPにある解説は、「カルシウム、ナトリウム、マグネシウムがバランスよく混ざっており、陽イオン、陰イオン各々の主要3成分が過不足なく 入った温泉は、温泉の女神の見事な調合と言われております。(陽イオンと陰イオンの主要メンバーが全て20%以上に 調合された温泉は余り見られません)」と熱く語っており、五十肩、関節痛、動脈硬化など、おっさんには嬉しい効能が並ぶ。イオンがどう作用するのかよくわからないなりに、まぁ、有り難い湯なのだな、と納得する。塩素による消毒はしているようだが、循環はさせていない「かけ流し」だ。乙女湯の浴場内には、大きな浴槽がふたつあり、ひとつは42度弱くらい、もうひとつは43度強くらいの異なる湯温に設定されていて、熱い湯が苦手な僕にはありがたい。お湯は気持ちとろりとして、わずかに黄味がかっているように見える。硫黄臭は一切ないけれど、かすかに「ミネラル臭」がするような気もする3)。露天のほうは、大浴場と異なる源泉の単純温泉だが、循環・消毒しているので、湯質として特筆すべきものはない。でも、広々として空がすっきりと見渡せる。洗い場も清潔感があり、シャワーもそこそこの水圧がある。
一泊する間に、3、4回風呂に入ってゆっくり体を温めると、肩こりや腰痛がやわらぎ、心地よい疲れ具合でよく眠れる4)。そのほかの効能については、一日滞在したくらいではさすがに実感はできないが、一週間くらい湯治すればもしかすると違うのかもしれない。ホテルとはまったく別件ではあるけれど、箱根は雨が降ると行くところがない。仙石原高原で雨の中でうろうろしても風流というより、遭難した人のようでミゼラブルの域に近づくし、湿生花園も芦ノ湖も雨ではいかんともしがたい。というわけで今回はここに載せる写真もないという有り様である。宿もお風呂も気持ちよかったので、近いうちに天気の良いタイミングを見計らって再訪したい。