銃爪(ツイスト)

世良公則&ツイスト(のちにツイストに改名)は、デビュー前に出場したヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)1)で「あんたのバラード」がグランプリを獲得し、1977年11月に同曲でプロデビュー。フォークやニューミュージックといった比較的「ソフト」な曲が主流だったヒットチャートに、世良公則のハスキーなシャウトとヘヴィなギターが突然殴り込みをかけたような、鮮烈なデビューだった。当時の歌番組でもツイストが出るときは突然雰囲気が変わり、異彩を放っていたのをよく覚えている。

デビュー曲を皮切りに「宿無し」「銃爪(ひきがね)」「性(さが)」「燃えろいい女」「SOPPO」など2年余に渡って出せば必ずヒットチャート上位に食い込む快進撃を続ける。これらのヒット曲はすべて世良公則が作詞作曲。「あんたのバラード」のときはまだ弱冠22歳だったはずで、その年齢でよくぞまぁあんな歌詞を泥臭くブルージーなロックバラードにのせて曲を作れたものだと感心する。といいつつも、河島英五が「酒と泪と男と女」(1976年)を作ったのは19歳のときらしいので、昭和50年前後というのは、時代的にそういった「空気」に満ちていたのだろうと思う。

81年末にツイストは解散するが、その後も世良公則は活発にソロ活動を続けており、今も全く衰えないヴォーカルを聴かせてくれる2)。ツイスト時代の曲も、評価の高いアコースティック版のほか、ダグ・アルドリッジやマーティ・フリードマンのヘヴィなギターをフィーチャーしたTWIST INTERNATIONAL版(ダグ・アルドリッジとマーティー・フリードマンのツインギターを聴けるのはこれだけではないだろうか)など、様々なパターンで再録・再演されている。

音楽だけでなくその佇まいも、男が惚れる男というか、泥臭くも爽やかな男臭さというか、年齢を重ねるにつれて渋さ・魅力が増しているように見える。若い頃にひとときロックやバンドにハマった僕らのようなおっさんにとっては、理想的な歳のとり方ではあるまいか。

1 70年代のポプコンは、フォーク、ニューミュージック、ロック、ポップス系のミュージシャンがデビューする一大登竜門だった。ツイストのほか、中島みゆき、八神純子、因幡晃、円広志、クリスタルキングなど錚々たる顔ぶれがここからデビューしている。
2 世良公則と桑田佳祐が、そのボーカルスタイルを全く変えないままに、今も昔以上にパワフルな声を保っているのは驚異的である。

古河花火大会2019

昨年に引き続き、今年も古河の恒例花火大会を見に行ってきた。父の住む部屋はマンションの最上階でベランダが渡良瀬遊水地のほうを向いており、天空にいっぱいに開く花火を見る特等席である。今年は8月3日の土曜日に、3尺玉2発を含む約2万200発が打ち上げられた。全国でも最大規模の花火大会のひとつだ。

花火の世界も新しい技術や技法が日々生み出されているようで、去年とはまた違った色合いと輝き、複雑な動きのある新しい花火が、定番のスターマインなどとともに盛大に打ち上げられた。気象条件もあると思うが、今年は青の発色がひときわ鮮やかだったように思う。写真だといかにもデジタル加工したように見えるが(実際、オリンパスの「ライブコンポジット」1)というデジタル技術を使ってはいるが)、目で見た印象をわりと忠実に再現できていると思う。

1 カメラはオリンパスOM-D E-M5 Mark II

台北のカフェ

東京にいると、美味しい珈琲とリラックスした時間を提供するカフェを見つけるのはさほど難しくない。珈琲・カフェ文化は近年ますます盛んになり、何十年と続く老舗から若い世代が開いたお店まで、困ってしまうほど選択肢は沢山ある。カフェ文化は東京だけでなく世界のいろいろな都市で、それぞれローカルな特色を形作りながら脈々と息づいており1)、それが世界の都市を旅する大きな楽しみのひとつにもなる。

台北ももちろん例外でなく、街を歩けばあちこちに素敵な佇まいのカフェを目にする。多くはハンドドリップで丁寧に入れた珈琲とお店で焼いたちょっとしたスイーツ類や軽食を提供している。焙煎機を備え自分で豆をローストするお店も珍しくない。

先日台北を訪れたときに、散歩中の暑さしのぎも兼ねて目についた良さそうなカフェにいくつか入ってみた。どのお店も深煎りから浅いものまでいくつかの豆のセレクションがあり、ハンドドリップで入れてくれた珈琲や、水出しのアイスコーヒーは外れなく美味しかった。むふふ、吾輩のカフェを見極める目も肥えてきたものだ、とひとりごちたものだが、どうやら台北のカフェは平均的にレベルが高く、どこに入ってもそれなりに美味しいのであって、当方の鑑定眼はあまり関係がなかったようである。

台北のカフェの面白い特徴のひとつは、一人分の珈琲であっても、小さなポットとデミタスサイズの小さなカップを一緒に出してくれることである。これはまさに、茶藝館で中国茶を楽しむ時と同じだ。珈琲は、お茶のように急須で何煎かするうち香りや味が変わってくるわけではないけれど、落ち着いてゆっくり楽しむ、というときには、このほうが気分的に座りがいいのだろう。喫茶店と聞くと、当たり前のように珈琲を飲むところ、と思っているが、そもそも茶を喫すると書くわけで、茶の作法が影響しても何らおかしなことはない。