お好み焼き in ロンドン

4、5年前のロンドン出張のときのこと。夕方早めの時間に仕事がすべて終わり、大英博物館近くのホテルの部屋に戻ってきた。出張の最終日ということもあって、もう社内外の人と会う約束もなく、ひさしぶりに一人でのんびりできる時間ができた。さて、今夜は何を食べようかな、と思案する。

アメリカも含めた西欧圏への出張で悩ましいのは、ちょっといいものを食べよう、いいレストランに行こう、と思っても、一人で行くのは事実上困難ということである1)。ディナーという「社交」の場は、基本は二人連れかそれ以上の人数、というのがお約束。テーブルクロスのかかっているようないいお店で、男一人で食事をしている姿なんてまず見ない。そのため、いきおい、一人の食事は、ホテル内のレストランとかルームサービス、あるいはデリとかそのへんのテイクアウト系のお店でピザなんかを買ってくることになり、部屋でひとりPCの画面を眺めながらもそもそ食べるという、傍から見ると、寂しき中年男みたいなことになる。

ホテルのルームサービスはもう散々食べたし、その晩はまだ時間が早いこともあって、外に出たかった。和食なら一人でも別段おかしくないだろう、ということで、日本食系統のお店をつらつらと検索していたところ、歩いてほんの数分というところにお好み焼き屋がある。おおこれはよさそうじゃないの、と喜んで早速出かけてみた。

お店はすぐにわかった。小さな入口の脇に赤いちょうちんがかかっている。ディナータイムに店を開けたばかりだったようだ。応対に出てきてくれたうら若い可愛らしい女性に、予約ないんだけど入れるかな、と聞いてみると、ちょっと困ったような顔でお待ち下さい、と一旦奥に引っ込んだ。戻ってくると、今から1時間だけでよければ、と言う。聞けば、バレンタインの予約でいっぱいだそうな。そうか、今日は2月14日、バレンタインデーだったか。

もちろん1時間もあれば十分なので、ビールを頼み、お好み焼きを頼んだ。お好み焼きはなんと麺の入った広島風のちゃんとしたもののようで、広島でお好み焼き屋をやっていた人がお店のオーナーらしい。応対してくれた女性は、英語のアクセントからすると地元の大学生という感じで、いま日本語を勉強中だそうだ。

ビールが一本空いたくらいのタイミングで、熱々のお好み焼きが運ばれてきた。ソースとかつお節のいい香りが鼻孔をくすぐる。和食が恋しくなりかけていたタイミングだったのもあって、なんとも美味しそうだ。件の女の子が「マヨネーズかけますか?」と聞いた。もちろん「お願いします」と答える。すると、彼女はにっこり笑って、白いマヨネーズのチューブを絞った。

ハートマーク♡

秋葉原のメイド喫茶かなんかの情報が、間違ってはるばるロンドンまで伝わってるんじゃなければいいな、と思いつつも、どこかほっこりと心温まるバレンタイン・ディナーだった。

1 日本でもフレンチやイタリアンの高級店にオトコ一人でいくということはないけれども、寿司屋とか蕎麦屋なら一人でも問題ないと思う。

四万六千日分の功徳

7月9日、10日は浅草寺の「四万六千日」という縁日だ。本尊である観世音菩薩の縁日には「功徳日」といわれる特別な日があり、その日に参拝すると、100日分、1,000日分などの功徳が得られるとされている。7月の功徳日はそのうちでも群を抜いて「特別」で、この日にお参りをすると、4万6000日分の功徳があるらしい。126年分である。根拠は知らぬが1)盛り過ぎだろう。ここまでくると、あまりのいい加減さおおらかさに、マナジリを釣り上げて「どういうこと?」と問い詰める気も起きない。室町時代に始まったというから、かれこれ600年ほど前のマーケティングにいまだにうかうかと乗せられ、あーあと気の抜けた半笑いを浮かべつつ、つい行ってしまう。もう何度か行っているから、多分、400年分近い功徳を積んだはずなのだが、まだその威力を実感するには至っていない。

本堂で30分おきくらいに行われる、15分ほどの読経に行くと、お堂のそこここに、真剣な表情で一心に祈る人、頭を下げ目を閉じてお経に聞き入る人がいる。高齢の人も、中高年も、若い人もいる。きっとみな、僕らと同じく、日々働き慎ましく暮らす人々で、暮らしの中の小さな悩みや願い、あるいは感謝を心に浮かべているのだろう。功徳4万6000日分の大盤振る舞いという滑稽さの一方には、庶民のささやかでまじめな祈りが込められていて、なんというか、人の温もりや地に足の着いた生活感のようなものも、そこには同時に漂っているのだった。

この両日、境内では、ほおずき市がたつ。ほおずきの鉢植えが所狭しとならべられ、鮮やかなオレンジと緑が参道を彩って夏らしい風情になる。

1 米一升が46,000粒だとか諸説あるようだが、そもそもなぜ米一升分なのかなど謎が増える。

にしんそば

関西育ちのせいか、「にしんそば」には馴染みがあり、日本中どこでも食べているものだと思っていた。それがどうやらそうではない、と気づいたのは15歳で茨城県に引っ越してからである。駅の立ち食いそばでも、町中の普通の蕎麦屋でも、品書きに「にしんそば」が見当たらないのだ。少なからずの人から「にしんそばを知らない、食べたことがない」と言われてビックリした。「にしんそば」は、主に北海道と京都(および関西)で食べられているもので、決して全国区ではない1)のだと思い知らされた出来事だった。

埼玉や茨城出身者に聞いてみると、関東にもニシンがないわけではないけれどが、正月の昆布巻の中にちんまりと入っているくらいで、食べる機会はほとんどないという。とはいえ、関西ではニシンを日常的に食べているか、といえば、それもちょっと疑問で、僕の両親は関西の出身ではなかったので関西の食習慣を代表することはできないまでも、ごはんのおかずに時々ニシンを食べている、という友人はいなかったように思う。いずれにせよ、僕にとってニシンは、ほぼ100%「にしんそば」2)として食べるものであった。

数年前、小樽に旅行したときに、保存されている「鰊御殿」を見に行った。「鰊御殿」というのは、明治末期から大正にかけて、ニシン漁で財を成した網元3)が建てた豪勢な家屋である。この鰊御殿のある祝津漁港には、干したものではなく生のニシンの塩焼きを食べられる海鮮飯屋がいくつかある。おお、これは珍しい、と喜んで食べてみたところ、あら、びっくり。焼き魚で食べるニシンはそれほど美味しいものではなかった。身は水っぽくて妙にやわらかく、旨みもそれほど強くない。江戸・明治期には、大半を鰊粕という肥料にして利用したのも頷ける。「にしんそば」に乗っているニシンの独特な旨みは、干したものを戻して甘露煮にするからこそ生まれるものだったのだ。

1 最近では東京でもずいぶんと見かけるようになった。
2 うどん文化圏の関西でも、なぜか「にしんそば」は必ず蕎麦であり、「にしんうどん」というものを見た記憶がない。
3 主に北海道の日本海沿岸

そして彼は途方に暮れる(遠距離通勤2)

日本橋に勤めていた頃のこと。同じ部に新幹線通勤の先輩がいた。栃木県那須塩原のリゾート地から東北新幹線で東京駅までおよそ70分。新幹線ならすし詰め満員ということもなく、往復ともにゆったりと座れる。会社から東京駅までは歩いて5、6分とくればなかなか優雅なライフスタイルであった。考えられる弱点といえば、3ヶ月で35万円超の定期券を酔っ払って失くしたりしないか、くらいだったと思う1)

当時、僕は日本橋から銀座線で上野、上野から宇都宮線に乗り換えるルートで帰宅していた。銀座線上野駅からJR上野駅へはそれなりに歩く上、通路が狭い。普段はまぁ仕方がないとしても、飲み会の帰りなどはこの乗り換えがとても億劫になる。そういうときは、東京駅から大宮(埼玉県)まで一気に新幹線に乗ってしまう2)。電車賃はかかるけれど、二次会、三次会へ行ったと思えばお釣りが来るくらいだし、大宮から先の在来線は混雑も緩和されているので、一石二鳥なのである。

ある晩、飲み会からの帰りみち、ほろ酔い加減でひとり東京駅の新幹線ホームを歩いていると、後ろから件の先輩に声をかけられた。偶然帰りのタイミングが一緒になったようだ。そこで二人で缶ビールを買い、新幹線に乗り込む。発車間際だったが、運良く並びの席に座ることができ、ビールを飲みながら他愛もない話をしているうち、あっという間に大宮に到着。お疲れ様でした~なんて言いつつ、僕は新幹線を降りて、ホームから先輩を見送って、在来線に乗り換えた。

僕が降りた後、先輩はいつものように那須塩原まで一眠りしようと目を閉じたそうだ。習慣というのは大したもので、およそ40分後にちゃんと目が覚めたものの、なにか違和感がある。ふと窓の外を見ると、新幹線はちょうど軽井沢駅に滑り込んだところだった。我々は東北新幹線ではなく、上越新幹線に乗っていたため、彼は栃木県那須塩原ではなく、長野県軽井沢に運ばれてしまったのであった3)。新幹線通勤には、乗り間違えたり乗り越したりすると、数十キロから数百キロ単位で豪快にワープしてしまうという弱点があったのだ。

1 当時はまだSuica定期券はなくて、定期を失くした場合、再発行の手段はなく、買い直すしかなかった。
2 在来線は上野止まりだったが、東北・上越新幹線は東京まで乗り入れていた。
3 どちらも大宮まで来て、そこから北と西に分かれて進む。

遠距離通勤

遠距離・長時間通勤については、ちょっとしたエキスパートを名乗ってもよいのではないかと思う。高校、大学と7年間、就職してからも結婚するまで8年くらい、都合15年くらい遠距離を通学・通勤していた。ここでいう長距離というのは、往復3時間以上のことである。NHKの2015年の調査1)によると、東京圏の平均通勤時間は往復1時間45分なので、平均の倍近く、ということになる。

たとえば、片道1時間半、と聞くと、「うわ、遠っ!なんでそんなとこから通ってんの?」という反応をされることが多かったが、そのうちまとまった60分ちかくを座わっていられるのなら、実はそれほど大変でもないのだ。それどころか、この1時間の移動タイムが大切な読書時間になる。経済学者の野口悠紀雄先生もツイッターで「通勤電車は独学のための最高の環境。他にすることがないので、勉強に集中できる。(後略)」とつぶやいている。

実際、一日の中で都合2時間、集中して読書する時間を確保するのは意外と難しい。10数年前に、通勤時間が30分弱に短縮されたときは、体力的に確かにラクにはなったけれど、読書時間が急減して「知的インプット」みたいなものがガタ落ちし、精神的にはかえって落ち着かなくなった。高校、大学、社会人と充実した読書習慣を継続できたのは、遠距離通学・通勤のおかげだったとも言える。ただし、たとえ座れたとしても、実際に「集中できる」環境かどうかは注意が必要だ。あなたの集中を妨げる伏兵は、いろんなところに潜んでいる。

朝の車内は静かだ。みな無言で、働けど働けどわが暮らし楽にならず、とじっと手、でなくスマホを見つめている2)。問題は帰り、夕刻である。そう、必ず酔っ払いがいる。山手線や私鉄では、夜遅い時間にならない限りあまりみかけないけれど、中・遠距離の列車には、どういうわけか、夕方4時頃でもかならず酔っぱらいがいた。僕が高校、大学の頃は、上野発の宇都宮線・高崎線の電車3)はどこか牧歌的で、上野駅で出発を待っている時点から、車内はすでにカップ酒とスルメイカのニオイが満ちていた。電車が移動酒場になっていたのである。

静かなひとり酒なら良いのだが、ご機嫌で仲間と放談するサラリーマンの二人連れ、三人連れになると相当に鬱陶しい。酔っ払って寝ててくれればよいかというと、それもまたケースバイケースで、酒のニオイと加齢臭がムンムンにミックスされたおっさんが、だらしなく正体をなくしてもたれかかってきたりすると、神仏はなにゆえ私にこのような試練を与えるのだろうかと世をはかなみたくなる。

夜が深くなって終電が近づくと、ものすごく混む上に、飲みすぎて青い顔をした人がちらほら出てくる。時折ひくっとカラダを震わせていたり、生気なく中空の一点をぼーっと見つめていたりすると、相当にヤバい兆候で、速やかに半径3メートル圏外に脱出しないと、甚大な災害に巻き込まれる恐れがある。もちろん自分が泥酔してそういう時限装置付き危険人物になる場合もある。中長距離列車のよいところは、数両にひとつトイレ付きの車両があることで、トイレのそばに乗っていると多少安心できた。まぁ、もちろんそんなときは、集中して読書どころではなく、乗り越さずにちゃんと自分の駅で降りるのが最大のミッションなのだが。

1 「東京圏の生活時間・大阪圏の生活時間」
2 昔はスポーツ新聞や週刊誌のエロページを見つめているおっさんも沢山いた。今思うと、朝からパブリックな場で何をやっていたのかと思う。
3 その頃、まだ今のように東海道線とはつながっておらず、全て上野発着であった。

欧風カレー

カレー。インド発祥のアイデンティティを失うことなく、日本の食文化に完全に根をおろし、もう国民食のひとつと言ってよい地位を確立している。辛さの程度はさておき、男子でカレーが嫌いだという人物には、いままで出会ったことがない。子供の頃、給食がカレーだとお昼が待ちきれず、いざお昼となれば、熾烈なおかわり争奪戦が繰り広げられた。西城秀樹の「ハウスバーモントカレー」CMのメロディは脳の奥深くに刻み込まれていて、もはや消去不可能である1)。レトルトのお手軽バージョン、家庭用カレールー、ファーストフードから高級レストランまでありとあらゆるレベルに浸透している。

これほどに愛される食べ物であるから、当然いろいろなバラエティがある。家庭料理としてのカレーはもちろん、本場インドの製法は北から南まで、パキスタンやネパールなどインド周辺国のもの、タイ・カレーといった東南アジアテイスト、ダシの効いた蕎麦屋のカレー、カレー南蛮にカレーうどん、種々のご当地カレーなどなど。

その中でも、就職してから初めて食べたものに「欧風カレー」がある。スパイスの辛さというよりは、豊かなコクと玉ねぎの甘み、どろりと濃いソース。最初はそのネーミングから、インドからイギリスやフランスに伝わってヨーロッパ風に変化したカレーなのかと思っていたが、実際にはイギリスにもフランスにもこういうカレーはない2)。フランス料理で使われる「ブラウンソース」をベースにしたカレーで、神保町の「ボンディ」初代店主・村田紘一氏が創始・名付け親だそうだ。

僕がよく行くお店をあげるなら、

ボンディ神保町本店。欧風カレー本家、神田古書センタービルの2階。靖国通り側から入る場合は、こんなところ通っていいのかと思うような、古書センターの中の書棚の隙間をうねうねと通りぬける。神保町は有名カレー店が多く、出版社勤めの人はたいてい、自分のレパートリーを持っているけれど、ボンディは誰にとっても「必須科目」ナンバーワンだと思われる。

ガヴィアル。ボンディからは歩いて5分の神保町交差点そば「ははなまるうどん」の上。ボンディより席の配置が広めなので、ゆったり食べたいときにはこちらがよい。同じ辛さを指定しても、ボンディよりわずかに辛さが控えめのような気がする。

プティフ・ア・ラ・カンパーニュ。地下鉄半蔵門駅そばの一番町交差点から麹町方向に1、2分。僕が「欧風カレー」に出会ったのがここ。この店からすぐのところに、新卒で入社した会社があった。入社間もない頃に、先輩に連れてきてもらったのだが、こんな美味しいカレーがあるのだなぁと感激したものだ。場所柄のせいか、上記2店よりもう一段、洗練された感じがする。

ボンディ以外の二店もボンディの流れを汲むお店なので、味わいの方向性、小さなジャガイモとバターが別についてくるところ、メニューの構成、お店の作りなどは、だいたい同じ。慣れてくると、その日の気分でそれぞれの個性を選んで食べに行きたくなると思う。

1 ボケて親戚兄弟の顔が見分けられなくなったとしても、このCMソングは歌えるのではないか。
2 ロンドンで何度もカレーを食べたけれど、どれも正統インドカレーばかりで、ロンドン風あるいはヨーロッパ風といったものは見たことがない。

男子校という世界

文部科学省の学校基本調査によると、男女別学の高校(つまり、男子校とか女子校のことね)は近年激減している。2017年(平成29年度)のデータによると、全国に4,907ある高校のうち、別学は415校、校数の単純な割合でいえば8.5%である。僕が高校に入った年(1981年)には全国5,219校のうち、1,135校、21.7%だった。公立高校に限ればその減少幅はずっと大きくて、1981年に全国340校あったものが、2017年には、群馬県、栃木県、埼玉県を中心にわずか48校が残っているだけで、男子校にいたっては、たった14校。ああ、我が母校は知らぬ間に絶滅危惧種になっていたのである。

別学がいいのか、共学がいいのか、人それぞれ考えはあるだろう。僕は生まれ変わってもまた同じ高校に通いたいと思っているくらいに高校時代が楽しかったので、できれば母校には、いつまでも変わらぬ男子校であってほしいと思っている。

入学式の日、集合場所の前庭に行った瞬間、「黒いな」と思った。ずらりと並んだ新入生が全員黒い詰め襟だから、そりゃ黒いわけだ。そして新入生であるにもかかわらず、フレッシュというよりはすでにむさ苦しい。女子がいないだけで、世界はこんなにむさ苦しくなるのだ、というのは新たな発見であった。

「質実剛健」を校訓とする古い学校で、当時は、埼玉県下で最も古いコンクリート造りといわれる何の飾りっ気もない実用一点張りの校舎だった。上履きというものがなく、教室まで外靴でどかどかと入り、夏に冷房などないのはもちろんのこと、冬に暖房もなかったが、どういうわけか誰も風邪を引かなかった。男子だけの学校生活は、異性の目を気にする必要もなく、とにかく気楽で、自由闊達に青春を謳歌できた。

ただ、そうは言っても男子高校生、普段接することがないだけに、女子に対する興味は否応なく妄想となって膨張し1)、年に一度の文化祭だけは、女子にアピールするための最も重要な学校行事となった。頭脳で勝負しようとするもの、肉体で勝負しようとするもの、アートに訴えるもの、食欲に訴えるものなど、多少の違いはあれど、なんとかして女子とお近づきになるための仕掛けを未熟なアタマで考える2)のだが、どこか間が抜けていて、顕著な成功例を寡聞にして知らない。

ところで、今こうして思い返してみると、SNSがない時代の記憶は、もはや遠くに見える美しい風景のように、いい具合に霞がかかっている。写真やコメントが色褪せず残るのも、それはそれで一興だけれど、青春のバカさ加減は、記憶の中で美化風化するからよいのだ。当時のクラスメイト諸氏はきっとみな同意してくれると思う。

1 おおむね、同年代の女性はみな女神のように神聖なものと思い始める。
2 ある年、模擬喫茶店で出すスイーツを、差別化のために「和菓子」にしてみたのだが、意に相違して父兄のたまり場みたいになってしまったのは痛恨の極みであった。

音声操縦

「オーケー、グーグル」って小学生がAIスピーカーに向かって言う姿は、かつて大作少年がジャイアント・ロボ1)を操縦していた姿を彷彿とさせる。大作くんがジャイアント・ロボを操って悪の組織BF団と戦っていたのは1967年なので、かれこれ50年ほど前のことだ。ジャイアント・ロボは腕時計型の音声操縦システムで動くロボットで、大作くんの声にしか反応しない。

最近、AIスピーカーが人気だ。アマゾン・エコーとかグーグル・ホームみたいなやつ。インターネット(とその先にあるAI的なプログラム)につながっており、スマートフォンを使う代わりに、音声だけで操作できる。まさにジャイアント・ロボである。このスマートスピーカーを使うには、「今から話しかけるぞ」ということをまずAIに伝えるために、決められた「符丁」を言う必要がある。グーグル・ホームだと「OK、グーグル」がその符丁だが、これが意外とハードルが高い。自意識過剰なのかもしれないけれど、えーと発音は「オーケー」でいいんだっけ、それとも英語っぽく「オゥケィ」かしらん?、「グーグル」のアクセントはどこ?最初の「グ」あとの「グ」?などと余計なことを考えて躊躇する。とても人前でなど言えない。

この「符丁」部分を自分の好きな言葉に設定できればいいのに。そうすればもっと自然に呼びかけができる。もちろん「ジャイアント・ロボ」にするのだ。

「ジャイアント・ロボ、電気をつけて」
「ジャイアント・ロボ、タクシーを呼んで」
「ジャイアント・ロボ、もっと楽しい曲をかけて」

素晴らしい。身長30メートル、体重500トンの、スフィンクスみたいないかつい顔の巨大ロボットがタクシーを呼ぶ姿が目に浮かぶようだ。50年の時を経て、ジャイアント・ロボはもう悪と戦う必要はなくなり、僕らと平和な余生を過ごすことになったのだ。

1 「鉄人28号」の横山光輝がテレビ化を前提につくったロボットもの。漫画版は少年サンデーに連載された。テレビ版は、どうやらインドでも最近まで放送されていたようで、僕よりだいぶ年下のインド人同僚も、子供の頃にこの番組を見ていたらしい。

冷たい麺

暑くなると冷たい麺が食べたくなる。というか、それ以外食べたくないというくらいの気分になる。暑くてだるくて食欲がわかないときでも、冷たい麺であれば、食べられる。つるつる、という擬音がアタマにうかび、食欲がわかないなどと言っていたのもどこへやら、今すぐにでも麺が食べたいっ、くらいの気持ちになるのだから現金なものだ。冷たい麺といっても、いろいろある。もり蕎麦、ひやむぎやそうめん、冷やし中華につけめんに冷麺。最近は、桜がおわると即、盛夏くらいに気温が上がるせいか、ラーメン店もいろいろと冷たい麺を工夫して早めに投入してくるようになった。

そばつゆに山葵、そうめんつゆにおろし生姜と刻みネギ、なんてのもいいけれど、それはどこか夏休みの匂いがする。6月だとまだ少しだけ早い感じ。もう少しボリュームがあって、今の時期に食べたい麺といえば、

高田馬場、「えぞ菊」の冷やし中華。札幌味噌ラーメンの老舗で、明治通りと早稲田通りの交差点から早稲田大学方向に100メートルほど。冷やしは、ゆでもやし、レタス、トマト、きゅうり、つめたい半熟卵に細切りチャーシューとボリュームたっぷり。醤油スープででてくるけれど、ゴマペーストを別に出してくれるので、それを途中で入れると両方の味が楽しめる。僕は最初からたっぷりゴマペーストを入れて食べる。

同じく高田馬場、「ティーヌン」の冷やしトムヤムヌードル。「えぞ菊」とは早稲田通りを挟んで斜向い。トムヤムクンに麺をいれたトムヤムヌードル発祥のお店だけれど、夏になると冷やしも食べられる。麺はセンレック(米粉の麺)かバミー(中華麺)を選べる。酸っぱ辛いスープはバテ気味のカラダと心がしゃきっとする。ランチタイムには出しておらず、14時以降なのでご注意。

ウェスティン東京(恵比寿)「龍天門」の冷やし担々麺。もともと隠しメニューだったようだが、人気のせいか最近では「表」メニューに載るようになった。温かいものもおいしいけれど、何と言っても冷やしが素晴らしい。行儀が悪いとわかっていても、スープを残らず飲んでしまう。いつも混んでいるので、ランチでも予約したほうが確実。

マカロニほうれん荘原画展

先日、中野ブロードウェイの「Animanga Zingaro」で開催中の「マカロニほうれん荘原画展」へ行った。中野駅北口からサンモールという狭い屋根付きの商店街を通り抜けて、中野ブロードウェイへ。数十年ぶりに行ったけれど、相変わらずの魔窟っぷり。サブカルチャーのごった煮をさらに煮詰めたような場所だが、会場はこの2階にある。

以前のエントリーで「マカロニほうれん荘」について書いた。マンガのレビューを書くのも野暮だと思ったけれど、僕にとっては何せ大きなインパクトを残した作品なのだ。この原画展に行ってみて、このマンガがいかに「ロック」だったのか改めて思い知ることになった。

SGのダブルネックを持ったジミーペイジはよくモチーフとして使われた。
最後のふたコマにつながるリズム感がもう最高

会場には、BGMとして、著者の鴨川つばめが選んだロックの名曲が流れていて、そのプレイリストには、AC/DC、シン・リジィ、クイーン、UFO、スコーピオンズ、アイアン・メイデン、タイガース・オブ・パンタン、ヴァン・ヘイレン、ハート、エアロスミス、キッス、グランド・ファンク・レイルロード、サンタナ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、レインボー、ブラック・サバス、ジミ・ヘンドリックスなどなどなど…70年代のハードロックばかりがずらり。登場人物をつかったイラスト作品にも、そういったアーティストをモチーフとした作品がたくさん。

シン・リジィ「ライヴ・アンド・デンジャラス」ジャケットのパロディ

小学生でこのマンガを読んだときには、その5年か6年あとに、自分も、総司やトシちゃんみたいにエレキギター抱えてコピーバンドやるなんて思いもしなかった。このマンガと西城秀樹による早期教育が、のちに大学生になってハードロックに青春を捧げる下地となっていたわけだ。