四万温泉・積善館(1)

四万温泉(しまおんせん、と読む)は、群馬県北西部、新潟・長野との県境に近い吾妻郡・中之条町の北の端に位置する温泉である。都内からクルマで行くなら、関越自動車道を進んで渋川伊香保インターで降り、国道17号線から353号線とつないで北上する。渋滞がなければ2時間半から3時間の道のりだ。小さな温泉郷ながら、古い歴史と優れた湯質を誇り、有名な湯宿がいくつかある。積善館は中でも、古い湯治宿の雰囲気を今に残す名宿として人気の宿。季節の変わり目でちょっと疲れがたまってきたところだったので、一泊だけだけれど湯治気分で訪ねてみた。

11月とはいえまだ初旬、都内では昼間は20度前後まで上がるので、ポロシャツ一枚で過ごしているが、四万温泉は標高が700メートルほどで、一足先に本格的な秋を迎えて肌寒いほど。木々の葉は、黄や赤に色づき始めており、ドウダンツツジはすでに燃えるように真っ赤に染まって目を楽しませてくれる。

四万温泉は、一説に、四万もの病気を治すところからその名がついたとされている。細い山道しかないような時代に、最も近い中之条の町からでさえ、歩いて湯治に来るのはたいへんな労がかかったはずだが、それでも300年に渡って連綿と人々に頼られ、利用されてきたのは、この温泉がそれだけ効験あらたかであったということだろう。

積善館は、本館、山荘、佳松亭と大きく3つに分かれている。山荘と佳松亭は、贅沢な作りの高級湯宿、本館は質実剛健な昔ながらの湯治宿のつくりだ。今回泊まったのは、本館。赤い欄干の小さな橋を渡って正面に佇む木造の建物が本館1)で、元禄4年に建てられた日本最古の木造湯宿建築だそうだ。

この宿で最も有名な風呂が「元禄の湯」。昭和5年に建てられた大正ロマネスク建築で、当時としては贅沢でハイカラな洋風のホール風のつくり。5つの石造りの湯槽がならぶ写真を雑誌などで見たことのある人も多いのではないか2)。それぞれの湯槽は、排水口とは別に、底の真ん中に穴が空いていて、そこから源泉が常に湧き出ている。壁際には、大人の腰ほどの高さの小さな戸のついた「蒸し風呂部屋」が2つある。おとな一人がやっと入れるくらいの小さな室で、戸を閉めると源泉からの蒸気が充満し、文字通りの蒸し風呂になる。基本的に洗い場はなく(一箇所だけシャワー蛇口がある)、写真の手前(撮影者が立っていると思われるところ)に簡単な脱衣場があるだけ。風呂の扉を開けたとたんに、写真と同じ光景が目に飛び込んでくる。

湯質は「ナトリウム・カルシウムー塩化物硫酸塩泉」3)で、リウマチ、運動障害、創傷に効く。入口横に飲泉用の湧き出し口もあって、飲むことで消化器疾患、便秘、じんましん、肥満症に効くらしい。わずかにとろみのある優しいお湯で、温度も40度から41度くらいの熱からずぬるからず。ゆっくりと浸かって体を温めることができる4)。宿泊しなくても、11時から16時までは、立ち寄り湯としても利用できるようになっているので、週末のこの時間帯は多少混むこともあるそうだが、宿泊者の時間帯では、それほど混むこともなく、ゆったりと時間を過ごすことができるだろう。

1 本館の駐車場へは、クルマで入るのを躊躇するような、温泉街の細い道を奥へと進み、赤い欄干の橋をクルマで渡り、玄関の前で荷物を下ろしてから、更に建物の間をすり抜けるようにして駐車場に入る。
2 風呂は撮影が禁止なので、ここに掲載していある写真は積善館ウェブサイトのフォトギャラリーのもの。
3 この泉質は「箱根高原ホテル」と同じ。
4 ほかに、「岩風呂」、「山荘の湯」、佳松亭にある「杜の湯」と、計4つのお風呂を楽しめる。「元禄の湯」のすぐ下の川原に源泉があるため、ほかに比べて「元禄の湯」の温度がやや高いようだ。高いと言っても40~41度くらい。熱い湯が好きな人には物足りないかもしれないが、ゆっくり浸かるにはこれくらいが丁度良い。

南三陸・女川旅行記(3)

5. シーパルピア女川とハマテラス

女川観光の中心は、シーパルピア女川とハマテラスだ。この二つは、名称が別れてはいるけれど、一体のものだと考えて差し支えないだろう。港から女川駅までの間を「レンガみち」という歩行者専用道でまっすぐつなぎ、その両側に飲食店、日用品、食品、お土産などを売る商店、クラフト、カルチャースクール、スポーツ関連などのアクティビティを体験できるお店がエリアを区切って並んでいる1)

レンガみちは広々としていて、周囲のお店を覗きながらぶらぶらと散歩するのは楽しい。お店は比較的早く閉まるので、午後早めの時間から散策するとゆっくり楽しめるはずだ。我々は到着が遅かったせいで、限られた範囲しか見ていないけれど、ハマテラス内にある「おかせい」という鮮魚店が楽しかった。60センチくらいありそうなシイラが500円で売っていたり、旬の獲れたてのサンマがトロ箱の中でギラギラと新鮮な光を放っていたりと、さすが港町の魚屋さん、どの海産物も見るからに新鮮で安い。食堂も隣接しているので、そこで夕食にする。海鮮丼、ほたて丼といった海鮮のどんぶりが何種類かある。たっぷりとしたアラ汁もついてくる。質・量ともに満足。

女川駅舎は女川温泉ゆぽっぽという温泉施設と一体化している。ゆぽっぽの背後には、トレーラーハウスを30棟以上配したホテル・エル・ファロがある。姪っ子ほか、インターンをしている大学生たちは、ここでルームシェアしながら、何週間かのプログラムをこなしているそうだ。エル・ファロはバーベキューや焚き火のできるスペースが設けてあったり、マリンスポーツやトレッキングといったアウトドアのプログラムが充実していたりして、人気の宿となっている。居心地が良さそうなので、泊まる予定のなかった我々も当日飛び込みで泊まろうとしたが、すでに満室であった。残念。

6. 震災遺構

東日本大震災から7年が経った。今回の旅行では、震災や復興というキーワードでものを見ないようにしよう、と思っていた。2011年とそのあと数年は、自分なりにできることをしたつもりではあるけれど、同時に、自ら現場に足を運んで手を動かしたわけではないという後ろめたさもどこかにある。南三陸町も女川町も、地震・津波で最も壊滅的な被害を受けた地域のひとつであり、7年もの時間が経ってから、のこのこと出かけて、こんなに復興が進んだんだなぁ、とひとごとのように眺めるべきではないと思っていた。だから、震災とは切り離して、姪の様子を見に来たついでに町を見て回るんだ、と彼女たちをだしに使って、言ってみれば自分の気持ちの逃げ場を作ったわけだ。

でも、南三陸町に着いてみてすぐに、震災と復興は、今も否応なく町の生活・経済の中心であって、そこには目を閉じて「観光だけ」するなど土台ムリな話なのだとわかった。ひとごとのように眺めてはいけない、などという僕の考えは、それこそ部外者の浅はかなセンチメンタリズムに過ぎなかった。地元で奮闘する人々にしてみれば、とにかく来て、知って、食べて、楽しんで、そして経済に貢献してくれ。それが復興につながるんだ、ということなのだと思う。女川町も全く同じだ。

南三陸町のさんさん商店街から八幡川を隔てた対岸に、鉄骨だけになった旧防災対策庁舎が見える。12メートルの屋上まで津波が達し、最後まで防災無線で避難を呼びかけた遠藤未希さんら多くの職員の方々が命を落とした場所だ。周囲の土地の嵩上げ工事が進み、防災庁舎はその谷間に埋もれるようにぽつんと立っている。さんさん商店街にある全てのお店も、今回泊まった下道荘も、みな元の建物は津波で破壊されたが、それでも地元で再起することを選び、努力している真っ只中だ。

南三陸町から398号線で女川町へ向かうちょうど中間地点には、旧大川小学校が残されている。ここで児童74人、先生10人が亡くなった。北上川河口から5キロの場所。こんなところにまで大津波は押し寄せた。裂くような痛ましさと行き場のない深い悲しみが沈殿した空間は重苦しく、言葉は飲み込まれて何も出てこない。ただただ手を合わせて祈った。

女川町のハマテラスから国道を隔てた海側には、横倒しになった交番がそのまま残されている。鉄筋コンクリート造りの建物が津波で倒壊した世界でも稀な例で、それほどまでに破壊的な津波が押し寄せ、町を壊滅させた。

姪たちがそれぞれ、「何か力になりたい」という若者らしい思いを抱いて、インターンに参加し町と繋がりを作ったことで、僕も少しそのおこぼれにあずかり、長年の勝手なセンチメンタリズムを脱することができたように思う。またぜひ近いうちに再訪したい。

1 デイリーポータルに女川でのホヤ体験ツアーの記事が出ている。

南三陸・女川旅行記(2)

3. 下道荘

今回の宿泊は、民宿「下道荘」(したみちそう、と読む)。これも姪っ子のオススメである。さんさん商店街のある志津川から小さな岬をひとつ隔てた東側、袖浜漁港を見下ろす高台にある。宿のウェブサイトによると、元の建物は津波で流され、高台に移転・再建して2012年2月に再オープンしたそうだ。宿の主人・若主人は漁師で、鮭、ホタテ、タコ、牡蠣、ホヤを始めとする自家採りの海の幸が食べられる。

南三陸域は日本一のホヤ産地だが、実は今までホヤというものを食べたことがなかった。そもそもあまり食べる機会もないけれど、周囲に聞いても、クセがあって苦手だという人ばかりで、積極的に食べようとしなかったこともある。でも今回は、ちょうどホヤのシーズン終盤でもあるし、心中ひそかに期待していた。夕食の膳には期待通りホヤの酢の物がのっている。おそるおそる口に運んでみる、と、貝のような食感に複雑な旨味がひろがる。ホヤ独特の風味は旨味の一部としてきっちりとあるのだけれど、よく言われる「臭み」や「クセ」という表現はあたらない。産地の新鮮なホヤだからこその美味しさなのだろう1)。お膳には、もちろん、ホヤ以外にも海の幸がたっぷりで、のばした箸の先がみな美味しい。こうなると牡蠣も食べたいが、シーズンにはわずかに早すぎて今回はおあずけ。

4. 女川町

二日目は、まずホテル観洋の立ち寄り湯へ。さんさん商店街からは、志津川湾沿いを南下してクルマでわずか3、4分。海沿いの断崖に立つホテルで、津波のときも直接の被害は免れたという。ここには温泉があって、宿泊していなくても820円で入浴できる。志津川湾を一望する露天風呂からの風景はすばらしく、遙か対岸にさんさん商店街のある志津川地区が見える。ゆっくりと温まってから、太平洋沿いの398号線を南下し、女川に向かう。1時間10分から20分くらいのドライブだが、くねくねとカーブが続き、上り下りの多い道なので、クルマに弱いひとは酔い止めを飲んでおくとよい。

女川には、たぶん30年以上前に一度来たことがある。経緯はすっかり忘れてしまったが、金華山神社に行くのに、女川から船に乗ったのだ。漁港を中心にそれを取り囲むように港町が広がっていたのをおぼろげに覚えている。震災で壊滅的被害を受けた女川町もまた復興途上にあるが、その方向性は南三陸町とは少し異なっているように見える。高い防潮堤を作らずに海への眺望を確保しつつ、住居区域は津波が到達しない高台に移し、商業地域は港に近い低地に集中させるという区分けが比較的はっきりしているのだ。

南三陸・女川旅行記(3)に続く。

1 ホヤの味については、さんさん商店街にある山内鮮魚店の熱いコラムが参考になる。

南三陸・女川旅行記(1)

1. 南三陸町

大学生の姪二人がそれぞれ南三陸町と女川町でこの夏インターンをしている。メールやチャットで時折、仕事や町の様子を知らせてくれるのだが、これがとても興味深い。インターンの仕事内容もさることながら、町での生活の様子が楽しそうなのだ。どちらの町も海の幸が豊富な港町で、牡蠣、ほや、たこ、さば、鮭、うにといった名物がずらりと並ぶ。これは二人が現地にいる間にぜひ案内してもらって、美味しいものを食べたい。

南三陸町は仙台から北東方向の太平洋岸、石巻と気仙沼のほぼ中間にある。志津川湾に臨む港町だ1)。首都圏から行く場合には、仙台まで新幹線、そこからクルマを借りて三陸自動車道経由で行くのがよいだろう。仙台からはおよそ90キロ、道中ほとんどが高速道路なので、1時間半から2時間弱の快適なドライブである。

2. 南三陸さんさん商店街

オクトパスくんがマスコット。

南三陸町の観光の中心は、「南三陸さんさん商店街」だ。2012年に仮設商店街としてオープンし、昨年2017年3月3日に、現在の場所(国道45号線と八幡川の間、志津川湾を一望する場所)に本設が完成。隈研吾監修のもと設計されたそうで、誰でも利用できるテーブルと椅子が広々と設置された「さんさんコート」を中心にして、その両側に山側と海側をつなぐように店舗が並ぶ。見通しのよい開放的な商店街で、天気の良い日には、周囲の飲食店からテイクアウトしたものを「さんさんコート」で食べるのも楽しい。

今回の一番のお目当ては「キラキラ秋旨丼」。これは南三陸産の海産物をたっぷり乗せたご当地ブランド「キラキラ丼」の秋バージョン。9月・10月の二ヶ月、町内十数店舗で食べることができる。みな「キラキラ丼」と名がついていても、その中身はお店ごとに違う。それぞれ工夫をこらして特長をだしているので、食べ比べを楽しむこともできる。今回は姪っ子のアドバイスに従い、弁慶鮨の秋旨丼を攻略しようと、11時開店前にお店に並んだ。ドンブリくらいで並ぶなど何をおおげさな、と思うかもしれぬが、週末のお昼時はどこも長蛇の列になるというインサイダー(姪っ子)情報を事前に得ていたのだ。ぬふふ、用意周到とはことことだ。兼好法師も「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」と申されている。

いざ席についてメニューをしげしげと眺めたところ、弁慶鮨の秋旨丼は、だしの効いた炊き込みご飯に、鮭といくらがこれでもかと乗った「はらこめし」で実に美味そうだ。が、しかし。うに、えび、ほたて、いくら、しゃけをはじめとする海鮮オールスターが乗った「海鮮丼」も捨てがたい。20秒ほど熟考熟慮の末、当初のお目当てから乗り換え、海鮮丼を注文した。だってメニューに「迷ったらこれ」って書いてあるのだもの。メニューの文句にうそいつわりはなく、海鮮丼は豊潤で端正で文句のつけようのない美味しさだった2)

さんさん商店街には、ほかにも素敵なものがたくさんある。ひとやすみしたい時には、「オーイング菓子工房 Ryo」の焼きたて「お山のマドレーヌ」と「NEWS STAND SATAKE」でハンドドリップの自家焙煎珈琲を。「ヤマウチ」の鮭の白子や牡蠣の燻製は、お土産にも宿に戻ってからの酒のつまみにも良い。

南三陸・女川旅行記(2)に続く。

1 改めて言うまでもないが、2011年3月11日の大地震では震度6弱を記録するとともに、10メートルを超える津波が襲い壊滅的な被害を受けた。
2 同行者が注文した秋旨丼を味見させてもらったところ、甲乙つけがたく美味しかった。

万平ホテル

高校の頃、家族旅行で遊びに行った軽井沢は、渋滞と人混みばかりで何がいいんだかさっぱりわからなかった。軽井沢銀座は、チープな土産物屋が並び、ぞろぞろと人が列をなして歩いていて、垢抜けた避暑地どころかかえって暑苦しくげんなりするようなところだった。今思えば、ハイシーズンの週末に日帰りで遊びに行っても、そりゃ混むばかりでさぞかしつまらなかったろうな、と当時の自分に同情する。軽井沢はオンシーズンなら平日、もしくはオフシーズンに、泊まりでのんびりしに行くところであって、「のんびり」とはまだ縁遠い元気のあり余った高校生が行くところじゃなかったのだ。

時は流れ、ああ、のんびりしたい!と心から希求するようになった中年男は、駅で見かけたJR東日本の「大人の休日倶楽部」のポスターに心惹かれて立ちどまる。そこには風雅な佇まいのホテルの部屋で、ひとり静かに本を読む吉永小百合が写っていた1)。覚えている人もきっと多いであろうこのポスターの撮影場所が万平ホテルだった。今調べてみたところ、2005年のキャンペーンなので、もう13、4年も前のことだ。以来、僕にとっては、ほとんど、軽井沢に行く=万平ホテルに泊まる、ということになっている。

万平ホテルは、江戸時代から長く続く旅籠「亀屋」を、九代目主人の初代万平が、外国人客の接待もできる宿にすべく、1894年に欧米風のホテルに改装し、名を「亀屋ホテル」へと改称したのがはじまり。日本一の避暑地とも言える軽井沢の、垢抜けた空気の中心となるホテルである。

吉永小百合が本を読んでいたのは1936年に建てられた本館アルプス館の一室。正面玄関のある建物がアルプス館で、入口右手にあるフロントの脇にある階段を昇ると客室に通じる。古い建物だけに、建具などは多少ガタついていて、中庭から虫やすきま風が入ってくることもあるが、そこは部屋全体の凛とした佇まいの前ではご愛嬌。障子の桟の文様や、丸い電灯がなんとも美しい。

バーもまた良い。小さくて一見地味だけれど、歴史と格式あるホテルのバーにふさわしい落ち着いたつくり。チーフバーテンダーの小澤さん2)は有名人で、彼と話をしたくて来るお客さんも多数。とはいえ、御本人は、常連でも、一見でも、若い人でも別け隔てなく接するプロフェッショナルだ。旧メルシャン・軽井沢蒸溜所が閉鎖されたとき、そこで作られていたシングルモルトウィスキーの一部を引き上げてきたらしく、今ではとても飲めないような長期熟成モノを何種類か飲ませてもらったことがある。

万平ホテルは、川奈と同じく「日本クラシックホテルの会」の構成メンバー。もう少し涼しくなったら、訪問したいと思っている。

1 このページの「長野県」のセクションを参照のこと。
2 追分にある「ささくら」と佐久にある「職人館」いう蕎麦屋は彼に教えてもらった。どちらも実に美味しい蕎麦が食べられ、佐久の花をはじめとする地酒を楽しむことができる。

ドーミーイン松本

どこか出張したり旅行したりするときに、泊まるところは多少のコダワリをもって選ぶ。豪快に、寝られればどこでもいいよ、と言えればよいのだが、泊まるところがしょぼいと途端に惨めな気分になり、それに引きずられて仕事も休みも台無しになりがちなので、ありていに言えば、もちろん予算が許す範囲ではあるけれど、できるだけ高級な宿に泊まりたい。グローバル展開している「高級」ブランドであっても、個別に見れば、値段ばかり高級で実体はそれに見合わないホテルもあるため、友人・同僚に聞いたり、ネットの評判を調べたり、様々な情報を総合して吟味しつつ、慎重によさそうなところを選ぶ。ちまちまと比較検討するのは、あまり男らしくない気がするが、こればかりは仕方がない。

国内の場合、いわゆる「ビジネスホテル」はほとんど選択肢に入らない。若い頃に何度か泊まってみたのだけれど、部屋の大きさ、清潔感、音などが、価格の安さをもってしても見合わないと思った。昔の職場の後輩に、アパホテルの熱烈なファンがいたが、理由を聞くと、アダルトビデオが無料でしかも豊富なんです!と力説していた。うーむ、そこに魅力がないとは言わないけれど、人がホテルに求めるものは、それぞれだ。

先日、急に長野方面に行くことになったものの、お盆の時期でシティホテルはどこも満杯。ホテル予約サイトの評価ポイントがある程度高くて、かつ、空きがあったのはドーミーインだけだった。どこかシティホテルに空きがでたら、キャンセルして乗り換えればいいか、くらいの気持ちで仕方なく予約を入れた。でも、やはり繁忙期なので、ほかに空きは出ないまま当日になり、そのままドーミーインにチェックイン。

実際に泊まってみて、いい意味で裏切られた。たしかに、ホテル予約サイトや旅行系のサイトなんかで、ちょくちょく良い評判や記事を見かけてはいたのだ。でも、どこかで「まあそうは言っても、どうせビジネスホテルでしょ」とナナメに見ていた自分がいたのも否めない。ところが、実際に経験してみると、なるほどねぇと納得させられることがいくつもあった。認識を改めなくてはならない。

全国のドーミーインがみなそうであるかどうかはわからないけれど、少なくともドーミーイン松本で印象に残ったのは、スタッフの皆さんが、快活で丁寧な対応をすること。部屋や寝具が清潔なうえ、新しい型の空気清浄機が備えられていること。カラの冷蔵庫1)が備え付けてあって、自分で持ち込んだり買ってきたものを冷やしておけること。温泉宿のように大浴場2)とサウナを備えていて、その掃除とメンテナンスが行き届いており、湯加減も丁度よいこと。無料で提供される「夜泣きラーメン」3)が優しい味で美味しいこと。朝食バイキングも地方の特色を活かした品揃えで、丁寧に作られていて美味しいこと。

華やかさや非日常のワクワク感、あるいは歴史や風格などはもちろん望むべくもないけれど、地に足の着いたとても堅実かつ丁寧なサービスで、バリュー・フォー・マネーはかなり高い。ドーミーインは、もともと学生寮や社員寮を運営する共立メンテナンスという会社がそのノウハウを生かして作ったビジネスホテル・チェーン。第一号ホテルは93年にオープンしたようだが、急速に数を増やしたのはここ10年余りのようだ。どんなに古く見える業界・セグメントにも、他とは異なるレベルのサービスを提供して新しい価値を創り出す企業が現れるものだと感心する。

1 シティホテルだと、相当に割高な飲み物がいっぱいに詰まっていて、自分の持ち込んだものを冷やす場所がないことが多いが、どうにかならんものか。ドーミーインでは、冷蔵庫そのものをオン・オフできるようにもなっている。モーターのブーンという音が気になる人向けだろう。
2 自家源泉の天然温泉らしい。
3 醤油スープのハーフサイズのラーメンが無料でふるまわれる。

船酔い

クルマや飛行機ではあまり乗り物酔いしないのだが、船だけは全く駄目だ。乗って数分ですでに酔いの予感があり、その後、強弱はあれどまず間違いなく吐き気に襲われる。船が大きくても小さくてもあまり違いはない。小型の渡し船のようなもの、中型のフェリー、双胴の観光船、大型客船、みな同じだ。

引き金になったのは、18歳か19歳のころに船で行った大島だった。大島行きの船は、夜に竹芝桟橋を出港して、翌朝大島に到着する。波・うねりの高い日だった。乗船してしばらくは、はじめての船旅で興奮し、酔うなんて思いもしなかったが、船が東京湾を出たとたん、うねりに大きく揺さぶられ、みるみるうちにやられてしまった。一緒に行った仲間のほとんども、さらには乗客の多くも手ひどくやられ、消灯して薄暗い船内では、酷い船酔いで動けなくなった人たちが、エチケット袋片手に累々と倒れているという地獄絵図を見ることになった。それでも、目的地に向かって進んでいるならなんとか気持ちの持ちようもあるけれど、船は沖合で数時間止まって時間調整をしてから大島に向かうというスケジュールで、進んでいる実感もエンジン音もなく、ひたすら数時間うねりに耐えるという理不尽さが、船酔いをさらに悪化させたように思う。

これがトラウマになって、船が決定的に苦手になった。元海上自衛隊の知人に聞いた話だと、自衛隊の新兵でも、船酔いに弱いタイプがいて、数週間から数ヶ月の訓練航海に出ても、その間のほとんどを、自分のバンクベッドで半死人のように横たわっているだけということもあるらしい。想像するだに地獄だが、悲しいかな僕はその半死人グループに100%入る自信がある。揺れに慣れる場合もあるが、内耳の問題で全く対応できない人もいるそうだ。

ハワイでサンセットディナークルーズに乗ったときもヒドい目にあった。その時は一緒に行った友人がどうしても、というので、仕方なくつきあったのだった。酔うのがわかっていたので、酔い止めのクスリを規定の倍量飲んで乗船した。クスリのおかげか、「お、これは意外と大丈夫じゃないか」と上機嫌だったのは最初の30分ほどで、その後は飲みすぎた酔い止め薬のせいで、アタマが朦朧とし、凶悪な眠気に襲われ、ディナーの前にすでにベンチで熟睡する始末。結局3時間のクルーズのほとんどを泥酔した人のように前後不覚で過ごし、船酔いこそ回避したものの、人間としての尊厳を喪失し、ほとんど荷物と化して船中を過ごしたという点では、何ら改善を見なかったのであった。

乗り物酔いは、内耳が感じる平衡情報と視覚からの情報がずれてしまい、自律神経が参ってしまうのが原因のひとつだというが、考えてみると、VRも全く駄目だ。ディズニーリゾートの「スター・ツアーズ」でも気分が悪くなって途中離脱を余儀なくされるくらいだから、こういうズレにけっこう弱い方なのだと思う。自律神経の問題と船酔いのトラウマが合わさっているとすれば、克服への道のりは遠い。

古河花火大会

夏になると、日本全国で300以上の花火大会が開かれるが、3尺玉の花火を打ち上げるのは、実は数えるほどしかない。3尺玉というのは、重さ300キロ・直径90センチの玉で、600メートル上空まで打ち上げられ、直径650メートルの巨大な花を開かせる。打ち上げるために、広大なスペースが必要なため、都内では場所がないそうだ。

古河の花火大会は毎年8月の最初の土曜日に開かれる。広大な渡良瀬遊水地に面しているので、打ち上げ会場には困らない。今年は8月4日の土曜日に開催され、3尺玉2発を含む2万発が打ち上げられた。全国でも最大規模の花火大会のひとつだ。河川敷に座って夜空を見上げるのもよいが、去年と今年は父が住む駅前のマンションのベランダから見物した。最上階の7階で遊水地側に眺望が開けて見晴らしが良い。少し距離はあるけれど特等席なのだ。

3尺玉はクライマックスで打ち上げられる。玉は黄色い光の尾を曳きながらどこまでも上がっていき、他の花火よりひときわ高い位置から、無数の黄金色の糸が傘のように広がって、光の航跡を天空いっぱいに広げ、ゆっくりと落ちてくる。光から少し遅れて、ズンという地響きのような、他の花火とは異質な野太い音が腹に響く。

3尺玉以外の花火も素晴らしい。およそ1時間に渡って様々な花火が次々と打ち上げられる。花火の世界も技術革新が進んでいるようで、大きさだけでなく、以前はあまり見ることのなかった透明感のある青い光のもの、開いた球の円周上を衛生のように色とりどりの光が走るもの、天空に小さな花びらが一面に散るように開くものなど、毎年新しい趣向が凝らされている。まさに天空のスペクタクルで、時間があっという間に過ぎてゆく。

花火大会の費用がどれくらいなのかわからないが、きっと数万人(あるいはもっと多く)の人が夜空を見上げ、歓声を上げ、夏の風情を感じ、綺麗だね楽しいねと家族や友達と頷きあい、素敵な夏の思い出をつくったことだろう。そう考えれば、数億円かかったとしても、最高のカネの使い方だと思う。

川奈ホテル

川奈といえばゴルフをする人には名門コースとしてお馴染みだろう。海沿いに富士コースと大島コースの二つがあり、富士コースはフジサンケイレディスクラシックが開催されるので名高い。でも、川奈ホテルは、ゴルフをしない人にとっても十分楽しめるよいホテルである。

このホテルは別エントリに書いた赤倉観光ホテルと同じく、大倉喜七郎が建てたホテルのひとつで、1936年に開業。やはり喜七郎の美学が色濃く残された格式あるクラシックホテルである。建築士も同じく高橋貞太郎1)。くすんだ赤い色の屋根に白い壁、リゾートでありながら、浮ついたところのない落ち着いた雰囲気が赤倉2)と共通している。ロビーやライブラリといった内部の佇まいも、両ホテルともに共通した静謐さと美しさを湛えている。2002年の経営破綻後は大倉直系を離れ、プリンスホテル傘下で運営されている。

2018年3月に海側の客室47室がリニューアルされた。今回は2日ほどぽっかりと空きができたのでふと思い立って、そのうちのひとつ、スーペリアツインに宿泊してみた。部屋は四階で、窓から外を見ると、ゴルフコースの木々の向こうに相模灘がいっぱいに広がり、大島がすぐ近くに見えて、東京湾を出入りする大型船が遠くに浮かんでいる。気分がゆったりと解きほぐされるような眺望だ。そういえば、前回は禁煙専用の部屋がなく、部屋の清掃消臭で対応していたとはいえ、やはりどことなくタバコ臭いと感じることがあったが、このリニューアルから禁煙室が設定されて、非喫煙者が安心して泊まれるようになった。

温泉施設(大浴場)のブリサ・マリナもよい。浴室は広くて清潔。室内、露天ともに大きな浴槽が備えられていて、ドライサウナ、水風呂もある。男性用が二階、女性用が三階で、日の出から夜中まで入ることができる3)

プールは屋外で夏季のみだが、手入れの行き届いた芝の庭に囲まれて、大中小と深さの異なる3つのプールがある。このホテルは、公営水道ではなく、赤城山からの水を引いて自家浄水して使っているそうで、普通のプールに比べて水がさらりとしていて透明度が高い(ような気がする)。何より平日であれば、それほど混まないので、時折水に入って体を冷やしつつ、プールサイドで本を読んでのんびりできる。

電車でのアクセスがよくないのは赤倉と同じ。これは高級リゾートとして、あえてそのように作られている。東京圏からクルマで行くと、小田原、熱海、伊東を抜ける135号線を使うことになるけれど、週末は渋滞することが多いのでそれを上手に避けたいところ。伊東の先から川奈までは道が急に細くなり、対向車とすれ違うのもやっとというところが何箇所かあるのでご注意。

ところで、このホテルは「日本クラシックホテルの会」に加盟する9つのホテルのひとつで、9つのうち4つに泊まるとペアの食事券、9つ全部に泊まるとペアの宿泊券がもらえる「クラシックホテルパスポート」というプログラムをやっている。この中の6つには行ったことがあるけれど、行ってみて損のない名門ホテルばかり。コンプリートするにはあと3つ。でもこれが東京から行くにはちょっと難度が高いロケーションにある。パスポート期限の3年以内になんとか訪れてみたいものだ。

1 僕が心惹かれる建物はこの人が設計しているものが多い。前田侯爵邸や学士会館などもこの人の作品。
2 赤倉観光ホテルのオリジナルの建物は1965年に焼失しており、現在のものはオリジナルを模して再建されたもの。
3 かけ流しなどではなく、泉質的には特筆すべきものはない。途中、午前11時から午後1時までの2時間はクローズ。

困ったときのパンダ

出張の楽しみでもあり頭痛のタネでもあるのが食事だ。複数人いればいいけれど、一人で食事をしようと思うと、とくに欧米ではなかなかに苦労する。なぜ苦労するかといえば、おひとりさま向けにいいお店がないからである。

日本だと、たとえば寿司屋、天麩羅屋、蕎麦屋。おひとりさまでも堂々と入って、それなりの金額で、ある程度ゆっくりと食事を楽しむことができる選択肢がある。でも、たとえばアメリカにはそういう選択肢があまりない。ハンバーガーかピザのチェーン店1)でプラスチックのトレイを前にもぞもぞと食べる、あるいはテイクアウトしてホテルの部屋でもぞもぞするのがせいぜいであって、そうなると、我々の感覚では、食事というよりは単なるエネルギー補給といった趣になり、これが連続すると気持ちが荒み、世を儚んで仕事に行きたくなくなり、「咳をしても一人」などと尾崎放哉の句を諳んじ始めたりする。

ハンバーガーやピザがなぜ侘しいのかといえば、日本人にとってはあまり夕食の体をなしていないからだろう。夕食の期待値として、一汁三菜とまではいかなくてもせめて一汁二菜くらいはほしい。コメか麺は主食として確保したいし、そこに熱い汁物と湯気のたった(あるいはキュッと冷えた)おかずが一品か二品ほしい。この切なる欲求を、納得できる金額内で何とか叶えてくれるのは、アメリカではパンダなのであった。

パンダというのは、パンダの絵の入った丸いロゴでお馴染み「パンダ・エクスプレス」である。中堅以上の都市なら、デパートや商業施設のフードコートに必ずと言っていいほどある2)。仕組みは至ってシンプル。炒飯か焼そばを選んで、そこにおかずが2品または3品3)つく。おかずはカウンターで見て選べる。あとは、スチロール容器に盛り付けてもらうだけ。汁物が欲しい場合には、たいてい酸辣湯かコーンスープがある。まさに一汁二菜がここに確保されるわけだ。持ち帰ってもいいし、その場で食べてもよい。もちろんお手軽中華料理だから、味はそれなりだけれど、価格とのバランスを考えれば悪くない。

ニューヨークに限れば、最近では、大戸屋や一風堂、つるとんたんや牛角など、日本の人気店も進出していて人気だけれど、日本よりも高級路線をとるせいもあってドル建てのお値段は少々高めだ。さらにチップを払うので、トータルするとけっこうな金額になる。東京に戻れば、同じものが安く、いくらでも食べられるからなぁ、と思うと、さすがにちょっと躊躇する。

1 ニューヨークの場合には、徒歩で行ける小さなデリがほうぼうにあって、サラダやスープ、ご飯ものや麺なんかもテイクアウトできるのはありがたい。その他の都市ではなかなか難しい。
2 アメリカを中心に1,900店舗もあるらしい。日本にも2つあるようだ。
3 ひとつはパンダエクスプレス名物「オレンジチキン」を試してみることを勧める。けっこう美味しい。