Alone (Heart)

ハート(Heart)は、アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心としたロックバンド。デビューは意外と早く、1976年に「Dreamboat Annie」というファーストアルバムをリリースしている。アン・ウィルソンの歌唱力のみならず、レッド・ツェッペリンの影響を感じさせる音楽性でも注目されたようだが、日本で知名度を獲得したのは、1985年にリリースされ全米1位となった「Heart」というアルバムから。このアルバムはハードロックブームを背景に、売れっ子プロデューサー、ロン・ネヴィソンを迎えて制作され、売れ線ど真ん中といった曲調と音作りでバンドを一気にスターダムに押し上げた。「These Dreams」をはじめ4曲のヒットシングルがリリースされている。続いて87年にリリースされたアルバム「Bad Animals」もほぼ同じ路線で「Alone」1)はこちらに収録されている。

この2枚のアルバムだけを聴いている限りでは、レッド・ツェッペリンの影響は全く感じないし、曲調もありきたりなロックバラードで新鮮味もない。それでも、アンの圧倒的な声域と声量、ソウルフルな表現力、ナンシーの繊細なようでいて姉に負けないパワーのあるコーラスと効果的なアコースティックギターでがっつりとリスナーの耳と心を掴んだと言えるだろう。

80年代のハードロックバンドで女性ボーカルは珍しかった。当時、僕ら学生バンドが曲を決めるとき最大の頭痛のタネはボーカルで、洋モノハードロックをやろうにも、どれもキーがやたらに高く、あの高さでちゃんと歌える男はほぼ皆無といってよかった。かといって女性ボーカルで、ディープ・パープルとかホワイトスネイクを演っても、どうにも違和感が拭えない。その点、ハートなら収まりが良かったので2)、バンドで何曲かコピーしたことがある。

そんなわけで、僕にとってハートは長らくお手軽・お気楽に聴き流すバンドに過ぎなかったわけだが、20年以上経ってそんな認識を根底からひっくり返されることになった。2012年のケネディセンター名誉賞(The Kennedy Center Honors)にレッド・ツェッペリンが選ばれ、記念のライブパフォーマンスとして、アンとナンシーが「天国への階段(Stairway to Heaven)」をプレイしたのだ。これが鳥肌が立つほどの演奏で3)、アン・ウィルソンのボーカリストとしての真骨頂を見せつけられた。このトリビュートバンドでは、故ジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムがドラムスをプレイ。ブルース・スプリングスティーンやジョー・コッカーなどとプレイしたことで知られるギタリストのシェイン・フォンティーン4)が、ジミー・ペイジへのリスペクト溢れる、オリジナルに忠実なソロを聴かせてくれる5)。これを機会に初期や最近のハートを聴き直しているが、80年代のヒット作は彼らのほんの一面に過ぎず、泥臭いほどのロックやブルーズのルーツを色濃く持ちつつ、幅広くパッションに溢れた音楽を聴かせてくれる。もっと早く聴いておけばよかったと思う。

1 この曲はハートのオリジナルではなく、カバーである。
2 バックの楽器隊がつまらないという問題は別にあったけれど。
3 ビデオ(こちら、9:50から)で見ると受賞者席で聴いていたロバート・プラントはちょっと涙ぐんでいるように見える。
4 この人、実はピーター・バラカンの弟である。
5 ギターはもちろんサンバーストのレスポールスタンダード。ちょっともたつき加減に聴こえるグルーヴまで完全に再現していて感涙ものである。

きんぽうげ(甲斐バンド)

甲斐バンドと言われても、若い世代はもうぱっと曲が思い浮かばないかもしれない。でも、きっと「HERO(ヒーローになる時、それは今)」や「安奈」は、どこかで聴いたことがあるはずだ。

甲斐バンドは、ボーカルの甲斐よしひろを中心としたロックバンドで1974年にデビュー。1970年代には、チューリップ、海援隊など、福岡・天神のライブハウス「照和」から多くのミュージシャンがプロデビューしたが、甲斐バンドもそんなバンドのひとつだった。79年にリリースした「HERO(ヒーローになる時、それは今)」が腕時計のSEIKOのCMタイアップと合わせて大ヒット。同じ年の10月に発売された「安奈」のヒット1)と合わせ、人気を不動のものとした。

「きんぽうげ」は、僕が高校一年のときに、同級生と組んだバンドで、はじめて人前で演奏した曲のうちのひとつ。文化祭だったか、何かの校内行事のアトラクションの一部だったと思う。今思えば、みな楽器を始めたばかりで、初々しさだけが取り柄。音作りも、楽器の音量バランスも、なにひとつわかっておらず、せーのでスタートしたら、わーっと最後まで自分のパートを間違えずに弾き通すことくらいしかできなかった。よくぞあれで人前に出たものだと感心する。

初めて生で観たロックコンサートも、甲斐バンドだった。埼玉会館大ホール。スモークの焚かれたステージ、交錯する照明、大音響。16歳の少年にとって、あまりに強烈なインパクトで、その後、高校、大学から今に至るまでバンド活動とギターをこよなく愛するようになった原点はたぶんあそこにある。そのコンサートでも「きんぽうげ」は、たしかオープニングとして演奏されたはずだ。

この曲のギターソロは、今聴いても完成されていて、ヘンにアドリブで変化させる余地がない。このビデオでも、二度目のソロ(半音下げ転調のソロ)ではギター二本でオクターブ違いのユニゾンになっているが、レコードのオリジナルと全く同じフレーズを弾いている。ギターの大森信和2)のソロは、この曲に限らず、ブルージーで印象的なフレーズが多く、曲に変化をつけながらも全体を大きくまとめるような役割を果たしている。ところで、甲斐よしひろも、ギターを弾きながら歌うことも多かったが、彼は左利きで、通常の右利き用のギターをくるりと半回転させてそのまま使っている。そのため、一番太い6弦が一番下側、細い1弦が一番上側になり、右手の弦の押さえ方がかなりヘンテコリンに見える。

1 昔、カラオケでクリスマスソングを何か歌え、ということになって「安奈」を歌ったら、これはクリスマスソングではない、と不評だったのが未だに納得がいかない。れっきとしたクリスマスソングだと思うのだが。
2 2004年に急逝

Reaching Out / Tie Your Mother Down (Queen+Paul Rodgers)

何人たりとも、クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーに代わることはできない。これは誰もが認める事実だろう。歌唱力、声質、カリスマ的エンターテナー性、曲作りの能力。どれをとっても唯一無二であり、クイーンというバンドとその創り出す世界のフロントマンとして絶対的な存在であった。だからこそ、1991年に彼が亡くなった後、クイーンは長らくバンドとしての活動を停止していたし、せざるをえなかったのだと思う。2005年、本当にしばらくぶりにワールドツアーを行うにあたって迎え入れたボーカリストがポール・ロジャースだったというのは、古くからのロックファンにとってはかなり「意外な」人選に映ったはずだ。

ポール・ロジャースは、クイーンに比べれば、日本での知名度はないに等しいかもしれないが、クラッシクロック好きならばたいていの人は知っている実力派ブルーズ・ロックボーカリスト。フリー、バッド・カンパニー、ザ・ファームなどでの活動で知られる。ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデールや、元ディープパープルのグレン・ヒューズのようなボーカリストにとっては、ブルーズとロックを融合させた偉大なる先達といえる。

僕にとっても当初「意外」であり若干「懐疑的」にも思えたこの起用だったけれど、ライブアルバム「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」を聴いて認識を180度改めることになった。僕にとっては、何ならオリジナルよりも好きかもしれない、と思わせるほどに素晴らしい出来だったのだ。鮨とステーキとどっちが美味いかを比べても意味がない。あえて言うならどちらが好きか、くらいしか表現しようがない。例えは少々雑だけれど、同じ理屈で、フレディとポールは、あまりにスタイルが違っていて、お互いを比べても意味がないのだ。フレディが、ヨーロッパ大陸的な、クラッシックやオペラの耽美的な匂いをまとっていた1)のに対し、ポールは大西洋の反対側の、アメリカのブルーズとその英国的解釈としてのブルースロックの土の匂いを持ち込んだ2)。これほど違うボーカリストを立てることで、僕らはフレディへの気持ちをそのままに、「別物」としてポールの歌うクイーンを楽しむことができるようになった。ポール・ロジャースとして唯一無二のボーカルは、クイーンの楽曲を、クイーン自身による別次元の解釈で演奏することを可能にしたのだ。面白いことに、ポールのブルースロック的世界に呼応するように、ブライアン・メイのギターも、どこか普段よりも粘りのあるリズムとノリでプレイされているように聞こえる。

2005年さいたまスーパーアリーナでのコンサートを観に行った。アルバムと全く同じように、静かなオルガンのバックにのせて「Reaching Out」3)が始まる。思わず涙腺がゆるんでしまうほどの、心が締め付けられるようなポールのシャウトが “Are you reaching out for me…” と響き、雪崩のように「Tie Your Mother Down」のハードなイントロに続く。これまで何本のコンサートを観たか数えきれないけれど、ベスト3に入る圧巻のコンサートであった。

1 それがクイーンというバンドそのものでもあったわけだが。
2 そういうクイーンなんて嫌いだという人がいるのもわかる。
3 1996年にチャリティのためにブライアン・メイ、チャーリ・ワッツらによって結成されたプロジェクトRock Therapyでリリースされた3曲入りアルバムの中の一曲。

The 3 Rs (Jack Johnson)

ジャック・ジョンソンは、ハワイ・オアフ島ノースショアの出身。17歳でプロサーファーへの道を歩みだすが、サーフィン中に負った大怪我のためにその道を断念せざるを得なくなってしまう。その後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で映像制作を専攻。ミュージシャンとしてデビューする前に、映像作品として、ドキュメンタリーフィルム「Thicker than Water」を1999年に制作1)している。ミュージシャンとしてのデビューは2001年に自身のレーベルから発表された「Brushfire Fairytales」。

おそらく最も知られたヒット曲は「Better Together」2)だろう。彼の曲は、フォーク・ロックやブルーズ的なコード使いをしつつ、ハワイ出身らしい肩の力の抜けた、大自然に寄り添うような、穏やかなトーンとスタイルで、聴く人をほっとさせる。僕も夏になるとクルマの中でよく聴いている。アコースティックのイントロが流れたとたんに、フロントガラスの向こうの蒸し暑くギラついた東京の夏が、こころなしかハワイっぽく爽やかなものに見えるのが不思議だ。こういう独特な空気感は、石垣島出身のBeginをはじめとする沖縄のアーティストが持つ空気に似ている。

「The 3 Rs」は、映画「Curious George」3)のサウンドトラック「Sing-A-Longs and Lullabies for the Film Curious George」(2006年リリース)に収められている。この曲は、「Schoolhouse Rock!」というアメリカ版「みんなのうた」のような番組で放映された「Three is a Magic Number」という曲の、ジャック・ジョンソン版替え歌。子供向けに「3つの大切なR」を教える歌で、3つのRというのは、Reduce(減らして)、Reuse(再利用して)、Recycle(リサイクルする)のこと。オリジナル曲の「不思議な数字=3」のからめ方がやや強引な気もするけれど(3が2つで6、6が3つで18、アルファベットの18番目はR)、3つの「R」にもっていく歌詞がどこか可笑しくてほのぼのとさせる。

「Curious George」のサウンドトラックには、もうひとつ「The Sharing Song」というタイトルの、「みんなで分ければもっと楽しい」という、やはり子供向けのメッセージソングが収録されている。これが実に格好いいブルーズで、後半のコーラスパートに子供たちの声が入っていたりしてすごく素敵な曲に仕上がっている。いつか自分のバンドで、もうちょっとヘヴィにアレンジしてコピーしてみるのも楽しそうだ。この曲は、ジャック・ジョンソンのバンドのドラム Adam Topolと、アコーディオン&キーボードの Zach Gillが作っている。

1 サウンドトラックも自身のオリジナル曲。
2 2005年3月発売の3枚目のアルバム「In Between Dreams」に収録。
3 日本語タイトルは「おさるのジョージ」。ただ、僕らの世代には、最初に出版された翻訳絵本についていた「ひとまねこざる」という題名のほうがしっくりくる。

STAY (GIANT)

GIANTは87年結成のハードロックバンド。89年に「Last of the Runaways」、92年に「Time to Burn」というアルバムを発表しているが、日本での知名度はごくごく限られたものだと思う。人気セッションギタリストのダン・ハフが結成したバンドで、彼のギターがこのバンド最大の魅力だ。レコーディング・ミュージシャンとしては、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソンからケニー・ロジャース、ジョージ・ベンソン、エイミー・グラントまで、ジャンル横断的に幅広くプレイしており、その人気・実力のほどが伺える。ハードロックのジャンルでは、ホワイトスネイクのアメリカ版「Here I Go Again」のギターは彼が弾いている。

GIANTの曲では、ハードロックらしい、伸びのあるディストーションサウンドを基調としながらも、随所でスタジオマンらしい引き出しの広さを見せる。基本になるオーバードライブが美しく、音の分離がよい。歪みすぎてつぶれたりゴリゴリしたりせず、複雑なコードで音を重ねても濁って聞き取りにくくなるということがない。そこにクランチ(ごく軽くオーバードライブがかかる音)、クリーン(全く歪みのない音)が適材適所に使われて、硬軟取り混ぜた幅のあるプレイを聴かせてくれる。ピッキングの粒立ちのよさとリズムの良さも特筆すべきだろう。遅めのフレーズでも速弾きフレーズでも、音の一つ一つがくっきりと立ち上がり、すべての音符が明確な「意図」をもってプレイされているようで、惰性に流れた音がない。リズムも走ったりもたついたりせず、かといってメトロノームのように無機的なものでもなく、しっかりうねり(グルーヴ)をつくりだしている。こういった特長は、スティーブ・ルカサー、マイケル・ランドウにも共通していて、スタジオミュージシャンとしてやっていく上で欠くべからざる資質なのだと思う。

この「Stay」という曲でも、わずかにスライドさせているような出だしのリフがまず格好良い。ギターソロでは、冒頭部分のフロイドローズ・トレモロならではのニュアンスの付け方や、左手のスライド、後半部分の速弾きフレーズなどハードロックギターのお手本のようなテクニックを使いながらスケールの大きなソロに仕上げている。(ビデオは80年代MTVによくあったヘンなつくりで、今見るとちょっと滑稽だ。本人はPRSのギターを抱えているが、たぶん見栄えのために撮影用に持たされただけではないかと思う。)

GIANTは、このあと2枚アルバムが出ているけれど、バンドとしては成功していない。ダン・ハフ自身がボーカルも兼任しているけれど、やはりボーカリスト専任で尖った特徴のあるメンバーを別に入れるべきだったように思う。きっと本人が歌にも自信があり、かつ、やりたかったのだろうと思うけれど、バンドというよりはセッションギタリストのソロアルバムの域にとどまってしまい、期待をいい意味で裏切るようなものにはならなかった。

2000年代以降は、すっかりカントリー・ミュージックに軸足を移してしまい、ロックの世界では、ギタリストとしてもあまり名前も見なくなってしまった。でも、Youtubeを見ていると、最近でもGIANTとしてたまにライブもしているようなので、ロックの世界でも、また格好いいギターを聴かせてほしいと願っている。

フレンズ(レベッカ)

レベッカは、1984年デビュー。85年にリリースした4枚目のシングル「フレンズ」と同曲を収録した4枚目のアルバム「Rebecca IV – May be Tomorrow – 」で大ブレイクする。デビュー曲「ウェラム・ボートクラブ」では、木暮武彦1)のギターがドライブするロック色の強い曲調だったが、2曲めの「ヴァージニティ」以降は、キーボードの土橋安騎夫中心のサウンド作りにシフトしていく。

女性ボーカルのロックバンドは、ともすると、そのボーカルにだけスポットライトが当たり、他のメンバーは単なるバックバンドとして「その他大勢」的な受け止められ方をすることが多いため、バンドとして一体感を保って活動していくのは難しい側面がある。レベッカでは、キーボーディストがメインのコンポーザー兼バンドリーダーとして全体をまとめることで、バンドとしてのアイデンディディを失わずに活動できたのだと思う。

NOKKOのボーカルは、小柄な身体から危うささえ感じさせるパワーとパッションが溢れ出すようなスタイル。歌詞の世界も、可愛らしさ、はかなさ、ずるさ、切なさ、脆さ、悲しさ、不器用さといった女性の感情2)を生き生きと表現している。

キーボードは、80年代ポップスの王道とも言えるシンセサイザー中心のサウンド。そこに歪み系のギターが、メロディの隙間を埋めるようなカッティングやリフでロック色を加える構成になっている。「フレンズ」は中間部のギターソロが絶妙なフレージングで曲全体を引き締めていて、サビのボーカルへの橋渡しも見事だ3)

レベッカというバンドは、僕にとっては同時代ど真ん中のバンドだった。86年に早稲田大学の学園祭、文学部キャンパスで行われたシークレットライブのときにも、偶然すぐそばにいて、間近で見ることができた4)。2015年8月19日に横浜アリーナで行われた再結成ライブにも行った。実を言えば、NOKKOの歌い方がソロ・アルバムでは80年代レベッカのときとはかなり変わっていたのでどうかな、と思っていたのだが、それは杞憂に終わった。かつてのストレートなパワーは、円熟味とブレンドされて、今のNOKKOが存分に表現されていたし5)、全盛期のメンバーで構成されるバンドの演奏も、タイトであると同時にベテランらしい深みを加えていて、聴き応えのある2時間だった。

1 レベッカ脱退後はRed Warriorsを結成。
2 たとえばプリンセス・プリンセスの歌詞世界が、どちらかといえばポジティブな雰囲気をまとっているのとは対照的に、NOKKOの歌詞はいつもどこかに翳がある。
3 たぶん、当時からレコーディングをサポートしていた是永巧一のプレイなのだと思うが、この曲のリリース時のメンバーだった古賀森男が弾いている可能性もある。
4 僕が所属していた音楽サークルがちょうど文学部キャンパス内でライブをしていた。体育館前の広場にステージが組まれているのを何気なく見ていたところ、ロートタムを使った特徴的なドラムセットを組んでいた。これは小田原豊のセットだと気づいて待っていたら、予想通りレベッカのシークレットライブが始まった。
5 当時そのままを期待したファンにはちょっと不満が残ったかもしれないけれど、昔のようなストレートな発声と、今の少し抑えたような歌い方が一曲の中でさえくるくると入れ替わって面白かった。

Photograph (Nickelback)

ニッケルバックはカナダのバンドで、95年にチャド・クルーガー、マイク・クルーガー、ライアン・ピークの3人を中心に活動開始。99年にメジャーデビュー後、全世界で5,000万枚以上のアルバムセールスを誇る人気バンドではあるが、日本での人気はまだそれに見合ったスケールには達していないと思う。今年(2018年)のサマソニに出演したし、来年2月には久しぶりの単独来日公演も決まったようなので、遅ればせながら、ここに来て人気が盛り上がりつつあるのかもしれない。

「Photograph」は2005年の曲。僕が聞き始めたのもこの曲がきっかけで、チャドの野太いボーカル1)と美しいメロディが強く印象に残った。ポスト・グランジ、あるいはオルタナティブロックにカテゴリーされることが多いけれど、そこまでゴリゴリとエッジの立った、あるいは、荒削りなテイストではなく、叙情的ともいえる美しいサビのメロディとコーラスは誰にとっても聴きやすいロックだと思う。アメリカで言えば、むしろJourneyとかBon Joviに近いのではないか。とはいえ、グランジやオルタナティブに思い入れを持つ人には、その「わかりやすさ」が過剰な「売れ線」狙いに見えるようで、大量のアンチを生み出している2)のに加え、チャドが「炎上上等」的なコミュニケーションでそこで火に油を注ぐのも、もはやこのバンドの特色とさえいえる。

「売れ線」と言われようが、メロディの美しさとボーカルの力強さ、コーラスの美しさはこのバンド最大の魅力だろう。バンドサウンドはタイトで引き締まった音作りをしており、ギターもがっつり太いディストーションサウンドとアコースティックをうまく組み合わせている。でも、ギターソロやスリリングな掛け合いはほとんどないに等しく、80年代のハードロックファンとしては、そこがどうしても物足りない点であり、今ひとつのめりこめない原因でもある。

1 発声の仕方が、爆風スランプのサンプラザ中野にちょっと似てる。よくこの声の出し方で潰れないなと感心する。
2 Barksの記事によると、カナダの地方警察署が2016年のクリスマスに、「飲酒運転で捕まえたらバツとして刑務所に向かうクルマの中でニッケルバックを聴かせる」とFacebookに書き込んだりしたらしい。

Who’s Crying Now (Journey)

ニール・ショーンは、僕がエレキギターおよびハードロックにどっぷりとハマるきっかけとなったギタリストのひとりだ。初めて聴いたのは高校生の頃、81年の世界的ヒットアルバム「エスケイプ」。「オープン・アームズ」1)や「ドント・ストップ・ビリーヴィン」2)など今も演奏される名曲満載のアルバムだが、この中に収録されている「時の流れに」(Still They Ride)のギターソロを聴いて、おお!なんだこりゃ!と引き込まれた。

世界的な人気を獲得した「エスケイプ」とそれに続く「フロンティアーズ」の成功は、しかしながら、皮肉なことに多くの「アンチ」も生み出すことになり、売れ線すぎるだの産業ロックだのとその後長々と批判されることになった3)。そんな中でも、ニール・ショーンのギタープレイは、今に至るまで全くブレることなく、美しいオーバードライブサウンド、楽曲の鍵となる印象的なスローフレーズと時折繰り出される超高速の速弾きの組み合わせ、ドライブ感あふれるバッキング・リフとボーカルの合間に挿入される格好いいオブリガートを聴かせてくれる。

「クライング・ナウ」(Who’s Crying Now) は、雰囲気のあるピアノのイントロで始まるミディアム/スローテンポの曲。ギターソロは曲の終わりにアウトロとして出てくる。ソロの最初の繰り返しフレーズがとても印象的で、曲名は知らなくても聴けばわかる人も多いのではないだろうか。スタジオ録音ではかなり抑えたプレイが収録されているが、ライブでは自由奔放に指の走るままに弾きまくっていて格好いい。

ジャーニー、とくに「エスケイプ」以降のアルバムでのプレイは、バンドサウンドでのギターの役割を相当意識していて、「俺のギターを聴け」的に突出しないように注意を払っている印象がある。けれど、15歳でサンタナに見出されてプロデビューした才能はダテではなく、音楽的な引き出しの広さと深さは驚異的で、ラテンっぽいノリから、ブルージーなもの、ハードロックの王道的なもの、さらにはジャズ・フュージョン的なアプローチまで何でもできる上、全て「ニール・ショーン節」に溢れているのがスゴイ4)

当日配布していたカイロ。ベタすぎるダジャレに脱力。

2017年2月7日に武道館で行われた特別公演(『エスケイプ』『フロンティアーズ』の全曲演奏)に行ったが、予想以上に素晴らしい演奏5)でビックリした。ニール・ショーンのいわゆる「手くせ」のような速弾きフレーズもほぼ完璧に再現していて、あー適当に弾いたわけじゃないのね、と今更ながら感心。現ボーカルのアーネル・ピネダは、スティーヴ・ペリーを忠実になぞって原曲の雰囲気を損なわないようにしつつも、若さ6)ならではのパワーが加わり、文句のつけようのない出来だったと思う。

1 マライア・キャリーもカバーした。
2 映画化もされたブロードウェイ・ミュージカル「ロック・オブ・エイジズ」はこの曲が主題になっている。
3 「産業ロック」という言葉は渋谷陽一が使った悪口だが、アメリカでもロックバンドとしてはなかなか正当に評価されなかった。しかし、ついに昨年(2017年)ロックの殿堂入りを果たした。
4 ジャーニー以外では、サミー・ヘイガーとのプロジェクトで、HSAS名義で作ったアルバム(『炎の饗宴』原題:Through the Fire)、ヤン・ハマーとのソロアルバムなどがオススメ。またヘヴィメタル版「ウィ・アー・ザ・ワールド」とも言える「Hear’n Aid」でのギタープレイも貫禄に溢れている。
5 ドラムにスティーブ・スミスが復帰して、Voのアーネル・ピネダ以外はアルバム発売時のオリジナルメンバー。
6 まぁ、若いって言ってもアーネルももう50歳。ジャーニーに加入して早くも10年が経つ。

レ・ミゼラブル

子供の頃から長い間、ミュージカルに無関心というより積極的に敬遠してきた。大げさな衣装とメイク、大仰な振り付けとヘンに物語調の歌詞。あんな気恥ずかしいものを見るヤツの気がしれぬ、と思っていた。

ところが、20代の終わりにニューヨーク・ブロードウェイで「レ・ミゼラブル」を見て、うわ、何だこれ、すごい!と目からうろこが落ちた。ごっそりと落ちた。ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」1)(Les Misérables)を原作に、キャメロン・マッキントッシュが制作、クロード=ミシェル・シェーンベルクとアラン・ブーブリルのコンビが作曲・作詞を手がけた傑作ミュージカルだ2)。ちなみに、2012年にヒュー・ジャックマンが主演した映画「レ・ミゼラブル」は、オープニングの設定など細かいところに多少の違いはあるが、このミュージカルの映画版である。

物語の主人公は、ジャン・バルジャン。19年の服役から仮釈放されたものの、前科者として世間から受ける冷たい仕打ちに耐えかねて、彼は教会から銀の食器を盗んでしまう。再び憲兵に捕らえられるが、教会の司教は「食器は彼に与えたものだ」と嘘をついて庇い、さらに2本の銀の燭台も彼に与え「この銀の燭台であなたの魂を神のために買ったのです」と諭す。バルジャンは司祭の気持ちに打たれ、真人間として生きていくことを決意する。そのバルジャンを執拗に追うジャヴェール警部。そこに、フォンティーヌ、その娘コゼット、テナルディエ夫妻とその娘エポニーヌ、マリウスや社会正義に燃えて革命に立ち上がろうとする若い貴族達が交差し、人が生きる意味、愛、情熱、階級と社会、成功と没落、神との対話など深淵なテーマを扱う大河のごとき物語が展開する。ユゴーの原作は、あまりに長く、飽きずに読み通すのは至難の業だと思うけれど、ミュージカルはそのエッセンスをうまく抽出して全く飽きさせない。

舞台装置やその転換の妙、演出の巧みさなど語ればキリがないけれど、何よりも素晴らしいのはその楽曲だ。メロディのシンプルな美しさは見事で、いくつかの共通のモチーフが、まったく異なるシーンで、調やアレンジを変えて何度も現れ、全体の統一感と変化をうまくバランスさせ、場面の意味づけを際立たせる。

94年にブロードウェイで初めて見てから、ブロードウェイで15回以上、ロンドンで5、6回、日本で1回、合わせて20数回はこのミュージカルを見たことになる。これだけ繰り返し見ても、全く飽きることがない。ほぼ全編諳んじて歌えるくらい全ての場面を詳細に覚えているにもかかわらず、いまだに、見ていると何度かじわっと涙ぐむ。まさにパブロフの犬である。あるシーンになると決まって涙が溢れて舞台が霞んで見える。メロドラマを見て毎度毎度泣くおばさんをバカにしてきたが、人のことは笑えない。涙をながすこと、とりわけ自分のことでなく他人のことで涙を流すというのは、経験してみると、なかなかに気持ちのよいものだということがわかる。

好みで言えば、ロンドン公演のほうがブロードウェイ公演よりもよいと思う。ブロードウェイでは、細かな演出や出演者の演じ方・歌い方が、なんというかアメリカ的にストレートすぎて翳がない3)。やはり原作がフランスの物語だけあって、ヨーロッパがその歴史の中で宿命的に抱え込んだ屈折や暗さがこのミュージカルには欠かせない薬味になっていて、ロンドン公演の出演者や演出は、その効き具合が絶妙である4)

1 古くは黒岩涙香の「あゝ無情」の翻案で認知されていたように思うが、最近はすべてこのカタカナ書きになっている。
2 英語版の制作より前に1980年に原型となるミュージカルがパリで初演されているようだ。ロンドン・ウェストエンドでは85年に初演、ニューヨーク・ブロードウェイが87年。
3 同じ制作陣がつくった「ミス・サイゴン」はベトナム戦争をテーマにした物語のせいか、ブロードウェイのほうが良かった。こちらも楽曲が素晴らしい。
4 2012年の映画版はヒュー・ジャックマンとラッセル・クロウというオーストラリアの二大スターをキャスティングしている。本格的に歌える俳優の選択肢が限られるということもあるだろうけれど、英連邦出身の役者を使ったところは興味深い。

If Not For You (Bob Dylan)

ボブ・ディランといえば「風に吹かれて」(Blowin’ in the Wind)、「天国への扉」(Knockin’ on Heaven’s Door)、「ライク・ア・ローリング・ストーン」(Like a Rolling Stone)といった名曲とともに、まだ存命中でありながらすでに半ば「伝説」となったミュージシャンだ。2016年にミュージシャンとして初めてノーベル文学賞に選ばれ、受けるのか受けないのか世間をヤキモキさせたが、無事(?)受けとったのも記憶に新しい。
とはいえ、僕は彼のアルバムを通して聴いたことはなく、上記の有名な曲も、ディランのオリジナルというよりは、他のミュージシャンがカバーしたものを聴いたのが最初だったりする。彼の生の姿をとっくりと見たのは、85年のUSAフォー・アフリカのチャリティプロジェクトでリリースされた「ウィ・アー・ザ・ワールド」のサビ部分を歌う姿だった。

「イフ・ノット・フォー・ユー」(If Not for You)という曲は、個人的にとても思い出深い曲だ。ニューヨーク駐在時代にお世話になったアメリカ人の先輩記者が、僕の結婚式のパーティで歌ってくれた歌だから。もう25年も前のことになる。彼はビートルズ、とりわけジョージ・ハリスンの大ファンで、それほどビートルズに熱心でなかった僕を、彼いわく、「音楽的に正しく」導かんとして、ハリスンのギターがいかに素晴らしいか、彼とクラプトンやボブ・ディランなどとの音楽的交流がいかに豊かなものだったか、といったことを事あるごとに語った。残念なことに、彼の「導き」は成功したとは言い難いのだが、それでも、ハリスンのギターに親近感を抱くようになったのは間違いなく彼のおかげである。

結婚式のパーティでは、僕と二人の弟が入ったバンドをバックに、彼がこの曲を歌った。ぶっつけ本番でいざ演奏を始めてみると、彼がすごく当惑して歌いにくそうだ。それを見た僕らも当惑して顔を見合わせつつ、ぐだぐだのままなんとか演奏を終えたのであった。実は、この曲にはいくつかバージョンがあり、彼がもともと意図したのは、ジョージ・ハリスンのバージョンだったが、僕らバックバンドはボブ・ディランのオリジナル・バージョンを練習して準備していたのだ。あとで聴き比べてみると、ハリスン版の方はテンポがかなりゆっくりで、より甘くメロディアスな仕上がりになっており、ディラン版のちょっと放り投げるような演奏とはずいぶん違うのであった。

この一件は、長いこと笑い話として、会えば必ず話のネタになった。去年の秋にも「もう一回どこかで演奏しよう。今度こそ、ハリスンバージョンだぞ」と言って笑った。でも、彼はその冬に突然この世を去ってしまった。まだ60になったばかりだった。