わたしの土地から大地へ

「わたしの土地から大地へ」 セバスチャン・サルガド、イザベル・フランク著 中野勉訳 (河出書房新社)

サルガドの写真展「Workers1)を見たときに受けたショックはいまだに忘れられない。露天掘りの金鉱で全身泥にまみれアリのように土塊を担いで斜面を運び上げる無数の労働者、湾岸戦争で破壊されコントロールを失って燃え盛る油田のバルブを閉じようとする特殊作業員、鉄工所の溶鉱炉のすぐそばで作業する人々、炎天下サトウキビを手作業で刈り入れる農場労働者。想像を絶する厳しい環境で肉体労働に従事する人々を切り取った写真でありながら、画面の隅々まで美しく、気高く、荘厳で、人間という存在そのものの有り様がそこに映し出されている。モノクローム(白黒写真)による写真表現のひとつの完成形と言えるのかもしれない。

中南米、アフリカを主なフィールドとし、5年からときには10年以上に渡る「プロジェクト」としてテーマを追いかけるスタイルで撮影を行う。これまでに、「Workers」のほかに、難民・移民をテーマにした「Exodus」、サハラ砂漠以南の旱魃を扱った「Sahel」、原始の自然の美しさを捉えようとする「Genesis」などのプロジェクトがある。

経済学の博士号を持ち、国際コーヒー機構でエコノミストとして働いた経験があり、フォトジャーナリズムをその基礎としているだけに、撮影対象には温かくも冷徹な眼差しが注がれており、感情や情緒に過度に流されることがない。いわゆる先進国で暮らす我々が通常目にすることのない極限といっていい風景・光景を切り取りつつ、その絵の特異さ・強烈さに頼ることなく一幅の絵として芸術表現の高みに昇華されている。

本書はサルガドの自伝であり、子供の頃の思い出、写真家への転身、どのようにテーマを選び、どう撮影するかといった過程、そして故郷の農園とその周辺の自然を再生するプロジェクトなどが、率直なトーンで語られている。常に母国ブラジルの多様性と子供の頃身の回りにふんだんにあった自然の美しさを基準点としながら、撮影対象に敬意を払い、真摯に向き合う姿勢に感銘を受けるだろう。

ヴィム・ヴェンダースとサルガドの長男、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドが監督したドキュメンタリー「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」2)は、サルガドのこれまでの半生を縦糸に、「Genesis」プロジェクト3)と故郷の農場再生を横糸にまとめたもので、サルガドが実際にどのように撮影しているのかが垣間見えてとても興味深い。

1 写真集の日本語タイトルは『人間の大地 労働』
2 近年稀に見るヒドい邦題がついているが、原題は「The Salt of the Earth」(地の塩)という聖書の一節がつけられている。
3 ルワンダ内戦とその後の難民の苦難を撮影し続けて心身ともに疲れ切り、病んでしまったサルガドが、自らの回復のためにもはじめて人間のいない「自然」をテーマに選んだのが「Genesis」であるようだ。

御馳走帖

「御馳走帖」
内田百閒著 中公文庫・中央公論新社

数ある内田百閒の随筆本の中で、「御馳走帖」は最も好きなものの一つだ。彼のちょっとズレてトボけた感覚が遺憾なく発揮されていて、収録されているどの小品を読んでもどこか可笑しい。大笑いというのではなく、読みながらふっと可笑しみが腹の中に動く感じ。百閒は、今風にいえばやや「天然ボケ」の人で、本人は大真面目に書いているように見える。ウケを狙いにいっている訳ではないと思うのだが、そのあたりも飄々としていてよくわからない。

「御馳走」といいながら、食事というよりは、おおむね酒肴もしくは酒の話である。戦前、戦中、戦後に渡って、思い出話あり、近時の話あり。いろいろと深くこだわっているようでいて、実はそれほどでもない。かと思うと、突然、いけしゃあしゃあと次のように述べたりする。

さて、この拙稿を読んで下さつた読者に一言釈明しなければならぬと思ふのは、酒歴を述べるのだからお酒の話ばかりで、読んだ目が酒臭くなるかも知れないがそれは看板に掲げた事だから仕方がないとして、ただ四十年五十年にわたるお酒を談じながら、何の椿事も葛藤も起こらず、人の出入りも女出入りもない。なんにもなくて、つまらないと思はれたなら、それは即ち私のお酒のお行儀がいい事を示すものだと云ふ点をお汲み取り願ひたい。(「我が酒歴」)

文章表現がなんとも魅力的で、つい真似したくなる言い回しが随所に出てくる。「三鞭酒」、「誂える」、「ソップ」などの言い回しに、町田康ファンなら、彼が内田百閒から深く影響を受けているのが即座にわかるはずだ。

百閒に興味を抱いたら、「イヤダカラ、イヤダの流儀 内田百閒」(別冊太陽・平凡社)も良い。豊富な写真で著者の人となりと作品世界のイメージが具体的につかめると思う。

ところで、本書で、シャンパンとおからが合うと言っている(「おからでシャムパン」)。試してみようと思うけれど、単に百閒がおから好きなだけのような気もしている。

マッティは今日も憂鬱

「マッティは今日も憂鬱 フィンランド人の不思議」

カロリーナ・コルホネン著 柳澤はるか訳 (方丈社)

日本人が一般にぼんやりと抱く「欧米の人」のステレオタイプは、英語を話し、周りに同調することなくYesだろうがNoだろうがはっきり自分の意見を言い、外向的で快活な人々、あたりではなかろうか。20年以上アメリカ企業で働いてきた経験からすると、相当にステレオタイプ化された見方ではあるけれど、まぁ確かにアメリカ人にそういう人いるね、という感じである。一方、「欧米」の「欧」の部分は、友人、同僚、知り合いから判断するに、実は「米」とはかなり趣を異にしていて、たとえば同じ英語圏の英国であってもだいぶ違う。ましてやフランスやドイツとなると、それぞれにもっと違いは大きくなる。ただ、グローバル化のご時世で、「欧」出身であっても出世するやつほど「米」的なキャラを前面に出していたりするのでややこしい。

フィンランドについては、北欧にあって寒くてサウナが名物ということ以外には、ほとんど何も知らないに等しい。フジヤマゲイシャ並の貧弱な知識である1)。だから、何も知らないままに、フィンランド人もステレオタイプ的「欧米」のくくりだろうと思いこんでいたが、本書を眺めているとそれが全くのお門違いだとわかる。「こういうのって欧米だと理解されないんだよ」なんて日本人特有のように思ってた心の機微は、実はその多くを、フィンランドの人々も同じように感じてたのだ。マッティの「憂鬱」は、どこかで祖先が-それもひい爺さんとかその一つ上あたりの近いところで-つながっているんじゃないかっていうくらいに、うーん、わかるわかるの連続なのである。

本書はもともと「Finnish Nightmares」としてネットで公開されていたものが人気になって書籍化されたものだ。コミックというより、「こんなのって憂鬱だよね」という日常の些細な一コマをマッティというキャラクターに仮託して描く形式になっている。日本語訳もこなれていて、たとえば「Nightmares」を「悪夢」なんて訳すと強すぎるけれど、うまく「憂鬱」という言葉をあてはめて、ニュアンスを上手にひきだしている。

以前感想を書いた「内向型」の人についての本にもあったけれど、アメリカ人ですら外向的で賑やか好きという人ばかりではない。物静かに、他人とは距離をとって、心穏やかに暮らしたいと思う人は、洋の東西を問わず、目立たないだけできっとたくさんいるのだ。僕もその陣営に与するものだけれど、こういう本を見るとちょっと勇気づけられて、毅然として穏やかに、堂々と控えめに生きていこうと思う。あと、フィランドにもぜひ行ってみたい。

1 ITに詳しい人ならノキアとLinuxを思い浮かべるかもしれない。まぁそれを入れてもフジヤマゲイシャソニートヨタくらいのもんではあるが。

死言状(山田風太郎)

「死言状」山田風太郎著(筑摩文庫)に面白い一節があった。「死言状」は94年の発行。すくなくとも25年以上前に書かれたエッセイの一節である。

八十、九十の翁や嫗は、みな脱俗の仙人か福徳円満の好々爺になるかというと、聖マリアンナ医大教授、日本老年社会学会理事の長谷川和夫博士の言葉の大意を紹介すると、
「私、最初老人というのは、温厚でいつもニコニコと柔軟性があって、あまりストレスもない、というような理想的な人ではないかと想像していたら、決してそうじゃない。そこで感じたことはみな我が強いということ。ただ性格が強いから長生きしたのか、長生きしたから性格が強くなったのか、そこはむつかしいところですが」(『 病気とからだの読本』)
読んで私は破顔するとともに、さもあらんと思った。最後の疑問はおそらく前者だ。
心やさしい人々は早く死んでゆく。それをおしのけ、踏みつける我の強い人が、そのバイタリティのゆえに長生きしてゆくのだ。

2016年のデータによると、日本人の男性の平均寿命は80.98歳。女性にいたっては87.14歳。平均でこんなに長く生きるのだから、性格にかかわらず、今では誰も彼もみな80歳、90歳になるとなれば、山田風太郎の見立てとは逆に、「長生きしたから性格が強くなった」という方を採りたくなる。昼日中の街中でよく見かける老人(とくに爺さん)を見ていると、実態としては、長生きしたために柔軟性を失って、ストレスに弱くなり、わがままになる、というのが正解ではなかろうか。もともと我の強い連中は、これに輪をかけて、我欲に執着して醜態を晒す。日大アメフト事件や企業のトップ人事のゴタゴタなど、そのサンプルには事欠かない。

もちろん自分もそうならないとは限らない(まぁ権力はないから、そこは心配いらないけれど)。将来の戒めとしてここに一筆。

マカロニほうれん荘原画展

先日、中野ブロードウェイの「Animanga Zingaro」で開催中の「マカロニほうれん荘原画展」へ行った。中野駅北口からサンモールという狭い屋根付きの商店街を通り抜けて、中野ブロードウェイへ。数十年ぶりに行ったけれど、相変わらずの魔窟っぷり。サブカルチャーのごった煮をさらに煮詰めたような場所だが、会場はこの2階にある。

以前のエントリーで「マカロニほうれん荘」について書いた。マンガのレビューを書くのも野暮だと思ったけれど、僕にとっては何せ大きなインパクトを残した作品なのだ。この原画展に行ってみて、このマンガがいかに「ロック」だったのか改めて思い知ることになった。

SGのダブルネックを持ったジミーペイジはよくモチーフとして使われた。
最後のふたコマにつながるリズム感がもう最高

会場には、BGMとして、著者の鴨川つばめが選んだロックの名曲が流れていて、そのプレイリストには、AC/DC、シン・リジィ、クイーン、UFO、スコーピオンズ、アイアン・メイデン、タイガース・オブ・パンタン、ヴァン・ヘイレン、ハート、エアロスミス、キッス、グランド・ファンク・レイルロード、サンタナ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、レインボー、ブラック・サバス、ジミ・ヘンドリックスなどなどなど…70年代のハードロックばかりがずらり。登場人物をつかったイラスト作品にも、そういったアーティストをモチーフとした作品がたくさん。

シン・リジィ「ライヴ・アンド・デンジャラス」ジャケットのパロディ

小学生でこのマンガを読んだときには、その5年か6年あとに、自分も、総司やトシちゃんみたいにエレキギター抱えてコピーバンドやるなんて思いもしなかった。このマンガと西城秀樹による早期教育が、のちに大学生になってハードロックに青春を捧げる下地となっていたわけだ。

アグルーカの行方 – 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

「アグルーカの行方 – 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極」角幡唯介 著 (集英社)

1845年から48年にかけて、英国のジョン・フランクリン率いる129人の探検隊が、英国からグリーンランドを抜け、カナダの北極圏を探査する旅に出た。そのミッションはヨーロッパから北回りにベーリング海峡を経て太平洋に抜ける航路(北西航路)を発見することであったが、航路の発見は果たせず、129人全員が死亡したとされる。

「アグルーカ」とはイヌイットの言葉で「大股で歩く男」の意味。フランクリン死亡後に隊を率いて北極圏からの脱出を図ったフランシス・クロージャーはイヌイットから「アグルーカ」と呼ばれていた。口承されてきた目撃談によれば、彼と二人の従者は最後まで生き残り、母国に帰るべくツンドラと湿地の不毛地帯を抜け、ハドソン湾交易所まで南下しようとしていたという。

本書は、著者の角幡唯介が荻田泰永1)とともに、カナダ北極圏のレゾリュート湾からツンドラ地帯にあるベイカー湖まで、フランクリン隊の足跡をたどるように3ヶ月以上にわたり1600キロもの徒歩行をした記録である。旅の前半は、フランクリン隊の船が氷に囲まれて動けなくなり、多くの隊員が死亡したキングウィリアム島まで、後半は、フランシス・クロージャーが辿った可能性の高いルートを探しながらツンドラ・湿地地帯をベイカー湖までという構成になっている。

フランクリン隊の遭難を扱った記録を古くから丹念に当たった上で旅のルート取りがされていて、零下30度から40度にも下がる酷寒の厳しい環境を旅する著者ら自身の体験から、160年前のフランクリン隊の苦難を見事に浮かび上がらせている。とはいえ、旅はフランクリン隊全滅の謎2)を解明しようとするものではなく、同じルートを旅することで、フランクリン隊と最後まで残されたフランシス・クロージャーが、現場で何を思い感じたのか、またなぜそこに挑もうとしたのかを追体験することに重きが置かれている。寒さや行く手を阻む氷との闘い、白熊や野生動物、疲労と飢餓感など現場に身を運んだ者だけが描きうるリアリティが読む者を強く惹きつける。

一方で、地図とGPSを使う旅が、地図もなく先が読めない状態で彷徨ったフランクリン隊に比べて、「冒険」を本質的に異なるものにしてしまうこと、また、他人の冒険行をトレースしようとする旅がどうしても予定調和的なトーンをはらんでしまうことに対し、著者は否定的な立場をとる。「前人未到」で先が読めないヒリヒリした感触こそが、人が「生きる」意味を実感するための冒険には欠かせないという認識が、著者の次の冒険となった「極夜行」に繋がることになる。

2013年第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。

1 極地探検家。2018年1月6日(日本時間)には、日本人初となる南極点無補給単独徒歩到達に成功。
2 壊血病、不良品の缶詰による病気、缶詰のはんだによる鉛中毒などが示唆されている。

人間臨終図鑑

人間臨終図鑑(1巻~4巻)山田風太郎 著(徳間文庫)

「魔界転生」や「忍法帖」シリーズで人気の山田風太郎が、歴史に名を残す古今東西の著名人(英雄、武将、政治家、軍人、作家、芸術家、芸能人、犯罪者など)がどのように世を去ったか、その死に際の様子を全923名に渡って切り取った本。本書に限らず、著者のエッセイはちょっととぼけた味わいで楽しめるものが多い。

最初に読んだのは、母親ががんで亡くなった時だ。去年17回忌だったからもうずいぶん前のことになる。61歳という、女性の平均寿命からすれば早すぎる死だった。病気がわかってから亡くなるまでわずか半年だったこともあり、自分の中でどうにも気持ちの整理ができずにいたときに、本屋で偶然発見して読み始めたのだと思う。これを読んだからといって、その当時、何か慰めや納得が得られたかと言えば、そうでもなかった気がするけれどもう忘れてしまった。ひと月ほど前に、Kindleストアを眺めているときに、たまたま見つけたので久しぶりに再読してみた。

死に際の様は人それぞれとはいえ、900人ものケースを横断してみると、時代の影響ももちろん垣間見える。外的な要因としては、1600年代のペストや、1800年代のコレラ、二度の世界大戦は、少なからずの人に、直接あるいは間接に死をもたらすことになった。内的な要因では、今と変わらず、脳卒中とがんが引き金となる例が目立つ。

当人が、自らの死について伝え残すことはできない以上、僕らに残されているのは、他人の目にどう映ったかの記録であり、どうしても客席から眺めている感じは拭えない。死は一大事であるけれど、それが起きた瞬間に本人にとっての意味は消失し、残されたものにとっての物語に生まれ変わる。だからこそ本書のように「エンターテイメント」にもなりうるわけだ。

自分の死に際がどういうものになるのか想像もつかないけれど、もしこのような本に書かれるとすればどんな風に書かれたいかな、などと考えるのはちょっと楽しい。

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
角幡唯介 著(集英社)

ツアンポー峡谷はネパールの東隣のブータンから更に北東方向に300キロあまり、チベット高原を流れる大河ツアンポー川がヒマラヤ山脈を突きぬけるときに削られ穿たれたチベット東部の険しい峡谷地帯のこと1)。グランドキャニオンを遥かに凌ぐ規模の大峡谷だが、チベットの奥深く、中印国境の政治的にデリケートな位置にある。「空白の5マイル」というのは、1924年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる探検以降、この峡谷部に残された人跡未踏の空白部となっている5マイルを指す。著者は、2002年と2009年の2度に渡って、この5マイルのほとんどを踏査するが、2009年には、生死の境での選択を迫られる極限的状況を経験することになる。

生と死の境界線上に立たされた時、私は比較的冷静に事態を受け入れ、混乱せずに対応できる自信があった。しかしそんな自信など噓だった。本当に死ぬかもしれない……。そう言葉に出してつぶやいた時、私は思わず泣きそうになっていた。(第2部 第3章 24日目)

僕自身は、死の危険を伴う「冒険」をしてみたいという欲求を感じたことはない。でも、本書のような大自然に挑む冒険譚を読みたいという気持ちは強い。自分にないものに対する興味かもしれないし、あるいは、ひりひりとした極限状況を読むことで擬似的に隠された冒険への欲求を満たそうとしているのかもしれない。

現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大の リスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。(エピローグ)

著者も言うように、何をもって「いい人生」だと考えるかは人それぞれで、それに従って「リスク」の取り方も変わる。リスクのとり方というのは、多少皮肉めいた表現をすれば、何を持ってアドレナリンが出て気持ちよくなるか、だろうと思っている。博打、違法薬物、アルコールは言うに及ばず、異性との危うい関係や破産するかもしれないビジネスを回すことでアドレナリンが出る人もいるだろう。冒険家は、(主に)厳しい自然環境に身をおいて、直接的な命の危険を感じることで脳内にアドレナリンが放出され、生の実感を得るタイプなのだと思う。そのプロセスが、何万年に渡る経験を通じてヒトのDNAに深く刻み込まれた「自然」への畏怖・対峙に共鳴するからこそ、こうした冒険が広く読者の興味と共感を呼ぶのだ。

1 ツアンポー川は、グーグルマップでは「雅魯蔵布江」で表示されるようだ。著者が最後にたどり着いた集落はここだと思われる。

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白
小田嶋隆 著 (ミシマ社)

かれこれ25年くらい親しくしていた友人が、この十年あまりアルコール依存症に苦しんでいた。アル中は「否認の病」と本書にもある通り、周囲から指摘されても、本人はそれを強く否定して言うことを聞かなかった時期が長く続いた。久しぶりに会ったときに、治療とセラピーに行ってすっかり状態がよくなった、と初めて自分から話してくれたのだが、それから二ヶ月くらいして急死してしまった1)。昨年末のことだ。

日経ビジネスオンラインに掲載されている著者のコラム「ア・ピース・オブ・警句」をときどき読んでいる。世代的に近いせいなのか、80年代後半から90年代のPC黎明期からの業界周辺の経験値が近いせいなのか、共感することも多いし、思わぬ角度からのものの見方になるほどと思わせられることもある。その著者が20代から30代にかけてアルコール依存症であったという告白であるから、読む。まして、友人のことがあった直後だけに読まねばならぬ。タイトルは明らかに滑っているけれど。

アルコールを媒介に手に入るものがないわけではありません。しかし、それらはいずれ揮発します。なくなるだけなら良いのですが、手の中から消えていくものは、多くの場合喪失感を残していきます。で、それがまた次に飲む理由になったりします。グラスの底には何もありません。グラスの底に何もないこともまた飲む理由になりますが、飲む理由になるすべてのことは、酒を遠ざけるため理由になります。どうか素面のまま夜明けを待つことをためしてみてください。(七日目 アル中予備軍たちへ)

自分は一般的な「依存傾向」は少ない方なのではないか、と長年自己分析してきたが、はっとさせられた一節。

(前略)そうやって自分の時間をすべて情報収集に費やしてしまう過ごし方は、これは、実のところ、アイデンティティの危機なんです。なぜなら、情報収集している間、人は頭を使わないからです。というよりも、スマホを眺めている人間は、自発的な思索をやめてしまっているわけで、外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないことそのものだからです。(八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威 何かに依存するということ)

こうして読んだ本の備忘録を書き始めたひとつの理由が、まさに、情報を消費するばかりで自分で何かを生み出すことのないアンバランスさに気づいたことにある。「自発的な思索」が自分でも気付かないうちになくなっていたのだと思う。本書は著者の「告白」(あるいは「対話」)から書き起こされている形式なので、非常に読みやすい。アルコールに限らず広く「依存」への視点を新たにするきっかけも含まれている。

1 事件性はないようだが、死因は不明。

コーヒーの科学

コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか
旦部幸博 著 講談社(ブルーバックス)

ここ10年ほどコーヒーを以前より飲むようになった。美味しいと評判のお店を訪ねてみたり、自分でいろいろ豆を買ってきて試したりしている。喫茶店もコーヒー豆もいろいろ。酒、葉巻といった嗜好品と同様、奥の深い世界が垣間見える。

著者は、コーヒーに関する老舗ブログ「百珈苑」を開設しているが、本職は基礎医学の研究者である。さすが理科系のプロフェッショナル研究者だけあって、本書もコーヒーにまつわる多くの「なぜ」に、科学的、理論的なアプローチで迫る。数多くの先行研究をベースに、現時点でわかっている事実やさらなる研究が待たれる点など網羅的にカバーされており、僕のように理屈で理解したいタイプにはとても参考になる。

やはりそうかと納得したのは、日本のコーヒー文化、あるいはコーヒー技術は、欧米とは若干異なる独自の発展をしつつ、世界をリードしうる高水準にあるということだろう。

日本のコーヒー本のほとんどでは、ドリップ式を抽出の章の最初で解説しており、「最初に少量のお湯で蒸らして」とか「お湯を細くして」「のの字を描くように注ぐ」などうまく 淹れるコツもいろいろ紹介されています。ただ、こうしたまるで「お作法」のような、お湯の注ぎ方へのこだわりは日本特有のようです。台湾、中国、韓国には日本のスタイルが伝わっていますが、欧米では割と無頓着で、どばっと一度に注ぐことも少なくありません。
(中略)
日本と欧米、どちらのドリップ観が正しいかで争うつもりはありませんが、少なくとも湯の注ぎ方が味に大きく影響することは事実です。お湯を一度に注ぐときと、3~4回に分けて注ぐとき、点滴のように一滴一滴注ぐときでは、それぞれ同じコーヒーとは思えないほど味が変わります。お湯の流れが速すぎると理論段数が小さく(=成分の分離が悪く)なるか、お湯を継ぎ足す速さと濾過速度との兼ね合いで、出る量に比べて注ぐ量が多くなると、内部にお湯が貯留して理論段数が小さくなる……(第7章 コーヒーの抽出)

アメリカの「サードウェーブコーヒー」の代表格、ブルーボトルコーヒーは、日本の喫茶店文化に影響を受けたと創始者ジェームズ・フリーマン自らが語っている1)。ブルックリンのお店を数年前に訪ねたことがあるが、一杯ずつ人がペーパーフィルターで淹れるスタイルは同じだけれど、湯の注ぎ方はまさに「割と無頓着で、どばっと一度に注ぐ」感じで面白かった。日本のスタイルが、お湯を細く丁寧に注ぐ「茶道的」で繊細なスタイルなのに対して、ブルーボトルはいくつも並べたポットに同時にざーっ速く湯を注ぐスタイル。アメリカのコーヒーは、日本に比べて苦味を嫌った浅煎りが多いので、この淹れ方が理に適っていることは、本書を読んだ今はわかるが2)、現地での第一印象は「ナンジャコレハ?」だった。どちらかといえば深煎り好きなので、日本のブルーボトルは行ったことがないんだけど、今度淹れ方を見に行こうと思う。

1 日経トレンディ参考記事
2 逆に、日本では中深煎り、深煎りが多いので、お湯をフィルターの中であまり貯留させないスタイルが多い。