ジ・アッタ・テラス(沖縄)

8月の終わりに沖縄に行ってきた。ずいぶん久しぶりの沖縄だ。たぶん震災の年以来だろう。今回泊まったのはジ・アッタテラス・クラブタワーズ。沖縄に展開するテラスホテルズでは、ザ・ブセナテラスが有名だが、それに比べるとずいぶんこじんまりとした、静かな大人向けのホテルである。東西に伸びる沖縄本島の真ん中北側のあたり、恩納村の森に囲まれた丘の上に建っている。ゴルフ場を併設していて、雰囲気やしつらえが大人向けというだけでなく、16歳以上じゃないと宿泊できない文字通り「大人の」ホテルである。

那覇空港からはレンタカーで約1時間。フロントのある建物に入るとすぐにプール、そしてその向こうに海が見渡せる。海側の端から水が流れ落ちて境界線を意識させない「インフィニティプール」のつくりになっていて、森を越えた先に見える海にそのままつながっているように見える。海と空が青々と輝く朝と、夕日に赤く染まる日暮れ時はとくに見事だ。

宿泊棟はリゾートマンション風のつくりのクラブタワーで、プールから急な坂道を下ったところに二棟並んで建っている、。全室がスイート形式で、部屋も広々としてゆっくりとくつろげる。オーシャンビューの部屋ならベランダから森の向こうに広がる岬と海の雄大な景色を楽しめる。敷地内にはホテルで使われる食材を無農薬で栽培する自家農園や森をうまく利用した高低差のある広々とした庭園も眼下に見える。ホテルが高台に位置しているため、敷地内にビーチはないが、森を抜けた先にはビーチとビーチクラブがあり、電気自動車で送迎してくれるという1)

季節のせいか、蝶が多い。手のひらくらいの大きな黒いアゲハチョウが、亜熱帯の花の周りをひらひらと舞っている。プールも館内もとにかく静かだ。森の中から聞こえるセミらしき虫の合唱と、ときおり軽やかに響く鳥の鳴き声以外にはほとんど物音がしない。芭蕉がもし来ていたら、きっとここでも「静かさや…」と一句詠んだに違いない。それにしても、子供がいないというのがこれほど静かなものなのかと驚く。「大人の隠れ家」という触れ込みは決してダテではなかった。四日間の滞在中に一度、ブセナテラスのビーチとプールに遊びに行ったが、そこらじゅうで子供の甲高い声と親の大声がわんわんと響いていて、アッタテラスに比べると、幼稚園の真っ只中に放り込まれたかのようだった。(もちろん活気という点で子供が楽しそうにしているのを眺めるのも決して悪くはないのだが。)

これだけ静かだと、日頃の忙しない生活からくるストレスを解消するにはたいへんよろしい。とくにひとりで時間をすごすことが苦にならないタイプの人に向いている。昼はプールで体を冷やしつつプールサイドでのんびり読書と昼寝、夜はバーでテラスホテルズが自前で造っているクラフトビールなど飲みつつ、夜空の満点の星空を見上げて宇宙の彼方に思いを馳せる、などしているうち、あっというまに時間が経つ。スパのマッサージも高品質でオススメだし、ゴルフをする人はもちろんラウンドするのも楽しみつつ、4、5泊するのも良いのではないか。ただし、連泊するならレンタカーは必須。ホテルにはレストランがひとつしかなく2)、歩いていける範囲にも何もないので、庶民派(沖縄)料理店に行く場合にはクルマで15分から20分ほどの名護近辺まで出る必要がある。

1 ただし、遊泳はできないそうだ。海に入れるビーチで遊びたい場合には、ブセナテラスのプライベートビーチを利用できる。無料送迎バスで20分くらい。
2 併設のゴルフクラブ内にあと2つあるが。

Quay West Suites Sydney

「シドニーらしい」眺望といえばやはりシドニー湾。そして望むらくはオペラハウスとハーバー・ブリッジの両方あるいはどちらかが見える部屋がいい、となるとロックス地区かサーキュラー・キー周辺のホテルを探すことになる。眺望が期待できるホテル、となると、シャングリラ、フォーシーズンズ、やや離れるがマリオットあたりが候補に上がる。といっても、シドニーのホテル料金はニューヨーク並といっていいほどに高騰していて、シャングリラ、フォーシーズンズのハーバービューの部屋だと一泊5万円前後、時期によってはそれ以上を覚悟せねばならない。

キー・ウェスト・スイーツ・シドニー(Quay West Suites Sydney)は、シャングリラとフォーシーズンズの間に地味に建っている高層ホテルだ。Accor Hotels という日本ではあまり展開していないホテルグループに属しているので、日本での知名度は高くない。名前の通り、部屋はキッチン付きのアパートメントタイプで、長期滞在型のホテルである。部屋ごとの単価はシャングリラ、フォーシーズンズより少し安いくらいだが、人数が増えるとおトク感がぐっとアップする。旅行も長くなると、外食ばかりでは飽きるしお金もかかるが、キッチンがあるだけで食事が美味しくかつ安上がりですみ、さらにはシドニーで生活しているような気分も楽しめる。近くのスーパーでオージービーフのでかいのを買ってきて自分で焼いて豪快に食べるといった楽しみを満喫できるのがよい。

さらに、このホテルの何よりの魅力は、窓の外に広がる息を呑むような素晴らしい眺望1)だ。眼下のサーキュラー・キーから右にオペラハウス、真ん中に豪華客船が停泊する国際旅客ターミナル、その奥にハーバー・ブリッジ。朝はハーバーの奥から朝日が昇り、夜は見事な夜景が展開する。シドニー港を大型客船が優雅に出入りし、水上バスが忙しく発着する様を眺めながら、読書するもよし、仕事するもよし、ビールを飲むもよし。リビングが広く、ベッドルームが別になっているせいもあって、部屋に一日いてもストレスを感じない。

1 もちろんハーバービューの部屋を予約する必要がある。

バイキング

レストランの食べ放題スタイルを、日本語では「バイキング」というが、これは日本だけの言い方である。うっかりすると英語でもそのまま通じそうな気になるが、「v」の発音に気をつけて「ヴァイキング」などと言ってみても、それはあくまでも、1000年くらい前に北欧で暴れていた海賊であって、食べ放題スタイルのことではない。食べ放題スタイルのことは、英語では「buffet」(バフェ)という1)

この罪深き「バイキング」というネーミングのおおもとは、帝国ホテルである。ホテルのウェブサイトによると、魚介類や肉料理、酢漬けなど、好みのものを自由に食べるスカンジナビアの伝統料理 「スモーガスボード」2)にヒントを得て、日本初のブフェレストラン「インペリアルバイキング」を1958年に開業したとある。「バイキング」の由来は、開業当時話題だった映画「バイキング」からとったようだ。

半世紀を経て今では、バイキング形式のレストランは珍しくないし、和洋中とりそろえた大規模なバイキングも沢山ある。でも、帝国ホテル最上階の「インペリアルバイキング・サール」で提供されている「元祖」たるバイキングはぜひ行ってみるとよい。和食、中華などはなく、洋食カテゴリーの料理に絞られている(といっても40種ほどもある)が、どの皿、料理をとってみても、さすが帝国ホテルと膝を打つクオリティである。美味しそうな品々が並ぶカウンター前をうろうろすると、欲張ってつい盛大に盛り付けたくなるが、自分の胃袋の容量と慎重に相談しつつ、少しずつ数多くの種類を楽しむとよいと思う。特に中高年の男性諸氏は、「食べ放題」に来ると、突然アタマの回路が高校時代くらいに巻き戻され、無尽蔵に食べられそうな勘違いをするが、我々の胃袋はもはやそのようなパワーを失って久しいので注意すべし。個人的レコメンデーションとしては、青魚の酢漬けやマリネ、ローストポークとローストビーフ、帝国ホテル名物のカレーあたりは押さえておきたい。デザートも充実しているのでお忘れなく。アップルパイとバニラアイス(それに珈琲)の組み合わせは外せない。

1 厳密に言えば、「食べ放題」ではなく「立食形式」や「セルフ形式」のことらしいが、実用上まぁ同じものだと考えて差し支えないと思う。
2 「smorgasbord」を「食べ放題」の英訳語としている説明もあるが、僕は未だかつて英会話の中でこの単語が使われるのを聞いたことはない。

万平ホテル

高校の頃、家族旅行で遊びに行った軽井沢は、渋滞と人混みばかりで何がいいんだかさっぱりわからなかった。軽井沢銀座は、チープな土産物屋が並び、ぞろぞろと人が列をなして歩いていて、垢抜けた避暑地どころかかえって暑苦しくげんなりするようなところだった。今思えば、ハイシーズンの週末に日帰りで遊びに行っても、そりゃ混むばかりでさぞかしつまらなかったろうな、と当時の自分に同情する。軽井沢はオンシーズンなら平日、もしくはオフシーズンに、泊まりでのんびりしに行くところであって、「のんびり」とはまだ縁遠い元気のあり余った高校生が行くところじゃなかったのだ。

時は流れ、ああ、のんびりしたい!と心から希求するようになった中年男は、駅で見かけたJR東日本の「大人の休日倶楽部」のポスターに心惹かれて立ちどまる。そこには風雅な佇まいのホテルの部屋で、ひとり静かに本を読む吉永小百合が写っていた1)。覚えている人もきっと多いであろうこのポスターの撮影場所が万平ホテルだった。今調べてみたところ、2005年のキャンペーンなので、もう13、4年も前のことだ。以来、僕にとっては、ほとんど、軽井沢に行く=万平ホテルに泊まる、ということになっている。

万平ホテルは、江戸時代から長く続く旅籠「亀屋」を、九代目主人の初代万平が、外国人客の接待もできる宿にすべく、1894年に欧米風のホテルに改装し、名を「亀屋ホテル」へと改称したのがはじまり。日本一の避暑地とも言える軽井沢の、垢抜けた空気の中心となるホテルである。

吉永小百合が本を読んでいたのは1936年に建てられた本館アルプス館の一室。正面玄関のある建物がアルプス館で、入口右手にあるフロントの脇にある階段を昇ると客室に通じる。古い建物だけに、建具などは多少ガタついていて、中庭から虫やすきま風が入ってくることもあるが、そこは部屋全体の凛とした佇まいの前ではご愛嬌。障子の桟の文様や、丸い電灯がなんとも美しい。

バーもまた良い。小さくて一見地味だけれど、歴史と格式あるホテルのバーにふさわしい落ち着いたつくり。チーフバーテンダーの小澤さん2)は有名人で、彼と話をしたくて来るお客さんも多数。とはいえ、御本人は、常連でも、一見でも、若い人でも別け隔てなく接するプロフェッショナルだ。旧メルシャン・軽井沢蒸溜所が閉鎖されたとき、そこで作られていたシングルモルトウィスキーの一部を引き上げてきたらしく、今ではとても飲めないような長期熟成モノを何種類か飲ませてもらったことがある。

万平ホテルは、川奈と同じく「日本クラシックホテルの会」の構成メンバー。もう少し涼しくなったら、訪問したいと思っている。

1 このページの「長野県」のセクションを参照のこと。
2 追分にある「ささくら」と佐久にある「職人館」いう蕎麦屋は彼に教えてもらった。どちらも実に美味しい蕎麦が食べられ、佐久の花をはじめとする地酒を楽しむことができる。

ドーミーイン松本

どこか出張したり旅行したりするときに、泊まるところは多少のコダワリをもって選ぶ。豪快に、寝られればどこでもいいよ、と言えればよいのだが、泊まるところがしょぼいと途端に惨めな気分になり、それに引きずられて仕事も休みも台無しになりがちなので、ありていに言えば、もちろん予算が許す範囲ではあるけれど、できるだけ高級な宿に泊まりたい。グローバル展開している「高級」ブランドであっても、個別に見れば、値段ばかり高級で実体はそれに見合わないホテルもあるため、友人・同僚に聞いたり、ネットの評判を調べたり、様々な情報を総合して吟味しつつ、慎重によさそうなところを選ぶ。ちまちまと比較検討するのは、あまり男らしくない気がするが、こればかりは仕方がない。

国内の場合、いわゆる「ビジネスホテル」はほとんど選択肢に入らない。若い頃に何度か泊まってみたのだけれど、部屋の大きさ、清潔感、音などが、価格の安さをもってしても見合わないと思った。昔の職場の後輩に、アパホテルの熱烈なファンがいたが、理由を聞くと、アダルトビデオが無料でしかも豊富なんです!と力説していた。うーむ、そこに魅力がないとは言わないけれど、人がホテルに求めるものは、それぞれだ。

先日、急に長野方面に行くことになったものの、お盆の時期でシティホテルはどこも満杯。ホテル予約サイトの評価ポイントがある程度高くて、かつ、空きがあったのはドーミーインだけだった。どこかシティホテルに空きがでたら、キャンセルして乗り換えればいいか、くらいの気持ちで仕方なく予約を入れた。でも、やはり繁忙期なので、ほかに空きは出ないまま当日になり、そのままドーミーインにチェックイン。

実際に泊まってみて、いい意味で裏切られた。たしかに、ホテル予約サイトや旅行系のサイトなんかで、ちょくちょく良い評判や記事を見かけてはいたのだ。でも、どこかで「まあそうは言っても、どうせビジネスホテルでしょ」とナナメに見ていた自分がいたのも否めない。ところが、実際に経験してみると、なるほどねぇと納得させられることがいくつもあった。認識を改めなくてはならない。

全国のドーミーインがみなそうであるかどうかはわからないけれど、少なくともドーミーイン松本で印象に残ったのは、スタッフの皆さんが、快活で丁寧な対応をすること。部屋や寝具が清潔なうえ、新しい型の空気清浄機が備えられていること。カラの冷蔵庫1)が備え付けてあって、自分で持ち込んだり買ってきたものを冷やしておけること。温泉宿のように大浴場2)とサウナを備えていて、その掃除とメンテナンスが行き届いており、湯加減も丁度よいこと。無料で提供される「夜泣きラーメン」3)が優しい味で美味しいこと。朝食バイキングも地方の特色を活かした品揃えで、丁寧に作られていて美味しいこと。

華やかさや非日常のワクワク感、あるいは歴史や風格などはもちろん望むべくもないけれど、地に足の着いたとても堅実かつ丁寧なサービスで、バリュー・フォー・マネーはかなり高い。ドーミーインは、もともと学生寮や社員寮を運営する共立メンテナンスという会社がそのノウハウを生かして作ったビジネスホテル・チェーン。第一号ホテルは93年にオープンしたようだが、急速に数を増やしたのはここ10年余りのようだ。どんなに古く見える業界・セグメントにも、他とは異なるレベルのサービスを提供して新しい価値を創り出す企業が現れるものだと感心する。

1 シティホテルだと、相当に割高な飲み物がいっぱいに詰まっていて、自分の持ち込んだものを冷やす場所がないことが多いが、どうにかならんものか。ドーミーインでは、冷蔵庫そのものをオン・オフできるようにもなっている。モーターのブーンという音が気になる人向けだろう。
2 自家源泉の天然温泉らしい。
3 醤油スープのハーフサイズのラーメンが無料でふるまわれる。

川奈ホテル

川奈といえばゴルフをする人には名門コースとしてお馴染みだろう。海沿いに富士コースと大島コースの二つがあり、富士コースはフジサンケイレディスクラシックが開催されるので名高い。でも、川奈ホテルは、ゴルフをしない人にとっても十分楽しめるよいホテルである。

このホテルは別エントリに書いた赤倉観光ホテルと同じく、大倉喜七郎が建てたホテルのひとつで、1936年に開業。やはり喜七郎の美学が色濃く残された格式あるクラシックホテルである。建築士も同じく高橋貞太郎1)。くすんだ赤い色の屋根に白い壁、リゾートでありながら、浮ついたところのない落ち着いた雰囲気が赤倉2)と共通している。ロビーやライブラリといった内部の佇まいも、両ホテルともに共通した静謐さと美しさを湛えている。2002年の経営破綻後は大倉直系を離れ、プリンスホテル傘下で運営されている。

2018年3月に海側の客室47室がリニューアルされた。今回は2日ほどぽっかりと空きができたのでふと思い立って、そのうちのひとつ、スーペリアツインに宿泊してみた。部屋は四階で、窓から外を見ると、ゴルフコースの木々の向こうに相模灘がいっぱいに広がり、大島がすぐ近くに見えて、東京湾を出入りする大型船が遠くに浮かんでいる。気分がゆったりと解きほぐされるような眺望だ。そういえば、前回は禁煙専用の部屋がなく、部屋の清掃消臭で対応していたとはいえ、やはりどことなくタバコ臭いと感じることがあったが、このリニューアルから禁煙室が設定されて、非喫煙者が安心して泊まれるようになった。

温泉施設(大浴場)のブリサ・マリナもよい。浴室は広くて清潔。室内、露天ともに大きな浴槽が備えられていて、ドライサウナ、水風呂もある。男性用が二階、女性用が三階で、日の出から夜中まで入ることができる3)

プールは屋外で夏季のみだが、手入れの行き届いた芝の庭に囲まれて、大中小と深さの異なる3つのプールがある。このホテルは、公営水道ではなく、赤城山からの水を引いて自家浄水して使っているそうで、普通のプールに比べて水がさらりとしていて透明度が高い(ような気がする)。何より平日であれば、それほど混まないので、時折水に入って体を冷やしつつ、プールサイドで本を読んでのんびりできる。

電車でのアクセスがよくないのは赤倉と同じ。これは高級リゾートとして、あえてそのように作られている。東京圏からクルマで行くと、小田原、熱海、伊東を抜ける135号線を使うことになるけれど、週末は渋滞することが多いのでそれを上手に避けたいところ。伊東の先から川奈までは道が急に細くなり、対向車とすれ違うのもやっとというところが何箇所かあるのでご注意。

ところで、このホテルは「日本クラシックホテルの会」に加盟する9つのホテルのひとつで、9つのうち4つに泊まるとペアの食事券、9つ全部に泊まるとペアの宿泊券がもらえる「クラシックホテルパスポート」というプログラムをやっている。この中の6つには行ったことがあるけれど、行ってみて損のない名門ホテルばかり。コンプリートするにはあと3つ。でもこれが東京から行くにはちょっと難度が高いロケーションにある。パスポート期限の3年以内になんとか訪れてみたいものだ。

1 僕が心惹かれる建物はこの人が設計しているものが多い。前田侯爵邸や学士会館などもこの人の作品。
2 赤倉観光ホテルのオリジナルの建物は1965年に焼失しており、現在のものはオリジナルを模して再建されたもの。
3 かけ流しなどではなく、泉質的には特筆すべきものはない。途中、午前11時から午後1時までの2時間はクローズ。

ドレイクホテル:シカゴ旅行記 4

アル・カポネが実際にスイートを所有して住んでいたレキシントン・ホテルはすでに取り壊されて残っていない。映画の中でデ・ニーロ演じるカポネが、豪奢なホテルで贅沢三昧に暮らす様子は、シカゴシアター(Chicago Theatre)やルーズベルト大学(Roosevelt University)などで撮影されたらしい。

当時の雰囲気を色濃く残しつつ今も残っているホテルに、コングレスプラザホテル(Congress Plaza Hotel)とザ・ドレイク(The Drake)がある。コングレスホテルは、往時には、大統領や有力政治家がよく宿泊する高級ホテルだった。カポネに繋がりのある裏社会の大物も多く住んでいたらしく、カポネもよく訪れ、頻繁に打ち合わせや晩餐会などを開いたらしい。そのために、犯罪や惨劇と結び付けられることになり、幽霊・亡霊の目撃譚も数多く、今では「シカゴ一呪われたホテル」の異名をもつ1)。ニューヨークのチェルシーホテル以来、この手のホテルに泊まるのは懲りたので、ドレイクの方に2泊ほど泊まってみた。

背景に見える黒いビルがジョン・ハンコック・センター

ドレイクも当時の超高級ホテルで、いまもイタリアルネッサンス様式の荘厳な作りは健在だ。1920年に開業、現在はヒルトン傘下となっている。フーバー、アイゼンハワー、フォード、レーガンといった大統領や、チャーチル、チャールズ皇太子、ダイアナ元妃といったヨーロッパの賓客、そのほか多くの芸能人が宿泊した。マフィア絡みだと、アル・カポネを継いでイタリア系犯罪組織を牛耳ったフランク・ニッティ2)が1930年代から40年代にかけてスイートルームをオフィスに使っていた。シカゴ随一のショッピング街「マグニフィセントマイル」の北端に位置し、シカゴの高層ビルの中でも有名なジョン・ハンコック・センターからわずか2ブロックのところだ。ホテル北側に41号線(ノースレイクショアドライブ)を挟んで、ミシガン湖のオークストリートビーチに面していて、部屋の向きによっては眺めがとても良い。

泊まってみると、全盛期の華やかさを残してはいるものの、衰えは隠しようがない。でもそれは悪いという意味ではなく、歴史の証人として避けがたい運命のようなもので、だからこそ魅力があり、泊まってみたいと思ったわけだ。ロビーや調度品などは丁寧に保守されていて荘厳な建物に見合った威厳のようなものをしっかり守っている。

ところで、泊まっているときには全く知らなかったのだが、このドレイクも、実はコングレスプラザに劣らぬ「心霊ホテル」だったようで、赤いドレスや黒いドレスの幽霊やら何やらが現れるそうだ3)。これを知ってしまった今では、次にシカゴに行く機会があったとして、あえてドレイクにもう一度泊まるかと言われると、うーむと考えざるを得ない。

1 441号室はとくによく「出る」部屋と言われている。このサイトに詳しい。
2 映画では白いスーツの殺し屋役でビルから転落して死ぬが、実際のニッティはカポネの右腕として後を継ぎ、シカゴ・アウトフィットと呼ばれる犯罪シンジケートを組織して暗躍。55歳で自殺した。
3 まぁ、古いホテルには何かしらそういうハナシはあるけれど。このサイトに詳しい。

赤倉観光ホテル

由緒、歴史のあるホテルというのは魅力的なもので、開業当時の時代や世相を今に伝え、また、創業者の哲学や考え方といったものが色濃く残されていることが多い。軽井沢の万平ホテル、日光金屋ホテル、箱根の富士屋ホテルなどが典型だ。赤倉観光ホテルもそんなホテルのひとつで、創建したのは、帝国ホテル、ホテルオークラ、川奈ホテルなどを作った大倉喜七郎である1)

大倉喜七郎が建てたホテルは、そのほとんどに彼のダンディズムが色濃く受け継がれているように見える。大倉財閥二代目として、何一つ不自由なく育ち、英国で教育を受けた彼の、コンプレックスと無縁の品の良さ、美意識、スケール感が今も生きている。

赤倉観光ホテルは1937年創業。新潟県と長野県の境にある妙高山の中腹にあり、高原リゾートの草分け的存在とされている。本館のロビーやライブラリも歴史を感じる素晴らしいつくりなのだが、泊まるには2009年に建てられたSPA&SUITE棟がおすすめだ2)。部屋のテラスに源泉かけ流しの温泉が備え付けられていて、野尻湖を望む絶景を眺めながら24時間温泉に浸かることができる。夜は満天の星空。ここに行くと、バーにちょこっとウイスキーを飲みに行く以外にはほとんど部屋を出ることもなく、買ってきたつまみや弁当を食べ、風呂に浸かり、ベッドで大の字になって本を読み、うたた寝をし、また風呂に浸かり、と、以下好きなだけ繰り返しているうちあっという間に時間が過ぎてゆく。

この日はちょっと曇って雨まじり。

本館からSPA&SUITE棟に入ったところにある展望ロビーも、水盤の使い方が素晴らしく、時間帯ごとに違った表情を見せてくれるので、どれだけいても飽きることがない。この水盤モチーフはそのまま部屋の作りに生かされていて、テラスの浴槽の向こうにも水が満たされており、夏は涼し気な、春・秋は季節の移ろいを感じさせてくれる3)

1 赤倉、川奈ともに2004年に大倉系列から売却されている。赤倉の現オーナーは、米国で持ち帰りずしチェーンAFC Corpを興して成功した日本人経営者。
2 赤倉オリジナルの雰囲気を損なわず、全体としての格調を保っている。2016年にはプレミアム棟もオープン。こちらも良い。
3 冬はSPA&SUITE棟の眼の前の広大な斜面がスキーゲレンデになるようだが、冬は混んでいるので行ったことがない。

マンダリン・オリエンタル・シンガポール

数年前のインド出張のとき、チームのインド人がビリヤニ(Biryani)の美味しいお店に連れて行ってくれた。ビリヤニというのは、インド(あるいはパキスタン)の炊き込みご飯のようなもので、本格的なものは調理に相当な手間がかかるらしい。一見すると長粒米のカレー風ヤキメシまたは炒飯のようにも見えるので、お手軽料理とつい侮りがちであるが、両者は似て非なる、というか全くの別物。一度本格的な美味しいビリヤニを食べてごらんなさい。コメの炊け具合、肉の火の通り、スパイスの深みと複雑さに陶然となる。

マンダリン・オリエンタルのハナシをしようというのに、いきなりビリヤニについて熱く語っているのにはわけがある。このホテルのMelt Cafeというカフェで食べられるビリヤニが美味いのだ。「Signature Chef Santosh Murgh Biryani」といってホテルのインド料理を統括しているマスターシェフ直々のビリヤニだそうだ。去年泊まったとき、二晩連続で食べに行ったら、そのマスターシェフ御本人がわざわざテーブルまで来て挨拶をしてくれた。給仕をしてくれた若いインド人のウェイターもとても喜んで、隣にあるブッフェコーナーからタンドリーチキンやらマトンカレーやらをサービスだと言って持ってきてくれたので、テーブルの上は、私ひとりだというのに、ビリヤニを真ん中にしてインド料理のフルコース状態1)になり、食べきるのに一苦労だった。

これは朝の風景

マンダリン・オリエンタルはラッフルズアベニューを挟んでマリーナ湾に面している2)ので、そちら側の部屋を指定するとよい。窓からマリーナ湾、観覧車、マリナーベイサンズの三連の建物が見える。特にネオンにライトアップされる夜景を部屋から眺められるのはとても良い。ホテルは中央が大きく吹き抜けになった三角形のつくりで、ロビーから見上げると、レストラン、バー、各客室へと上に向けて視界が広がる立体的な動線になっている。部屋は高級感のある落ち着いた色調で、ベッドの硬さもちょうどよく安眠できる。ホテルのスタッフは、皆フレンドリーでいながら礼儀正しい。何度も泊まっているが、滞在中にイヤな思いをしたことは一度もない。

1 シンガポールにはインド人も多く、大きなコミュニティもあるので、インド料理はハイレベルだ。
2 隣にマリーナ・マンダリン・シンガポールという別のホテルがあってややこしい。タクシーの運転手には「マンダリン・オリエンタルだぞ」と念押ししておいたほうがよい。

ザ・キタノ

世界の北野武、のハナシではない。ニューヨークにあるホテルの名前である。

メットライフビルとグランドセントラル駅の入口

はじめてニューヨークに行ったのは1993年。当時勤めていた会社のニューヨーク支社に1年ほど赴任することになったときだ。JFK国際空港から、妙にサスペンションがゆさゆさと緩いイエローキャブに乗ってマンハッタンに向かった。クルマがクイーンズボロブリッジに差し掛かると、フロントガラス越しに、摩天楼そびえるマンハッタン島が見えてくる。あぁ、とうとうニューヨークに来たんだ、と怖いような楽しみなような複雑な気持ちで見つめたのを今でもはっきりと覚えている。

クルマが向かった先は、38丁目とパークアベニューの角にあるキタノホテルだった。オフィスに近いこのホテルを会社が予約しておいてくれたのだ。まだ20代の若造には少々もったいなかったかもしれない。玄関を出て左を見るとメットライフビル1)の威容が迫り、下に目を移すと42丁目に面してグランドセントラル駅への入口が見える。ここに2泊か3泊して前任者と引き継ぎをし、その後社宅として借り上げていた31丁目のアパートメントに移った。このときからずっと、ニューヨークに出張や旅行に行く機会には、なるべくここに泊まれるよう算段している。

ロビーで出迎えるフェルナンド・ボテロの彫刻

93年当時、このキタノと57丁目・セントラルパークのそばにあったホテル日航2)の二つが日系だったと思う。ホテル日航は、98年ごろ、日本航空の経営危機に伴って売却され、それ以来、キタノはニューヨーク唯一の日系ホテルとして、高品質な「日本的」サービスを提供し続けている。このホテルのよいところは、1. 落ち着いた静かなロビーと部屋 2. トイレがウォシュレット 3. シャワーの水圧がしっかりしていて、お湯もふんだんに出る 4. 部屋の清潔さ 5. レストラン・ルームサービスともに和食のレベルが高い、だろう。いずれも東京のシティホテルなら「当たり前」だけれど、アメリカ・ヨーロッパのホテルでは、5はともかくとして、たとえ高級ホテルでも意外と難しい。とくに2と3はほぼ期待できない3)

南西方向・窓からエンパイアステートビルが見える

キタノホテルは、42丁目を中心とした「ミッドタウン」と呼ばれるエリア4)のほぼ真ん中という便利な立地だ。僕にとっては若い頃に馴染んだ地域でもあり、ここにいると安心する。サラダ、スープ、ピザ、サンドイッチなどお好みのものを重さで必要な分だけ購入できる「デリ」が多く、ひとりで軽い食事をとるのに便利だし、アジア系レストランの多いエンパイアステートビル界隈にも近い。

1 当時はまだパンナムビル
2 The Essex Houseという超高級ホテルだった。
3 他方、ソウル、台北、シンガポールなどアジアの高級ホテルは概ね合格点。
4 42丁目を中心に、上はセントラルパークの南端(57丁目あたり)、下は30丁目付近(広く取る場合には14丁目付近)までが、「ミッドタウン」と呼ばれる。最新の「エッジの効いた」エリア(チェルシーやSOHOの縁端部、ワールド・トレード・センター跡地の再開発エリア、ハーレムやブロンクスの一部)はみなミッドタウンの外側にある。