サンタクロース

大昔の記憶をほじくり返してみても、サンタクロースを信じていた頃を思い出すことができない。小さい頃からかなり理屈っぽく、ある意味ませた子供だったので、サンタクロースの話を聞いても、そんなわけはない、と思ったのだろうか。ただ、朝起きたら枕元にプレゼントが置いてあるのを初めて「発見」した日の記憶はある。たしか、コース付きのレーシングカーセットの大きな箱が枕元にあったのだ。8の字型のレーシングコースを組み立てて、その上を小さなレーシングカーが飛ぶように走った。すごく嬉しかったのだが、サンタクロースがくれたのだ、とは思わなかった。両親のほうも、サンタクロースが持ってきた、という「建前」をあまり押し出してはいなかったように思う。クリスマスそのものが、あの頃(昭和40年代)は、今ほど大きなイベントでもなかった。

以前勤めていた会社のマネージャーが、サンタクロースを信じる娘のために、飲みかけの牛乳と一口かじったクッキーを夜中にテーブルにセットしたり、ちょっとした足跡を屋根につけたり、とそれはそれは微笑ましい努力をする人だった。そのかいあって、小学校低学年の娘さんはまだサンタクロースを信じていると言っていた。もう10数年前の話なので、もう信じてはいないだろうけれど、きっと子供の頃の楽しい思い出としていつまでも残るんだろうなぁ、とこちらまでほっこりと温かい気持ちになる。

クリスマスプレゼントといえば、4歳か5歳の頃にドラムセットを買ってくれとねだったことがある。どこかのデパートのおもちゃ売り場だったか楽器売場だったかの片隅に、子供用のドラムセットが置いてあったのだ。小さなサイズながら、バスドラ、スネア、ハイハット、タム、シンバルとフルセットでついているけっこう本格的なやつだったと思う。物心ついてからずっとバンドとか音楽が好きで、3歳ごろからホウキをギターに見立てて、弾きながら歌うマネゴトをしているような子供だったが1)、そのドラムセット見た瞬間、電気に打たれたようにこれは僕が叩かねば、と思い込んだのだった。

当時は団地住まいだったので、冷静に考えれば、どう考えてもドラムセットなんてあり得ないわけで、もちろん親にはケンモホロロにダメだと言われた。でも、そこはまだ幼稚園の子供。「もしかして」という期待は大きくはちきれんばかりに膨らんだままクリスマスの朝を迎えた。起きると枕元に何やら大きな袋が。でも、どう見てもドラムセットほどは大きくない。開けてみると、木目も鮮やかなオレンジがかった木琴が出てきた。母親いわく、叩いて音が出るものという点では同じだから、これで我慢せよ、と。ドラムを欲しがる息子に木琴というセンスが今でも信じられないが、彼女は何故かどこか自慢げですらあった。いやいや、ぜんぜん違うにもホドがあるでしょ。木琴の入ったバンドなんて見たことないし。

今でもクリスマスになるとこのことをよく思い出す。もしあのときにドラムが与えられていたなら、今頃はきっとサイモン・フィリップスくらい世界的なドラマーになっていたはずなのだが。世の中思い通りにはいかないものだ。

1 今でもギターを弾いてバンドで歌っているのだから、その頃から何も変わっていない。三つ子の魂恐るべしである。