近所に最近できた喫茶店に行ったところ、BGMにチューリップとハイ・ファイ・セットが流れていた。若い男の子3人でやっているお店なのに、あまりに昭和な選曲なので、「どうして?」と聞いてみると、「この頃の音楽が好きなんです」と30代半ばくらいの男の子がちょっと恥ずかしそうに答えた。リズムより言葉がひとつひとつ大切にされてる感じとか、歌詞にものがたりを感じるところとか、ボーカルの透明さが良いのだそうだ。
70年台のフォーク、フォーク・ロック、ニューミュージックは、今のロックやポップスとは、音作りはもちろん、世界観や歌詞の音への乗せ方が大きく違う。日本語によるポップス、ロックの音楽表現が、試行錯誤しながらだんだん垢抜けていく過程1)を、リアルタイムに経験した僕らには、ちょっと野暮ったかったり古臭く思うけれど、若い今の世代には新鮮に映るのかもしれない。
日本語フォークソング、特に歌詞の完成度という意味で僕が最高峰だと思っているのは、さだまさしの「夢供養」2)という1979年発売のアルバムである。このアルバム収録曲はみな、このアルバムに前後して発表された「案山子」や山口百恵に提供された「秋桜」といったヒット曲と合わせ、情景がありありと脳裏に浮かぶ。日本語フォークによる歌詞表現として唯一無二の高みにあったと思う。
「療養所(サナトリウム)」は、結核療養所にいる孤独なおばあさんと短期で入院していた「自分」との交流をモチーフにした曲。当時、関西から関東に引っ越し・転校することになっていた僕は、転校の予定を誰にも言わず直前までずっと黙っていた。どういうわけかこの曲に、自分と、学校の友達や淡い恋心を抱いていた女の子との別離を重ねていて、聴くたびにひとり胸が締め付けられるような気分になるのだった。