Shot in the Dark (Vow Wow)

Bow Wowは76年デビュー。84年のメンバーチェンジとともにバンド名の綴りをVow Wowに変える。オリジナル・メンバーとして、日本人HR/HMギタリストとしてラウドネスの高崎晃と双璧をなす山本恭司を擁していたバンドは、人見元基(Vo)と厚見玲衣(Key)が加入したことで、「和製」という形容詞不要の、世界レベルのバンドに変貌を遂げた。86年から数年は英国をベースに活動しており、ニール・マーレイ(ベース。ホワイトスネイク、ゲイリー・ムーアバンドなど)が加入したり、4枚目のアルバム「V」にはエイジアのジョン・ウェットンが参加したりしている。

Shot in the Darkは、Vow Wow名義になってから三枚目のアルバム「III」(86年発売)の2曲めに収録。このバンドを予備知識なしで初めて聴いたときは、日本のバンドだとわからなかった。それほど人見元基のボーカルは日本人離れしていた。低音域から普通なら裏声でか細くなりそうな高音域までパワーが落ちずに自在に繋がり、鳥肌モノのシャウト1)がここぞというところで炸裂する。英語詞の音の乗せ方も見事。さすが東京外語大卒というべきか。厚見玲衣のキーボードは、ギター、ボーカルと渡り合う主役級の存在感。シンセやオルガンの分厚い音の壁、印象的なアルペジオや効果音、バラードでみせる繊細でダイナミックなピアノなど、Vow Wowサウンドの基本色を形作っている2)。このキーボードを得て、山本恭司のギターは、推進力溢れるリフから、トリッキーなアーミングやライトハンドを取り入れたソロやオブリガード3)まで、より自由に動き回れるようになったのではないか。とはいえ、各楽器、ボーカルのバランスは絶妙に保たれていて、バンドアンサンブルが崩れたりすることはない。

このメンバーでの活動は、6枚目のアルバム「MOUNTAIN TOP」をもって残念ながら1990年に終了してしまった。2010年12月25日、26日にシークレットに近いかたちで再結成ライブを行っており、その様子はノーカットでBlu-Rayディスク版として発売されている。

1 Love Walks、Don’t Leave Me Nowなどをぜひ聞いてみてほしい。
2 アナログ・シンセやハモンドなど名器のコレクターとしても知られる。
3 Gソロそのものよりもボーカルの裏でパート間を繋ぐように入るちょっとしたフレーズが実に格好良い。

Eyes Of A Stranger (Queensrÿche)

プログレ・ロックといえば、変拍子、転調の多用、長大な曲といった音楽的に「高度」なアプローチや、コンセプトアルバムに代表される物語性が頭に浮かぶ。ピンク・フロイド、キングクリムゾン、ジェネシスなどが代表例だと思うけれど、僕はそれぞれ一、二度聞き流した程度であまり好きではなかった。なんとなく大げさで、わけのわからない現代美術を見ているような気にさせられて、単純に楽しめなかったのだ。

クイーンズライク1)というバンドも、プログレ・メタルとして、名前くらいは知ってる、という程度だったが、ある時、ヘルプでギターを弾くことになった学園祭バンドで「Operation: Mindcrime」から4、5曲コピーすることになり2)、初めてアルバム一枚まるごと聴いてみてあらビックリ。なんせ、一曲目のインストから、拍子のアタマがわからない。食ってんの?食ってないの?3)変拍子?どこから?あれ、戻ってる?と、のっけから「?」だらけで途方に暮れる。これ無理!弾けない、というのも悔しくて、譜面とにらめっこしながら、何十回、何百回と聴いて練習した。これが面白いことに、なんとか弾けるようになる頃には、このアルバムの虜になっており、学園祭が終わった後も四六時中こればかり聴いていた。今でもたまにクルマの中で大音量で聴いている。かなり中毒性が高い。

「Operation: Mindcrime」は、クイーンズライク3枚目のアルバムで88年発売。壮大・緻密なコンセプト・アルバムとして、ヘヴィメタル史に残る名作。多くを作曲しているクリス・デガーモ(G)のセンスが素晴らしい。コード進行と、ジェフ・テイト(Vo)の常人離れした声域をフルに使ったメロディの美しさが際立っている。また、ロックらしいストレートなビートでありながら、変幻自在に変化するドラム+ベースのリズムの面白さは出色である。

「Eyes Of A Stranger」は、アルバムのラスト、つまり物語のラストを飾る、ミッドテンポの曲。トリッキーな変拍子はないけれど、緩・急、静・動が効いて実に格好良い。ライブだと、この曲がそのまま1曲目のインスト(Anarchy-X)4)に繋がって全体がループするように終わる構成になっていた。

1 僕が聴いていた頃の日本語表記は「クイーンズライチ」だった。
2 今考えると身の程知らずなかなり無謀な試みである。若気の至りと言えよう。
3 バンドで「アタマ食う」というのは、例えば四拍子の曲なら、小節の1拍目ではなく、前の小説の4拍目の裏からツッコミ気味に入ること。「いち、にい、さん、しい」の最後の「い」と次の小節のはじめの「い」がつながる感じ。
4 正確に言うと、アルバムクレジットでは2曲め。シンセの不気味なコード・効果音の上で主人公が独白する「I remember now」が1曲め。

Photograph (Def Leppard)

デフ・レパードは1980年デビュー。ブレイクしたのは1983年発売のアルバム「炎のターゲット」(原題 Pyromania)1)からで、Photographはこのアルバムの先行シングルとしてリリースされている。英国バンドではあるが、アメリカでの人気が先行した。

ギターは、スティーブ・クラークとこのアルバムから加入したフィル・コリン2)。二人でコード音を分担して鳴らしていたりするので、けっこう複雑な音が混じっていて、それがこのバンドの基本色を作っている。一人でやろうとしても、指と弦の数が足らない。フィル・コリンがどちらかといえば、スリリングな速弾きソロ3)、スティーブ・クラークがミッドテンポで印象的なメロディのソロを弾くことが多かった。ただ、どちらも、俺のギターを聞け的ギターヒーロー・タイプではなく、ギターで曲の骨格を作っていかにカッコよく聴かせるかというタイプなので、二人の間にリード、サイドの区分けはないように思う。

フィル・コリンは、現在齢60歳にして、信じがたい肉体を維持している。ライブでは最初っから上半身ハダカで出てくる。見事にムキムキである。ビジネス雑誌のInc.にフィル・コリンのトレーニングメニューを試してみた編集者の記事が出ているが4)、それによると、フィルは84年からアルコールを絶ち、ベジタリアンになり、ジョギングを始め、ウェイトトレーニング5)を始め、ムエタイ(キックボクシング)に通い、今も続けている。

それにしても、このバンドは、ライブでの演奏が、それはそれはタイトで驚かされる。今年はJourneyと一緒に全米ツアーをするようだ。ぜひ日本にも来てほしい。

1 例によってたわけた日本語タイトルかと思いきや、Pyromaniaは「放火魔」の意味なので、まぁ、当たらずとも遠からず、といったところか。
2 スティーブは91年にアルコールと薬物の過剰摂取で他界。92年からヴィヴィアン・キャンベルが加入。このビデオもヴィヴィアンが弾いている。
3 フィル・コリンは影響を受けたギタリストにゲイリー・ムーアをあげていたと思う。
4 経済誌に取り上げられるハードロックギタリストも珍しい。
5 今ではベンチプレスで170キロを上げているらしい。

Addicted to That Rush (Mr. Big)

技巧派ギター二人のツインリードは珍しくないが、ギターとベースによるツインリードと呼べるのはこのバンドくらいだろう。ビリー・シーン(B)とポール・ギルバート(G)の組み合わせは圧巻のロックンロール・サーカス。スリリングな掛け合いとハーモニープレイ、まさにギターとベースによる正確無比な速弾きツインリードは、ビジュアル的な見せ方もしっかり心得ていて、観客を飽きさせない。

ポール・ギルバートは、演奏技術的にはなんでもハイレベルにこなすオールラウンドプレイヤーで、リフも切れ味鋭くリズムも正確。HR/HM、ブルーズ、フュージョンまで幅広くこなすセンスも備えている。音が硬質で色気に若干欠けるところは好き嫌いが別れるかもしれない。左手の運指を見ていると、薬指の動き1)が常人離れしている。

ビリー・シーンは、ギター顔負けの速弾きやライトハンドで、ロックベースの概念を変えたベーシストと言えるだろう。バンドのボトムを支えグルーヴを出す役割はしっかりと固めつつ、ここぞというときにアクロバティックなプレイが飛び出す2)。右手は、人差し指、中指に加えて薬指も使った3フィンガー。通常ロックは2の倍数で割り切れる譜割りが圧倒的に多いが、そこを3で割ってプレイしつつ、あの速弾きもこなす。

エリック・マーティンのボーカルは、HR/HMというよりは、もう少しポップス(あるいはR&B)寄りのテイスト3)で、バンド全体の空気を馴染みやすいソウルフルなものにまとめている。

ドラムのパット・トーピーは、繊細で効果的なハイハットワークにコンパクトで切れの良いドラミングでバンドの疾走感を担ってきた。GとBが派手なのであまり目立たないけれどかなりのテクニシャンだと思う。2012年にパーキンソン病を発病、治療を続けながら、サポートドラマーとともにバンドのツアーに帯同していたが、昨日、パーキンソン病による合併症で亡くなったというニュースが飛び込んできた。インタビュー記事やビデオでの優しい笑顔と穏やかな話しぶりが印象に残っている。ご冥福をお祈りします。

1 普通の人なら中指のところをほとんど薬指を使う感じ。どこかのインタビューでは、薬指が弱いので強くしようと練習してるうちに薬指ばかり使うようになったと言っていた。
2 機材もユニークで高音と低音を分けて2系統で出力していたり、ハイフレット部はスキャロップして抉ってあったり。
3 Mr. Vocalistというソロアルバムでは、日本のポップスや女性ボーカルのヒットソングをカバーしている。

I Surrender (Rainbow)

リッチー・ブラックモアといえば、誰もが知るカリスマ的ギタリストであり、ロックにクラッシック音楽的(バッハ的)な音階を取り入れたパイオニアであって、後に続く多くのHR/HMギタリストに多大な影響を与えた。それはわかっているけれど、ギタープレイ自体は、どうも好きになれない。個性的なのはわかるけど、音程も安定しないし、多分にヒステリックで、音もどこかギーギーと神経に触る音だ。

一方、曲作りでは引き出しが多くて、リフやメロディ、曲の構成などにその才を発揮していると思う1)。レインボーは時期によって、指向性や曲調がずいぶん変わったので、人によって好き嫌いが時期ごとに別れる2)。「I Surrender」は、アメリカで売れることを意識していわゆる「売れ線」またはポップ寄りになったといわれる、かなり後期の曲。ボーカルはジョー・リン・ターナー。

この人はとてもいいボーカリストだと思うけれど、そのキャリアを通して、リッチーとイングヴェイにいいように使われる小間使い的キャラがついてしまい、かなり損をしている。実際はそうでないとしても、リッチーの様子を伺いつつ歌っているように見えてしまう。観ているこちらまで、曲を楽しむより先に、リッチーの機嫌の良し悪しを心配してしまい、どうにも落ち着かない3)

とはいえ、HR/HMでは年齢とともに歌えなくなる(高音がでなくなる)ボーカリストが多い中、今もパワーを保っているように見える。ソロ・プロジェクトの「Under Cover」と「Under Cover 2」では古今ロックの名曲をカバーしていて、なかなか聴きごたえのあるいいアルバムだ。

1 もちろんレインボーだけでなくディープ・パープルでも。
2 大別すれば、ロニー・ジェイムス・ディオがボーカルだった時期の中世的様式美ハードロックに始まり、グラハム・ボネットでポップ化し、ジョー・リン・ターナーでポップ路線が継続・発展といったところか。
3 リッチーがいつも不機嫌そうなのは、別にジョーのせいではないのだが。

摩天楼 (メイク・アップ)

Make-Upといえば、聖闘士星矢の主題歌「ペガサス幻想」と言ったほうが通りがいいのかもしれない。元々はジャパン・メタル全盛期の1984年にデビューしたバンドで、ラウドネスの弟分的扱いを受けていたように記憶している。ブレイクし切れなかった感はあるけれど、ヘヴィなギターのリフの上でキーボードが分数系のコードで複雑な響きを出す感じとか、曲作りは結構凝っていた。また、ボーカル・山田信夫の上手さは同時代のバンドの中でも際立っていたと思う。

「摩天楼」はメイク・アップの特長がよく出た曲だ。とくにBメロからサビにかけてがいい1)。このあたりは「ペガサス幻想」にも通じるものがあって、ギター・作曲の松澤浩明のセンスが光っている。松澤は「ペガサス幻想」以外にも数多くのアニソンを手がけている。

87年に解散したMake-Upは2009年に再結成したが、2010年11月に松澤が50歳の若さで亡くなってしまう。Make-Upではバンドサウンドの中で、ギターの役割を過不足なく注入する役割に徹していた感があるので、バンドの枠を取り去って好きなようにギターを弾きまくったらどうなるのか、ソロアルバムをぜひ聞いてみたかったなぁと思う2)

1 サビの歌詞が日本語なのにも好感。当時の日本語ロックは、サビにくると突然中学校の教科書みたいな英語になる曲が少なくなかった。
2 TUBEの春畑道哉のソロ・アルバムみたいな感じじゃないかと勝手に想像してる。

Wanted Dead or Alive (Bon Jovi)

1984年にSuper Rock in Japanで初来日したBon Joviの記事を音楽雑誌で読んだのを覚えている。MSG、スコーピオンズ、ホワイトスネイクといったヘッドライナー級バンドのサポートといった扱いだったが、「若獅子」といった表現でとても好意的に書かれていた。そこから86年リリースの「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」(原題: Slippery When Wet)と88年の「ニュージャージー」(原題:New Jersey)で幾多の大御所バンドを飛び越えて、世界的スターダムに上り詰めるまであっという間だった。

殆どの曲は、ボーカルのジョン・ボンジョヴィとギターのリッチー・サンボラの共作で、この二人の組み合わせがこのバンドの全てといっていい1)。とくにリッチーのコーラスは、ボーカリストが二人いるといっていいほど強力で、他のHR/HMバンドを圧倒する魅力を見せる。ギタリストとしても、アコースティックからエレクトリック、バッキングから印象的なソロまで、どこをとってもハイレベルだと思うが、どういうわけか、ギターヒーロー扱いされない。確かに、技術的難度の高いソロをこれでもか、と繰り出すタイプではないけれど、若干気の毒である2)。「Wanted Dead or Alive」はそのトータルな実力を存分に発揮した曲で、12弦ギターのイントロから、サビのコーラス、ドライブサウンドに変わったあとのギターソロからアウトロまで、リッチーなしでは成立しない曲だ3)

リッチーは2013年頃からバンドを離れてしまったようだ4)。それ以前から、離婚や女性問題、アルコール依存症とその治療だとか、いろいろと身辺が騒がしくなっていたようでもあり、心身ともに無理がたたったのか、なんとなく予兆めいたものを感じていたファンも多いのではないだろうか。オールドファンとしては、できればいつか、もう一度オリジナルメンバーでのライブが見たい。

1 テレビへのゲスト出演やインタビューもこの二人だけ、ということも多い。
2 本人がどう思っているかはさておき、YouTubeのコメント欄を見ても、one of most underrated…というコメントがたくさん並んでいる。ソロアルバムではBon Joviよりずっとブルーズ寄りのプレイを聴くことができる。
3 時期によってコーラスの入り方や二人のパートの歌い分け方が少しずつ違うので、YouTubeでチェックしてみると楽しい。
4 公式なアナウンスはない。

Still of the Night (Whitesnake)

1987年の「白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス」1)を聞いたときの衝撃は鮮明に覚えている。全編、息苦しさを覚えるほどの緊張感と疾走感が続き、ふと気が緩む「捨て曲」みたいなものがない。デイヴィッド・カヴァデールのボーカルは、ブルージーな哀愁を漂わせつつ、圧倒的パワーで魂を鷲掴みにする。ジョン・サイクスのギターは、凍てつく冬のような暗さを湛えて、どこまでもうねり疾走する。聞いた瞬間に、ああこれは歴史に残る名作になるんだろうな、と確信するアルバムだった。

ハードロックバンドには、ボーカルとギターの間にバチバチと火花が散るくらいの緊張感が欲しい。強力なボーカリストには、それに見合うだけのパワーを持ったギタリストが必要だ。その点、カヴァーデルとサイクスはいい組み合わせだった。もちろん両者の力が拮抗すればするほどバランスは微妙になり、結果として短命に終わることが多いけれど(そして事実この組み合わせもそうなったけれど)、それでもその緊張2)だけが生み出せる音楽があるのだと思う。

と、こぶしを握りしめて力説しているそばから、金髪グラマーなお姐さんが出てきて意味不明に踊ったりしているPVはどういうわけだろうか。ホワイトスネイクのビデオの大半はこんな感じで赤面ものなのだが、どうにかならんものか。演奏シーン3)だけで十分格好いいのに。

1 例によって意味不明な日本語タイトルがついている。アメリカ版が「Whitesnake」、ヨーロッパ版は「1987」。
2 2000年代以降(とくにダグ・アルドリッチが抜けてから)は、こういう緊張感はすっかりなくなってしまった。きっと若いギタリストにとってはカヴァーデルが大御所になりすぎ、彼自身も、自分を脅かすほどのギタリストを抱え込むパワーがなくなっているのだろう。
3 「Still of the Night」のPVに出ている面々は、カヴァーデル以外はこのアルバムのレコーディングには参加していない(ヴァンデンバーグは「Is This Love」のGソロで参加)。僕としてはこちらのビデオのメンバーが一番良かったように思う。

Don’t Look Back (Boston)

トム・ショルツには、マサチューセッツ工科大学(MIT)卒業、という肩書がつねについて回る。でもそれは、単に、ロックの世界では相当珍しいバックグラウンドである1)というだけでなく、彼の音楽を正しく形容しているとも言える。

1976年のデビュー・アルバム「幻想飛行」(原題 Boston)の元になったデモテープは、ほとんど彼一人で制作され、信じられないほどのクオリティだったのは有名な話だが、その後のアルバムもほぼ同様で、ボーカルパート以外は彼一人で作っている。完全アナログの時代にあって2)、何重にも音を重ねて重ねて、あの1ミリの隙もない壮大なボストン・サウンドを作り上げるところなど、まさにオタクの極みであって、「MIT」という肩書が実にしっくり来るのである3)

Don’t Look Backは2枚めのアルバムとして1978年リリース。製作期間が短かったせいか、一枚目ほどの緻密さは感じないけれど、アコースティックからハードなディストーションまで全編トム・ショルツサウンドは変わらない。曲の中盤から盛り上がりにかけてヘヴィなギター中心に壮大なオーケストレーションで迫ってくる。特筆すべきはメロディラインの美しさ。ブラッド・デルプ4)の透明で、同時に必要なところではしっかりパワーも出るボーカルとコーラスがそれを見事に活かしている。

日本でボストンのコピーバンドっていままで一度も見たことがない。まずトム・ショルツの音5)を再現するのが一苦労。加えて、Dr、B、G2台、Key(二人?)、ハイトーンボーカル、コーラスと編成が大きくなるから、メンバー揃えるのは至難の業だろう。

1 ブライアン・メイの天体物理学博士と並ぶ。この二人が共通して、緻密なオーケストレーション好きで、機材自作好きというのは偶然ではなかろう。
2 もちろんPro Toolsなんてまだない。
3 2014年10月の来日公演で、MITのロゴ入りTシャツ着てたし。
4 残念ながら2007年3月に自殺でこの世を去ってしまった。
5 エフェクター類もほとんど自作している。昔、Rockmanというブランドで彼の設計したエフェクターやプリアンプなどが販売されていた。使ってみたことがあるが、いきなりあの音が出て驚いた。

More (アースシェイカー)

ギターもそこそこ弾けるようになってきたところで、よし、バンド組もう。メンバーも皆、技術的には同じようなレベルだ。さて、何をやろうか。となったとき、80年代後半のバンドマン(HR/HMバンド)にはピアノでいう「バイエル」1)とも言える選択肢が用意されていた。洋モノならディープ・パープルのSmoke On the Water か Highway Star、和モノならアースシェイカーのMoreである。

80年代は多くの和製メタルバンドがデビューし、人気を博した。その中でも横綱級がラウドネス、Vow Wow、そしてアースシェイカーだったように思う。いずれのバンドも強力な看板ギタリストを擁していたが、その中でもアースシェイカーの石原慎一郎は、メロディアスな泣きのソロと堅実かつ印象的なリフで、ビギナーでも何とかついていけるんじゃないかと思わせるプレイスタイルだった。(ラウドネスの高崎晃は、速弾きとライトハンド奏法を駆使したトリッキーなソロで初心者には弾ける気がしなかったし、Vow Wowの山本恭司はフロイドローズならではの大胆なアーミングと速弾きでこれまたハードルが高かった。)

学園祭に行くと、どこかから必ずこの曲が聞こえてくるくらい、誰もが知っている曲だった。ギター単独で始まる、短調の半音階で下がっていく印象的なイントロはギタリストなら一度は演奏したいと思わせるカッコよさだし、「人を憎む弱さを見た」で始まる歌も、どこかモノクロームの映画の始まりのような雰囲気があった。アースシェイカーの曲は総じて、ゴリゴリのヘヴィメタルよりは、もっと耳馴染みの良いメロディに甘さ切なさをのせた感じで、メタル原理主義に走りがちな当時の若者の中には毛嫌いする奴もいたけれど、そういうケツノアナの小さいやつは放っておけばよろしい。99年に再結成後、オリジナルメンバーで活動している。今年は機会があればライブ行ってみたい。

1 易しい、というよりそれなりにサマになるレベルで演奏できそう、という意味で。