ギターもそこそこ弾けるようになってきたところで、よし、バンド組もう。メンバーも皆、技術的には同じようなレベルだ。さて、何をやろうか。となったとき、80年代後半のバンドマン(HR/HMバンド)にはピアノでいう「バイエル」1)とも言える選択肢が用意されていた。洋モノならディープ・パープルのSmoke On the Water か Highway Star、和モノならアースシェイカーのMoreである。
80年代は多くの和製メタルバンドがデビューし、人気を博した。その中でも横綱級がラウドネス、Vow Wow、そしてアースシェイカーだったように思う。いずれのバンドも強力な看板ギタリストを擁していたが、その中でもアースシェイカーの石原慎一郎は、メロディアスな泣きのソロと堅実かつ印象的なリフで、ビギナーでも何とかついていけるんじゃないかと思わせるプレイスタイルだった。(ラウドネスの高崎晃は、速弾きとライトハンド奏法を駆使したトリッキーなソロで初心者には弾ける気がしなかったし、Vow Wowの山本恭司はフロイドローズならではの大胆なアーミングと速弾きでこれまたハードルが高かった。)
学園祭に行くと、どこかから必ずこの曲が聞こえてくるくらい、誰もが知っている曲だった。ギター単独で始まる、短調の半音階で下がっていく印象的なイントロはギタリストなら一度は演奏したいと思わせるカッコよさだし、「人を憎む弱さを見た」で始まる歌も、どこかモノクロームの映画の始まりのような雰囲気があった。アースシェイカーの曲は総じて、ゴリゴリのヘヴィメタルよりは、もっと耳馴染みの良いメロディに甘さ切なさをのせた感じで、メタル原理主義に走りがちな当時の若者の中には毛嫌いする奴もいたけれど、そういうケツノアナの小さいやつは放っておけばよろしい。99年に再結成後、オリジナルメンバーで活動している。今年は機会があればライブ行ってみたい。
| ↑1 | 易しい、というよりそれなりにサマになるレベルで演奏できそう、という意味で。 |



タスマンハイウェイをB31出口で出て、ケンブリッジロードをハイウェイ沿いに少し戻るように走ると左手に看板が見えてくる。ラークに比べれば大きいとはいえ、それでも小さな蒸留所だ。ビル・ラークが何かのインタビューで、蒸留所見学に来る人は、森と清流の中にあるロマンチックな蒸留所をイメージして来る人が多いけれど、タスマニアの蒸留所はどちらかというとみんなただの工場(こうば)みたいなとこだよ、と笑っていたが、まさにそのとおりの場所である。



彼の蒸留所
今回の火事、火元は隣家であり、ウチは類焼で損害を被ったのだから、その損害は隣家が補償してくれるはず、と思いきや、実はそう簡単な話ではない。火事に関する法律(失火責任法)では、火元に重い過失がないかぎり、類焼によって生じた損害の賠償責任は負わないことになっている





