ドレイクホテル:シカゴ旅行記 4

アル・カポネが実際にスイートを所有して住んでいたレキシントン・ホテルはすでに取り壊されて残っていない。映画の中でデ・ニーロ演じるカポネが、豪奢なホテルで贅沢三昧に暮らす様子は、シカゴシアター(Chicago Theatre)やルーズベルト大学(Roosevelt University)などで撮影されたらしい。

当時の雰囲気を色濃く残しつつ今も残っているホテルに、コングレスプラザホテル(Congress Plaza Hotel)とザ・ドレイク(The Drake)がある。コングレスホテルは、往時には、大統領や有力政治家がよく宿泊する高級ホテルだった。カポネに繋がりのある裏社会の大物も多く住んでいたらしく、カポネもよく訪れ、頻繁に打ち合わせや晩餐会などを開いたらしい。そのために、犯罪や惨劇と結び付けられることになり、幽霊・亡霊の目撃譚も数多く、今では「シカゴ一呪われたホテル」の異名をもつ1)。ニューヨークのチェルシーホテル以来、この手のホテルに泊まるのは懲りたので、ドレイクの方に2泊ほど泊まってみた。

背景に見える黒いビルがジョン・ハンコック・センター

ドレイクも当時の超高級ホテルで、いまもイタリアルネッサンス様式の荘厳な作りは健在だ。1920年に開業、現在はヒルトン傘下となっている。フーバー、アイゼンハワー、フォード、レーガンといった大統領や、チャーチル、チャールズ皇太子、ダイアナ元妃といったヨーロッパの賓客、そのほか多くの芸能人が宿泊した。マフィア絡みだと、アル・カポネを継いでイタリア系犯罪組織を牛耳ったフランク・ニッティ2)が1930年代から40年代にかけてスイートルームをオフィスに使っていた。シカゴ随一のショッピング街「マグニフィセントマイル」の北端に位置し、シカゴの高層ビルの中でも有名なジョン・ハンコック・センターからわずか2ブロックのところだ。ホテル北側に41号線(ノースレイクショアドライブ)を挟んで、ミシガン湖のオークストリートビーチに面していて、部屋の向きによっては眺めがとても良い。

泊まってみると、全盛期の華やかさを残してはいるものの、衰えは隠しようがない。でもそれは悪いという意味ではなく、歴史の証人として避けがたい運命のようなもので、だからこそ魅力があり、泊まってみたいと思ったわけだ。ロビーや調度品などは丁寧に保守されていて荘厳な建物に見合った威厳のようなものをしっかり守っている。

ところで、泊まっているときには全く知らなかったのだが、このドレイクも、実はコングレスプラザに劣らぬ「心霊ホテル」だったようで、赤いドレスや黒いドレスの幽霊やら何やらが現れるそうだ3)。これを知ってしまった今では、次にシカゴに行く機会があったとして、あえてドレイクにもう一度泊まるかと言われると、うーむと考えざるを得ない。

1 441号室はとくによく「出る」部屋と言われている。このサイトに詳しい。
2 映画では白いスーツの殺し屋役でビルから転落して死ぬが、実際のニッティはカポネの右腕として後を継ぎ、シカゴ・アウトフィットと呼ばれる犯罪シンジケートを組織して暗躍。55歳で自殺した。
3 まぁ、古いホテルには何かしらそういうハナシはあるけれど。このサイトに詳しい。

ミシガンアベニューブリッジ:シカゴ旅行記 3

ネスがマローンに初めて出会うのは、ミシガン通りがシカゴ川を越える橋の上。ネスが就任早々に意気込んでガサ入れした密造酒工場は、事前に情報が漏れてもぬけの殻。新聞に「哀れな蝶々夫人」と揶揄されて意気消沈するネスと、汚職がはびこるシカゴ警察にいながら法を守り執行することを信条にする硬骨の警官マローンが、人通りもない夜のミシガンアベニューブリッジ1)で出会う。

Wikipedia(英語版)によると、橋の建設が開始されたのは1918年。1920年に利用が開始されたが、装飾などが完了したのは1928年とある。映画「アンタッチャブル」は禁酒法時代の終わり、1930年から33年頃ごろの設定と思われるので、装飾工事が完了して間もない頃ということになる。映画では注意して見ないとわからないが、この橋は上下2層構造になっており、二人が出会っているのは下の層だ。

ネスがシカゴ川に紙屑(奥さんがランチを包んだ紙。夫への励ましのひとことが書いてある)を投げ捨てたところを、マローンが見咎めて注意する。自分の失敗に苛立って刺々しく絡むネスに、「一日の勤務を終えたら、無事に生きて家に帰ること。これがシカゴの警官の教訓その一だ。」とマローンが語るところで出会いのシーンは終わる。

シカゴ川を「ト」の字に例えるなら、ここは横棒の真ん中。観光客に人気のショッピング街「マグニフィセント・マイル」の南端にあたり、交通量がとても多い。すぐそばには、2009年に竣工した92階建てのトランプ・インターナショナル・ホテルや、1925年竣工のトリビューンタワー2)、1924年竣工のリグレービル3)などシカゴ高層建築の歴史的、代表的なビル群がそびえている。(シカゴ旅行記 4 に続く)

1 正式にはDuSable Bridgeという名前がついている。
2 元々はシカゴ・トリビューンという新聞などを発行するトリビューンメディアの本社だった。2020年までにオフィスからコンドミニアムに改装されるらしい。
3 ガム会社のリグレー本社。

ユニオン・ステーション:シカゴ旅行記 2

ユニオン・ステーション

映画「アンタッチャブル」のハイライトのひとつが、ユニオン・ステーションでの銃撃戦のシーン。駅の入口からホールに繋がる広い階段で、脱税の証拠を握る帳簿係を隠そう(列車で逃がそう)とするマフィアと、それを阻止しようとするネス(ケビン・コスナー)とストーン(アンディ・ガルシア)の間で銃撃戦となる。そこに赤ん坊を乗せた乳母車が階段から落ちてゆく動きが絡んで、スリリングな名場面となった。アンディ・ガルシアの最高の見せ場である。

シカゴは街中をシカゴ川がちょうどカタカナの「ト」の字を描いて流れている。「ト」の横棒の右端はミシガン湖に接続している。川はミシガン湖から流れ出て西に(つまり横棒を右から左へ)2キロほど進み、そこで南北に分かれる。分岐点から川の西側を800メートルくらい南にすすんだ地点にユニオン・ステーションがある。

 

1913年着工、1925年竣工。現在ではシカゴを発着するアムトラック(長距離列車)は全てこの駅を使い、中西部への一大ハブ拠点となっている。ヘッドハウス(The headhouse)と呼ばれる重厚な駅建物の中に、グレートホール(Great Hall)と名づけられた大理石造りの大きな待合ホールがある。「グレート」に恥じない美しい大きなホールで、駅の待合室と呼ぶにはいささか不釣り合いな荘厳さがある。このグレートホール東側、カナル・ストリート(Canal Street)入り口からの大きな階段が、銃撃戦の撮影現場だ。

映像から想像していたより実物のほうがすこし小さいかな、という印象。でも紛うことなきあの階段である。映画では入り口ドアの上に大きな時計がかかっていたが、それは見当たらない。でも、ネスが立っていた階段脇の一段高くなったスペースに同じように立って、入り口ドアから出入りする人を眺めていると、今にも人相の悪い、ロングコートのマフィア一味が入ってきそうな気がする。現場のちからというのはすごいもので、この階段を乳母車が落ちてゆき、階段の踊り場で、帳簿係を人質にとって逃げようとしたマフィアを、ストーンが見事な射撃で仕留めたシーンが、まるで本当に起きたことのようにリアリティをもってよみがえる。(シカゴ旅行記 3 に続く)

アンタッチャブルの街:シカゴ旅行記 1

アンタッチャブル

それほど映画を観る方ではないけれど、好きな映画をあげろとなれば、「ゴッドファーザー」(とくに第一作と第二作)、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」といった、「マフィア」を扱った映画がいくつか入ってくる。単にこの手の映画によく出てくる役者が好きなのか、あるいは時代の暗さとダンディズムの組み合わせに何か惹かれるものがあるのか。

中でも「アンタッチャブル」(The Untouchables)は良い。1987年公開だから、僕が大学生の頃だ。当時ビデオまで買って繰り返し見た。主人公エリオット・ネスにケビン・コスナー、アル・カポネ役にロバート・デ・ニーロ、ネスを助ける老警官マローンにショーン・コネリーという豪華な俳優陣。アンディ・ガルシアは、射撃に秀でた若き警官・ジョージ・ストーン役で、ハリウッド俳優としての成功の第一歩を踏み出した。監督はブライアン・デ・パルマ。女性の登場人物はネスの奥さんくらいで、全体にエラく男っぽい映画である。

主演はケビン・コスナーだとはいえ、これはショーン・コネリーの映画である。いや、正確にはショーン・コネリーとロバート・デ・ニーロの映画だ1)。キャラクターの存在感、深さ、狂気、滑稽さ、弱さ、強さといったものを、この二人がそれぞれに遺憾なく発揮していて見飽きることがない。アルマーニによる衣装がまた見事だ。みなダークスーツに中折れ帽。スーツ(あるいはジャケット)の着こなしの格好良さでは、ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドといい勝負だと思う。

「アンタッチャブル」の舞台は禁酒法時代のシカゴ。2年ほど前(2016年)に、シカゴに出張する機会があったので、撮影に使われた場所をいくつか訪ねてみた。(シカゴ旅行記 2 に続く)

1 もうひとり、フランク・ニッティという白いスーツの殺し屋がいて、ビリー・ドラゴが演じている。この人もコスナー以上の存在感を放っている。