ひとんちのニオイ

子供の頃から誰かの家に行くのが苦手だった。友達と遊ぶにしても、野球をする、あるいは「泥棒と探偵」で外を走り回る、といったことは大好きだったが、誰かの家に遊びに行く、それも先方のお母さんが在宅している家にお邪魔する、っていうのがどうにもダメだった。緊張するし、気を使うし、リラックスして遊ぶなんてまるでできない。トイレにも行けない。この傾向は、三つ子の魂というべきか、今に至るまで続いていて、人様の家にお邪魔するのは全力で避けている1)

世の中には全く気にしない人もいて、酔うと「誰々の家に行こうか」とか言い出す輩にたまに遭遇する。行って何がしたいのかわからないが、誰かの生活のニオイみたいなものを体験するのが楽しいのであろうか。あ、そういえば、逆に酔うと「俺んちに泊まれ」と言い出す人もいるな。あれはなんだろう。おもてなし精神の発露なのか、一人で帰るのが寂しくて嫌なのか、飲んで帰るのに援軍がほしいのか。こっちはたとえ実家であっても泊まるのはいまひとつ気が進まないので、万一そういう必要が出てきたときには、近くのホテルに泊まる算段をするというのに。

そういうわけでAirbnbも利用したことがない。出張でよく行くサンフランシスコ近郊ではホテルが高騰していて、Airbnbの方が安くていいとよく言われるのだが、頑なにホテルに泊まっている。Airbnbなんて、ホストの生活の片隅にお邪魔するようなものもけっこうあると聞くし、行ったら主が出てきて「我が家へようこそ!」などとニコヤカに言われた日には固まってしまいそうだ2)。シリコンバレー近郊では、ただのビジネスホテル程度のところでも場合によっては一泊350ドルから400ドルすることもあり、そこにもってきてあらゆることが「ザツ」なサービスをみるにつけ、「ドーミーイン」の爪の垢でも煎じて飲めと憤慨するが、だからといってAirbnbを使う気にはならない。

最近では、この傾向がさらに高じて、個人タクシーまで避けるようになってきている。個人タクシーって、まぁ言ってみればその運転手さん所有のクルマであって、ダッシュボードの端っことかグラブボックスのあたりとか、細かいところの端々に、タクシー会社のクルマにはない「人の家」感が滲み出ている。クルマを停めてドアが開き、乗り込もうとしたその瞬間、運転手さんは言うであろう。「ワタシのクルマにようこそ!」いや、まぁそうは言わないけれど、車内のニオイも、運転手さんご本人の体臭と混じり合って独特なものがあり、どうにも落ち着かない。若い頃は全然気にならなくて、むしろグレードの高いクルマが多いからと個人タクシーを積極的に選んでいた時期もあったのだが。

1 例外は兄弟と法事だけ。
2 そうでないところがほとんどなのだろうけれど、こうしたケースを想像して怖気づいている。