数学への憧れ

中学の途中までは得意だったはずの数学が、いつのまにか苦手科目に変わってから、ついに挽回することなくここまで来てしまった。高校時代のクラス分けでは、早々に「私立文系」組に入って数学から遠ざかり、当然の帰結として私立大学の文学部に進学した。いや、「当然の帰結」というのはちょっと言い過ぎで、文学部というのは、やや極端な選択ではある。ちょっと目端の効く同級生たちは、就職に有利だとされる法学部や経済学部に進学していたが、当時から世の中を斜に見る傾向のあった僕は、「就職目当て」の進路選択をケッと軽蔑し、理由なき反抗によって文学部を選んだのだった1)。今考えると、若気の至りともいえるが、今さら取り返しはつかない。結果として、日本経済がバブルで浮かれていた大学4年の頃、法学部や経済学部の連中は、大手企業から早々と内定をいくつももらって得意げにほくほくしていたが、文学部はまるで蚊帳の外で、安っぽいリクルートスーツを着て、暑い中を汗だくで就職説明会をはしごし、落とされまくり、世のリアルに涙し、自分の浅はかさに何度も深い溜息をついたのだった。

話のマクラが長くなった。こうして数学から遠ざかって長い年月が経つけれど、実は数学が嫌いな訳ではない。むしろすごく興味があるし、わかるようになりたいと思っている。まぁ、今さら微積分の問題を解きたいということはないけれど、もっと大きな絵の中で、最先端の数学が取り組んでいる問いがどういう意味があるのか、それに関わる人物模様についてもっと知りたい。この興味のど真ん中を射抜き、刺激してさらに大きくしたのは、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(青木薫訳、新潮文庫)2)という本だった。たまたま空港で手にとったこの本があまりに面白くて、夏休みで行った沖縄で、ずーっと一日中読みふけった。これをきっかけに、ポアンカレ予想を証明したペレルマンについての本や、アラン・チューリングの本にも手を出した。

数学者を扱った映画も沢山ある。統合失調症に苦しんだ天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描いた「ビューティフル・マインド」、第二次大戦中ドイツ軍のエニグマ暗号を解いたアラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム」、夭折したインドの天才数学者ラマヌジャンを主人公にした「奇蹟がくれた数式」。スティーブン・ホーキングの伝記的な「博士と彼女のセオリー」3)などがある。最近みた映画では、「ギフテッド」が良かった。ナビエ–ストークス方程式の解決を期待されるほどの数学者だったが、自ら命を絶ってしまった姉。弟のフランクは、数学的な天賦の才を母から受け継いだ娘メアリーを引き取り、普通の子供として育てようとする。実話ではなくフィクションだけれど、作中「ミレニアム問題」が重要な鍵のひとつとなっている。メアリーを演じた子役のマッケンナ・グレイスが素晴らしい。

1 経済学や法学には興味がもてず、文化人類学に興味があったということもあるけれど。
2 ビッグバン理論を扱った「宇宙創成」、暗号の世界を扱った「暗号解読」も実に面白い。青木薫の訳も見事。
3 「奇蹟がくれた数式」の原題は「The Man Who Knew Infinity」、「博士と彼女のセオリー」の原題は「The Theory of Everything」。いずれも、原題はストーリーの鍵を含意しているのに、おかしな日本語題のせいで、それが台無しになっている。