EAT & RUN

「EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅」
スコット・ジュレク、スティーヴ・フリードマン 著、小原 久典 、北村 ポーリン 訳、NHK出版。

以前レビューを書いた「Born to Run」に出てくる主要登場人物のひとり、スコット・ジュレクが、なぜ走るのかを自らに問いかけつつ、その考え方、食生活、トレーニングなどを気取らない筆致で綴った本。スコット・ジュレクは、全米のみならず世界的にも「最強」のウルトラランナーのひとりであり、ウェスタンステーツ・エンデュランスラン(カリフォルニア州の山岳地帯を161キロ走るトレイルマラソン)7連覇をはじめ、世界的なウルトラマラソンで多くの優勝を果たした。大量のエネルギーを消費するウルトラマラソンにおいて、ヴィーガン(完全菜食主義者)であることが何らハンデにならないどころか、体調を整え、良質のタンパク質と必要なエネルギーをとるのにむしろ大切な要因になっているのも、彼のスタイルを際立たせる特徴になっている。

彼は、ミネソタの片田舎で、幼い頃から、ALSを患い日に日に身体の自由を失っていく母親と、厳しく強権的な父親の間で、経済的にも恵まれないなかでも、長男として家族のバランスを必死でとりながら生活をしてきた。彼が走りはじめた理由のひとつは、自分の心配事を忘れ、自分の中に入っていく一人きりの時間を過ごせるから、だったようだ。スポーツ界に限らず、アメリカで成功した人たちの少なからずは、「強くある自分」を意識的に外に打ち出し、弱さと受け取られる要因をなるべく見せたがらないタイプが多いように思うが、本書のスコットはむしろその逆で、不安や葛藤、弱さや泣き言、友人から受けた刺激や支えを素直に記している。

「Born to Run」を読んだときから、なんとなく感じてはいたが、長距離を走ることで到達する境地と仏教的な瞑想の境地とは、その本質において似通っている。どちらも、呼吸を見つめ「今」に集中することで、将来や過去といったしがらみを捨て去り、無我の境地を目指す。スコットの思索は、どちらかといえば東洋的で、我々には馴染み深い側面をもっている。第10章ではヘンリー・ソロー1)と武士道について、第12章では、比叡山の千日回峰行2)について触れている。

人生はレースじゃない。ウルトラマラソンだってレースじゃない。そう見えるかもしれないけれど、そうじゃない。ゴールラインはない。目標に向かって努力をして、それを達成するのは大切だけれど、一番大事なことではない。大事なのは、どうやってそのゴールに向かうかだ。決定的に重要なのは今の一歩、今あなたが踏み出した一歩だ。(「エピローグ」)

ビジネスであれ、スポーツであれ、結果が全て、勝者が全て。ゴールに最短距離で到達したものが勝者であり、全てを手にする、といった勝利至上主義の考え方はここにはない。ランニングを含め、あらゆることの「見返り」は、すべて自分の中に存在し、ゴールに向かった「プロセス」だけが自分に喜びや平穏を与えてくれるのだ、という彼の言葉は、説得力と温かさをもって胸に染みる。

本書に続く「NORTH 北へ アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道」(NHK出版)が9月に刊行された。ジョージア州からメイン州に至る3,500キロもの「アパラチアン・トレイル」を北上し、最速踏破記録を樹立しようとする日々の記録だ。とくに後半の壮絶さと、その中で思索が深まっていく様子は、この本のあとにぜひ読むと良よい。

1 「ウォールデン・森の生活」著者。長距離の散歩を日課としていた。
2 見方によってはまさに究極のウルトラマラソンでもある。

Born to Run

「BORN TO RUN 走るために生まれた – ウルトラランナー VS 人類最強の“走る民族”」
クリストファー・ マクドゥーガル 著、近藤 隆文 訳 (NHK出版)

マラソンの世界記録の推移を見てみると、いわゆる先進国のランナーが活躍したのは80年代までで、その後は、アフリカ勢が圧倒的に強い。実は日本記録でも同じ傾向が見られる。80年代以降の記録の伸びは僅かなものだ。

だが、一方で、80年代以降、先進国のランニング人口は増えており、新しいサポート機能を盛り込んだランニングシューズが絶え間なく開発、発売されている。著者は、そんな最新シューズを履いている自分が、ランニングでこれほどしょっちゅう故障するのはなぜなのか突き止めようとする中で、メキシコの人跡稀な峡谷に住むタラウマラ族のことを知る。なぜ彼らは粗末なサンダルで100キロ以上もの距離をラクラクと走り抜けることができるのか。

著者の謎解きの旅は、タラウマラ族、彼らとともに生活する流れ者の白人・カバーヨ・ブランコ1)を訪ね、ウルトラマラソン、ウルトラトレイルランニングのトップランナーたちとの交流の中を進む。彼らと共にウルトラマラソンを走った著者の達した結論は、1. 人間は走るために進化し、哺乳類最高レベルの持久力をもつ。人はだれにでもその遺伝子に、走るための才能が備わっている 2. 靴を履いて走ることは人間が本来持っている足の機能を邪魔し、怪我をしやすくなる 3. 走らないから年をとるのであって、年をとるから走れなくなるのではない。

タラウマラ族の本当の秘密はそこにあった。走ることを愛するというのがどんな気持ちなのか、彼らは忘れていない。走ることは人類最初の芸術、われわれ固有の素晴らしい創造の行為であることをおぼえている。洞窟の壁に絵を描いたり、がらんどうの木でリズムを奏でるはるかまえから、われわれは呼吸と心と筋肉を連動させ、原野で身体を流れるように推進させる技術を完成させていた。それに、われわれの祖先が最古の洞窟壁画を描いたとき、最初の図案はどんなものだったか?稲妻が走り、光が交錯する – そう、走る人類だ(15章)

この本は、全世界で300万部を突破して、ベアフットランニング(裸足で走ること)ブームの火付け役になった。僕自身、1年くらい前からジョギングを習慣にしているが、数ヶ月に一度、シンスプリントを発症して3、4週間は走れなくなっていた。その度に、よりサポートの手厚いシューズに履き替えてみるものの、ずっと同じことの繰り返しでいつまでも良くならない。こうした自分の経験に照らしても、著者の主張には首肯できる点が多い。

この本を読んで、買ったばかりのアシックスをお払い箱にし、シンプルなつくりのシューズに履き替えてみた。ただ、カカトでなくミッドフットで着地するのは、小さい頃から自然に走ってきた感覚を意識的に変える必要があり、意外と難しい。そのうえ、ふくらはぎなど、いままで使わなかった筋肉を鍛えねばならず、切り替えには時間がかかる上、万人向きとも言えない側面もある。事実、すでに一時期のブームは去り、ベアフット系のシューズはカタログの片隅に残っている程度だ2)。まぁ、ベアフット用のシューズが必要かどうかはさておき、ヒトが本来持っている秘めた能力を引き出して活用するのはロマンがある。肉体的であると同時に高度に頭脳的・精神的な営みだ。これをきっかけのひとつとして、しばらく自分のからだでいろいろ試してみたい。

追記:英語版と日本語版で表紙の写真が微妙に違う。英語版では右側の人物(カバーヨ・ブランコ)がデザイン上の判断からか消されている。また、彼のドキュメンタリー映画が2014年に「Run Free – The True Story of Caballo Blanco」として公開された。

1 本名はマイカ・トゥルース。本書の「主人公」のひとりで、彼の波乱に満ちた生涯が縦糸の一本となる。2012年にいつものように朝、山中を走っている途中、不整脈による心停止で58歳で急逝。NYT記事。ウェブサイトはこちら
2 ベアフットどころか、最近はまた厚底で高反発なソールのシューズが多くなっているように見える。