アメリカの珈琲

僕がはじめてニューヨークに行った90年代初めに比べて、アメリカの珈琲はずいぶん美味しくなった。当時、オフィスやサンドイッチショップで出てくる珈琲は、薄くて香りはないも同然で、日本なら場末の定食屋で出てくる安っぽい出涸らしのお茶みたいな代物が多かった。今はスターバックスはそこら中にあり、独立系のカフェもあちらこちらで美味しい珈琲を出してくれる。

シリコンバレーではあちこちに「Peet’s Coffee」というカフェがあり、いい珈琲とちょっとした甘い物を楽しめる。新興のカフェチェーンなのかと思っていたがさにあらず。創業期のスターバックスがビジネスのモデルとしたお店で、創業者のアルフレッド・ピーツが最初のお店をだしたのが1966年、もう50年以上も前のことだ。オランダ生まれでコーヒー関係の仕事に馴染みのあったピーツさんは35歳のときにサンフランシスコにやってきて、アメリカのコーヒーのひどさにショックを受け、新鮮な深煎り豆をつかった濃くてリッチで美味い珈琲をアメリカに広めんとしてお店を開いた。全米で二百数十店舗あるようだが、二百近くをカリフォルニア州で展開しているので、カリフォルニアご当地コーヒーといってもよさそうである。スターバックスはエスプレッソをミルクで割るタイプのものはともかく、普通のブラック・コーヒーはあまり美味しいとは思えないのだが1)、ピーツは透明感を失わずに酸味の少ない深い味わいで僕の好みに合う。

ニューヨークのパークアベニューには、Felix Roasting Co.という美しいカフェがある2)。一歩中にはいると外の喧騒を完全に忘れるほど、落ち着いたヨーロッパ調のエレガントな空間が広がっている。これほど美しいカフェというのはなかなかお目にかかれないと思う。真ん中に円形にカウンターがしつらえてあり、その中でバリスタが一杯一杯珈琲を入れてくれる。こちらも深煎りでコクがあり日本の美味しいお店で飲む珈琲とまったく遜色はない。クロワッサンやペイストリーもガラスケースの中に凛として並んでいて実に美味しそうだ。

普段あまりに飲み慣れているものというのは、美味しいとか美味しくないとかを気にすることもなってしまうのはよくある話。日本でも、茶葉や湯に気を使って、美味しい日本茶を淹れて飲んでいる人はごくごく限られているだろう。アメリカの珈琲も同じだったのだ。今では当たり前になったペットボトルのお茶だって販売されるようになったのは1990年3)。それまではお茶を缶やペットボトルで飲みたい、という欲求すら意識することはなかったと思う。この例から類推するに、これからアメリカでも缶コーヒーが流行りだす日がくるのかもしれない。

1 スターバックスリザーブでは珈琲のロースティグと味わいに力を入れているようだが、どうなることか。
2 似たような名前のカフェやレストランがたくさんあるので検索するときは注意。
3 このサイトによると85年に伊藤園が缶入りの煎茶を出している。缶入り烏龍茶のほうがさらに早く81年。

ビーチの洗練

バルモラル・ビーチ(Balmoral Beach)は、北シドニーの高級住宅地モスマン(Mosman)の東端にある美しいビーチ1)。ここはボンダイビーチとはちょっと趣を異にしたビーチで、利用者の多くは地元の人であり、僕が観察した限りにおいて、若者というよりは、3世代でのんびりと時間をすごすファミリーや引退してのんびり自分の時間を過ごしているシニア世代が多かったように思う。高級住宅地に隣接した「プライベート」感のあるビーチで、華やかなビーチファッションというよりは、品の良いパステルカラーのファッションの人が目立つ。

ビーチ沿いの緑地帯にはあちこちに大木が心地よい木陰を作り出している。そんな木陰のベンチのひとつに腰を掛けて、時折吹く柔らかな風を受けて、しばしぼーっと海を眺めるのはとてもよい。少し長めの白髪に白いヒゲを蓄え、クリーム色のパナマ帽を粋にかぶった初老の紳士が、片手にふたつのワイングラス、もう片方に冷えて水滴のついた白ワインのボトルをぶら下げてゆっくり芝生を横切ってゆく。ベンチには奥さんらしき上品な女性が待っていて、ワインをグラスに注ぎ、二人で海を眺めながらワイン片手に談笑している様子は、映画のワンシーンのようだ。こういうときはやはり白ワインかスパークリングが似合う。などと言うと、気取りやがってこの西洋かぶれが、と思われる諸兄もいらっしゃるであろう。でもね、ちょっと想像してみてほしい。登場人物を変えず、同じパナマ帽の紳士が持っていたのがコップと日本酒の一升瓶だったらどうであろうか。奥さんとふたり、なみなみと注いだ酒をぐっと飲んでいる姿から浮かぶ言葉は、まず「酒豪」であって、「穏やかな老後」というより、岩に砕ける荒波をバックに「生涯現役」の筆文字が浮かぶのではないか。

そういえば、リゾートらしく洗練された雰囲気のビーチには、もうひとつ大事な要素があって、それは「磯臭くない」ということである。磯のにおい、あるいは海藻とか魚のにおいがすると、途端に「漁港」、働くオトコの場という雰囲気が醸し出される。ボンダイも含めシドニー近郊のビーチはほとんど磯のにおいがしない。それがオシャレなリゾート感を作り出すのに貢献している。ちなみに、沖縄のビーチも同様で磯のにおいがしない。本土とは海藻の種類が違うからだという話を以前聞いたことがある。

1 ダウンタウンシドニーからは、ハーバー・ブリッジを北へ抜けてクルマで、あるいは、サーキュラー・キー(Circular Quay)からフェリーとバスで行くのが便利。

ボンダイビーチは熱海である

ボンダイビーチ(Bondi Beach)は、シドニー中心部からわずか10キロ、電車とバスを乗り継いで30分弱のところにある美しいビーチだ。白く細かい砂は太陽を反射して金色に光り、海は緑にも青にも見える深い色を湛えている。98年に発売されたアップルの初代iMac1)が「ボンダイブルー」という半透明の青緑色で売り出したのを覚えている人もいるのではないか。首都シドニー近郊ということもあり、オーストラリアで最も有名なビーチのひとつに数えられる。

訪れた日は絶好のビーチ日和。空は青く晴れ渡り、太陽はさんさんと降り注ぎ、風は穏やかにそよいでいる。砂浜にはたくさんの若者が集い、甲羅干しをするもの、ビーチバレーに興じるもの、波打ち際で走り回る子供、ボディボードで水を滑るものなどで大いに賑わっている。道路際のカフェでアイスコーヒー2)、冷たいソーダとアイスクリーム。夏の賑わいと美しいビーチの風景。

でも。どこかちょっとだけ違和感が拭えない。その、何というか、書割みたいな、と言えばいいのか。道路を隔てた反対側にビーチに沿って伸びる商店街やカフェがどことなく「つくりもの」っぽく見える。ボンダイビーチってこういうもの、って誰かが書いたシナリオに従ってみんな楽しんでるような。心からリラックスして解放されて、というのではなく、ボンダイビーチに来たらこうやって楽むもんなんです、っていうありきたりのルールブックに則ってるみたいな。それは、圧倒的多数が観光ガイドを見てやってくる観光客だからであって、そして僕ももちろんその一員ではあるのだが。そんな少し醒めた目で眺めていたら、ふと、「熱海みたい」と思ったのだった。もちろん、ボンダイは現役バリバリの人気ビーチであって、熱海のように昭和の残滓があちこちに残るおっちゃんの宴会場の夢のあと3)、というわけではない。でもステレオタイプな町並と風景が醸し出す雰囲気というか空気感がどこか似ている。

そういえば、前回来たのは1年ほど前の春先で、雨まじりの強い風の吹く日だった。砂浜は灰色で人も少なく、波も高く泡立ってどこか荒涼とした中に、それでも頑張ってビーチに寝転んでる人たちがいたのだった。当時は言葉になっていなかったのだが、それもどこか「熱海」っぽい風景だったな、と今にして思う。いや、決して揶揄しているわけではないのだけれど。

1 モニター一体型のデスクトップPC。ビデオ再生機一体型の「テレビデオ」のようにも見える。モニター背面が尖った角の丸い変形五角形をしていた。
2 正確にはCold Long Black
3 熱海だって、最近は高級オーベルジュができたり映画やドラマのロケ地として賑わったりと、以前とは変わってきているようだが。

クイーンエリザベス

晴れている日にロックス地区(The Rocks)の高台から見下ろすシドニーの港は、西側にハーバーブリッジが伸び、東側にシドニー・オペラハウスが貝を重ねたような特徴的なシェイプを光らせる。クラッシックな様式の黒い橋と近代建築のマスターピースとも言える白いオペラハウスに挟まれた青い水面を多くの船が行き来する風景は、とても美しい。

シドニー滞在中のある朝、ふと見ると、国際旅客ターミナル(Overseas Passenger Terminal)にクイーンエリザベス号が停泊していた。全長がおよそ300メートル、幅が32m、総トン数9万トン。近くで見ると巨大ビルが海上に横たわっているかのごとき威容である。停泊しているのは2010年に就航した三代目だ。先代(二代目)のクイーンエリザベス2世号が横浜港にはじめて寄港したのは1975年のことで、当時ニュースなどでも大々的に取り上げられた。港まで見に行った横浜在住の叔父が興奮気味に「大きすぎて桟橋からはみ出しちゃってるんだよ」と話していたのを覚えている。以来、クイーンエリザベス号といえば、僕にとって(そして日本人の多くにとって)豪華客船の代名詞であり、特別な存在となったのだった。

そのときからずっと、無邪気にも数十年に渡ってクイーンエリザベスが世界最大の豪華客船だと思いこんでいたわけだが、実は、大きさで言えば、もうすでに世界のベスト30にも入っていないらしい。現時点で最大の客船は2018年3月に就航したシンフォニー・オブ・ザ・シーズ(Symphony of the Seas)で、全長はそれほど変わらないものの、幅が65メートル、総トン数は約23万トン。なんとクイーンエリザベスの2倍以上である。いつのまにかクイーンエリザベスは、中型、というか「豪華」客船としては決して大きくない存在1)になってしまっていたのである。

「世界最大」からは遠く隔たってしまったとはいえ、それでもクイーンエリザベスは大きく、優雅である。シドニー港はこのクラスの客船が毎日のように入出港しており、眺めていて飽きることがない。ハーバー・ブリッジをくぐった先にホワイトベイ・クルーズターミナルという埠頭もあって、大型船がアタマをかすめるように橋をくぐる様子を見ることもできる。こうして見ているとつい、ちょっと乗ってみたいなぁなどと思い始める。この大きさなら酔わないのだろうか。時化やうねりではやはり船室で寝たきり地獄になったりするのだろうか。ひどい船酔い体質としてはそんな心配をしてしまう。まぁ、いざ乗るとなったら心配すればよいのであって、今心配する必要はどこにもないのだが。

1 クイーンエリザベスの幅32メートルというのはパナマ運河を通過できる最大幅という制約からきているそうだ。つまり現代の巨大豪華客船はパナマ運河を通らない航路を使うということになる。

金沢旅行記オマケ:金箔

金沢に行くと、あちこちで見かけるのが「金箔」だ。街を挙げての金箔押しといってもよい。金箔を貼って光り輝く工芸品ならまだわかるのだが、なぜそこに金箔を貼ろうと思ったのか、というようなものも散見される。金沢市民が普段から金箔を食べているわけではないと思うが、食べ物までがあちらこちらで黄金色に光り輝いており、神々しく光るたこ焼きや、どら焼きなんかを見かけた。中でも、見るからに金箔!だったのがソフトクリームである。ごく普通のソフトクリームが金箔に包まれて出てくる。確か400円とか500円くらいだったと思う。これ以上ないくらいの「インスタ映え」物件として、国内外問わず観光客に大人気である。

この食用に使われている金箔、一枚の厚みは1万分の1ミリ程度という。95~96%が金、残りほとんどが銀という配合になっている1)。金も銀も、味もしないし、人体にはなんの影響もなく、消化液に反応することもなく素通りしていくらしい。そういえば、最近ではすっかり見かけなくなったが、金歯のように虫歯の充填に使われたりしているくらいだから2)大丈夫なのだろう。これほどカジュアルにソフトクリームに載せられて出てくるとなると、気になるのはそのお値段だが、およそ10センチ四方のもの1枚が200円前後のようだ。僕がこのアイスを食べたのは、東茶屋街にある古くからの金箔屋さんなので、卸価格ではもっと安いはずだけれど、ソフトクリーム代に金箔の小売価格をのせたくらいの価格設定ならば、まぁ良心的といえるのではなかろうか。

今では、日本の金箔製造のほとんどが金沢で行われている。江戸時代には幕府が金の扱いを一手に独占していたので、加賀藩では公式に携わることができず、質の悪い原料からの密造を続けていたらしい。質の悪いものから高品質な箔をつくろうとしたために、技術が進み、今では日本で唯一といってよいほどの産地になったというのは歴史の皮肉で面白い3)

ところで、翌朝のトイレを少し楽しみにしていたのだが、何事も起きなかった。

1 わずかに銅も入っている。
2 昔はけっこう派手に金歯を光らせた品のないオジサンやオバサンがもっと沢山いた。
3 昔、スコットランドでウィスキー生産者が徴税官に見つからないように、シェリー樽に入れて隠して保存しているうちに、樽の中の酒がまろやかで豊かな芳香と味わいになった、みたいな話でもある

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(3. 加賀野菜)

近江町市場を歩くとどうしても新鮮な海産物に目を奪われるけれど、奥へ奥へと進んでいくと野菜を扱っているお店も少なからずある。金沢には藩政時代からずっと栽培され、地元で親しまれてきた野菜があり、こうした野菜を「加賀野菜」としてブランド化し、残していこうとしている。

「加賀野菜」について知るきっかけになったのは、たまたま入った居酒屋で食べたさつまいもの天ぷらだった。紅い皮はつけたままじっくりと丁寧に揚げられたさつまいもは、白黄色の身がほくほくとして驚くほど甘かった。これが「五郎島金時」というさつまいもで、加賀特産だったのである。五郎島金時は、主に金沢市の五郎島・粟ヶ崎地区や内灘砂丘で生産されている。およそ300年前、砂丘地で栽培できる作物がなく不毛の地だったところ、似た地質の土地で栽培されていたサツマイモを太郎衛門という人物が薩摩の国から持ち帰り、育てはじめたのが五郎島金時の始まりらしい。収量よりも質を重視し、米ぬかを使った専用の肥料で育てられている。

五郎島金時以外にも、金時草という菜っ葉(きんじそう、と読む。表が緑、裏が紫色。ゆでるとぬめりがでる。茹でて三杯酢でさっぱり食べるとうまい)、金沢春菊(春菊の一種だというが、普通の春菊のようなほろ苦味は全くなく、サラダ菜のような感じで生食する)、加賀れんこん、源助だいこんなど15品目が加賀野菜としてブランド認定されているようだ。

これらの加賀野菜は、市場でも買えるが1)、郷土料理の店や居酒屋でも楽しむこともできる。僕が「五郎島金時」を食べたのは、「いたる」という居酒屋の香林坊店。飛び込みで入ったのだが、実は金沢でも1,2を争う人気店だった。まだ早い時間だったから入れたのだろう。入ってすぐに、ああこれはあたりだいい店だ、とわかった。老いも若きも、男も女も、皆穏やかに楽しそうに過ごしている。店の人の対応はきびきびとして心地よい。壁の黒板に書かれたオススメ品やメニューには、控えめな自信のようなものが漂いつつ、それでいて一切押し付けがましくない。五郎島金時でつくられた芋焼酎もある。柔らかでクセがなく上品で、料理とケンカしないいい酒だと思う2)。五郎島金時以外にも、金時草のおひたし、加賀れんこんのあんかけなど加賀野菜を使った料理や、かぶらずし3)や治部煮4)といった郷土料理もよい。

1 たいていのお店では宅配便で配送してくれる。
2 「強い」芋焼酎が好きな人にはもしかするともの足りないかも。
3 かぶに寒ブリを挟んで麹で発酵させたもの。「すし」とついているがコメは使っていないのでご注意。
4 じぶに、と読む。煮物というよりは、鴨肉(または鶏)を使ったシチューに近い感じがする。

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(2. 近江町市場)

近江町市場は金沢市民の台所と言われ1)、海産物や野菜などを扱う店や飲食店がたくさん軒を並べる。始まりは1700年ごろとされ、かれこれ300年もの歴史があるという。ここに行かない観光客はいないのではないか。能登、北陸は海産物の宝庫。とくに冬場は、ブリ、カニ、鱈、のどぐろ2)など美味しそうな海産物がどどんと並んでいる。最近ではアジアからの観光客がぐっと増えたこともあって、店頭でエビ、カニ、ウニなんかを買ってその場で食べることができるお店も増えた(だって、飛行機で持って帰れないからね)。

「ふぐの子糠漬け」と「巻鰤」は他では見ない石川県ならではの珍味である。ふぐの卵巣は猛毒テトロドトキシンを含むため、ふぐの調理は特別な技能を必要とする免許制3)なのはご存知の通り。ところが、この卵巣を2年ほど塩と糠で漬けて発酵させるとこの猛毒が消え、独特の旨味が生まれるらしい。毒の消えるメカニズムはまだ未解明の点が多いため、石川県で伝統の製法でつくることのみを許可されているという、正真正銘、ここにしかない珍味である。江戸時代にはすでにこの製法が編み出されていたという説もあり、きっと多くの人が危ない橋を渡りつつ完成されてきたのであろうと考えると、人間の食欲と好奇心まさに恐るべし、といったところだ。巻鰤は冬に脂の乗ったブリを塩漬けにし荒縄で巻いて保存食としたのが始まり。藁巻納豆の親分のような姿カタチで売られているが、縄を解いてみると中から意外にこじんまりとした塩漬け魚肉が現れる。ふぐの子も巻鰤も、どちらも塩が相当強いので、酒の肴にほんとにチビチビと削るくらいで丁度よく、たくさん買って帰っても持て余すことになると思う。

こうした歴史ある珍味に代わって、近年金沢海鮮のフロントランナーに飛び出してきたのが「のどぐろ」だ。のどぐろはアカムツの別名。日本海側ではのどぐろ、太平洋側ではアカムツの名で流通している。これが実に美味しい魚で、良質の脂がたっぷりとのっている。刺し身でよし、焼いてよし、干してよしの高級魚である。もともと美味しい魚として知られていたところ、2014年に全米オープンテニスで準優勝した錦織圭(島根県松江市出身)がインタビューで「帰国したら食べたい」と話して人気に火が着いたと言われる。そこに北陸新幹線の開業が重なり、金沢にやってくる観光客は、誰も彼ものどぐろのどぐろと唱えながら市場と鮨屋をぐるぐると回遊するようになった。

近江町市場で旨い鮨を食べるなら十間町口近くにある「歴々」がよい。お昼は3,000円のコースからなので、他店より少し高いけれど、きちんとプロの仕事の施された品の良い鮨が食べられる。もう少しカジュアルに海鮮丼を食べるなら、歴々の斜向いにある「魚旨」だろうか。1,500円くらいからあるけれど、メニューを見ているうちに欲が出てもう少し上の丼を選んでしまうだろうから、費用としては「歴々」と大差ない結果になるような気がする。ここは、海鮮の味もさることながら、接客にあたる女性陣の気配りと温かな対応が見事だ。食事の後は、隣りにある「金澤屋珈琲店」で深煎りのブレンドを一服。

金沢旅行記3 に続く)

1 僕の目には市場にいる客のほとんどは観光客にように見受けられるので、実際のところ地元の人がどのくらい買い物に利用しているのかは、よくわからない。
2 のどぐろの「旬」がいつかについては諸説ある。
3 厚生労働省によると毎年20から30件程度の食中毒が報告されているが、そのほとんどは家庭で無許可の素人が調理したことが原因。

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(1. 兼六園)

先日、旅行で金沢を訪れた。3年ぶり2度めである。防寒対策にヒートテックやダウンジャケットを着込んで勇んで出かけたものの、あまり寒くはなく、雪も道端に多少残る程度でそれほど降った形跡もない。タクシーの運転手は、観光客はみな雪山にでも行くような格好で来るけれど、金沢はそれほど雪も降らないし寒くもないよ、と笑った1)。そういえば3年前も厚着しすぎたな、と思ったのを今思い出した。

金沢は、言わずとしれた加賀百万石の中心地。加賀藩前田家は外様でありながらも、徳川御三家に次ぐ別格の地位を与えられた。その格式と富を受け継いできた土地だけに、名所旧跡は豊富だし、市街にもどことなく品があり、豊かな文化の香りがする。

金沢の中心地はJR金沢駅ではない2)。一番の繁華街である香林坊は駅東口から1.5キロほど南東にある。香林坊は金沢城址や兼六園、旧制第四高等学校(現在の金沢大学)跡などの史跡と隣接しており、このあたりが江戸時代以来の中心地であったことがわかる。金沢駅も東口側には美しい形の「鼓門」があり、賑わいを見せているが、西口側は駅前ロータリーに車も少なく、真っ直ぐ伸びる広い道路の両側に銀行、オフィスビル、NHKなどがぽつりぽつりとあるばかりで閑散としている。

金沢観光といえばまずは兼六園。昔は観光地に行って「庭」を見たがる親の気持ちが理解できなかったが、今ではすっかり年寄りチームの仲間入りを果たしてしまった。加賀藩主前田家の庭として何代にも渡って整えられてきた庭は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とならぶ日本三名園の一つに数えられている。とくに冬の「雪吊り」が施された景色は、誰もが一度や二度は写真で見たことがあるのではないか。兼六園は四季それぞれにライトアップされる期間が設けられているが、この冬のライトアップは2019年2月1日から19日まで、夜5時半から9時まで実施されている。今回の目当ての一つがこのライトアップされた庭の見物であった。前の週に降った雪が少し残っていて、雪吊りの荒縄が照明に金色に光って実に幻想的。おそらく吊った縄と形のバランスも意識した職人技3)で、凛とした美しさを湛えている。この雪吊りと雪の積もった兼六園のイメージが強いので、金沢は雪国だというイメージがあるのだと思う。昼間の庭もよいが、夜ライトアップされた庭はまた格別の趣がある。

金沢旅行記2 に続く)

1 気象庁のデータでみると、温暖化の影響なのか、90年代以降はそれまでと比べて年間降雪量が半分くらい、降雪日数が6割程度になっている。
2 JRの駅が繁華街の中心なのは、東京などの大都市圏だけであって、多くの県庁所在地や地方都市ではそういうわけでもない。
3 石川県のウェブサイトによると、総重量4トンもの藁縄をつかい、兼六園の庭師5名を中心に、延べ500人で作業を行うらしい。

ゲレンデを上る

先日、しばらくぶりに赤倉観光ホテルに行ってきた。気疲れすることが続いて、ちょっと風呂でも入ってのんびりしたいなぁと思いつつインターネットを眺めていたら、露天風呂つきの部屋にたまたま空きが出ていたので、すぐに予約したのであった。

いつもはチェックインすると、ほとんど部屋から外に出ることもなく、1. バルコニーの露天風呂 2. 読書 3. うたたね 4. ごはん、以下1から4を繰り返す、の永久ループでひたすら呆けて過ごすのだが、露天風呂に浸かりながら目の前に広がるひろびろとした山の斜面を眺めているうち、最近読んだスコット・ジュレクの「EAT & RUN」という本を思い出し、ふと「ちょっと走ってみようかな」と思い立った。トレイルランニングに興味があるのだけれど、山の未舗装の斜面を走ったことはまだないのだ1)

ホテルのすぐそばを「妙高高原スカイケーブル」というケーブルカーが麓から標高およそ1300メートルの山頂駅までを11分で結んでおり、山頂駅周辺にはトレッキングコースもあるらしい。でも、残念なことに今年の営業は11月初旬で終了してしまった。まぁちょっとトレイルランのマネごとをするだけなので、バルコニーから見えているスキーリフト(今は動いていない)にそって山麓からホテル、ホテルからさらにもう一つ上のリフトステーションくらいまで上り下りしてみることにした。

意気揚々とハイペースで歩きだしてみたところ、12月中旬からはスキーゲレンデになる斜面なだけに、斜度がけっこうあり、ものの5、6分で息が上がる。心拍計は持ってこなかったので正確なところはわからないけれど、どうも150オーバーのレッドゾーンに入っている感じだ。それでも空気は澄んでいるし、足元は落ち葉と冬枯れした芝でふかふかと気持ち良い。やはり舗装路に比べて、関節への負担は相当に軽い気がする。とはいえ、ふくらはぎや腿の筋肉への負荷が想像以上に高く、かなりキツい。「走る」なんてとてもムリで、一定のペースで「歩く」ので精一杯、そのうち「這う」に近い有様になる。こんなのでも、トレーニングすれば少しは「走れる」くらいになるのだろうか?スコットの最新刊「North 北へ」によると、彼はアパラチアン・トレイルを一日60キロから80キロのペースで進み、3,500キロをおよそ47日間で走破している。一日80キロを47日間なんて平地だって至難の業だと思うけれど、それをこんな傾斜の坂や岩登りが随所に現れるトレイルで達成したのだから恐れ入る。

結局、ハアハア言いながらも、およそ60分、なんとか休まずに斜面を上り下りし、スコットがいかにものすごい偉業を成し遂げたのか、ほんの少しだけ自らの身体で実感したのであった。iPhoneのヘルスケアアプリによると、昇った階数は113階分2)。このあとにまた部屋で浸かった温泉は、ひときわ身体に染み渡り極楽至極だった。

1 平地の舗装路なら家の近所を週に何度か走っている
2 どういう計算なのかはよくわからないけれど。

四万温泉・積善館(2)

本館での食事は2階奥にある食堂でとる。夕食は6時から7時の間。お重にはいったおかずが部屋ごとのテーブルにセットされていて、温かいごはんとお味噌汁が別に用意されている。お重は3重になっていて品数は多く、優しい味付けで悪くない。頼めば部屋に持ち帰って食べることもできるようだ。飲み物は、外で買ってきたものであっても、自由に持ち込むことができる。商店街にある酒屋で地酒を買って一献なんてのも楽しい。(食堂にも、それほど種類はないけれど、ビールやお酒が有料で用意されている。)

なにせ古い木造建築なので、廊下を人が歩くとぎいぎいときしむし、足音が響いたりする。また、本館の部屋は、トイレ、洗面所が共同で、いちいち部屋の外に出なければならないのが面倒といえば面倒だけれど、それも風情だと思って楽しむとよい。

積善館は、古い歴史や由緒ある建築が温泉ガイドにとりあげられるけれど、それに劣らず、接客も丁寧だ。本館での宿泊は「湯治」スタイルなので、客が自分のペースで時間を過ごせるように、日本旅館では普通とされるサービスのいくつかをあえて「しない」選択をしている。たとえば、部屋ごとに何くれと世話をしてくれる接客係はいないし、布団を敷くのも客が自分でやることになっている1)。それでも、スタッフのみなさんは、チェックイン・アウト、食堂での給仕といった要所要所で、気配りの効いた、落ち着いた品のある接客をしていて、客が心地よく過ごせるよう気を使っているのを随所に感じることができる。また、宿のウェブサイトはとても充実していて、宿の自負と誇りを随所に感じる読みものが満載だ。

四万温泉の周辺には、徒歩やクルマで訪れることのできる観光ポイントがいくかある。紅葉のシーズンであれば、日向見薬師堂や四万川ダムに立ち寄ってみることをお勧めする。

1 普段、ホテルに泊まりなれている身からすると、日本旅館のサービスは時に過剰で、かえってわずらわしいことが多い。布団だって、部屋のどこにいつ敷くのか自分で決めたいので、放っておいてくれる仕組みのほうがありがたい。フルサービスが好みの場合には、山荘か佳松亭に泊まるとよい。