庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(2. 近江町市場)

近江町市場は金沢市民の台所と言われ1)、海産物や野菜などを扱う店や飲食店がたくさん軒を並べる。始まりは1700年ごろとされ、かれこれ300年もの歴史があるという。ここに行かない観光客はいないのではないか。能登、北陸は海産物の宝庫。とくに冬場は、ブリ、カニ、鱈、のどぐろ2)など美味しそうな海産物がどどんと並んでいる。最近ではアジアからの観光客がぐっと増えたこともあって、店頭でエビ、カニ、ウニなんかを買ってその場で食べることができるお店も増えた(だって、飛行機で持って帰れないからね)。

「ふぐの子糠漬け」と「巻鰤」は他では見ない石川県ならではの珍味である。ふぐの卵巣は猛毒テトロドトキシンを含むため、ふぐの調理は特別な技能を必要とする免許制3)なのはご存知の通り。ところが、この卵巣を2年ほど塩と糠で漬けて発酵させるとこの猛毒が消え、独特の旨味が生まれるらしい。毒の消えるメカニズムはまだ未解明の点が多いため、石川県で伝統の製法でつくることのみを許可されているという、正真正銘、ここにしかない珍味である。江戸時代にはすでにこの製法が編み出されていたという説もあり、きっと多くの人が危ない橋を渡りつつ完成されてきたのであろうと考えると、人間の食欲と好奇心まさに恐るべし、といったところだ。巻鰤は冬に脂の乗ったブリを塩漬けにし荒縄で巻いて保存食としたのが始まり。藁巻納豆の親分のような姿カタチで売られているが、縄を解いてみると中から意外にこじんまりとした塩漬け魚肉が現れる。ふぐの子も巻鰤も、どちらも塩が相当強いので、酒の肴にほんとにチビチビと削るくらいで丁度よく、たくさん買って帰っても持て余すことになると思う。

こうした歴史ある珍味に代わって、近年金沢海鮮のフロントランナーに飛び出してきたのが「のどぐろ」だ。のどぐろはアカムツの別名。日本海側ではのどぐろ、太平洋側ではアカムツの名で流通している。これが実に美味しい魚で、良質の脂がたっぷりとのっている。刺し身でよし、焼いてよし、干してよしの高級魚である。もともと美味しい魚として知られていたところ、2014年に全米オープンテニスで準優勝した錦織圭(島根県松江市出身)がインタビューで「帰国したら食べたい」と話して人気に火が着いたと言われる。そこに北陸新幹線の開業が重なり、金沢にやってくる観光客は、誰も彼ものどぐろのどぐろと唱えながら市場と鮨屋をぐるぐると回遊するようになった。

近江町市場で旨い鮨を食べるなら十間町口近くにある「歴々」がよい。お昼は3,000円のコースからなので、他店より少し高いけれど、きちんとプロの仕事の施された品の良い鮨が食べられる。もう少しカジュアルに海鮮丼を食べるなら、歴々の斜向いにある「魚旨」だろうか。1,500円くらいからあるけれど、メニューを見ているうちに欲が出てもう少し上の丼を選んでしまうだろうから、費用としては「歴々」と大差ない結果になるような気がする。ここは、海鮮の味もさることながら、接客にあたる女性陣の気配りと温かな対応が見事だ。食事の後は、隣りにある「金澤屋珈琲店」で深煎りのブレンドを一服。

金沢旅行記3 に続く)

1 僕の目には市場にいる客のほとんどは観光客にように見受けられるので、実際のところ地元の人がどのくらい買い物に利用しているのかは、よくわからない。
2 のどぐろの「旬」がいつかについては諸説ある。
3 厚生労働省によると毎年20から30件程度の食中毒が報告されているが、そのほとんどは家庭で無許可の素人が調理したことが原因。

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(1. 兼六園)

先日、旅行で金沢を訪れた。3年ぶり2度めである。防寒対策にヒートテックやダウンジャケットを着込んで勇んで出かけたものの、あまり寒くはなく、雪も道端に多少残る程度でそれほど降った形跡もない。タクシーの運転手は、観光客はみな雪山にでも行くような格好で来るけれど、金沢はそれほど雪も降らないし寒くもないよ、と笑った1)。そういえば3年前も厚着しすぎたな、と思ったのを今思い出した。

金沢は、言わずとしれた加賀百万石の中心地。加賀藩前田家は外様でありながらも、徳川御三家に次ぐ別格の地位を与えられた。その格式と富を受け継いできた土地だけに、名所旧跡は豊富だし、市街にもどことなく品があり、豊かな文化の香りがする。

金沢の中心地はJR金沢駅ではない2)。一番の繁華街である香林坊は駅東口から1.5キロほど南東にある。香林坊は金沢城址や兼六園、旧制第四高等学校(現在の金沢大学)跡などの史跡と隣接しており、このあたりが江戸時代以来の中心地であったことがわかる。金沢駅も東口側には美しい形の「鼓門」があり、賑わいを見せているが、西口側は駅前ロータリーに車も少なく、真っ直ぐ伸びる広い道路の両側に銀行、オフィスビル、NHKなどがぽつりぽつりとあるばかりで閑散としている。

金沢観光といえばまずは兼六園。昔は観光地に行って「庭」を見たがる親の気持ちが理解できなかったが、今ではすっかり年寄りチームの仲間入りを果たしてしまった。加賀藩主前田家の庭として何代にも渡って整えられてきた庭は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とならぶ日本三名園の一つに数えられている。とくに冬の「雪吊り」が施された景色は、誰もが一度や二度は写真で見たことがあるのではないか。兼六園は四季それぞれにライトアップされる期間が設けられているが、この冬のライトアップは2019年2月1日から19日まで、夜5時半から9時まで実施されている。今回の目当ての一つがこのライトアップされた庭の見物であった。前の週に降った雪が少し残っていて、雪吊りの荒縄が照明に金色に光って実に幻想的。おそらく吊った縄と形のバランスも意識した職人技3)で、凛とした美しさを湛えている。この雪吊りと雪の積もった兼六園のイメージが強いので、金沢は雪国だというイメージがあるのだと思う。昼間の庭もよいが、夜ライトアップされた庭はまた格別の趣がある。

金沢旅行記2 に続く)

1 気象庁のデータでみると、温暖化の影響なのか、90年代以降はそれまでと比べて年間降雪量が半分くらい、降雪日数が6割程度になっている。
2 JRの駅が繁華街の中心なのは、東京などの大都市圏だけであって、多くの県庁所在地や地方都市ではそういうわけでもない。
3 石川県のウェブサイトによると、総重量4トンもの藁縄をつかい、兼六園の庭師5名を中心に、延べ500人で作業を行うらしい。

珈琲のおとも

高級ホテルの喫茶や、フランス料理店で珈琲を頼むと、ソーサーの脇に小さなクッキーやチョコレートが添えられていることがある。以前は、値段が高い分のサービスかなくらいにしか思っていなかったが、珈琲に凝り始めると、こうしたチョコやクッキーが珈琲を引き立てる効果があることがわかってくる。酒に対するつまみ、あるいはワインと料理のマリアージュみたいなもので、なくても困るわけではないけれど、あればずっと深く味わいを楽しむことができる。

どんなものが珈琲1)に合うのかなとつらつらと考えてみる。ミルクはもちろんアイスクリームなどの乳製品。アフォガートのようにバニラアイスと珈琲というのは鉄板の組み合わせだ。クッキーやプチシューのような焼き菓子。ナッツ類。チョコレート。並べてみると脂肪が多く含まれているものが合いそうである。

意外なところでは、羊羹。普通の煉羊羹もいいが、栗蒸しだと更に良い。甘い羊羹が深煎り珈琲の苦味と余韻を引き立ててくれる。羊羹は珈琲の香りを邪魔しないのもよい。そういえば、とらやでは季節ものとして毎年「珈琲羊羹」を出している。やはり小豆と珈琲の香りや苦味は相性がよいのだ。

あ、そうだ、とらやといえば、開高健は羊羹「夜の梅」とシングルモルト・ウィスキー(マッカラン)の組み合わせを人に勧めて「こんなうまいもんはあらへんで」と言ったらしい2)。考えてみれば、上にに挙げた珈琲と相性のよいものはみな、ウィスキーにもぴったりである。そもそも、アイリッシュコーヒーなんて、ウィスキーと珈琲をあわせたカクテルがあるくらいだから当然か。僕の一番好きなウィスキーの相棒は、オランジェというオレンジピールのチョコレートがけだが、これは珈琲と組み合わせても素晴らしく美味しい。

というわけで、珈琲とウィスキーの手軽で安価なお供として、源氏パイ、ビスコ(「発酵バター仕立て」に限る)、チョコレート(オランジェまたは明治の板チョコ)、小さな羊羹、アイスクリーム(ハーゲンダッツのバニラまたはチョコモナカ)あたりを買い置きしておくのがオススメである。夜のリラックスタイムがちょびっと豊かになる。

1 ここでいう珈琲は深煎りの酸味が少ないものを指している。浅煎りの酸味がたっぷりあるものだとまた少し違うかもしれない。
2 「誰も見たことのない開高健」小学館eブックス 85ページ

Some Like It Hot (The Power Station)

この前友人と美男ミュージシャンの思い出話をしていたのだが、アメリカではあまり思い当たらないけれど、イギリスにはけっこういる1)。「イイ男」系バンドといえば、真っ先に浮かぶのはデュラン・デュランだ。80年代のおしゃれロック路線の先頭集団を走っていた印象があるが、ハードロック・ヘビメタ原理主義者だった若き日の僕は、MTVやベストヒットUSAでデュラン・デュランが出てくるたびに「ちっ」と舌打ちをしていたくらいで、彼らの音楽について語るべきなにかを持っていない。ジョン・テイラー(Bass)がオトコの自分から見てもカッコええなーと思っていたくらいである。

デュラン・デュランからジョン・テイラーとアンディ・テイラー(G)、そこにロバート・パーマー(Vo)、トニー・トンプソン(Dr)を加えてできたのが The Power Stationだった。デュラン・デュランよりずっとロックまたはファンク寄りの縦ノリビートとハードなカッティングギターで、「Some Like It Hot」とT-Rexのカバー「Get it On」の2曲がUSチャートでTop 10入りする。ロバート・パーマーも、イギリスのミュージシャンらしいちょっと屈折した雰囲気と中年のセクシーさを併せ持った色男だっただけに、見栄えのするフロントマン3人を擁するミュージックビデオはけっこうインパクトがあり、格好良かった。

デュラン・デュランではアンディ・テイラーのギターが前面に出ることはほとんどなかったけれど、The Power Stationではしっかりとしたギターサウンドと幅のあるプレイを聴かせてくれる。「Some Like It Hot」ではコンプレッションの効いた跳ねるような細かいカッティングとけっこう弾きまくりのソロを、「Get It On」では音圧のあるディストーションでどっしりと重いカッティングを聴かせてくれる。最初に聞いたときには、あ、こんなに弾ける人だったのね~、とちょっと驚いたくらいだ2)。デュラン・デュランでの鬱憤を晴らすようでなかなか痛快である。久しぶりに聴いたけれど、今でもこれはじゅうぶんにカッコいいと思う。今度バンドで演ってみたい。

1 ブ男もけっこういる。
2 当時、「Thunder」というソロアルバムも聴いてみた。The Power Stationよりも、さらにロック寄りのプレイは聴かせてくれたけれど、残念ながらあくまで「デュラン・デュラン」に比べればいい、くらいのインパクトで、ハードロックの凄腕ギタリスト達に伍するまではいかず、2、3回聴いただけでであとお蔵入りさせてしまった。

Alone (Heart)

ハート(Heart)は、アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心としたロックバンド。デビューは意外と早く、1976年に「Dreamboat Annie」というファーストアルバムをリリースしている。アン・ウィルソンの歌唱力のみならず、レッド・ツェッペリンの影響を感じさせる音楽性でも注目されたようだが、日本で知名度を獲得したのは、1985年にリリースされ全米1位となった「Heart」というアルバムから。このアルバムはハードロックブームを背景に、売れっ子プロデューサー、ロン・ネヴィソンを迎えて制作され、売れ線ど真ん中といった曲調と音作りでバンドを一気にスターダムに押し上げた。「These Dreams」をはじめ4曲のヒットシングルがリリースされている。続いて87年にリリースされたアルバム「Bad Animals」もほぼ同じ路線で「Alone」1)はこちらに収録されている。

この2枚のアルバムだけを聴いている限りでは、レッド・ツェッペリンの影響は全く感じないし、曲調もありきたりなロックバラードで新鮮味もない。それでも、アンの圧倒的な声域と声量、ソウルフルな表現力、ナンシーの繊細なようでいて姉に負けないパワーのあるコーラスと効果的なアコースティックギターでがっつりとリスナーの耳と心を掴んだと言えるだろう。

80年代のハードロックバンドで女性ボーカルは珍しかった。当時、僕ら学生バンドが曲を決めるとき最大の頭痛のタネはボーカルで、洋モノハードロックをやろうにも、どれもキーがやたらに高く、あの高さでちゃんと歌える男はほぼ皆無といってよかった。かといって女性ボーカルで、ディープ・パープルとかホワイトスネイクを演っても、どうにも違和感が拭えない。その点、ハートなら収まりが良かったので2)、バンドで何曲かコピーしたことがある。

そんなわけで、僕にとってハートは長らくお手軽・お気楽に聴き流すバンドに過ぎなかったわけだが、20年以上経ってそんな認識を根底からひっくり返されることになった。2012年のケネディセンター名誉賞(The Kennedy Center Honors)にレッド・ツェッペリンが選ばれ、記念のライブパフォーマンスとして、アンとナンシーが「天国への階段(Stairway to Heaven)」をプレイしたのだ。これが鳥肌が立つほどの演奏で3)、アン・ウィルソンのボーカリストとしての真骨頂を見せつけられた。このトリビュートバンドでは、故ジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムがドラムスをプレイ。ブルース・スプリングスティーンやジョー・コッカーなどとプレイしたことで知られるギタリストのシェイン・フォンティーン4)が、ジミー・ペイジへのリスペクト溢れる、オリジナルに忠実なソロを聴かせてくれる5)。これを機会に初期や最近のハートを聴き直しているが、80年代のヒット作は彼らのほんの一面に過ぎず、泥臭いほどのロックやブルーズのルーツを色濃く持ちつつ、幅広くパッションに溢れた音楽を聴かせてくれる。もっと早く聴いておけばよかったと思う。

1 この曲はハートのオリジナルではなく、カバーである。
2 バックの楽器隊がつまらないという問題は別にあったけれど。
3 ビデオ(こちら、9:50から)で見ると受賞者席で聴いていたロバート・プラントはちょっと涙ぐんでいるように見える。
4 この人、実はピーター・バラカンの弟である。
5 ギターはもちろんサンバーストのレスポールスタンダード。ちょっともたつき加減に聴こえるグルーヴまで完全に再現していて感涙ものである。

シングルタスク(または憑依)

幼い頃に同じような経験がある分、僕にとっては男の子のほうが女の子に比べると理解しやすい。とはいえ、歳をとってある程度客観的に(かつ無責任に)子供を眺めていると、いろいろと新たな発見がある。男の子は、基本的にシングルタスクである。眼の前の面白そうなものに、興味と注意を100%支配される。それも一瞬で。ナニモノかに簡単に憑依されるのである。

ある年の12月、甥っ子へのクリスマスプレゼントを買いにデパートのおもちゃ売り場をぶらぶらと眺めて歩いていたところ、ある一角にウルトラ怪獣のソフビ人形がずらりと並んでいた。今の子供は意外なほど昔のウルトラマンシリーズに詳しく、僕らが子供の頃見ていたものと同じものを数十年の時間差を飛び越えて再放送で見ていたりする。そこには、エレキングやらゼットンやら、おなじみの怪獣が何十種類も所狭しと並んでいた。懐かしくなってしゃがみこんでじっくりと見ていたところ、突然背中にドン!という衝撃を受けた。なんだなんだと驚いて振り向いてみると、3つか4つくらいの男の子がちょっと前傾しつつ両手をクロスしたポーズでこっちを睨んでいる。彼は明らかにウルトラマンになり切っており、目の前にしゃがんでいるおっさんを敵の怪獣だと認識して、そこに渾身のチョップを放ったのであった。振り向いたおっさん怪獣に怯む様子もなく、彼はスペシウム光線を発射しようとした1)。きっと、ずらりと並んだ怪獣を見た瞬間、彼のアタマの中にウルトラマンがやってきて憑依し、彼は怪獣から世界を救うヒーローになって頑張ったわけだ。

あるいは、高速道路のサービスエリア。トイレでよく見かけるのは、男の子が小便器のはるか前、場合によってはトイレ入口より更に前から、ズボンを半ば下げ、おちんちん丸出しでちょこちょこと走ってくる姿。もう「おしっこ」というタスクにアタマがいっぱいで、周囲の目など気にするどころではない。アタマの中はズボンをずり下げておしっこをしている数秒から数十秒先の自分のイメージでいっぱいである。まぁ多くの場合、我慢の限界という緊急事態でもあるだろうけれど、この「我慢の限界」も、シングルタスクの一例であって、おしっこ以外のおもしろいものに興味を100%奪われているため、本当に差し迫らないと「おしっこタスク」が彼らの中に割り込んでこないわけだ2)

男ばかりの兄弟で育ったので、この手の現象に、ずっと何の疑問ももたず、誰もがみなそうなのだと思い込んでいた。でも、甥っ子と姪っ子の成長を身近で眺めていると、女の子にはこういったことはあまり見られない。男の子が、怪我ばっかりする理由がよーくわかった。周りなんてまったく見えてないもの。

1 が、残念なことにその瞬間、飛んできたお母さん怪獣に連れ去られてしまった。
2 だから男の子は常にぎりぎりになっておしっこと言い出す。

サピエンス異変

「サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃」
ヴァイバー・クリガン=リード著 鍜原多惠子・水谷 淳訳 飛鳥新社刊

「サピエンス異変」という日本語版タイトルは、おそらく「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社)のヒットに乗っかろうとした姑息なもので、原書のタイトルは「Primate Change: How the world we made is remaking us」という。Primateは「霊長目」という意味で、いわゆる猿人・原人から現代のヒト(ホモ・サピエンス)に連なるヒト族が、800万年以上に渡り、環境に応じてどのように進化してきたのか、また農耕の開始以来の1万数千年で、農業革命、都市化、産業革命、デジタル革命を経て大きく様変わりしてきた環境下で、われわれヒトのからだがに何が(主にどのような不具合が)起きているのかを概観する。

現代人を苦しめるいわゆる「現代病」ーアレルギー、腰痛、心疾患、骨粗鬆症、肥満、糖尿病、自己免疫疾患などーの多くは、ヒトの数百万年の進化と現代生活のミスマッチから来ると結論づけている。ヒトは、数百万年の間、移動と狩猟採集というライフスタイルに合わせて進化してきた。農耕の発達による定住化はたかだかここ1万年のものであり、一日8時間以上もじっと座って「労働」するスタイルは、産業革命以降のわずか200年程度でしかない。今「当たり前」だと思っているライフスタイルは、長い人類史の中ではまばたき程度の長さもなく、進化によって形づくられたヒトの身体に適したものではないのである。「椅子」ですら、一般化したのは、産業革命以降の数百年のことでしかない1)、という指摘に驚く読者も多いだろう。「椅子」は現代生活とヒトの身体のミスマッチの象徴とも言える。一日8時間以上も座っての生活など、ヒトの進化ではまったく想定外だった。近代の学校教育は、産業革命で必要とされるようになった、長時間文句も言わずじっと持ち場で働き続ける人間をつくるために設計された、という記述にははっとさせられる。

本書によれば、身体的ミスマッチをなるべく減らし、不具合を回避・低減する最大の鍵は、「座るな」&「歩け」である。ヒトが進化の中で獲得した運動能力上の特長は足にある。足の親指が他の指と同じ向きに並び、足裏のアーチが発達した。これらを使うことで、体重移動を前方への推進力に変えて長時間歩き(あるいは走り)続けることができるようになった。攻撃力や敏捷性で他の動物に劣るヒトが厳しい環境を生き延びてきたのは、この能力による。このポイントは、「BORN TO RUN」「EAT & RUN」でも指摘されている通りだ。

植物についても面白いポイントに触れている。地球の二酸化炭素濃度は近年上昇を続けているが、二酸化炭素濃度が高くなると、植物は光合成を活発化させる。ところが、二酸化炭素濃度が高くなっても、植物が取り込むミネラルや希少元素の量は変わらないので、植物性の食料2)は、単位重量あたりのカロリーは上がるが、ミネラルなどの栄養価は下がるという。

年齢を重ねても健康で過ごすためには、易きに流れやすいライフスタイルを見直し、あえて身体に負荷をかける時間を意識的に作る必要がある。まずは歩くこと。とりあえず、徒歩30分で行けるところへは、交通機関を使わずに歩く、といったあたりから始めてみたい。

1 椅子そのものは権力の象徴として数千年前から存在はしていた。
2 人類が消費している全カロリーの40%がコメとコムギである。

アイスクリーム

飛行機に乗っていると、夜食代わりにアイスクリームが配られることがある。エアラインによって違うが、ハーゲンダッツやベンアンドジェリーズといったけっこう高級なアイスだったりする。乾燥した機内でリフレッシュするにはいいのだが、なぜいつもあんなに硬いのか。アイスクリームという可愛らしい響きとは真逆の、異様に硬い物体が手渡される。高度一万メートル上空の気温はマイナス50℃だというから、尾翼のあたりからアイスクリームの入った網袋をぶら下げて冷やしておいたのではないのか。

これだけ硬いとプラスチックのスプーンでは歯が立たない。中には彫刻刀か!と突っ込みたくなるようなスタイルで力いっぱいガチガチと削りながら食べている人もいるが、周りに飛び散る量のほうが多い。ここは大人しく少し溶けるまで我慢して放置するのが得策である1)

アイスクリームの一番好きな食べ方は、エスプレッソコーヒーをかける「アフォガート」である。エスプレッソの苦味とアイスクリームの甘さが競いつつ溶け合って珈琲好きの大人が楽しめる味わいだ。さすがイタリア人、美味い食べ方を知っているものだと敬服する。アフォガート(affogart)はイタリア語で「溺れている」という意味だそうで、同僚だったイタリア人もアイスクリームはこうして食べるのが一番美味いと言っていた。とはいえ、単にバニラアイスにエスプレッソをかければいいというものでもなく、そこは微妙な相性がある。限られた範囲の経験値ではあるけれど、僕が一番美味しいと思っていたのは、コヴァ(COVA)のものだった。COVAはミラノの老舗カフェで、東京では有楽町電気ビルと新宿タカシマヤにライセンス出店していたが、18年6月で閉店してしまった。残念に思っていたところ、そのあと、タカシマヤに、ほぼ居抜きで今度はビチェリン(Bicerin)というトリノの老舗カフェのライセンス店がオープンした。そこでも美味しいアフォガートが食べられる。食べられる、というか、バニラアイスもエスプレッソもCOVA時代と全く同じもののような気がする。きっと日本での運営会社は同じところがやっているのだろう。もしかすると、そのうち使うバニラアイスや珈琲豆が変わってくるのかもしれないが、僕としては今のままで良いので、むしろ変えずにいて欲しい。もうひとつ、田園調布駅前の「ペリカンコーヒー」のものも良い。

1 新幹線の中で販売されているスジャータのアイスクリームも固いことで有名だ。乳脂肪分が高く、空気含有量が小さく、低温での管理が徹底していることなどが理由だそうだ。これについては今までいくつものメディアで取り上げられている。

ムー

月刊「ムー」。UFO1)やUMA2)、謎の秘密結社やらあの世やら、陰謀論もトンデモ論も、なんでもありのオカルト雑誌である。学研という教育畑の出版社から出ている、というと意外だと思う人もいるかもしれない3)。この雑誌はけっこう歴史があって、創刊は1979年。創刊されてすぐの頃、本屋でよく立ち読みした記憶がある。

73年3月に「日本沈没」(小松左京著 光文社)、11月に「ノストラダムスの大予言」(五島勉著 祥伝社刊)が空前のベストセラーになってからというもの、70年代はオカルトが堂々と世間を賑わした時代だった。僕ら小学生は、ユリ・ゲラーと一緒にスプーンを曲げる練習をし、川口浩の怪しげな探検をテレビで見てドキドキし、公園の植え込みでツチノコを探し、コックリさんに好きな人に告白すべきかどうかを相談し、口裂け女に会わないように用心しながら学校から帰った。「ムー」はこの時代の空気感をそのまま極彩色で保存したような雑誌で、今も続いているのはちょっとした奇跡だと思う。

ずっと通っている近所のヘアサロンが、どういうわけだか、4、5年前から「ムー」を毎月買っておいている。懐かしいねー、なんて言いながら最初は冗談半分で読んでいたのだが、子供の頃の刷り込みは強力で、気がつくとグーグルアースに写ったUFOの基地やら、フリーメーソンと古代神道の関係やらといった記事を熟読している。そのうち、お店の人からも「ムーですよね。最新号買っておきました!」と選択の余地なくピンポイントで手渡されるようになり、すっかりムーおじさんとして認知されている様子である。ムーおじさんって相当ヤバイ人じゃないか、と我に返り、最近ではもっぱら「Pen」とか「dancyu」を読んでイメージ回復に努めている。

1 unidentified flying object = 未確認飛行物体。れっきとした英語。
2 unidentified mysterious animal = 謎の未確認動物。こちらはちょっとヘンな和製英語。
3 学研という出版社はときどきこういうあさっての方向からの出版物を出す。BOMB(ボム)もそうだ。

バイキング

レストランの食べ放題スタイルを、日本語では「バイキング」というが、これは日本だけの言い方である。うっかりすると英語でもそのまま通じそうな気になるが、「v」の発音に気をつけて「ヴァイキング」などと言ってみても、それはあくまでも、1000年くらい前に北欧で暴れていた海賊であって、食べ放題スタイルのことではない。食べ放題スタイルのことは、英語では「buffet」(バフェ)という1)

この罪深き「バイキング」というネーミングのおおもとは、帝国ホテルである。ホテルのウェブサイトによると、魚介類や肉料理、酢漬けなど、好みのものを自由に食べるスカンジナビアの伝統料理 「スモーガスボード」2)にヒントを得て、日本初のブフェレストラン「インペリアルバイキング」を1958年に開業したとある。「バイキング」の由来は、開業当時話題だった映画「バイキング」からとったようだ。

半世紀を経て今では、バイキング形式のレストランは珍しくないし、和洋中とりそろえた大規模なバイキングも沢山ある。でも、帝国ホテル最上階の「インペリアルバイキング・サール」で提供されている「元祖」たるバイキングはぜひ行ってみるとよい。和食、中華などはなく、洋食カテゴリーの料理に絞られている(といっても40種ほどもある)が、どの皿、料理をとってみても、さすが帝国ホテルと膝を打つクオリティである。美味しそうな品々が並ぶカウンター前をうろうろすると、欲張ってつい盛大に盛り付けたくなるが、自分の胃袋の容量と慎重に相談しつつ、少しずつ数多くの種類を楽しむとよいと思う。特に中高年の男性諸氏は、「食べ放題」に来ると、突然アタマの回路が高校時代くらいに巻き戻され、無尽蔵に食べられそうな勘違いをするが、我々の胃袋はもはやそのようなパワーを失って久しいので注意すべし。個人的レコメンデーションとしては、青魚の酢漬けやマリネ、ローストポークとローストビーフ、帝国ホテル名物のカレーあたりは押さえておきたい。デザートも充実しているのでお忘れなく。アップルパイとバニラアイス(それに珈琲)の組み合わせは外せない。

1 厳密に言えば、「食べ放題」ではなく「立食形式」や「セルフ形式」のことらしいが、実用上まぁ同じものだと考えて差し支えないと思う。
2 「smorgasbord」を「食べ放題」の英訳語としている説明もあるが、僕は未だかつて英会話の中でこの単語が使われるのを聞いたことはない。