死言状(山田風太郎)

「死言状」山田風太郎著(筑摩文庫)に面白い一節があった。「死言状」は94年の発行。すくなくとも25年以上前に書かれたエッセイの一節である。

八十、九十の翁や嫗は、みな脱俗の仙人か福徳円満の好々爺になるかというと、聖マリアンナ医大教授、日本老年社会学会理事の長谷川和夫博士の言葉の大意を紹介すると、
「私、最初老人というのは、温厚でいつもニコニコと柔軟性があって、あまりストレスもない、というような理想的な人ではないかと想像していたら、決してそうじゃない。そこで感じたことはみな我が強いということ。ただ性格が強いから長生きしたのか、長生きしたから性格が強くなったのか、そこはむつかしいところですが」(『 病気とからだの読本』)
読んで私は破顔するとともに、さもあらんと思った。最後の疑問はおそらく前者だ。
心やさしい人々は早く死んでゆく。それをおしのけ、踏みつける我の強い人が、そのバイタリティのゆえに長生きしてゆくのだ。

2016年のデータによると、日本人の男性の平均寿命は80.98歳。女性にいたっては87.14歳。平均でこんなに長く生きるのだから、性格にかかわらず、今では誰も彼もみな80歳、90歳になるとなれば、山田風太郎の見立てとは逆に、「長生きしたから性格が強くなった」という方を採りたくなる。昼日中の街中でよく見かける老人(とくに爺さん)を見ていると、実態としては、長生きしたために柔軟性を失って、ストレスに弱くなり、わがままになる、というのが正解ではなかろうか。もともと我の強い連中は、これに輪をかけて、我欲に執着して醜態を晒す。日大アメフト事件や企業のトップ人事のゴタゴタなど、そのサンプルには事欠かない。

もちろん自分もそうならないとは限らない(まぁ権力はないから、そこは心配いらないけれど)。将来の戒めとしてここに一筆。

人間臨終図鑑

人間臨終図鑑(1巻~4巻)山田風太郎 著(徳間文庫)

「魔界転生」や「忍法帖」シリーズで人気の山田風太郎が、歴史に名を残す古今東西の著名人(英雄、武将、政治家、軍人、作家、芸術家、芸能人、犯罪者など)がどのように世を去ったか、その死に際の様子を全923名に渡って切り取った本。本書に限らず、著者のエッセイはちょっととぼけた味わいで楽しめるものが多い。

最初に読んだのは、母親ががんで亡くなった時だ。去年17回忌だったからもうずいぶん前のことになる。61歳という、女性の平均寿命からすれば早すぎる死だった。病気がわかってから亡くなるまでわずか半年だったこともあり、自分の中でどうにも気持ちの整理ができずにいたときに、本屋で偶然発見して読み始めたのだと思う。これを読んだからといって、その当時、何か慰めや納得が得られたかと言えば、そうでもなかった気がするけれどもう忘れてしまった。ひと月ほど前に、Kindleストアを眺めているときに、たまたま見つけたので久しぶりに再読してみた。

死に際の様は人それぞれとはいえ、900人ものケースを横断してみると、時代の影響ももちろん垣間見える。外的な要因としては、1600年代のペストや、1800年代のコレラ、二度の世界大戦は、少なからずの人に、直接あるいは間接に死をもたらすことになった。内的な要因では、今と変わらず、脳卒中とがんが引き金となる例が目立つ。

当人が、自らの死について伝え残すことはできない以上、僕らに残されているのは、他人の目にどう映ったかの記録であり、どうしても客席から眺めている感じは拭えない。死は一大事であるけれど、それが起きた瞬間に本人にとっての意味は消失し、残されたものにとっての物語に生まれ変わる。だからこそ本書のように「エンターテイメント」にもなりうるわけだ。

自分の死に際がどういうものになるのか想像もつかないけれど、もしこのような本に書かれるとすればどんな風に書かれたいかな、などと考えるのはちょっと楽しい。