僕がはじめてニューヨークに行った90年代初めに比べて、アメリカの珈琲はずいぶん美味しくなった。当時、オフィスやサンドイッチショップで出てくる珈琲は、薄くて香りはないも同然で、日本なら場末の定食屋で出てくる安っぽい出涸らしのお茶みたいな代物が多かった。今はスターバックスはそこら中にあり、独立系のカフェもあちらこちらで美味しい珈琲を出してくれる。
シリコンバレーではあちこちに「Peet’s Coffee」というカフェがあり、いい珈琲とちょっとした甘い物を楽しめる。新興のカフェチェーンなのかと思っていたがさにあらず。創業期のスターバックスがビジネスのモデルとしたお店で、創業者のアルフレッド・ピーツが最初のお店をだしたのが1966年、もう50年以上も前のことだ。オランダ生まれでコーヒー関係の仕事に馴染みのあったピーツさんは35歳のときにサンフランシスコにやってきて、アメリカのコーヒーのひどさにショックを受け、新鮮な深煎り豆をつかった濃くてリッチで美味い珈琲をアメリカに広めんとしてお店を開いた。全米で二百数十店舗あるようだが、二百近くをカリフォルニア州で展開しているので、カリフォルニアご当地コーヒーといってもよさそうである。スターバックスはエスプレッソをミルクで割るタイプのものはともかく、普通のブラック・コーヒーはあまり美味しいとは思えないのだが1)、ピーツは透明感を失わずに酸味の少ない深い味わいで僕の好みに合う。
ニューヨークのパークアベニューには、Felix Roasting Co.という美しいカフェがある2)。一歩中にはいると外の喧騒を完全に忘れるほど、落ち着いたヨーロッパ調のエレガントな空間が広がっている。これほど美しいカフェというのはなかなかお目にかかれないと思う。真ん中に円形にカウンターがしつらえてあり、その中でバリスタが一杯一杯珈琲を入れてくれる。こちらも深煎りでコクがあり日本の美味しいお店で飲む珈琲とまったく遜色はない。クロワッサンやペイストリーもガラスケースの中に凛として並んでいて実に美味しそうだ。
普段あまりに飲み慣れているものというのは、美味しいとか美味しくないとかを気にすることもなってしまうのはよくある話。日本でも、茶葉や湯に気を使って、美味しい日本茶を淹れて飲んでいる人はごくごく限られているだろう。アメリカの珈琲も同じだったのだ。今では当たり前になったペットボトルのお茶だって販売されるようになったのは1990年3)。それまではお茶を缶やペットボトルで飲みたい、という欲求すら意識することはなかったと思う。この例から類推するに、これからアメリカでも缶コーヒーが流行りだす日がくるのかもしれない。