レベッカは、1984年デビュー。85年にリリースした4枚目のシングル「フレンズ」と同曲を収録した4枚目のアルバム「Rebecca IV – May be Tomorrow – 」で大ブレイクする。デビュー曲「ウェラム・ボートクラブ」では、木暮武彦1)のギターがドライブするロック色の強い曲調だったが、2曲めの「ヴァージニティ」以降は、キーボードの土橋安騎夫中心のサウンド作りにシフトしていく。
女性ボーカルのロックバンドは、ともすると、そのボーカルにだけスポットライトが当たり、他のメンバーは単なるバックバンドとして「その他大勢」的な受け止められ方をすることが多いため、バンドとして一体感を保って活動していくのは難しい側面がある。レベッカでは、キーボーディストがメインのコンポーザー兼バンドリーダーとして全体をまとめることで、バンドとしてのアイデンディディを失わずに活動できたのだと思う。
NOKKOのボーカルは、小柄な身体から危うささえ感じさせるパワーとパッションが溢れ出すようなスタイル。歌詞の世界も、可愛らしさ、はかなさ、ずるさ、切なさ、脆さ、悲しさ、不器用さといった女性の感情2)を生き生きと表現している。
キーボードは、80年代ポップスの王道とも言えるシンセサイザー中心のサウンド。そこに歪み系のギターが、メロディの隙間を埋めるようなカッティングやリフでロック色を加える構成になっている。「フレンズ」は中間部のギターソロが絶妙なフレージングで曲全体を引き締めていて、サビのボーカルへの橋渡しも見事だ3)。
レベッカというバンドは、僕にとっては同時代ど真ん中のバンドだった。86年に早稲田大学の学園祭、文学部キャンパスで行われたシークレットライブのときにも、偶然すぐそばにいて、間近で見ることができた4)。2015年8月19日に横浜アリーナで行われた再結成ライブにも行った。実を言えば、NOKKOの歌い方がソロ・アルバムでは80年代レベッカのときとはかなり変わっていたのでどうかな、と思っていたのだが、それは杞憂に終わった。かつてのストレートなパワーは、円熟味とブレンドされて、今のNOKKOが存分に表現されていたし5)、全盛期のメンバーで構成されるバンドの演奏も、タイトであると同時にベテランらしい深みを加えていて、聴き応えのある2時間だった。
↑1 | レベッカ脱退後はRed Warriorsを結成。 |
↑2 | たとえばプリンセス・プリンセスの歌詞世界が、どちらかといえばポジティブな雰囲気をまとっているのとは対照的に、NOKKOの歌詞はいつもどこかに翳がある。 |
↑3 | たぶん、当時からレコーディングをサポートしていた是永巧一のプレイなのだと思うが、この曲のリリース時のメンバーだった古賀森男が弾いている可能性もある。 |
↑4 | 僕が所属していた音楽サークルがちょうど文学部キャンパス内でライブをしていた。体育館前の広場にステージが組まれているのを何気なく見ていたところ、ロートタムを使った特徴的なドラムセットを組んでいた。これは小田原豊のセットだと気づいて待っていたら、予想通りレベッカのシークレットライブが始まった。 |
↑5 | 当時そのままを期待したファンにはちょっと不満が残ったかもしれないけれど、昔のようなストレートな発声と、今の少し抑えたような歌い方が一曲の中でさえくるくると入れ替わって面白かった。 |