失くしモノはなんですか

失くしモノはなんですか、と問われれば、Suicaとカギであった。Suicaは先日書いたとおり、iPhone 8にすることで解決した。もう失くさない。なぜならSuicaカードは物理的な実体を失い、iPhoneの中に入ったからだ。さて、残るはカギである。カギは今のところiPhoneに入れるわけにはいかない。最新のスマートホームなら可能なのかもしれないが、拙宅は築30年のアパートである。クルマのカギもだめだ。最新のプリウスやらテスラなら可能なのかもしれないが1)、我が愛車はもう20年も乗り続けているご老体2)で、エアコンすらあまり効かない。

家のカギとクルマのカギ。このふたつがまぁ頻繁に消える。どういうわけかふたついっぺんに消えることはなくて、交互に消える。相談して順番を決めてるんじゃないかと思うくらいだ。そんなある日、ネットをぶらぶらと散策していると、「忘れ物防止タグ」というのが目に止まった。要はスマホと接続する電子タグだ。忘れやすいものに電子的なヒモをつけておいて、見つからないときに、それを引っ張って鳴らせばいいという仕組み。おお、これはよさそうだ。しかもそんなに高くない。というわけで早速「Tile」というのを買ってみた。

Tileは、その名のごとく、3センチ四方厚さ5ミリのプラスチック・タイルのようなもので、それをキーホルダーにつけるだけ。スマホに専用アプリをダウンロードして、アプリから購入したTileを接続する。複数接続できるので、それぞれのTileに「カギ」などと名前をつける。アプリを起動して「探す」ボタンを押すと、当該のTileがぴーひゃららーと陽気に鳴ると同時に、どこにあるのかがMap上に表示される3)。逆に、Tileの真ん中にある銀色のボタンを二度押しすると、スマホを鳴らすこともできる。よくできている。これなら家の中をあちこち探し回らずにすむ。

と、Tileを導入して大変満足していたわけだが、ここにきて問題が持ち上がった。カギを失くさないのだ。スマホからTileを鳴らす機会がやってこない。これまであんなに行方不明になっていたカギ共が、どういう了見なのか、品行方正になり、常に目につくところに鎮座している。失くさない、という目的は果たしているものの、こういうことではなかったはずなのだが。

1 ほんとうに可能かどうかは知らない。
2 89年生まれの御年28歳である。
3 地図ではもちろんおおよその場所がわかるだけだ。地図データに部屋の見取り図まではないので、家の中のどこにあるかまではわからない。わかったら逆にコワい。

モバイルSuicaに逆ギレする

家を出ようとするたびに、SuicaあるいはPASMOカードを探し回る。決まったところに置かない自分が悪いのであるが、それにしても神隠しのように消える。家の中に次元断層か何かがあって、そこからスルリと滑り落ちているのではないか。

この次元断層問題を解決するためにiPhoneを6Sから8に変えた。8ならばモバイルSuicaが使えて、駅の入場もスマホをかざせばよい。iPhoneがなくなることはめったにないので1)、これでSuicaを探し回らずにすむわけだ。使ってみるとこれが実に快適。JRもバスも地下鉄もスマホをかざして乗れる。コンビニで支払いにも使える。つい一ヶ月前まで小銭をじゃらじゃらとやりとりしていたのが、遠い昔のようだ。もうあの頃には戻れない、戻りたくない、などと青春ドラマのような感想を抱いたのであった。

そんなある日、実家に用事があって湘南新宿ラインに乗ることになった。もちろん改札では、鼻息荒くiPhoneをかざして新宿駅に入り、3・4番線ホームへ向かう。1時間ほどの道中だし、たまにしか乗らないので、グリーン車に乗ってもええやろ。モバイルSuicaで贅沢したろ、と大阪弁で思いつつ、ホームにあるグリーン券の券売機でスマホをかざして購入しようとすると、「このカードは使えないから駅員に言ってちょうだいね」的なメッセージが出て買えない。結局、車内で現金で支払うハメになったわけだが、どうにも納得がいかない。今まですっかり満足していただけに、裏切られたという気持ちが強く、文句のひとつも言わないと気がすまぬ。どこかにカスタマーサービス窓口みたいなもんがあるやろ、と眉間にシワを寄せながらウェブサイトを眺めていたところ、「Suicaグリーン券の購入方法」という案内があるではないか。よく読んでみると、モバイルSuicaでのグリーン券購入は、ホームの券売機を使うのではなく、モバイルSuicaアプリ内で完結するのであった。危うく説明書も読まずに文句の電話をかけてくる痛いおっさんの仲間入りをするところであった。反省。

 

 

1 iPhoneは次元断層よりも大きいのであろう。

Photograph (Def Leppard)

デフ・レパードは1980年デビュー。ブレイクしたのは1983年発売のアルバム「炎のターゲット」(原題 Pyromania)1)からで、Photographはこのアルバムの先行シングルとしてリリースされている。英国バンドではあるが、アメリカでの人気が先行した。

ギターは、スティーブ・クラークとこのアルバムから加入したフィル・コリン2)。二人でコード音を分担して鳴らしていたりするので、けっこう複雑な音が混じっていて、それがこのバンドの基本色を作っている。一人でやろうとしても、指と弦の数が足らない。フィル・コリンがどちらかといえば、スリリングな速弾きソロ3)、スティーブ・クラークがミッドテンポで印象的なメロディのソロを弾くことが多かった。ただ、どちらも、俺のギターを聞け的ギターヒーロー・タイプではなく、ギターで曲の骨格を作っていかにカッコよく聴かせるかというタイプなので、二人の間にリード、サイドの区分けはないように思う。

フィル・コリンは、現在齢60歳にして、信じがたい肉体を維持している。ライブでは最初っから上半身ハダカで出てくる。見事にムキムキである。ビジネス雑誌のInc.にフィル・コリンのトレーニングメニューを試してみた編集者の記事が出ているが4)、それによると、フィルは84年からアルコールを絶ち、ベジタリアンになり、ジョギングを始め、ウェイトトレーニング5)を始め、ムエタイ(キックボクシング)に通い、今も続けている。

それにしても、このバンドは、ライブでの演奏が、それはそれはタイトで驚かされる。今年はJourneyと一緒に全米ツアーをするようだ。ぜひ日本にも来てほしい。

1 例によってたわけた日本語タイトルかと思いきや、Pyromaniaは「放火魔」の意味なので、まぁ、当たらずとも遠からず、といったところか。
2 スティーブは91年にアルコールと薬物の過剰摂取で他界。92年からヴィヴィアン・キャンベルが加入。このビデオもヴィヴィアンが弾いている。
3 フィル・コリンは影響を受けたギタリストにゲイリー・ムーアをあげていたと思う。
4 経済誌に取り上げられるハードロックギタリストも珍しい。
5 今ではベンチプレスで170キロを上げているらしい。

マカロニほうれん荘

マカロニほうれん荘(全9巻)

鴨川つばめ著(少年チャンピオン・コミックス 秋田書店)

鴨川つばめは天才である。

ふきだしからセリフがリズムに乗って流れ出してくる。70年代のサブカル、ロックやパンクの躍動をページからこんなにほとばしらせたマンガは、多分、この作品だけだろう。当時小学生だった自分は、クイーンもレッド・ツェッペリンもまだ知らなかったけれど、そのビートをマンガの中から感じ取っていたのだと思う。中学に入ってクイーンをはじめて聞いたとき、あ、これ知ってる!聞いたことある!と思ったくらいだ。実際には聞いたことなどなかったのに。それほどこのマンガが音楽的であり、ギャグとビートが渾然一体となって、子供の頭のなかで鳴り響いていたのだと思う。

スラップスティックの何たるかを、スラップスティックなんていう用語を知る前にこのマンガに教えてもらった。縦横無尽、自由気儘にあちこち飛び廻るストーリーのくせに、けっこう丁寧に辻褄が合わせてあったりする。ミリタリーなフレイバーが隠し味的に効いている。ナンセンスなんだけど、優しい、柔らかな世界。

単行本の第一巻が発売される日、友達が学校帰りに本屋に駆け込んで「マカロニほうれん荘入った?」とレジのおばちゃんに聞いたところ、「ここは八百屋とちゃうで~」と言われたらしい。まぁ、大阪ならありそうなハナシではあるが、真偽の程は当時から不明1)

完結させたかった作者に秋田書店が無理やり描かせていた終盤(7、8、9巻あたり)はさておき、マンガ史に残る大傑作だ。

1 この話をしていた当人は、口をとんがらかして本当だと言い張っていた(笑)。

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

鈴木大介著(講談社)

41歳で脳梗塞に倒れた著者は、後遺症として高次脳機能障害を負う。その経緯、症状、当事者の気持ちや気付きについては、「脳が壊れた」(新潮社)に詳しい。高次脳機能障害については、小室哲哉さんの奥さんKEIKOさんが患っていることから、彼の引退会見で急速に世間の認知が高まっているように見える。

本書では、高次脳機能障害と発達障害は非常に似ているのではないか、と気づいた著者が、発達障害の奥さん「お妻様」をより深く正確に理解してゆく過程、個性を愛し尊重し、家庭を立て直していく様子が描かれている。

嗚呼、身をもって理解した。単に不自然な感じとか不器用とか空気読めないとか黙り込むとか泣き出すとか、そんな当事者の背後には、こんな苦しさがあったんだ。不自由なことと苦しいことが同じだと、僕は知らなかった。

「ようやくあたしの気持ちがわかったか」

「わかったけど、これはちょっと苦しすぎます」

でも、なぜ苦しいのか、なぜやれないのかがわかれば、どうすれば楽になれるのか、どうすればやれるようになるのかもわかる。発達障害妻&高次脳夫。お互いの障害を見つめつつ、我が家の大改革が始まったのだった。(第三章 まずお妻様が倒れ、そして僕も倒れる)

脳梗塞に倒れる前から、発達障害に苦しむ人々を取材対象としてきた著者でさえ、相手の苦しさ、生きにくさを本当にはわかっていなかった、という告白は、それが後天的であれ先天的であれ、高次脳機能の障害を理解する難しさを物語る。誰しも、無意識に、自分にとっての「当たり前」を基準にして、考え、判断する。その「当たり前」が相手にとってはまったく「当たり前」ではないかもしれない、とまで思いをいたすのは相当に難しい。でも、いらいらしたり責めたりする前に、ちょっと立ち止まって、まてよ、と考える余裕を持つためには、本書はとてもよい入り口になるはずだ。

Key West 旅行記 3 – ゼロマイル地点とSouthernmost Point

アメリカの国道1号線(US Route 1)は、東海岸を南北に貫く最も長い国道で、およそ3,850キロに及び、マイアミ、ワシントンDC、ニューヨーク、ボストンといった東海岸の主要都市を結ぶ大動脈である。ちなみに、北海道稚内から鹿児島市までクルマで走ると2,700キロ前後だから、それより1,000キロも長いわけだ。アメリカは広い。この1号線の南端がキーウエスト市内にある1)。繁華街から外れた、何の変哲もない街中の一角に標識が建っている。北向きには「BEGIN」、南向きには「END」の標識。日本だと道の駅でもつくって物販に励みそうなものだが、こちらはあっさりしたもので、END OF THE ROADという名のこじんまりしたお土産屋さんがあるきりだ。

キーウエストにはもうひとつ「端っこ」記念のモニュメントがある。アメリカ本土2)最南端を示す、Southernmost Pointだ。South Street と Whitehead Streetが交差する海際に、コンクリート製のブイがある3)。このブイは比較的新しくて、1983年に観光目的で建てられたものらしい。実は、近くにあるフォート・ザカリー・テイラー・ヒストリック州立公園(Fort Zachary Taylor Historic State Park)のビーチが、このブイより150メートルほど更に南だったりするが、そのあたりはまぁいいじゃないの、ということで、南国らしくおおらかでよろしい。ブイには、ここからキューバまで90マイル、とある。

1 北端はカナダ国境の町メイン州フォートケント(Fort Kent)。
2 本土というか、キーウエストも島なので、本土から橋などが架かっていて、陸続きで行ける場所の中で、という意味ですね。
3 ブイの写真はここに載せられるものがないので、こちらをどうぞ。

死都日本

bookcover「死都日本」
石黒 耀 著(講談社文庫)

鬼界カルデラに直径10キロの巨大な溶岩ドームが形成されていることが確認されたというニュース。鬼界カルデラは7300年前に巨大カルデラ噴火を起こし、九州一帯の縄文文化や生物相を根こそぎ破壊したことで知られるが、それが依然活発に活動していることが明らかになったわけだ。

「死都日本」は、今の霧島火山があるあたりにあった加久藤カルデラ(鬼界カルデラと阿蘇カルデラを結ぶ線上のほぼ中央1))で、30万年の時間を経て、現代に再び破局的噴火が起こったらどうなるのか、というシミュレーションを中心に据えた小説である。

破局的噴火(カルデラ噴火)の規模がどれほど甚大でありうるのか、噴火の前兆から噴火、さらにその先に時系列でどういった災害が引き起こされるのか、など、綿密で科学的見地を踏まえた構成は、息を呑む迫力。久しぶりに寝る間もなく読み通してしまった。

二千年に満たない人類の火山学で、齢百万年を越す火山の生死を正確に判断できるのであろ うか?三十万年くらい活動が無くても、火山にとってみれば「ちょっと昼寝をしていた」という程度の感覚でしかない場合は無いだろうか?(第3章 水蒸気爆発)

著者は、戦後日本が推し進めてきた国土開発(と繁栄)は、日本の国土の地学的条件を無視したもので、いつか自然から手痛いしっぺ返しを食らうのではないか、という問題意識2)を強く持っていて、作中でも登場人物に何度か語らせている。本作は2011年の東日本大震災よりも前に書かれたものだが、3.11の経験がまだ生々しい今、(著者の考えに賛成するかどうかは別としても)いろいろ考えさせられる。

1 阿蘇山から薩摩硫黄島・竹島にいたる直線上に阿蘇、加久藤、小林、姶良、阿多、鬼界と多くのカルデラが形成されている。つまりここでは、過去何度もこれらのカルデラを形成した大噴火が起きている。
2 「死都日本」シンポジウム―破局噴火のリスクと日本社会―2003年5月25日に寄せたコメントでも述べている。(講演要旨集 – 静岡大学教育学部総合科学教室小山真人研究室サイト内より)

Addicted to That Rush (Mr. Big)

技巧派ギター二人のツインリードは珍しくないが、ギターとベースによるツインリードと呼べるのはこのバンドくらいだろう。ビリー・シーン(B)とポール・ギルバート(G)の組み合わせは圧巻のロックンロール・サーカス。スリリングな掛け合いとハーモニープレイ、まさにギターとベースによる正確無比な速弾きツインリードは、ビジュアル的な見せ方もしっかり心得ていて、観客を飽きさせない。

ポール・ギルバートは、演奏技術的にはなんでもハイレベルにこなすオールラウンドプレイヤーで、リフも切れ味鋭くリズムも正確。HR/HM、ブルーズ、フュージョンまで幅広くこなすセンスも備えている。音が硬質で色気に若干欠けるところは好き嫌いが別れるかもしれない。左手の運指を見ていると、薬指の動き1)が常人離れしている。

ビリー・シーンは、ギター顔負けの速弾きやライトハンドで、ロックベースの概念を変えたベーシストと言えるだろう。バンドのボトムを支えグルーヴを出す役割はしっかりと固めつつ、ここぞというときにアクロバティックなプレイが飛び出す2)。右手は、人差し指、中指に加えて薬指も使った3フィンガー。通常ロックは2の倍数で割り切れる譜割りが圧倒的に多いが、そこを3で割ってプレイしつつ、あの速弾きもこなす。

エリック・マーティンのボーカルは、HR/HMというよりは、もう少しポップス(あるいはR&B)寄りのテイスト3)で、バンド全体の空気を馴染みやすいソウルフルなものにまとめている。

ドラムのパット・トーピーは、繊細で効果的なハイハットワークにコンパクトで切れの良いドラミングでバンドの疾走感を担ってきた。GとBが派手なのであまり目立たないけれどかなりのテクニシャンだと思う。2012年にパーキンソン病を発病、治療を続けながら、サポートドラマーとともにバンドのツアーに帯同していたが、昨日、パーキンソン病による合併症で亡くなったというニュースが飛び込んできた。インタビュー記事やビデオでの優しい笑顔と穏やかな話しぶりが印象に残っている。ご冥福をお祈りします。

1 普通の人なら中指のところをほとんど薬指を使う感じ。どこかのインタビューでは、薬指が弱いので強くしようと練習してるうちに薬指ばかり使うようになったと言っていた。
2 機材もユニークで高音と低音を分けて2系統で出力していたり、ハイフレット部はスキャロップして抉ってあったり。
3 Mr. Vocalistというソロアルバムでは、日本のポップスや女性ボーカルのヒットソングをカバーしている。

人間はどこまで耐えられるのか

Front coverフランセス・アッシュクロフト 著 矢羽野 薫 訳 河出文庫(河出書房)

ヒトは上下方向の移動に弱い。エベレストの更に上空を楽々と飛ぶ渡り鳥がいたり、数千メートルを簡単に潜るクジラがいたりするが、ヒトが(何の装備もなく)そんなことをすれば即死である。ヒトの体は、1気圧、21%の酸素の大気の中で生活するようにできており、圧力の変化に柔軟に対応できない。高地においては、圧力の変化は、酸素の取り込み効率に直結する。高度が上がるほど、気圧が下がり、それに伴って酸素分圧も下がり、肺に酸素を取り込みにくくなる。酸素が取り込めなければ運動能力は極端に落ちる。深く潜れば、血中の窒素ガスの状態に変化が生じ、急に浮上すると血液中で窒素が気泡となってからだは深刻なダメージを受ける。

標高7000メートルでは、 海抜ゼロメートルに比べて体の動きは4割以下に落ちる。(中略)1952年にレイモンド・ランバートとテンジン・ノルゲイがエベレストのサウスコルを登ったときは、わずか200メートルに5時間半かかった。ラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラーは山頂が近づくにつれて、疲労のあまり数歩ごとに雪の中に倒れ込み、最後の100メートルに1時間かかった。(第一章どのくらい高く登れるのか)

登山(とくに3000メートル以上の高高度)に、入念な準備と慎重な判断が必要とされるのも当然と言える。平地と同じ運動能力や判断力を期待できないところに、厳しい気象条件がのしかかってくるわけだから。調べてみると富士山でも少なからずの遭難事故が毎年起きている。手軽な登山と思ってしまうかもしれないけれど、3,700メートルまで行くならしっかりした準備と知識が必要ということだろう。

I Surrender (Rainbow)

リッチー・ブラックモアといえば、誰もが知るカリスマ的ギタリストであり、ロックにクラッシック音楽的(バッハ的)な音階を取り入れたパイオニアであって、後に続く多くのHR/HMギタリストに多大な影響を与えた。それはわかっているけれど、ギタープレイ自体は、どうも好きになれない。個性的なのはわかるけど、音程も安定しないし、多分にヒステリックで、音もどこかギーギーと神経に触る音だ。

一方、曲作りでは引き出しが多くて、リフやメロディ、曲の構成などにその才を発揮していると思う1)。レインボーは時期によって、指向性や曲調がずいぶん変わったので、人によって好き嫌いが時期ごとに別れる2)。「I Surrender」は、アメリカで売れることを意識していわゆる「売れ線」またはポップ寄りになったといわれる、かなり後期の曲。ボーカルはジョー・リン・ターナー。

この人はとてもいいボーカリストだと思うけれど、そのキャリアを通して、リッチーとイングヴェイにいいように使われる小間使い的キャラがついてしまい、かなり損をしている。実際はそうでないとしても、リッチーの様子を伺いつつ歌っているように見えてしまう。観ているこちらまで、曲を楽しむより先に、リッチーの機嫌の良し悪しを心配してしまい、どうにも落ち着かない3)

とはいえ、HR/HMでは年齢とともに歌えなくなる(高音がでなくなる)ボーカリストが多い中、今もパワーを保っているように見える。ソロ・プロジェクトの「Under Cover」と「Under Cover 2」では古今ロックの名曲をカバーしていて、なかなか聴きごたえのあるいいアルバムだ。

1 もちろんレインボーだけでなくディープ・パープルでも。
2 大別すれば、ロニー・ジェイムス・ディオがボーカルだった時期の中世的様式美ハードロックに始まり、グラハム・ボネットでポップ化し、ジョー・リン・ターナーでポップ路線が継続・発展といったところか。
3 リッチーがいつも不機嫌そうなのは、別にジョーのせいではないのだが。