新しいグローブ

関西でスポーツといえばなんといっても野球。少なくとも僕が小学生の頃はそうだった。放課後はほとんど毎日野球をしていた。クラスごとにチームがあって、学校近くのグラウンドの取り合いも熾烈だった。日が落ちて暗くなるまで試合や練習は続き、試合が白熱しているときには、そのまま「簡易ナイター」になった。普通の公園に満足な照明設備などないから、キャッチャーの後ろに自転車を3台くらい並べて、攻撃側の空いているやつがスタンドに立てたままの自転車を漕いでライトを照らす。このためにみな、普通は前輪についている発電機を後輪に付け替えたりしていた。このシステムの問題は、灯りがあまりにささやかで、ピッチャー返し以外の打球はどこに飛んでいったか見えないことだ。結果、せいぜい打者ひとりかふたりでボールがどこかに行ってしまい、試合はお開きになったものだった。

僕は阪急沿線に住んでいたので、プロ野球シーズンはいつも、阪急デパートによる、阪急ブレーブス優勝感謝セールか、応援感謝セールで幕を閉じた1)。小学校6年の頃に買ってもらった美津濃2)のグローブは、確か小学校5年の秋の「感謝セール」で買ってもらったのではなかったかと思う。外野手用なのかちょっと縦長で、黄色っぽい色がなんとなくプロっぽくてとても気に入っていた。その後、長いこと、大学や会社のスポーツ大会などでも使い続け、ほぼ一生モノといってよい存在だったが、3年前の実家の火事で失ってしまった。

先日、野球をやりたいと言い出した甥っ子がグローブを買いに行くのにつきあって、御茶ノ水のミズノのお店に行った。野球用具のフロアには、硬式用、軟式用、少年野球用などのグラブが並んでいる。イチローモデルなど有名選手が使っている形をそのままコピーしたタイプもある。革がつやつやと光る新品がずらりと並んでるのは壮観で、子供の頃の、あのわくわく感が突然よみがえって、気がつくと、甥っ子そっちのけで、自分のグローブを熱心に選んでいる始末。あれこれ試した末に、失ってしまったものと似た形だが、色の黒い軟式用のグローブを買ってしまった。昔、買ったばかりのグローブは硬くて、皮革用のクリームをよく擦り込んで柔らかくしつつ、ボールをキャッチした状態のまま、紐でぐるぐる巻いて形をつくったものだったけれど、今は、買った後すぐにお店で餅つき機のような機械で柔らかくしてくれる。

1 阪急ブレーブスは現在のオリックス・バファローズ。70年代の阪急は強くて、パ・リーグではいつも優勝争いをしていたように思う。もう一方の関西の雄・阪神タイガースは人気の割に成績はぱっとせず、優勝セールなんて一度も経験しなかった。
2 当時はいまのようなアルファベット表記ではなく、社名は漢字表記だったはず。

数学への憧れ

中学の途中までは得意だったはずの数学が、いつのまにか苦手科目に変わってから、ついに挽回することなくここまで来てしまった。高校時代のクラス分けでは、早々に「私立文系」組に入って数学から遠ざかり、当然の帰結として私立大学の文学部に進学した。いや、「当然の帰結」というのはちょっと言い過ぎで、文学部というのは、やや極端な選択ではある。ちょっと目端の効く同級生たちは、就職に有利だとされる法学部や経済学部に進学していたが、当時から世の中を斜に見る傾向のあった僕は、「就職目当て」の進路選択をケッと軽蔑し、理由なき反抗によって文学部を選んだのだった1)。今考えると、若気の至りともいえるが、今さら取り返しはつかない。結果として、日本経済がバブルで浮かれていた大学4年の頃、法学部や経済学部の連中は、大手企業から早々と内定をいくつももらって得意げにほくほくしていたが、文学部はまるで蚊帳の外で、安っぽいリクルートスーツを着て、暑い中を汗だくで就職説明会をはしごし、落とされまくり、世のリアルに涙し、自分の浅はかさに何度も深い溜息をついたのだった。

話のマクラが長くなった。こうして数学から遠ざかって長い年月が経つけれど、実は数学が嫌いな訳ではない。むしろすごく興味があるし、わかるようになりたいと思っている。まぁ、今さら微積分の問題を解きたいということはないけれど、もっと大きな絵の中で、最先端の数学が取り組んでいる問いがどういう意味があるのか、それに関わる人物模様についてもっと知りたい。この興味のど真ん中を射抜き、刺激してさらに大きくしたのは、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(青木薫訳、新潮文庫)2)という本だった。たまたま空港で手にとったこの本があまりに面白くて、夏休みで行った沖縄で、ずーっと一日中読みふけった。これをきっかけに、ポアンカレ予想を証明したペレルマンについての本や、アラン・チューリングの本にも手を出した。

数学者を扱った映画も沢山ある。統合失調症に苦しんだ天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描いた「ビューティフル・マインド」、第二次大戦中ドイツ軍のエニグマ暗号を解いたアラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム」、夭折したインドの天才数学者ラマヌジャンを主人公にした「奇蹟がくれた数式」。スティーブン・ホーキングの伝記的な「博士と彼女のセオリー」3)などがある。最近みた映画では、「ギフテッド」が良かった。ナビエ–ストークス方程式の解決を期待されるほどの数学者だったが、自ら命を絶ってしまった姉。弟のフランクは、数学的な天賦の才を母から受け継いだ娘メアリーを引き取り、普通の子供として育てようとする。実話ではなくフィクションだけれど、作中「ミレニアム問題」が重要な鍵のひとつとなっている。メアリーを演じた子役のマッケンナ・グレイスが素晴らしい。

1 経済学や法学には興味がもてず、文化人類学に興味があったということもあるけれど。
2 ビッグバン理論を扱った「宇宙創成」、暗号の世界を扱った「暗号解読」も実に面白い。青木薫の訳も見事。
3 「奇蹟がくれた数式」の原題は「The Man Who Knew Infinity」、「博士と彼女のセオリー」の原題は「The Theory of Everything」。いずれも、原題はストーリーの鍵を含意しているのに、おかしな日本語題のせいで、それが台無しになっている。

銀杏

世の中には、これを最初に食べようと思ったヒトって何を考えてたのかね、っていう食べ物がいくつかある。ちょっと思いつくところでは、ウニ、ホヤ、アーティチョーク、キウイなどなど。このあたりは、形状がとても食べ物には見えない。ドリアンと銀杏は、そのニオイからして食べ物と認識するのは難しかっただろう。

そう、銀杏。この季節、おもに寺社の境内や公園にあるイチョウの木立のあたりから、あの「芳しい」ニオイが漂ってくる。家の近くの神社にも、立派なイチョウがたくさんあって、その大半がいわゆる「雌」株らしく、秋が深まると、境内に続く階段やその周辺の道路に、黄色く熟した果実(というか種子)がこれでもか、というくらいに落ちる。その実りたるや、イチョウが意図的に嫌がらせをしているのではないかと疑うほどに豊かで、神社の人も掃除してくれてはいるものの、とても追いつくレベルではない。

秋の澄み切った青空を眺めながら、きりっと冷えた空気を深呼吸しようとした刹那、あのニオイが漂ってくると、途端に、終電間近の新宿駅の階段の隅やトイレ付近のイメージが呼び覚まされ、どこだどこだと足元や周囲をキョロキョロと見回すハメになる。長い進化の年月から言えば、イチョウのほうがはるかに先輩ではあろうけれど、上から下からを問わずニンゲンの排泄したものと似たニオイの種子というのは、どういう偶然なのか。

銀杏は、あのクサイ部分(外種皮)の中にある硬い殻の、さらにその中を食べる。まぁ、そこまでして食べようとした先人がいたからこそ、秋の味覚として今我々が楽しんでいるわけだが、彼ら先人は大変なご苦労をされたことであろう。鼻をつまんで外種皮を突破したとしても、実は可食部にも厄介な毒があるのだ。ビタミンB6に似た物質を含んでいて、それがビタミンB6本来の働きを阻害するらしい。とくに子供は影響を受けやすく、だからこそ、昔から「年齢の数だけ」食べて良い、と言ったわけだ。僕などは小さい頃、茶碗蒸しに入っている銀杏が嫌いで、避けて食べていたくらいだから、銀杏を好んで食べる子供なんていないだろうと思っていたら、さにあらず。東京都福祉保健局のページによれば、「ギンナンを約7時間でおよそ50個食べ3時間後に全身性けいれんを起こした1歳の男児、50~60個食べ7時間後におう吐、下痢、9時間後に全身性けいれんを起こした2歳の女児」の例が報告されていて、かなり驚いている。

都立中央図書館

このところ、広尾にある都立中央図書館によく行く。広くて、閲覧席も比較的空いていて、ゆっくり調べ物や書き物ができる。駐車場も無料だ。

昔から本を読むのが好きだった。小学校の頃、学校の図書室にあった本はあらかた読んでしまった。今思い出すと、自分の図書室カードの借り出し欄をいっぱいにするのが楽しいという、若干コンプリート趣味的なものがあったのは否めないのだが、それでも借りた本は全部読んでいた。図書室では飽き足らず、高学年になると市立図書館へもしょっちゅう行っては本を借りていた。何か特定のシリーズや作家にはまると、読み尽くすまでずーっと読んでる。たしか最初はモーリス・ルブランの「ルパン」ものあたりだったか。それから、「エルマーのぼうけん」シリーズ、「ドリトル先生」シリーズ、斎藤惇夫の「ガンバ」もの1)、畑正憲のエッセイ、などなど。

図書室とか図書館といった、本がたくさんつまった場所には何か特別なものがある。今でも、図書館に足を踏み入れるたびに、子供の頃の、あの静かな興奮というか心の奥の方がかすかに震える感覚が蘇る。僕にとって図書館はいつも、静かで穏やかな空気が満ちた深い森を連想させる。森の奥に何かおもしろいものが眠っていそうで、足音を立てないようにずっと深くまで入り込んで行きたくなる。

中央図書館には素敵な食堂とカフェがある。5階の「有栖川食堂」は昨年10月に、1階の「有栖川珈琲」は12月に、新しくオープンしたらしい。食堂のほうは、定食メニューが豊富で、何を食べても美味しい。1,000円前後なので、都の施設としてはやや高めかなという価格設定だが、じゅうぶんに金額以上のクオリティだと思う。食堂の窓の外には、皇室や各国大使がメンバーに名を連ね、100年を超える歴史をもつ東京ローンテニスクラブのコートが間近に見え、遠景には六本木ヒルズが秋の日差しに銀色に光っている。1階入口横にあるカフェはドイツ式のちょっと濃い目の珈琲を提供していて、こちらも大変よい。

1 「冒険者たち – ガンバと15ひきの仲間」(岩波書店)は、今まで何冊買ったか数えられないくらい繰り返し読んだり、人にプレゼントしたりした。斎藤の第一作「グリックの冒険」では、ガンバは脇役で登場する。

珈琲三昧

ここ数ヶ月、外から戻って家のドアを開けると、喫茶店のような匂いがするのに気づく。朝晩二回、週末は三回、珈琲豆を挽いて、ハンドドリップで淹れるようになったからだ。もともと珈琲好きではあるけれど、3月に「コーヒーの科学」という本を読んでから、単に「飲む」以上の興味を持つようになった。

最初はお店で豆を挽いてもらっていたけれど、どんな参考書にも「淹れる直前に挽くのが最も美味しい」と書いてある。そこで手回し式のミルでゴリゴリと挽きはじめたのだが、相当な手間と時間がかかり、気分をリラックスさせるはずのコーヒータイムが苦行になってしまいそうだったので、カリタの「ナイスカットミルG」という文明の利器を導入した。これが大正解で、電動であっという間に挽ける上、精度が高くて粒子が揃っており、手挽きに比べるといわゆる「雑味」が飛躍的に軽減された。挽く細かさもダイヤルをひねるだけで自在に変えられるので、豆のロースト具合に応じて、あるいは、ホットとアイスに応じて最適な状態を選べる。今では、台所でガスコンロと並んで「利用頻度の高い」機器第一位に君臨している。

最もお気に入りの豆は、今のところ、ホライズンラボ(Horizon Labo)のもの。岩野響さんという若き焙煎士が、毎月テーマを決めてローストする豆だ。深煎り好きの僕にはぴったりで、酸味の少ない深い味わいと苦味の中に、彼が毎月表現するテーマを感じとることができる。深さと苦さとまろやかさが同居するといえばいいのか、いわゆる「苦い」珈琲が苦手だという人にも楽しめる上質な美味しさだと思う。ほかに、渋谷・公園通り1)にあるマメヒコの「深煎り珈琲」(豆は札幌・「菊地珈琲」のものだそうです)や、猿田彦珈琲の「大吉ブレンド」もよい。

それにしても、これだけ毎日淹れていても、同じに淹れるということができない。毎回どこかが、少しずつ違う。豆の挽き方も、湯の温度も、落とすスピードも変えているつもりはないのだけれど、ある朝は、苦味が強めに出るし、ある晩には、全体にちょっとピンぼけみたいな雰囲気が漂う。絶妙なバランスで「完璧だ!」と自慢げにあごひげを撫でる日もあれば、気難しい料理人なら「こんなもの!」といって投げ捨ててしまうだろうな2)、と思う日もある。違ってしまう原因がわかればよいのだが、当人は何かを変えているつもりがないのだから困ってしまう。これが珈琲の面白さの一端でもあるのだろう。それでも、朝の珈琲が上手に入った日は、一日何事もうまくいくような気になるのだから、単純なものである。

自分で淹れるようになってから、外で飲むことが減った。お気に入りのカフェはともかくとして、レストランで食事の後に「ついで」に注文する珈琲より、家に帰って自分で淹れたほうがずっと美味しいのだから仕方がない。

1 本店は三軒茶屋にあるのだけど、僕は公園通りばかりに行く。渋谷・神山にもお店があったけれど残念ながら最近閉めてしまった。
2 別に気難しい料理人ではないので、そのまま飲む。それなりには美味い。

相棒

相棒、といっても水谷豊のドラマではない。僕の愛車のことだ。

89年製のボルボ240GL。ボルボって販売数の大半がステーションワゴンらしいのだが、これはセダン。購入したのは叔父だが、97年にタダ同然で譲り受けて以来、21年間ずっと乗っている。全く飽きない。本当にいいクルマだと思う。幼稚園児の描く自動車の絵みたいに、カクカクした姿。さすが「タンク」と呼ばれただけのことはある1)。図体は大きく見えるが、実はそれほどでもない。タイヤの位置がボディの四隅ではなく、少し内側にあるので、小回りが効き、狭い場所やUターンなんかもラクちんだ2)

現在の走行距離は23万キロ弱。年平均ではそれほどでもないけれど、絶対値としてはなかなか貫禄が出てきた。エンジンはまったくヘタる気配もなく、むしろ以前より静かでスムーズに回っていて絶好調である。排気量は2300ccあるが、馬力は100馬力ちょっとしかない。でも、低速域のトルクが太く、停止から発進はアクセルを踏んだ分だけグッと加速するので、街乗りではまったくストレスを感じない。そのかわり、と言っては何だが、高速側では時速110キロを超えるとエンジン音がうるさくなるばかりで、それ以上はあまり速度が伸びないうえに、燃費が急に悪化する。

乗り始めたばかりの頃、真夏の首都高速で、渋滞の中水温計がレッドゾーンに達し、オーバーヒート寸前になって肝を冷やしたことがある。それに懲りて、ラジエータ(冷却装置)を2層式の強力なものに交換した。それ以来、大きなトラブルはほとんどない。個体差もあるのだろうが、そもそも基本設計が古く、製造期間がかなり長いクルマの最終期に近いモデルだけに、バグはもうすっかり出尽くし、ややこしい電子制御も最低限しかないので、こわれにくいのだと思う。

ノスタルジーを刺激するフォルムなのか、駐車場の年かさのオジサンに「いいの乗ってるねぇ」とよく声をかけられる。懐かしい旧友とか古い親戚に会ったような笑顔で、「オレも昔乗ってたんだよ」なんて、ひとことふたこと思い出話をしてくれる人も少なくない。こちらもなんだかほっこりした気分になり、仲間とか同志みたいな気持ちを抱いたりする。

唯一といっていい「欠点」は、エアコン。まぁ、もう御老体だから仕方がないけれど、あまり効かない3)。ここ数年の東京の酷暑には、さすがに太刀打ちできず、風量を上げてブーブー回したところで、外気よりちょっとだけ冷えた空気が出てくるだけで、車内が冷える前に目的地に着いてしまうこともままある。何度か熱中症の危険を感じたので、あまりに暑い日は、携帯用アイスノンを持って乗る。太陽がギラギラと照りつける真夏日に、アイスノンを手ぬぐいで首に巻きつけたオトコが、汗をかきかき古いボルボを運転しているのを見かけたら、それはきっと僕である。

1 たしかに丈夫にできていて、一度後ろから追突されたことがあるが、こちらは無傷だったのに、相手のノーズが気の毒なくらい凹んでいた。とはいえ、潰れて衝撃を吸収するというつくりにはなっていないので、ショックは乗員にモロに伝わる。
2 タイヤサイズも小さい。最近のリッターカーくらいのサイズなので、タイヤ交換も安く済んで良い。
3 それでもワゴンよりはまだマシらしい。

栗のおかし

子供の頃、マロングラッセとか、栗蒸し羊羹、栗鹿の子といった栗の入ったおかしは我が家では無条件に「高級品」ということになっていて、何か特別な時にだけ出てくるものだった。この「栗」信仰のおおもとは母で、こういったおかしを出してくるときは、鼻をヒクヒクさせながらさも得意げに「ほら、栗入りよ~」と言うのが常であった。経済的には決して裕福でない家に育った彼女が、少女時代に、何か強烈に栗に憧れるような出来事があったのかもしれないが、今となっては確かめようもない。

ともかく、この母の刷り込みは、息子たちにしっかりと定着し、今でも栗入りというだけで、条件反射のように、お、高級品と思い、あ、特別だと思う。おかげで、それがたとえ近所の小さな和菓子屋さんで買った安価な栗まんじゅうだろうが、栗羊羹だろうが、栗というだけでずっと美味しく感じるのだから、舌と言うよりは脳で食べているようなものだ。安上がりで幸せなもんである。

ところで、先日、とらやで栗蒸し羊羹を買った。9月、10月の二ヶ月だけ販売される、誰もが納得の「高級品」であって、母ならばきっとよっぽど特別な時に、向こうが透けて見えるほど薄く切って、もったいぶって出してきたに違いない。どこかアタマの後ろの方で「栗入りよ~」の声を聞きつつ、わざと厚めに切る。食べてみると、まぁ、これが。たっぷりと入った新栗はほくほくと甘く、蒸された餡は、煉羊羹よりもやわらかく甘さも少し控えてあって1)、その分栗が引き立つ絶妙なバランス。これこそ掛け値なし、栗の入ったほんものの「高級品」だった。

1 賞味期限も煉羊羹よりも短い。

ストレッチリムジン

クリスマスや年末年始になると、六本木とか渋谷近辺で1)ストレッチリムジンを見かける。ハリウッド俳優なんかが中から出てきそうな、あのうなぎみたいに妙に胴体の長い高級車である。

日本だと成金か品のない芸能人くらいしか使わないような気がするが、道の広さや交通事情の違いもあってか、アメリカではもっと頻繁に見かける。マンハッタンの高級ホテルの前にはたいてい駐めてあるし、けっこう田舎の方でも走ってたりする。向こうでは高校や大学のパーティといった機会に友達同士で借りたり、男の子がここぞというデートで女の子をリムジンで迎えに行ったりなんてことが、わりと普通にあるようなので、相当に特別感のあるクルマではあるものの、もう少し身近な存在なのかもしれない。

去年、オハイオの田舎町から、6人で空港に向かうのにこのリムジンに乗った。たまたま送迎を頼んだ会社で空いているクルマがこれだけだったらしい。これが通りの向こうから、グーンと大回りして曲がってきたときには、さすがにちょっとビックリしてテンションが上がった。出てきてドアを開けてくれたのは、蝶ネクタイに白手袋の運転手さんではなく、そのへんのホームセンターにいそうな、ポロシャツ・チノパンにたっぷりとお腹の出た気のいいおとっつぁんだったが、それはまぁ良しとしよう。車内もわかりやすくキラキラと豪華で、キャビネットには、グラスとブランデーらしきボトルまで鎮座していた。

この手のクルマは、「ストレッチ」(伸ばす)というくらいで、大柄なアメリカ車を前後の真ん中で切って2)、そこに胴体の延長部分を挟んでくっつける、というけっこう大胆な方法で作られている。ドライブシャフトやら油圧やら電装系やら、みんなぐーんと延長して前後を繋いでいるらしい。乗り心地は、妙にゆさゆさとしていて、気のせいか小さな段差でもみしっと軋むので、最初はちょっと心配になるが、ハイウェイに入ればもう快適そのものである。

もうずいぶんと昔の話だけれど、ニューヨークでお世話になっていた支社長の任期が終わり、東京に戻ることになった。郊外の家を引き払い、帰国前の数日はマンハッタンのホテルにご家族みんなで移られていた。帰国の日に、最後くらいは記念にと、ホテルからケネディ空港までこの長~いリムジンを手配されていた。見送りにホテルに行くと、もう入口脇に白くて豪勢なリムジンが横付けされている。

でも、ホテルのベルボーイがゴージャスなシートに積みこんでいるのは、ダンボール箱の山。聞けば、引っ越し便に乗せきれなかった小物類とか、最後の数日に購入したお土産類が大荷物になってしまったとのこと。結局、箱を積み終えてみると、豪華リムジンはダンボールに占拠されて乗れなくなり、支社長ご一家は、リムジンの後を追ってイエローキャブで空港に向けて走り去ったのであった。

1 単に自分の会社がそのあたりだというだけで、もっとたくさん走ってる地域が他にあるかもしれない。
2 切断すれば当然強度は下がるので、もともと頑丈にできている大型のアメ車や高級車でつくる。最近だとハマーで作っているのをよく見る。日本車だとトヨタのセンチュリーあたりだろうか。

捨てたもの記録:Tシャツ

ジャケットとかジーンズとかならば、買い替え時、捨て時を認識することができる。破けたとか、時代遅れになったとか、まぁ納得のできる理由がある。でも、下着類、つまりTシャツとかパンツ1)、靴下の買い替え時となると見当もつかない。これは僕だけの問題ではなく、おそらく男性はみなわからないのではないか。

そもそも、そういった衣類について「買い替える」という発想がない。洗えば洗うほど肌に馴染み、着心地がよくなる。Tシャツであれば襟や裾がほつれてダルダルになったとしても、着心地の良さは変わらない。なんならさらに良くなっているくらいである。どうせ人から見えるものでもなし、せっかく馴染んだものを買い替える理由などない。靴下だって、さすがに親指あたりに大穴が開けば、人前で靴を脱ぐ時に恥ずかしいな、という気持ちになるが、かかとがすり減ってシースルーになっているくらいであれば、気にならないどころか、むしろ通気性が上がったくらいに思っている。パンツだって事情はまったく同じだ。

ところが女性の目は、この手の老朽化あるいは劣化を決して見逃さない。家人も、洗濯のたびに目ざとく発見しては捨てろ、買い換えろと迫る。自分に替え時を判断する目がない以上、ここは素直に従うほかはない。はーいと機嫌よく返事をして、小さなビニール袋に詰めて燃えるゴミの日に出す2)。言われなければ捨てないくせに、捨てたら捨てたで、おお、断捨離だ!などと言って喜んでいるので、今度は代替分をいつまでも購入しない。結果、洗濯と着用の自転車操業状態となり、出張にいくときなど、数が足りずに空港で買い足すというハメに陥る。

うろ覚えだが、ムツゴロウさんこと畑正憲が昔、着るものなんて、夏冬の切り替え時に、ヤドカリが住処の貝を取り替えるように、ぜんぶ捨てて総とっかえすれば面倒がなくてよい、と書いていたが、いいアイディアかもしれぬ。中崎タツヤも「もたない男」の中で、同じものを何枚か買って着回して、着なくなったら捨てる、書いている3)。こういう思い切りのよさに憧れつつも、まだその境地には至っていない。

ところで、衣類乾燥機のフィルターに、毎度毎度たっぷりと綿ボコリがつく。何度洗濯してもその量はまったく減る気配がなく、毎回同じくらいの量がとれる。同じシャツが何十回、場合によっては何百回洗濯されるのかわからないが、ひょっとするとTシャツ数枚、靴下数足が、知らない間に綿ボコリとなって忽然と消えていたとしても驚かない。そのくらいには十分な量である。

1 ここでの「パンツ」はトランクスあるいはブリーフといった下着のこと。ズボンのことではない。
2 見せるほどのものでもないので、写真は自粛。
3 「もたない男」(新潮文庫)「第三章 もたない生活」   マザー・テレサのようにできれば2枚だけでやっていきたいそうだ。

えだまめ

枝豆が好きだ。茹でたものが盛られていると、なくなるまでずーっと食べている。止まらない。居酒屋で出てくるものは、冷凍ものが多くて、正直あまり美味しくないけれど、できれば枝付きのものを買ってきて自分で茹で、よい塩を振って食べるのは夏の楽しみである。

枝豆は大豆の若い姿である。これは意外に知られていないのではないか。青々とした夏の枝豆を収穫せずにそのまま畑で放っておくと、豆は熟してより大きくなる。葉が黄色く枯れ、さやと豆も黄色っぽく色づいてから収穫されるのが大豆。大豆はほとんどの場合、納豆とか煮豆とか豆腐とか、ある程度加工もしくは調理された姿で目の前に現れるのに対して、枝豆は収穫したそのままの姿、つまり毛深いさや入りの姿でスーパーに並んでいる。その違いもあって、枝豆と大豆を結びつけて見ることはあまりないのかもしれない。ついでに言うと、完熟した豆である大豆を暗いところで発芽させるともやしになる。枝豆、大豆、もやし1)は同じ植物の異なる成長段階なのだ。

大豆はコメと並んで和食の「要」といっていい。味噌、醤油、納豆、豆腐、油揚げ、もやし、枝豆。みな我々の食卓になくてはならないものだ。これに白米があれば、他に何もなくても立派な献立が成立する。さらに、これらはみな、驚くほど安価である。納豆、豆腐、もやしなんて百円玉ふたつで、たっぷり二人分かそれ以上を買うことができる。

これほど大豆を日常的に食べているわりに、食品用大豆の国産比率は、年間需要96万トンのうちの24万トンで25%くらいである2)。国産の大豆はほぼ全量が食品用で、残りはアメリカ、カナダ、ブラジルなどからの輸入でまかなわれている。国産大豆はおよそ半分が豆腐、あとは、納豆、煮豆総菜、味噌醤油などに使われる。

豆類は概して食物繊維が多く含まれており、腸内環境を健やかに保つために良い食品だが、大豆はさらに、その他の豆類(たとえば黒豆、えんどう豆、ヒヨコ豆等)に比べて、糖質が少ない。糖質を抑えつつ、タンパク質と食物繊維を摂るには理想的な食材だと言える。腸内細菌のを読んで以来、この共生者の皆さんに多少気を使うようになったが、枝豆は彼らにもきっと喜んでもらえるであろう。夏ももう終盤。お店に並んでいるうちは、せっせと茹でて消費しようと思う。

1 もやしには、大豆を発芽させた大豆もやしと、緑豆を発芽させた緑豆もやしがある。緑豆は大豆ではない。
2 農林水産省のウェブサイトによる。油糧用というサラダ油等を作るために使われるものを入れると自給率は7%程度になる。この大豆の統計数字にはもやし、枝豆は含まれていない。枝豆は、国内生産量は6.7万トン、輸入量は7.1万トン。輸入品はそのほとんどが冷凍加工品である。