きんぽうげ(甲斐バンド)

甲斐バンドと言われても、若い世代はもうぱっと曲が思い浮かばないかもしれない。でも、きっと「HERO(ヒーローになる時、それは今)」や「安奈」は、どこかで聴いたことがあるはずだ。

甲斐バンドは、ボーカルの甲斐よしひろを中心としたロックバンドで1974年にデビュー。1970年代には、チューリップ、海援隊など、福岡・天神のライブハウス「照和」から多くのミュージシャンがプロデビューしたが、甲斐バンドもそんなバンドのひとつだった。79年にリリースした「HERO(ヒーローになる時、それは今)」が腕時計のSEIKOのCMタイアップと合わせて大ヒット。同じ年の10月に発売された「安奈」のヒット1)と合わせ、人気を不動のものとした。

「きんぽうげ」は、僕が高校一年のときに、同級生と組んだバンドで、はじめて人前で演奏した曲のうちのひとつ。文化祭だったか、何かの校内行事のアトラクションの一部だったと思う。今思えば、みな楽器を始めたばかりで、初々しさだけが取り柄。音作りも、楽器の音量バランスも、なにひとつわかっておらず、せーのでスタートしたら、わーっと最後まで自分のパートを間違えずに弾き通すことくらいしかできなかった。よくぞあれで人前に出たものだと感心する。

初めて生で観たロックコンサートも、甲斐バンドだった。埼玉会館大ホール。スモークの焚かれたステージ、交錯する照明、大音響。16歳の少年にとって、あまりに強烈なインパクトで、その後、高校、大学から今に至るまでバンド活動とギターをこよなく愛するようになった原点はたぶんあそこにある。そのコンサートでも「きんぽうげ」は、たしかオープニングとして演奏されたはずだ。

この曲のギターソロは、今聴いても完成されていて、ヘンにアドリブで変化させる余地がない。このビデオでも、二度目のソロ(半音下げ転調のソロ)ではギター二本でオクターブ違いのユニゾンになっているが、レコードのオリジナルと全く同じフレーズを弾いている。ギターの大森信和2)のソロは、この曲に限らず、ブルージーで印象的なフレーズが多く、曲に変化をつけながらも全体を大きくまとめるような役割を果たしている。ところで、甲斐よしひろも、ギターを弾きながら歌うことも多かったが、彼は左利きで、通常の右利き用のギターをくるりと半回転させてそのまま使っている。そのため、一番太い6弦が一番下側、細い1弦が一番上側になり、右手の弦の押さえ方がかなりヘンテコリンに見える。

1 昔、カラオケでクリスマスソングを何か歌え、ということになって「安奈」を歌ったら、これはクリスマスソングではない、と不評だったのが未だに納得がいかない。れっきとしたクリスマスソングだと思うのだが。
2 2004年に急逝

Reaching Out / Tie Your Mother Down (Queen+Paul Rodgers)

何人たりとも、クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーに代わることはできない。これは誰もが認める事実だろう。歌唱力、声質、カリスマ的エンターテナー性、曲作りの能力。どれをとっても唯一無二であり、クイーンというバンドとその創り出す世界のフロントマンとして絶対的な存在であった。だからこそ、1991年に彼が亡くなった後、クイーンは長らくバンドとしての活動を停止していたし、せざるをえなかったのだと思う。2005年、本当にしばらくぶりにワールドツアーを行うにあたって迎え入れたボーカリストがポール・ロジャースだったというのは、古くからのロックファンにとってはかなり「意外な」人選に映ったはずだ。

ポール・ロジャースは、クイーンに比べれば、日本での知名度はないに等しいかもしれないが、クラッシクロック好きならばたいていの人は知っている実力派ブルーズ・ロックボーカリスト。フリー、バッド・カンパニー、ザ・ファームなどでの活動で知られる。ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデールや、元ディープパープルのグレン・ヒューズのようなボーカリストにとっては、ブルーズとロックを融合させた偉大なる先達といえる。

僕にとっても当初「意外」であり若干「懐疑的」にも思えたこの起用だったけれど、ライブアルバム「リターン・オブ・ザ・チャンピオンズ」を聴いて認識を180度改めることになった。僕にとっては、何ならオリジナルよりも好きかもしれない、と思わせるほどに素晴らしい出来だったのだ。鮨とステーキとどっちが美味いかを比べても意味がない。あえて言うならどちらが好きか、くらいしか表現しようがない。例えは少々雑だけれど、同じ理屈で、フレディとポールは、あまりにスタイルが違っていて、お互いを比べても意味がないのだ。フレディが、ヨーロッパ大陸的な、クラッシックやオペラの耽美的な匂いをまとっていた1)のに対し、ポールは大西洋の反対側の、アメリカのブルーズとその英国的解釈としてのブルースロックの土の匂いを持ち込んだ2)。これほど違うボーカリストを立てることで、僕らはフレディへの気持ちをそのままに、「別物」としてポールの歌うクイーンを楽しむことができるようになった。ポール・ロジャースとして唯一無二のボーカルは、クイーンの楽曲を、クイーン自身による別次元の解釈で演奏することを可能にしたのだ。面白いことに、ポールのブルースロック的世界に呼応するように、ブライアン・メイのギターも、どこか普段よりも粘りのあるリズムとノリでプレイされているように聞こえる。

2005年さいたまスーパーアリーナでのコンサートを観に行った。アルバムと全く同じように、静かなオルガンのバックにのせて「Reaching Out」3)が始まる。思わず涙腺がゆるんでしまうほどの、心が締め付けられるようなポールのシャウトが “Are you reaching out for me…” と響き、雪崩のように「Tie Your Mother Down」のハードなイントロに続く。これまで何本のコンサートを観たか数えきれないけれど、ベスト3に入る圧巻のコンサートであった。

1 それがクイーンというバンドそのものでもあったわけだが。
2 そういうクイーンなんて嫌いだという人がいるのもわかる。
3 1996年にチャリティのためにブライアン・メイ、チャーリ・ワッツらによって結成されたプロジェクトRock Therapyでリリースされた3曲入りアルバムの中の一曲。

EAT & RUN

「EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅」
スコット・ジュレク、スティーヴ・フリードマン 著、小原 久典 、北村 ポーリン 訳、NHK出版。

以前レビューを書いた「Born to Run」に出てくる主要登場人物のひとり、スコット・ジュレクが、なぜ走るのかを自らに問いかけつつ、その考え方、食生活、トレーニングなどを気取らない筆致で綴った本。スコット・ジュレクは、全米のみならず世界的にも「最強」のウルトラランナーのひとりであり、ウェスタンステーツ・エンデュランスラン(カリフォルニア州の山岳地帯を161キロ走るトレイルマラソン)7連覇をはじめ、世界的なウルトラマラソンで多くの優勝を果たした。大量のエネルギーを消費するウルトラマラソンにおいて、ヴィーガン(完全菜食主義者)であることが何らハンデにならないどころか、体調を整え、良質のタンパク質と必要なエネルギーをとるのにむしろ大切な要因になっているのも、彼のスタイルを際立たせる特徴になっている。

彼は、ミネソタの片田舎で、幼い頃から、ALSを患い日に日に身体の自由を失っていく母親と、厳しく強権的な父親の間で、経済的にも恵まれないなかでも、長男として家族のバランスを必死でとりながら生活をしてきた。彼が走りはじめた理由のひとつは、自分の心配事を忘れ、自分の中に入っていく一人きりの時間を過ごせるから、だったようだ。スポーツ界に限らず、アメリカで成功した人たちの少なからずは、「強くある自分」を意識的に外に打ち出し、弱さと受け取られる要因をなるべく見せたがらないタイプが多いように思うが、本書のスコットはむしろその逆で、不安や葛藤、弱さや泣き言、友人から受けた刺激や支えを素直に記している。

「Born to Run」を読んだときから、なんとなく感じてはいたが、長距離を走ることで到達する境地と仏教的な瞑想の境地とは、その本質において似通っている。どちらも、呼吸を見つめ「今」に集中することで、将来や過去といったしがらみを捨て去り、無我の境地を目指す。スコットの思索は、どちらかといえば東洋的で、我々には馴染み深い側面をもっている。第10章ではヘンリー・ソロー1)と武士道について、第12章では、比叡山の千日回峰行2)について触れている。

人生はレースじゃない。ウルトラマラソンだってレースじゃない。そう見えるかもしれないけれど、そうじゃない。ゴールラインはない。目標に向かって努力をして、それを達成するのは大切だけれど、一番大事なことではない。大事なのは、どうやってそのゴールに向かうかだ。決定的に重要なのは今の一歩、今あなたが踏み出した一歩だ。(「エピローグ」)

ビジネスであれ、スポーツであれ、結果が全て、勝者が全て。ゴールに最短距離で到達したものが勝者であり、全てを手にする、といった勝利至上主義の考え方はここにはない。ランニングを含め、あらゆることの「見返り」は、すべて自分の中に存在し、ゴールに向かった「プロセス」だけが自分に喜びや平穏を与えてくれるのだ、という彼の言葉は、説得力と温かさをもって胸に染みる。

本書に続く「NORTH 北へ アパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道」(NHK出版)が9月に刊行された。ジョージア州からメイン州に至る3,500キロもの「アパラチアン・トレイル」を北上し、最速踏破記録を樹立しようとする日々の記録だ。とくに後半の壮絶さと、その中で思索が深まっていく様子は、この本のあとにぜひ読むと良よい。

1 「ウォールデン・森の生活」著者。長距離の散歩を日課としていた。
2 見方によってはまさに究極のウルトラマラソンでもある。

四万温泉・積善館(2)

本館での食事は2階奥にある食堂でとる。夕食は6時から7時の間。お重にはいったおかずが部屋ごとのテーブルにセットされていて、温かいごはんとお味噌汁が別に用意されている。お重は3重になっていて品数は多く、優しい味付けで悪くない。頼めば部屋に持ち帰って食べることもできるようだ。飲み物は、外で買ってきたものであっても、自由に持ち込むことができる。商店街にある酒屋で地酒を買って一献なんてのも楽しい。(食堂にも、それほど種類はないけれど、ビールやお酒が有料で用意されている。)

なにせ古い木造建築なので、廊下を人が歩くとぎいぎいときしむし、足音が響いたりする。また、本館の部屋は、トイレ、洗面所が共同で、いちいち部屋の外に出なければならないのが面倒といえば面倒だけれど、それも風情だと思って楽しむとよい。

積善館は、古い歴史や由緒ある建築が温泉ガイドにとりあげられるけれど、それに劣らず、接客も丁寧だ。本館での宿泊は「湯治」スタイルなので、客が自分のペースで時間を過ごせるように、日本旅館では普通とされるサービスのいくつかをあえて「しない」選択をしている。たとえば、部屋ごとに何くれと世話をしてくれる接客係はいないし、布団を敷くのも客が自分でやることになっている1)。それでも、スタッフのみなさんは、チェックイン・アウト、食堂での給仕といった要所要所で、気配りの効いた、落ち着いた品のある接客をしていて、客が心地よく過ごせるよう気を使っているのを随所に感じることができる。また、宿のウェブサイトはとても充実していて、宿の自負と誇りを随所に感じる読みものが満載だ。

四万温泉の周辺には、徒歩やクルマで訪れることのできる観光ポイントがいくかある。紅葉のシーズンであれば、日向見薬師堂や四万川ダムに立ち寄ってみることをお勧めする。

1 普段、ホテルに泊まりなれている身からすると、日本旅館のサービスは時に過剰で、かえってわずらわしいことが多い。布団だって、部屋のどこにいつ敷くのか自分で決めたいので、放っておいてくれる仕組みのほうがありがたい。フルサービスが好みの場合には、山荘か佳松亭に泊まるとよい。

四万温泉・積善館(1)

四万温泉(しまおんせん、と読む)は、群馬県北西部、新潟・長野との県境に近い吾妻郡・中之条町の北の端に位置する温泉である。都内からクルマで行くなら、関越自動車道を進んで渋川伊香保インターで降り、国道17号線から353号線とつないで北上する。渋滞がなければ2時間半から3時間の道のりだ。小さな温泉郷ながら、古い歴史と優れた湯質を誇り、有名な湯宿がいくつかある。積善館は中でも、古い湯治宿の雰囲気を今に残す名宿として人気の宿。季節の変わり目でちょっと疲れがたまってきたところだったので、一泊だけだけれど湯治気分で訪ねてみた。

11月とはいえまだ初旬、都内では昼間は20度前後まで上がるので、ポロシャツ一枚で過ごしているが、四万温泉は標高が700メートルほどで、一足先に本格的な秋を迎えて肌寒いほど。木々の葉は、黄や赤に色づき始めており、ドウダンツツジはすでに燃えるように真っ赤に染まって目を楽しませてくれる。

四万温泉は、一説に、四万もの病気を治すところからその名がついたとされている。細い山道しかないような時代に、最も近い中之条の町からでさえ、歩いて湯治に来るのはたいへんな労がかかったはずだが、それでも300年に渡って連綿と人々に頼られ、利用されてきたのは、この温泉がそれだけ効験あらたかであったということだろう。

積善館は、本館、山荘、佳松亭と大きく3つに分かれている。山荘と佳松亭は、贅沢な作りの高級湯宿、本館は質実剛健な昔ながらの湯治宿のつくりだ。今回泊まったのは、本館。赤い欄干の小さな橋を渡って正面に佇む木造の建物が本館1)で、元禄4年に建てられた日本最古の木造湯宿建築だそうだ。

この宿で最も有名な風呂が「元禄の湯」。昭和5年に建てられた大正ロマネスク建築で、当時としては贅沢でハイカラな洋風のホール風のつくり。5つの石造りの湯槽がならぶ写真を雑誌などで見たことのある人も多いのではないか2)。それぞれの湯槽は、排水口とは別に、底の真ん中に穴が空いていて、そこから源泉が常に湧き出ている。壁際には、大人の腰ほどの高さの小さな戸のついた「蒸し風呂部屋」が2つある。おとな一人がやっと入れるくらいの小さな室で、戸を閉めると源泉からの蒸気が充満し、文字通りの蒸し風呂になる。基本的に洗い場はなく(一箇所だけシャワー蛇口がある)、写真の手前(撮影者が立っていると思われるところ)に簡単な脱衣場があるだけ。風呂の扉を開けたとたんに、写真と同じ光景が目に飛び込んでくる。

湯質は「ナトリウム・カルシウムー塩化物硫酸塩泉」3)で、リウマチ、運動障害、創傷に効く。入口横に飲泉用の湧き出し口もあって、飲むことで消化器疾患、便秘、じんましん、肥満症に効くらしい。わずかにとろみのある優しいお湯で、温度も40度から41度くらいの熱からずぬるからず。ゆっくりと浸かって体を温めることができる4)。宿泊しなくても、11時から16時までは、立ち寄り湯としても利用できるようになっているので、週末のこの時間帯は多少混むこともあるそうだが、宿泊者の時間帯では、それほど混むこともなく、ゆったりと時間を過ごすことができるだろう。

1 本館の駐車場へは、クルマで入るのを躊躇するような、温泉街の細い道を奥へと進み、赤い欄干の橋をクルマで渡り、玄関の前で荷物を下ろしてから、更に建物の間をすり抜けるようにして駐車場に入る。
2 風呂は撮影が禁止なので、ここに掲載していある写真は積善館ウェブサイトのフォトギャラリーのもの。
3 この泉質は「箱根高原ホテル」と同じ。
4 ほかに、「岩風呂」、「山荘の湯」、佳松亭にある「杜の湯」と、計4つのお風呂を楽しめる。「元禄の湯」のすぐ下の川原に源泉があるため、ほかに比べて「元禄の湯」の温度がやや高いようだ。高いと言っても40~41度くらい。熱い湯が好きな人には物足りないかもしれないが、ゆっくり浸かるにはこれくらいが丁度良い。