ビデオ会議の試練

コロナウィルス禍で、ここ一月近く在宅勤務をしている。まぁ、在宅勤務自体は決して悪くないのだが、やや困っているのがビデオ会議だ。30分、60分とりまぜて朝から一日5、6本のビデオ会議をすると、夕方にはたとえようのない深い疲れに襲われる。対面で同じように打ち合わせをしてもこんなに疲れることはないのに。あまりに疲れるので、夕方になると時間を無理やりとって、広々とした風景を眺めに行ったりする。

一説によると、人間のコミュニケーションのうち、言葉によるのは25%程度であって、残り75%は音声のトーンや間、視覚的な情報など言語以外によるらしい。それなら、会議や打ち合わせはビデオで十分じゃないか、というのが今までよく聞くハナシだったわけだが、実際やってみるとそうカンタンに置き換えが効かないことがわかる。

そうカンタンではない要因はいろいろある。ネット回線の速度の問題、家で仕事をする環境の問題、スクリーンサイズの問題、音質の問題、などなど。たぶん、50インチくらいの大スクリーンで、背景を心配せずにすむ専用の場所で、5G回線のスピードがあればハナシは随分違うような気がする。家のリビングの片隅で背景に映る生活感を気にしながら、13インチ程度のPC画面で、数メガから数十メガ程度のスピードの回線を使って、相手とこちらのテンポがほんの数ミリ秒でもずれたりしていると、実際に会って打ち合わせるのに比べて、その能率はかなり低下し、その代償として、目と神経と脳がどっと疲れるのであろう。

この先、遠隔医療が本格化したときに、医者は15分くらいのビデオ面談をそれこそ一日に数十本も、ノンストップでこなさねばならないのだとすると、それなりの機材・環境を整えないと、とても耐えられないのではなかろうか。大型モニターに、患者とはいえ鼻毛のはみ出た中年男やら爺さんやらの顔が大写しになる、というのも、それはそれで別の試練という感じもするけれど。

MacBook Pro 16インチ

買ってまだ一年半くらいしか経っていないThinkPad X1 Carbonが充電できなくなってしまったので修理に出した。

数日経ってサービスセンターから届いた見積もりを見て我が目を疑った。だって購入した金額と同じくらいの修理費なのだ。いや〜、まさかね。何かの間違いでしょう?と問い合わせてみたところ、間違いではないと言う。僕の買った機種は薄くて軽くて高性能というのがウリだったのだが、そのせいでマザーボードにすべての部品が不可分な状態で組み付けられており、電源周りだけを修理するということができないため、修理するにはボードを全部取り替えるしかないのだ、という。ちょっと鼻が詰まったからお医者さんに行ったら、頭を丸ごと取り替えなければ治らない、みたいな話であるが、補償期間も切れているため、直すなら全面的に自費で払うしかない。

パソコンが壊れた、修理が高かった、なんて話はそれこそ日常茶飯事と言っていいほどによく聞くものだが、まさか自分に起きるなんて思っていない。人の話を聞きながら「そりゃ災難だったねぇ」などと同情したりもするが、所詮は他人事であって、こうして自分の身に降りかかってみて初めて、あまりの理不尽さに絶句し、憤り、そしてしょんぼりすることになる。

まぁ、お気に入りのPCではあったのだが、定価近くを出してまで修理する気にはならず、さりとてまた同じ機種の新品を買うのも釈然としない。というわけで、Windowsを諦めてMacに戻ることにした。さらに薄型軽量を買うという発想を綺麗サッパリ捨てて、画面の大きなものにしようということでMacbook Proの16インチを購入した。

会社のノートPCがMacbook Proの13インチなので、使い方に戸惑うということはない。だが、実際目の前に広げてみると、13インチとはかなり違う。まず16インチの画面はかなり大きく実に快適である。また、13インチに比べてキーボードのストロークが深めで打ちやすい。さらにスピーカーの音質が段違いに良い。このあたりの差は専門的に比較レビューしているサイトがたくさんあるのでここでは深入りしないが、結果として、けっこう良い買い物だったと思う。

Kombucha

Kombuchaは、その音から我々が即座に頭に思い浮かべるところの昆布茶ではない。アメリカで人気の健康飲料のことで、その正体はいわゆる「紅茶キノコ」だそうだ。

「紅茶キノコ」というのは、紅茶(または緑茶)にゲル状になった酢酸菌や酵母のかたまりを入れて発酵させたものらしい。今50歳代より上の人は、子供の頃に「紅茶キノコ」というのものを見聞きしたことがたぶんあるはずだ。僕も、梅酒をつけるような広口の瓶の中に、どろどろとした怪しげな塊の浮かんだ赤い液体が入っている様子を見た記憶がある。体に良いという触れ込みで近所の人が作っていて、飲みなさいと勧められたのだが、そのときは全力で逃げた。

もちろん当時はその正体など知る由もなかったが、まぁ要は発酵飲料である。いわゆる腸内細菌叢の多様化というか、バランスを取るのに何らかの寄与をするのかもしれないが、なにせ見た目がとても人間の飲んで良いものには見えない。おおかたの健康食品の例に漏れず1、2年の一過性ブームに終わり、今日に至るまで日本では復活の兆しはない。

アメリカではここ5、6年人気だというが、僕は去年になって初めて遭遇した。シリコンバレーにある仕事先の会社の冷蔵庫に、缶入りのKonbuchaが入っていたのだ。「Asian Pear & Ginger Kombucha」という文字が爽やかな緑色でプリントしてあるので、てっきり清涼飲料的にアメリカンにアレンジされた昆布茶なのだと勘違いしてグビリと飲んだところ、鼻から吹き出しそうになった。端的に言ってたいへん不味い。こんなものをほんとうにアメリカ人が飲んでいるのだろうか?でも、ホールフーズの店舗に「Konbucha On Tap」などというコーナーがあるということは、グビグビと飲んでいる人が少なからずいるということであろうなぁ。

古河花火大会2019

昨年に引き続き、今年も古河の恒例花火大会を見に行ってきた。父の住む部屋はマンションの最上階でベランダが渡良瀬遊水地のほうを向いており、天空にいっぱいに開く花火を見る特等席である。今年は8月3日の土曜日に、3尺玉2発を含む約2万200発が打ち上げられた。全国でも最大規模の花火大会のひとつだ。

花火の世界も新しい技術や技法が日々生み出されているようで、去年とはまた違った色合いと輝き、複雑な動きのある新しい花火が、定番のスターマインなどとともに盛大に打ち上げられた。気象条件もあると思うが、今年は青の発色がひときわ鮮やかだったように思う。写真だといかにもデジタル加工したように見えるが(実際、オリンパスの「ライブコンポジット」1)というデジタル技術を使ってはいるが)、目で見た印象をわりと忠実に再現できていると思う。

1 カメラはオリンパスOM-D E-M5 Mark II

ひとんちのニオイ

子供の頃から誰かの家に行くのが苦手だった。友達と遊ぶにしても、野球をする、あるいは「泥棒と探偵」で外を走り回る、といったことは大好きだったが、誰かの家に遊びに行く、それも先方のお母さんが在宅している家にお邪魔する、っていうのがどうにもダメだった。緊張するし、気を使うし、リラックスして遊ぶなんてまるでできない。トイレにも行けない。この傾向は、三つ子の魂というべきか、今に至るまで続いていて、人様の家にお邪魔するのは全力で避けている1)

世の中には全く気にしない人もいて、酔うと「誰々の家に行こうか」とか言い出す輩にたまに遭遇する。行って何がしたいのかわからないが、誰かの生活のニオイみたいなものを体験するのが楽しいのであろうか。あ、そういえば、逆に酔うと「俺んちに泊まれ」と言い出す人もいるな。あれはなんだろう。おもてなし精神の発露なのか、一人で帰るのが寂しくて嫌なのか、飲んで帰るのに援軍がほしいのか。こっちはたとえ実家であっても泊まるのはいまひとつ気が進まないので、万一そういう必要が出てきたときには、近くのホテルに泊まる算段をするというのに。

そういうわけでAirbnbも利用したことがない。出張でよく行くサンフランシスコ近郊ではホテルが高騰していて、Airbnbの方が安くていいとよく言われるのだが、頑なにホテルに泊まっている。Airbnbなんて、ホストの生活の片隅にお邪魔するようなものもけっこうあると聞くし、行ったら主が出てきて「我が家へようこそ!」などとニコヤカに言われた日には固まってしまいそうだ2)。シリコンバレー近郊では、ただのビジネスホテル程度のところでも場合によっては一泊350ドルから400ドルすることもあり、そこにもってきてあらゆることが「ザツ」なサービスをみるにつけ、「ドーミーイン」の爪の垢でも煎じて飲めと憤慨するが、だからといってAirbnbを使う気にはならない。

最近では、この傾向がさらに高じて、個人タクシーまで避けるようになってきている。個人タクシーって、まぁ言ってみればその運転手さん所有のクルマであって、ダッシュボードの端っことかグラブボックスのあたりとか、細かいところの端々に、タクシー会社のクルマにはない「人の家」感が滲み出ている。クルマを停めてドアが開き、乗り込もうとしたその瞬間、運転手さんは言うであろう。「ワタシのクルマにようこそ!」いや、まぁそうは言わないけれど、車内のニオイも、運転手さんご本人の体臭と混じり合って独特なものがあり、どうにも落ち着かない。若い頃は全然気にならなくて、むしろグレードの高いクルマが多いからと個人タクシーを積極的に選んでいた時期もあったのだが。

1 例外は兄弟と法事だけ。
2 そうでないところがほとんどなのだろうけれど、こうしたケースを想像して怖気づいている。

三つ子の魂

新宿の東急ハンズをうろうろしていたところ、すごいものを発見した。鈴木式輪ゴム鉄砲。単発式からなんと20連発のマシンガンタイプまである。すべてヒノキを使った手作りだそうで、手に持ってみると、滑らかな優しい温もりと同時に男子のメンタルを鷲掴みにする造形の美しさを兼ね備えている。6連発ガバメントタイプで4,000円という値段は安いのか高いのか1)。ひとつひとつ職人さんの手作りと考えれば高くはないような気がするし、小学生の頃よく割り箸でつくったゴム鉄砲の仲間だと考えると高い。アタマを冷やすためにいったん売り場を離れてみたが、気になってすぐにまた戻ってしまい、ゴールデン・ウィークの10%割引があるのを言い訳に買ってしまった。

ゴム鉄砲なのになぜ連発式が可能なのか。ゴムを先端の照星とグリップの上あたりにある木片にひっかけて飛ばす力を得るという点では割り箸製単発銃と基本的な仕組みは変わらない。違うのは手前側の(ゴムを引っ掛ける)木片が三角形で回転するようになっており、一辺ごとに二本の輪ゴムを引っ掛けられるので合計6本。引き金を引くたびに木片が回転してひっかかりが外れゴムが発射されるという仕組みだ2)

小学生の頃、割り箸で骨組みを組んで「ゴム鉄砲」をよく作って遊んだ。合計すれば20コや30コくらいは作ったのではないか。男子の性として、友達よりよく飛ぶ強力なやつを作りたい。いや、もっと有り体に言えば、友達に自分より痛い思いをさせて悔しがらせたい。いきおい、ゴムの限界まで引っ張ることになり、銃身がどんどん長くなっていったが、なんせ割り箸製だから強度的に問題があり、製作中あるいは戦闘中に勝手に崩壊して「暴発」し、自分で痛い思いをすることも多かった。小学生にしてこのような「軍拡競争」が起きるわけだから、世界から武器がなくならないものむべなるかな、ではある。

同じくひのき製の的も売っていたので、一緒に買って家で的当てをしてみた。きちんと作られているだけあって、ゴムの飛んでいく先がブレずに精度が良い。昔から射的の類いは得意だったが、二メートルくらい離れても8割ぐらいの確率で的に当てられるようになった。子供向けのおもちゃガンでは、スポンジの銃弾を飛ばすNerfというハズブロ社製のものが人気があるそうだが、僕にはこの輪ゴム鉄砲のほうがずっと魅力的にみえる。これって単に三つ子の魂ってやつなのだろうか。今度甥っ子3)に見せて、どのくらい食いつくか観察しようと思う。

1 ウェブサイトには8連発式7,000円のものが出ているが、ハンズには6連発式のものもあった。
2 と、書いてみたところでよくわからないと思うので、興味のある人はフェイスブックにある動画を見てください。
3 ヤツはNerfもたくさん持っている。

ロングブラックとフラットホワイト

オーストラリアはグローバルに広がるカフェ文化をリードしている国のひとつだ。シドニーのそこここにあるカフェは、どれもなかなか美味しいコーヒーを出してくれるし、独自の焙煎をして豆も販売しているお店も多い。フレンチローストやエスプレッソなどの極深煎りを使った珈琲が多い印象があるけれど、中には浅煎りで酸味の効いたものを出すカフェもあって、それぞれが特長を出しながら美味しさを競っている。

オーストラリアのカフェでよく注文される二大巨頭が、「ロングブラック」と「フラットホワイト」である。このふたつ、シドニーにいると毎日のように耳にするけれど、最初はなんのことだかよくわからなかった。

「ロングブラック」はいわばエスプレッソのお湯割りである。スターバックスの「アメリカーノ」がおおむね同じ作り方ではあるが、なぜか両者は別物のように味が違う。シドニーで飲むロングブラックはこくがあって深く、「お湯で薄めた」感はないのだが、アメリカーノはいかにも「お湯割り」な感じがする1)。僕の感じでは、単純なエスプレッソとお湯の比率の問題だけではなく、エスプレッソそのものが違うのだと思う。さらに、お湯を先に入れておいてそこにエスプレッソを注ぐのか、その逆がいいのか、など、イギリスのミルクティー論争に似た主張をウェブのあちこちで見かけるが、味にどう影響するのかまでは正直よくわからない。(ちなみに上の写真は、アイスロングブラック。)

「フラットホワイト」は、言ってみれば濃いめのカフェラテである。細かいことを言えば、最後にちょこっとフォームミルクが乗っているとかいないとか、いろいろとあるようだが、スタバやドトールで飲むラテとの一番の差は、エスプレッソがぐっと「効いている」ことだろう。カウンター越しに作っているところを見ていても、漂ってくるのはエスプレッソの香りで、ミルクの香りではない。これも、「ロングブラック」と同じように、比率の問題だけでなくやはりエスプレッソの違いが大きいのではないか。僕は普段の珈琲はブラック一本槍だけれど、フラットホワイトなら飲んでもいいかなと時々思う。

このふたつ、僕が知る限り、日本やアメリカではまだあまり聞かないが、「フラットホワイト」はとうとうアメリカのスタバに登場したらしい。

1 もしかするとスタバ得意のカスタマイズで「お湯少なめ」で注文するほうがよいのかもしれない。

さくら 2019

今年は3月末から4月はじめにかけて出張があり、東京の桜は見逃してしまいそうだと思っていた。4日の午後に帰国して成田から都内に戻る道すがら、あちらこちらにまだたくさんの桜が花をつけているのを見て嬉しくなってしまう。薄紅の桜が春の日差しのなかで霞むようにたなびいているのを見ると、しみじみと春の喜びを感じるのは、DNAにどこか刷り込まれた感覚なのか、幼い頃からの学習効果なのか、その両方か。帰国翌日に急いで目黒川の桜を見に出かけた。場所によっては花が散って葉桜になりかかったものもチラホラあるけれど、まだまだたっぷりと花をつけた木々がたくさん。平日の午前中ということもあって、ゆっくりと桜見物をすることができた。

気象庁のデータによると、今年の東京は21日に開花(昨年より4日遅い)、27日に満開(昨年より3日遅い)。この3、4日の差と開花後の天気の次第で、4月に入っても長めに楽しめたのだろう。幸運でした。

珈琲のおとも

高級ホテルの喫茶や、フランス料理店で珈琲を頼むと、ソーサーの脇に小さなクッキーやチョコレートが添えられていることがある。以前は、値段が高い分のサービスかなくらいにしか思っていなかったが、珈琲に凝り始めると、こうしたチョコやクッキーが珈琲を引き立てる効果があることがわかってくる。酒に対するつまみ、あるいはワインと料理のマリアージュみたいなもので、なくても困るわけではないけれど、あればずっと深く味わいを楽しむことができる。

どんなものが珈琲1)に合うのかなとつらつらと考えてみる。ミルクはもちろんアイスクリームなどの乳製品。アフォガートのようにバニラアイスと珈琲というのは鉄板の組み合わせだ。クッキーやプチシューのような焼き菓子。ナッツ類。チョコレート。並べてみると脂肪が多く含まれているものが合いそうである。

意外なところでは、羊羹。普通の煉羊羹もいいが、栗蒸しだと更に良い。甘い羊羹が深煎り珈琲の苦味と余韻を引き立ててくれる。羊羹は珈琲の香りを邪魔しないのもよい。そういえば、とらやでは季節ものとして毎年「珈琲羊羹」を出している。やはり小豆と珈琲の香りや苦味は相性がよいのだ。

あ、そうだ、とらやといえば、開高健は羊羹「夜の梅」とシングルモルト・ウィスキー(マッカラン)の組み合わせを人に勧めて「こんなうまいもんはあらへんで」と言ったらしい2)。考えてみれば、上にに挙げた珈琲と相性のよいものはみな、ウィスキーにもぴったりである。そもそも、アイリッシュコーヒーなんて、ウィスキーと珈琲をあわせたカクテルがあるくらいだから当然か。僕の一番好きなウィスキーの相棒は、オランジェというオレンジピールのチョコレートがけだが、これは珈琲と組み合わせても素晴らしく美味しい。

というわけで、珈琲とウィスキーの手軽で安価なお供として、源氏パイ、ビスコ(「発酵バター仕立て」に限る)、チョコレート(オランジェまたは明治の板チョコ)、小さな羊羹、アイスクリーム(ハーゲンダッツのバニラまたはチョコモナカ)あたりを買い置きしておくのがオススメである。夜のリラックスタイムがちょびっと豊かになる。

1 ここでいう珈琲は深煎りの酸味が少ないものを指している。浅煎りの酸味がたっぷりあるものだとまた少し違うかもしれない。
2 「誰も見たことのない開高健」小学館eブックス 85ページ

シングルタスク(または憑依)

幼い頃に同じような経験がある分、僕にとっては男の子のほうが女の子に比べると理解しやすい。とはいえ、歳をとってある程度客観的に(かつ無責任に)子供を眺めていると、いろいろと新たな発見がある。男の子は、基本的にシングルタスクである。眼の前の面白そうなものに、興味と注意を100%支配される。それも一瞬で。ナニモノかに簡単に憑依されるのである。

ある年の12月、甥っ子へのクリスマスプレゼントを買いにデパートのおもちゃ売り場をぶらぶらと眺めて歩いていたところ、ある一角にウルトラ怪獣のソフビ人形がずらりと並んでいた。今の子供は意外なほど昔のウルトラマンシリーズに詳しく、僕らが子供の頃見ていたものと同じものを数十年の時間差を飛び越えて再放送で見ていたりする。そこには、エレキングやらゼットンやら、おなじみの怪獣が何十種類も所狭しと並んでいた。懐かしくなってしゃがみこんでじっくりと見ていたところ、突然背中にドン!という衝撃を受けた。なんだなんだと驚いて振り向いてみると、3つか4つくらいの男の子がちょっと前傾しつつ両手をクロスしたポーズでこっちを睨んでいる。彼は明らかにウルトラマンになり切っており、目の前にしゃがんでいるおっさんを敵の怪獣だと認識して、そこに渾身のチョップを放ったのであった。振り向いたおっさん怪獣に怯む様子もなく、彼はスペシウム光線を発射しようとした1)。きっと、ずらりと並んだ怪獣を見た瞬間、彼のアタマの中にウルトラマンがやってきて憑依し、彼は怪獣から世界を救うヒーローになって頑張ったわけだ。

あるいは、高速道路のサービスエリア。トイレでよく見かけるのは、男の子が小便器のはるか前、場合によってはトイレ入口より更に前から、ズボンを半ば下げ、おちんちん丸出しでちょこちょこと走ってくる姿。もう「おしっこ」というタスクにアタマがいっぱいで、周囲の目など気にするどころではない。アタマの中はズボンをずり下げておしっこをしている数秒から数十秒先の自分のイメージでいっぱいである。まぁ多くの場合、我慢の限界という緊急事態でもあるだろうけれど、この「我慢の限界」も、シングルタスクの一例であって、おしっこ以外のおもしろいものに興味を100%奪われているため、本当に差し迫らないと「おしっこタスク」が彼らの中に割り込んでこないわけだ2)

男ばかりの兄弟で育ったので、この手の現象に、ずっと何の疑問ももたず、誰もがみなそうなのだと思い込んでいた。でも、甥っ子と姪っ子の成長を身近で眺めていると、女の子にはこういったことはあまり見られない。男の子が、怪我ばっかりする理由がよーくわかった。周りなんてまったく見えてないもの。

1 が、残念なことにその瞬間、飛んできたお母さん怪獣に連れ去られてしまった。
2 だから男の子は常にぎりぎりになっておしっこと言い出す。