ビーチの洗練

バルモラル・ビーチ(Balmoral Beach)は、北シドニーの高級住宅地モスマン(Mosman)の東端にある美しいビーチ1)。ここはボンダイビーチとはちょっと趣を異にしたビーチで、利用者の多くは地元の人であり、僕が観察した限りにおいて、若者というよりは、3世代でのんびりと時間をすごすファミリーや引退してのんびり自分の時間を過ごしているシニア世代が多かったように思う。高級住宅地に隣接した「プライベート」感のあるビーチで、華やかなビーチファッションというよりは、品の良いパステルカラーのファッションの人が目立つ。

ビーチ沿いの緑地帯にはあちこちに大木が心地よい木陰を作り出している。そんな木陰のベンチのひとつに腰を掛けて、時折吹く柔らかな風を受けて、しばしぼーっと海を眺めるのはとてもよい。少し長めの白髪に白いヒゲを蓄え、クリーム色のパナマ帽を粋にかぶった初老の紳士が、片手にふたつのワイングラス、もう片方に冷えて水滴のついた白ワインのボトルをぶら下げてゆっくり芝生を横切ってゆく。ベンチには奥さんらしき上品な女性が待っていて、ワインをグラスに注ぎ、二人で海を眺めながらワイン片手に談笑している様子は、映画のワンシーンのようだ。こういうときはやはり白ワインかスパークリングが似合う。などと言うと、気取りやがってこの西洋かぶれが、と思われる諸兄もいらっしゃるであろう。でもね、ちょっと想像してみてほしい。登場人物を変えず、同じパナマ帽の紳士が持っていたのがコップと日本酒の一升瓶だったらどうであろうか。奥さんとふたり、なみなみと注いだ酒をぐっと飲んでいる姿から浮かぶ言葉は、まず「酒豪」であって、「穏やかな老後」というより、岩に砕ける荒波をバックに「生涯現役」の筆文字が浮かぶのではないか。

そういえば、リゾートらしく洗練された雰囲気のビーチには、もうひとつ大事な要素があって、それは「磯臭くない」ということである。磯のにおい、あるいは海藻とか魚のにおいがすると、途端に「漁港」、働くオトコの場という雰囲気が醸し出される。ボンダイも含めシドニー近郊のビーチはほとんど磯のにおいがしない。それがオシャレなリゾート感を作り出すのに貢献している。ちなみに、沖縄のビーチも同様で磯のにおいがしない。本土とは海藻の種類が違うからだという話を以前聞いたことがある。

1 ダウンタウンシドニーからは、ハーバー・ブリッジを北へ抜けてクルマで、あるいは、サーキュラー・キー(Circular Quay)からフェリーとバスで行くのが便利。

ボンダイビーチは熱海である

ボンダイビーチ(Bondi Beach)は、シドニー中心部からわずか10キロ、電車とバスを乗り継いで30分弱のところにある美しいビーチだ。白く細かい砂は太陽を反射して金色に光り、海は緑にも青にも見える深い色を湛えている。98年に発売されたアップルの初代iMac1)が「ボンダイブルー」という半透明の青緑色で売り出したのを覚えている人もいるのではないか。首都シドニー近郊ということもあり、オーストラリアで最も有名なビーチのひとつに数えられる。

訪れた日は絶好のビーチ日和。空は青く晴れ渡り、太陽はさんさんと降り注ぎ、風は穏やかにそよいでいる。砂浜にはたくさんの若者が集い、甲羅干しをするもの、ビーチバレーに興じるもの、波打ち際で走り回る子供、ボディボードで水を滑るものなどで大いに賑わっている。道路際のカフェでアイスコーヒー2)、冷たいソーダとアイスクリーム。夏の賑わいと美しいビーチの風景。

でも。どこかちょっとだけ違和感が拭えない。その、何というか、書割みたいな、と言えばいいのか。道路を隔てた反対側にビーチに沿って伸びる商店街やカフェがどことなく「つくりもの」っぽく見える。ボンダイビーチってこういうもの、って誰かが書いたシナリオに従ってみんな楽しんでるような。心からリラックスして解放されて、というのではなく、ボンダイビーチに来たらこうやって楽むもんなんです、っていうありきたりのルールブックに則ってるみたいな。それは、圧倒的多数が観光ガイドを見てやってくる観光客だからであって、そして僕ももちろんその一員ではあるのだが。そんな少し醒めた目で眺めていたら、ふと、「熱海みたい」と思ったのだった。もちろん、ボンダイは現役バリバリの人気ビーチであって、熱海のように昭和の残滓があちこちに残るおっちゃんの宴会場の夢のあと3)、というわけではない。でもステレオタイプな町並と風景が醸し出す雰囲気というか空気感がどこか似ている。

そういえば、前回来たのは1年ほど前の春先で、雨まじりの強い風の吹く日だった。砂浜は灰色で人も少なく、波も高く泡立ってどこか荒涼とした中に、それでも頑張ってビーチに寝転んでる人たちがいたのだった。当時は言葉になっていなかったのだが、それもどこか「熱海」っぽい風景だったな、と今にして思う。いや、決して揶揄しているわけではないのだけれど。

1 モニター一体型のデスクトップPC。ビデオ再生機一体型の「テレビデオ」のようにも見える。モニター背面が尖った角の丸い変形五角形をしていた。
2 正確にはCold Long Black
3 熱海だって、最近は高級オーベルジュができたり映画やドラマのロケ地として賑わったりと、以前とは変わってきているようだが。

クイーンエリザベス

晴れている日にロックス地区(The Rocks)の高台から見下ろすシドニーの港は、西側にハーバーブリッジが伸び、東側にシドニー・オペラハウスが貝を重ねたような特徴的なシェイプを光らせる。クラッシックな様式の黒い橋と近代建築のマスターピースとも言える白いオペラハウスに挟まれた青い水面を多くの船が行き来する風景は、とても美しい。

シドニー滞在中のある朝、ふと見ると、国際旅客ターミナル(Overseas Passenger Terminal)にクイーンエリザベス号が停泊していた。全長がおよそ300メートル、幅が32m、総トン数9万トン。近くで見ると巨大ビルが海上に横たわっているかのごとき威容である。停泊しているのは2010年に就航した三代目だ。先代(二代目)のクイーンエリザベス2世号が横浜港にはじめて寄港したのは1975年のことで、当時ニュースなどでも大々的に取り上げられた。港まで見に行った横浜在住の叔父が興奮気味に「大きすぎて桟橋からはみ出しちゃってるんだよ」と話していたのを覚えている。以来、クイーンエリザベス号といえば、僕にとって(そして日本人の多くにとって)豪華客船の代名詞であり、特別な存在となったのだった。

そのときからずっと、無邪気にも数十年に渡ってクイーンエリザベスが世界最大の豪華客船だと思いこんでいたわけだが、実は、大きさで言えば、もうすでに世界のベスト30にも入っていないらしい。現時点で最大の客船は2018年3月に就航したシンフォニー・オブ・ザ・シーズ(Symphony of the Seas)で、全長はそれほど変わらないものの、幅が65メートル、総トン数は約23万トン。なんとクイーンエリザベスの2倍以上である。いつのまにかクイーンエリザベスは、中型、というか「豪華」客船としては決して大きくない存在1)になってしまっていたのである。

「世界最大」からは遠く隔たってしまったとはいえ、それでもクイーンエリザベスは大きく、優雅である。シドニー港はこのクラスの客船が毎日のように入出港しており、眺めていて飽きることがない。ハーバー・ブリッジをくぐった先にホワイトベイ・クルーズターミナルという埠頭もあって、大型船がアタマをかすめるように橋をくぐる様子を見ることもできる。こうして見ているとつい、ちょっと乗ってみたいなぁなどと思い始める。この大きさなら酔わないのだろうか。時化やうねりではやはり船室で寝たきり地獄になったりするのだろうか。ひどい船酔い体質としてはそんな心配をしてしまう。まぁ、いざ乗るとなったら心配すればよいのであって、今心配する必要はどこにもないのだが。

1 クイーンエリザベスの幅32メートルというのはパナマ運河を通過できる最大幅という制約からきているそうだ。つまり現代の巨大豪華客船はパナマ運河を通らない航路を使うということになる。