マッティは今日も憂鬱

「マッティは今日も憂鬱 フィンランド人の不思議」

カロリーナ・コルホネン著 柳澤はるか訳 (方丈社)

日本人が一般にぼんやりと抱く「欧米の人」のステレオタイプは、英語を話し、周りに同調することなくYesだろうがNoだろうがはっきり自分の意見を言い、外向的で快活な人々、あたりではなかろうか。20年以上アメリカ企業で働いてきた経験からすると、相当にステレオタイプ化された見方ではあるけれど、まぁ確かにアメリカ人にそういう人いるね、という感じである。一方、「欧米」の「欧」の部分は、友人、同僚、知り合いから判断するに、実は「米」とはかなり趣を異にしていて、たとえば同じ英語圏の英国であってもだいぶ違う。ましてやフランスやドイツとなると、それぞれにもっと違いは大きくなる。ただ、グローバル化のご時世で、「欧」出身であっても出世するやつほど「米」的なキャラを前面に出していたりするのでややこしい。

フィンランドについては、北欧にあって寒くてサウナが名物ということ以外には、ほとんど何も知らないに等しい。フジヤマゲイシャ並の貧弱な知識である1)。だから、何も知らないままに、フィンランド人もステレオタイプ的「欧米」のくくりだろうと思いこんでいたが、本書を眺めているとそれが全くのお門違いだとわかる。「こういうのって欧米だと理解されないんだよ」なんて日本人特有のように思ってた心の機微は、実はその多くを、フィンランドの人々も同じように感じてたのだ。マッティの「憂鬱」は、どこかで祖先が-それもひい爺さんとかその一つ上あたりの近いところで-つながっているんじゃないかっていうくらいに、うーん、わかるわかるの連続なのである。

本書はもともと「Finnish Nightmares」としてネットで公開されていたものが人気になって書籍化されたものだ。コミックというより、「こんなのって憂鬱だよね」という日常の些細な一コマをマッティというキャラクターに仮託して描く形式になっている。日本語訳もこなれていて、たとえば「Nightmares」を「悪夢」なんて訳すと強すぎるけれど、うまく「憂鬱」という言葉をあてはめて、ニュアンスを上手にひきだしている。

以前感想を書いた「内向型」の人についての本にもあったけれど、アメリカ人ですら外向的で賑やか好きという人ばかりではない。物静かに、他人とは距離をとって、心穏やかに暮らしたいと思う人は、洋の東西を問わず、目立たないだけできっとたくさんいるのだ。僕もその陣営に与するものだけれど、こういう本を見るとちょっと勇気づけられて、毅然として穏やかに、堂々と控えめに生きていこうと思う。あと、フィランドにもぜひ行ってみたい。

1 ITに詳しい人ならノキアとLinuxを思い浮かべるかもしれない。まぁそれを入れてもフジヤマゲイシャソニートヨタくらいのもんではあるが。