金沢旅行記オマケ:金箔

金沢に行くと、あちこちで見かけるのが「金箔」だ。街を挙げての金箔押しといってもよい。金箔を貼って光り輝く工芸品ならまだわかるのだが、なぜそこに金箔を貼ろうと思ったのか、というようなものも散見される。金沢市民が普段から金箔を食べているわけではないと思うが、食べ物までがあちらこちらで黄金色に光り輝いており、神々しく光るたこ焼きや、どら焼きなんかを見かけた。中でも、見るからに金箔!だったのがソフトクリームである。ごく普通のソフトクリームが金箔に包まれて出てくる。確か400円とか500円くらいだったと思う。これ以上ないくらいの「インスタ映え」物件として、国内外問わず観光客に大人気である。

この食用に使われている金箔、一枚の厚みは1万分の1ミリ程度という。95~96%が金、残りほとんどが銀という配合になっている1)。金も銀も、味もしないし、人体にはなんの影響もなく、消化液に反応することもなく素通りしていくらしい。そういえば、最近ではすっかり見かけなくなったが、金歯のように虫歯の充填に使われたりしているくらいだから2)大丈夫なのだろう。これほどカジュアルにソフトクリームに載せられて出てくるとなると、気になるのはそのお値段だが、およそ10センチ四方のもの1枚が200円前後のようだ。僕がこのアイスを食べたのは、東茶屋街にある古くからの金箔屋さんなので、卸価格ではもっと安いはずだけれど、ソフトクリーム代に金箔の小売価格をのせたくらいの価格設定ならば、まぁ良心的といえるのではなかろうか。

今では、日本の金箔製造のほとんどが金沢で行われている。江戸時代には幕府が金の扱いを一手に独占していたので、加賀藩では公式に携わることができず、質の悪い原料からの密造を続けていたらしい。質の悪いものから高品質な箔をつくろうとしたために、技術が進み、今では日本で唯一といってよいほどの産地になったというのは歴史の皮肉で面白い3)

ところで、翌朝のトイレを少し楽しみにしていたのだが、何事も起きなかった。

1 わずかに銅も入っている。
2 昔はけっこう派手に金歯を光らせた品のないオジサンやオバサンがもっと沢山いた。
3 昔、スコットランドでウィスキー生産者が徴税官に見つからないように、シェリー樽に入れて隠して保存しているうちに、樽の中の酒がまろやかで豊かな芳香と味わいになった、みたいな話でもある

Knocking at Your Back Door (Deep Purple)

80年代にロックギターを練習していた世代にとって、「ハイウェイスター」と「スモーク・オン・ザ・ウォーター」はまず最初にコピーに励んだ曲だったはずだ。ロックギターにおける「バイエル」と言ってもよい。まぁバイエルといっても易しいというわけではなかったが、ハードロックの基本になるバッキング(リフ)やソロパートでの速弾きの基礎を練習・習得するにはよかったし、初心者バンドでもなんとなくカタチになる、それなりにサマになる曲であった。

この二曲は、ディープ・パープルの長い歴史の中では「第二期」、イアン・ギラン(Vo)、リッチー・プラックモア(G)、ジョン・ロード(Key)、ロジャー・グローバー(B)、イアン・ペイス(Dr)という布陣による演奏である。今、40代半ばより上の世代にとって、ディープ・パープルといえば、この第二期と、ボーカルがデイヴィッド・カヴァデール、ベースがグレン・ヒューズ1)に代わった第三期2)のことを指すと考えて良い。

問題は、この第二期、第三期は1970年から74年までで、80年代ギター少年にとってはリアルタイムではなかったことである。アルバム、とくに「ライブ・イン・ジャパン」のようなライブアルバムを聴いてくぅ~カッコいい~と思っても、バンドは迷走の末すでに76年に解散。レインボーやホワイトスネイクといった他のバンドでメンバーそれぞれは活躍していたけれど、本家ディープ・パープルは、伝説の巨星として雑誌記事とレコードだけを通じて見聞する、どこか靄のかかった幻のような存在だった。

そのディープパープルが84年に第二期のメンバーで再結成、「パーフェクト・ストレンジャーズ」というアルバムをリリースして復活を遂げる。僕は当時浪人中の予備校生だったのだが、バンド仲間だった友人が口角泡を飛ばしながらこの復活を熱く語っていたのをよく覚えている。このアルバムのオープニング「Knocking at Your Back Door」を聴いたとたん、凄い、本物はやっぱり違う、としみじみと感じ入ったものだ。霞の向こうから本物がくっきりと姿を現した瞬間だった。80年代半ばには、ヘヴィメタル・ハードロックがブームで、僕も、LAメタルと呼ばれたアメリカのバンドを中心に手広く聴いていたが、そのどれとも質も桁も違う、「貫禄」としか表現できないオーラが溢れていた。

ジョン・ロードの歪んだハモンドオルガンから始まり、ロジャー・グローバーのベースがリズムを刻み始め、意表を突くタイミングでイアン・ペイスのドラムがスタートする。リッチーのギターとハモンドオルガンのユニゾンのような分厚いメイン・リフにイアン・ギランの硬質でヤサグレた色のボーカルが重なってくる展開が、パープルの王道というか風格というか、とにかくカッコいいのだ。レインボーのエントリーで書いた通り、リッチーのギターソロは正直あまり好きではないけれど、楽曲の凄みの前にはそんなものは問題にならず、まさにハードロック史上に残る名作アルバムだと思う。

1 ベース&ボーカルと言ったほうが正確だが。
2 Burn(紫の炎)など

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(3. 加賀野菜)

近江町市場を歩くとどうしても新鮮な海産物に目を奪われるけれど、奥へ奥へと進んでいくと野菜を扱っているお店も少なからずある。金沢には藩政時代からずっと栽培され、地元で親しまれてきた野菜があり、こうした野菜を「加賀野菜」としてブランド化し、残していこうとしている。

「加賀野菜」について知るきっかけになったのは、たまたま入った居酒屋で食べたさつまいもの天ぷらだった。紅い皮はつけたままじっくりと丁寧に揚げられたさつまいもは、白黄色の身がほくほくとして驚くほど甘かった。これが「五郎島金時」というさつまいもで、加賀特産だったのである。五郎島金時は、主に金沢市の五郎島・粟ヶ崎地区や内灘砂丘で生産されている。およそ300年前、砂丘地で栽培できる作物がなく不毛の地だったところ、似た地質の土地で栽培されていたサツマイモを太郎衛門という人物が薩摩の国から持ち帰り、育てはじめたのが五郎島金時の始まりらしい。収量よりも質を重視し、米ぬかを使った専用の肥料で育てられている。

五郎島金時以外にも、金時草という菜っ葉(きんじそう、と読む。表が緑、裏が紫色。ゆでるとぬめりがでる。茹でて三杯酢でさっぱり食べるとうまい)、金沢春菊(春菊の一種だというが、普通の春菊のようなほろ苦味は全くなく、サラダ菜のような感じで生食する)、加賀れんこん、源助だいこんなど15品目が加賀野菜としてブランド認定されているようだ。

これらの加賀野菜は、市場でも買えるが1)、郷土料理の店や居酒屋でも楽しむこともできる。僕が「五郎島金時」を食べたのは、「いたる」という居酒屋の香林坊店。飛び込みで入ったのだが、実は金沢でも1,2を争う人気店だった。まだ早い時間だったから入れたのだろう。入ってすぐに、ああこれはあたりだいい店だ、とわかった。老いも若きも、男も女も、皆穏やかに楽しそうに過ごしている。店の人の対応はきびきびとして心地よい。壁の黒板に書かれたオススメ品やメニューには、控えめな自信のようなものが漂いつつ、それでいて一切押し付けがましくない。五郎島金時でつくられた芋焼酎もある。柔らかでクセがなく上品で、料理とケンカしないいい酒だと思う2)。五郎島金時以外にも、金時草のおひたし、加賀れんこんのあんかけなど加賀野菜を使った料理や、かぶらずし3)や治部煮4)といった郷土料理もよい。

1 たいていのお店では宅配便で配送してくれる。
2 「強い」芋焼酎が好きな人にはもしかするともの足りないかも。
3 かぶに寒ブリを挟んで麹で発酵させたもの。「すし」とついているがコメは使っていないのでご注意。
4 じぶに、と読む。煮物というよりは、鴨肉(または鶏)を使ったシチューに近い感じがする。

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(2. 近江町市場)

近江町市場は金沢市民の台所と言われ1)、海産物や野菜などを扱う店や飲食店がたくさん軒を並べる。始まりは1700年ごろとされ、かれこれ300年もの歴史があるという。ここに行かない観光客はいないのではないか。能登、北陸は海産物の宝庫。とくに冬場は、ブリ、カニ、鱈、のどぐろ2)など美味しそうな海産物がどどんと並んでいる。最近ではアジアからの観光客がぐっと増えたこともあって、店頭でエビ、カニ、ウニなんかを買ってその場で食べることができるお店も増えた(だって、飛行機で持って帰れないからね)。

「ふぐの子糠漬け」と「巻鰤」は他では見ない石川県ならではの珍味である。ふぐの卵巣は猛毒テトロドトキシンを含むため、ふぐの調理は特別な技能を必要とする免許制3)なのはご存知の通り。ところが、この卵巣を2年ほど塩と糠で漬けて発酵させるとこの猛毒が消え、独特の旨味が生まれるらしい。毒の消えるメカニズムはまだ未解明の点が多いため、石川県で伝統の製法でつくることのみを許可されているという、正真正銘、ここにしかない珍味である。江戸時代にはすでにこの製法が編み出されていたという説もあり、きっと多くの人が危ない橋を渡りつつ完成されてきたのであろうと考えると、人間の食欲と好奇心まさに恐るべし、といったところだ。巻鰤は冬に脂の乗ったブリを塩漬けにし荒縄で巻いて保存食としたのが始まり。藁巻納豆の親分のような姿カタチで売られているが、縄を解いてみると中から意外にこじんまりとした塩漬け魚肉が現れる。ふぐの子も巻鰤も、どちらも塩が相当強いので、酒の肴にほんとにチビチビと削るくらいで丁度よく、たくさん買って帰っても持て余すことになると思う。

こうした歴史ある珍味に代わって、近年金沢海鮮のフロントランナーに飛び出してきたのが「のどぐろ」だ。のどぐろはアカムツの別名。日本海側ではのどぐろ、太平洋側ではアカムツの名で流通している。これが実に美味しい魚で、良質の脂がたっぷりとのっている。刺し身でよし、焼いてよし、干してよしの高級魚である。もともと美味しい魚として知られていたところ、2014年に全米オープンテニスで準優勝した錦織圭(島根県松江市出身)がインタビューで「帰国したら食べたい」と話して人気に火が着いたと言われる。そこに北陸新幹線の開業が重なり、金沢にやってくる観光客は、誰も彼ものどぐろのどぐろと唱えながら市場と鮨屋をぐるぐると回遊するようになった。

近江町市場で旨い鮨を食べるなら十間町口近くにある「歴々」がよい。お昼は3,000円のコースからなので、他店より少し高いけれど、きちんとプロの仕事の施された品の良い鮨が食べられる。もう少しカジュアルに海鮮丼を食べるなら、歴々の斜向いにある「魚旨」だろうか。1,500円くらいからあるけれど、メニューを見ているうちに欲が出てもう少し上の丼を選んでしまうだろうから、費用としては「歴々」と大差ない結果になるような気がする。ここは、海鮮の味もさることながら、接客にあたる女性陣の気配りと温かな対応が見事だ。食事の後は、隣りにある「金澤屋珈琲店」で深煎りのブレンドを一服。

金沢旅行記3 に続く)

1 僕の目には市場にいる客のほとんどは観光客にように見受けられるので、実際のところ地元の人がどのくらい買い物に利用しているのかは、よくわからない。
2 のどぐろの「旬」がいつかについては諸説ある。
3 厚生労働省によると毎年20から30件程度の食中毒が報告されているが、そのほとんどは家庭で無許可の素人が調理したことが原因。

庭と魚と加賀野菜:金沢旅行記(1. 兼六園)

先日、旅行で金沢を訪れた。3年ぶり2度めである。防寒対策にヒートテックやダウンジャケットを着込んで勇んで出かけたものの、あまり寒くはなく、雪も道端に多少残る程度でそれほど降った形跡もない。タクシーの運転手は、観光客はみな雪山にでも行くような格好で来るけれど、金沢はそれほど雪も降らないし寒くもないよ、と笑った1)。そういえば3年前も厚着しすぎたな、と思ったのを今思い出した。

金沢は、言わずとしれた加賀百万石の中心地。加賀藩前田家は外様でありながらも、徳川御三家に次ぐ別格の地位を与えられた。その格式と富を受け継いできた土地だけに、名所旧跡は豊富だし、市街にもどことなく品があり、豊かな文化の香りがする。

金沢の中心地はJR金沢駅ではない2)。一番の繁華街である香林坊は駅東口から1.5キロほど南東にある。香林坊は金沢城址や兼六園、旧制第四高等学校(現在の金沢大学)跡などの史跡と隣接しており、このあたりが江戸時代以来の中心地であったことがわかる。金沢駅も東口側には美しい形の「鼓門」があり、賑わいを見せているが、西口側は駅前ロータリーに車も少なく、真っ直ぐ伸びる広い道路の両側に銀行、オフィスビル、NHKなどがぽつりぽつりとあるばかりで閑散としている。

金沢観光といえばまずは兼六園。昔は観光地に行って「庭」を見たがる親の気持ちが理解できなかったが、今ではすっかり年寄りチームの仲間入りを果たしてしまった。加賀藩主前田家の庭として何代にも渡って整えられてきた庭は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とならぶ日本三名園の一つに数えられている。とくに冬の「雪吊り」が施された景色は、誰もが一度や二度は写真で見たことがあるのではないか。兼六園は四季それぞれにライトアップされる期間が設けられているが、この冬のライトアップは2019年2月1日から19日まで、夜5時半から9時まで実施されている。今回の目当ての一つがこのライトアップされた庭の見物であった。前の週に降った雪が少し残っていて、雪吊りの荒縄が照明に金色に光って実に幻想的。おそらく吊った縄と形のバランスも意識した職人技3)で、凛とした美しさを湛えている。この雪吊りと雪の積もった兼六園のイメージが強いので、金沢は雪国だというイメージがあるのだと思う。昼間の庭もよいが、夜ライトアップされた庭はまた格別の趣がある。

金沢旅行記2 に続く)

1 気象庁のデータでみると、温暖化の影響なのか、90年代以降はそれまでと比べて年間降雪量が半分くらい、降雪日数が6割程度になっている。
2 JRの駅が繁華街の中心なのは、東京などの大都市圏だけであって、多くの県庁所在地や地方都市ではそういうわけでもない。
3 石川県のウェブサイトによると、総重量4トンもの藁縄をつかい、兼六園の庭師5名を中心に、延べ500人で作業を行うらしい。