凛とした人

今日は母の命日だ。61歳で亡くなったのは2001年だから今年でもう17年になる。仕事を引退し、新居に引っ越して、これから楽しい老後の時間をというタイミングで、あまりにも早かったと思う。先日のニュースによると、2017年は女性の平均寿命が87.26歳だったそうだ。平均と比べることに意味があるかどうかは別として、25年以上も短かい生涯だったことになる。早すぎたからなのかどうなのか、その存在感は、今もってなおまるで減ずることがない。墓参に行っても、あの母がこんな田舎の墓の中におとなしくしているわけもなく、忙しそうにあちらこちら出かけているに違いなく、いつも留守宅を訪問している気分になる。日々の暮らしの中でも、ふとしたときに、今日はふらりと我々の様子を見にきているのではないかという気配を感じたりもする。

病気がわかってから、入院するまでひと月あまり。今でも病名を告げられたときのことは昨日のことにようによく覚えている。カンファレンス室で医者が見せたレントゲン写真は、医学部の教科書にサンプルとして出てくるような、見事な末期がんの様相で、あってはならない白く輝く星が、肺一面に星座のように広がっていた。それでも、本人は、その深刻さを知ってか知らずか、少なくとも僕ら息子たちの前では、つねに前向きな姿勢を崩さず、泣き言めいたことも一切口にせず、どんなときも凛とした母親でいた。

亡くなる前々日、病院の向かいにあるホームセンターで、ちょっとした買い物をしているときに、酸素マスクをつけているはずの母から携帯電話がかかってきた。あわてて出ると、お世話になった看護婦さんたちにお礼がしたいので、プレゼント用のハンカチを買ってきてくれ、という。さっきまで痛み止めのモルヒネで眠っていたはずの人から、予想外のタイミングでの電話と頼みごとに、その時はつい笑ってしまった。今思えば、彼女は自分の死が近いことを悟っていたのだろう。たしか、買って帰ったハンカチをちゃんと自分で渡してお礼を言ったのではないかと思う。いつも自分のことより人のこと、何事もきちんとしたい人だったが、最後の最後までそれを貫き通した。

二日後の早朝に、母は静かにその生涯を閉じた。その年は、今年と同じ猛暑で、とにかく毎日暑かった。灼けつくような日差しの眩しさに、あの夏を思いだす。