The 3 Rs (Jack Johnson)

ジャック・ジョンソンは、ハワイ・オアフ島ノースショアの出身。17歳でプロサーファーへの道を歩みだすが、サーフィン中に負った大怪我のためにその道を断念せざるを得なくなってしまう。その後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で映像制作を専攻。ミュージシャンとしてデビューする前に、映像作品として、ドキュメンタリーフィルム「Thicker than Water」を1999年に制作1)している。ミュージシャンとしてのデビューは2001年に自身のレーベルから発表された「Brushfire Fairytales」。

おそらく最も知られたヒット曲は「Better Together」2)だろう。彼の曲は、フォーク・ロックやブルーズ的なコード使いをしつつ、ハワイ出身らしい肩の力の抜けた、大自然に寄り添うような、穏やかなトーンとスタイルで、聴く人をほっとさせる。僕も夏になるとクルマの中でよく聴いている。アコースティックのイントロが流れたとたんに、フロントガラスの向こうの蒸し暑くギラついた東京の夏が、こころなしかハワイっぽく爽やかなものに見えるのが不思議だ。こういう独特な空気感は、石垣島出身のBeginをはじめとする沖縄のアーティストが持つ空気に似ている。

「The 3 Rs」は、映画「Curious George」3)のサウンドトラック「Sing-A-Longs and Lullabies for the Film Curious George」(2006年リリース)に収められている。この曲は、「Schoolhouse Rock!」というアメリカ版「みんなのうた」のような番組で放映された「Three is a Magic Number」という曲の、ジャック・ジョンソン版替え歌。子供向けに「3つの大切なR」を教える歌で、3つのRというのは、Reduce(減らして)、Reuse(再利用して)、Recycle(リサイクルする)のこと。オリジナル曲の「不思議な数字=3」のからめ方がやや強引な気もするけれど(3が2つで6、6が3つで18、アルファベットの18番目はR)、3つの「R」にもっていく歌詞がどこか可笑しくてほのぼのとさせる。

「Curious George」のサウンドトラックには、もうひとつ「The Sharing Song」というタイトルの、「みんなで分ければもっと楽しい」という、やはり子供向けのメッセージソングが収録されている。これが実に格好いいブルーズで、後半のコーラスパートに子供たちの声が入っていたりしてすごく素敵な曲に仕上がっている。いつか自分のバンドで、もうちょっとヘヴィにアレンジしてコピーしてみるのも楽しそうだ。この曲は、ジャック・ジョンソンのバンドのドラム Adam Topolと、アコーディオン&キーボードの Zach Gillが作っている。

1 サウンドトラックも自身のオリジナル曲。
2 2005年3月発売の3枚目のアルバム「In Between Dreams」に収録。
3 日本語タイトルは「おさるのジョージ」。ただ、僕らの世代には、最初に出版された翻訳絵本についていた「ひとまねこざる」という題名のほうがしっくりくる。

本を売る

長年、多くの本を買ってきた。これまで何にお金を使ったかで言えば、今もせっせとローンを払い続けているマンションを除けば多分、本と楽器ではないかと思う。家中に本が溢れ、収拾がつかなくなったので、貸し倉庫に収めていたけれど、今度倉庫を借り換えることになって、とうとう、本の整理を始めた。長年の懸案だったけれど、こういう機会でもないとなかなか始められない。

大量にある、とはいえ、乱読の結果であって、コレクションではないので、稀覯書として価値のあるものは残念ながら一冊もない。ハードカバーも文庫もごちゃまぜ、古典からサブカル、文学からノンフィクション、ビジネス書までジャンルは広大だ。とりあえず、作業しやすい、という意味で、文庫から整理をはじめる。絶版+電子書籍で買えない+古本価格が高い1)+また読みたくなりそう、という4つの条件が「かつ」で揃っている場合を除いて、すべてブックオフに持っていくことにした。

とりあえず第一弾として160冊を持っていってみたところ、5冊がコンディション不良で買取不可。のこりの155冊は買い取ってくれた。ほとんどが5円とか10円の買取だが、意外なものが比較的高値だった。以下が買取価格ベスト5である。

「環境の哲学」「ウォールデン」「ペスト」「戦う石橋湛山」「人間臨終図鑑(1)」

本を読むときに傍線を引いたり書き込みをしたり、という人も少なくないと思うが、僕は本をまったく汚さない派なので、コンディションは概して悪くない。買い取りしてもらえなかった5冊は、相当古い上におそらく直射日光にあたっていたか何かで、紙が「わら半紙」のごとく黄ばんでおり、自分でもこれは仕方がないな、と思う。でも、一定の買取基準(破けていないとかカバーがついているとか)を満たしていれば、少なくともブックオフの場合、ぴかぴかの美品でもそうでなくてもあまり買取価格に影響はなさそうである。それにしても、何が高値でなにがそうでないのか、まったくわからない。なんとか傾向みたいなものを読み解こうとするに、いわゆる「古典」作品は、少し高いのかもしれない(上記5冊の中の「ウォールデン」と「ペスト」。ほかに「武士道」なんかもこれらに次ぐ価格だった)。

実は、今まで本を売るのにちょっと抵抗があった。読書の履歴という、かなり「個人的な領域」を他人に晒すようでイヤだったのだ2)。それでも倉庫に保管されたまま数年から10年程度が経つと、自分の記憶の中で生々しさが消え、ちょっと突き放して客観視できるようになるらしく、今のところ整理作業は比較的すんなりと進んでいる。数日内に、文庫本第二弾300冊程度を持ち込んでみる予定だ。

1 いざ買い直そうと思った時に躊躇しそうなくらい高いものもあるので。
2 とはいえ、紙、電子に関わらずオンラインで本を買えば、その履歴はアマゾンを始めとする「他人」に握られることに変りはないのだが。

新しいグローブ

関西でスポーツといえばなんといっても野球。少なくとも僕が小学生の頃はそうだった。放課後はほとんど毎日野球をしていた。クラスごとにチームがあって、学校近くのグラウンドの取り合いも熾烈だった。日が落ちて暗くなるまで試合や練習は続き、試合が白熱しているときには、そのまま「簡易ナイター」になった。普通の公園に満足な照明設備などないから、キャッチャーの後ろに自転車を3台くらい並べて、攻撃側の空いているやつがスタンドに立てたままの自転車を漕いでライトを照らす。このためにみな、普通は前輪についている発電機を後輪に付け替えたりしていた。このシステムの問題は、灯りがあまりにささやかで、ピッチャー返し以外の打球はどこに飛んでいったか見えないことだ。結果、せいぜい打者ひとりかふたりでボールがどこかに行ってしまい、試合はお開きになったものだった。

僕は阪急沿線に住んでいたので、プロ野球シーズンはいつも、阪急デパートによる、阪急ブレーブス優勝感謝セールか、応援感謝セールで幕を閉じた1)。小学校6年の頃に買ってもらった美津濃2)のグローブは、確か小学校5年の秋の「感謝セール」で買ってもらったのではなかったかと思う。外野手用なのかちょっと縦長で、黄色っぽい色がなんとなくプロっぽくてとても気に入っていた。その後、長いこと、大学や会社のスポーツ大会などでも使い続け、ほぼ一生モノといってよい存在だったが、3年前の実家の火事で失ってしまった。

先日、野球をやりたいと言い出した甥っ子がグローブを買いに行くのにつきあって、御茶ノ水のミズノのお店に行った。野球用具のフロアには、硬式用、軟式用、少年野球用などのグラブが並んでいる。イチローモデルなど有名選手が使っている形をそのままコピーしたタイプもある。革がつやつやと光る新品がずらりと並んでるのは壮観で、子供の頃の、あのわくわく感が突然よみがえって、気がつくと、甥っ子そっちのけで、自分のグローブを熱心に選んでいる始末。あれこれ試した末に、失ってしまったものと似た形だが、色の黒い軟式用のグローブを買ってしまった。昔、買ったばかりのグローブは硬くて、皮革用のクリームをよく擦り込んで柔らかくしつつ、ボールをキャッチした状態のまま、紐でぐるぐる巻いて形をつくったものだったけれど、今は、買った後すぐにお店で餅つき機のような機械で柔らかくしてくれる。

1 阪急ブレーブスは現在のオリックス・バファローズ。70年代の阪急は強くて、パ・リーグではいつも優勝争いをしていたように思う。もう一方の関西の雄・阪神タイガースは人気の割に成績はぱっとせず、優勝セールなんて一度も経験しなかった。
2 当時はいまのようなアルファベット表記ではなく、社名は漢字表記だったはず。

数学への憧れ

中学の途中までは得意だったはずの数学が、いつのまにか苦手科目に変わってから、ついに挽回することなくここまで来てしまった。高校時代のクラス分けでは、早々に「私立文系」組に入って数学から遠ざかり、当然の帰結として私立大学の文学部に進学した。いや、「当然の帰結」というのはちょっと言い過ぎで、文学部というのは、やや極端な選択ではある。ちょっと目端の効く同級生たちは、就職に有利だとされる法学部や経済学部に進学していたが、当時から世の中を斜に見る傾向のあった僕は、「就職目当て」の進路選択をケッと軽蔑し、理由なき反抗によって文学部を選んだのだった1)。今考えると、若気の至りともいえるが、今さら取り返しはつかない。結果として、日本経済がバブルで浮かれていた大学4年の頃、法学部や経済学部の連中は、大手企業から早々と内定をいくつももらって得意げにほくほくしていたが、文学部はまるで蚊帳の外で、安っぽいリクルートスーツを着て、暑い中を汗だくで就職説明会をはしごし、落とされまくり、世のリアルに涙し、自分の浅はかさに何度も深い溜息をついたのだった。

話のマクラが長くなった。こうして数学から遠ざかって長い年月が経つけれど、実は数学が嫌いな訳ではない。むしろすごく興味があるし、わかるようになりたいと思っている。まぁ、今さら微積分の問題を解きたいということはないけれど、もっと大きな絵の中で、最先端の数学が取り組んでいる問いがどういう意味があるのか、それに関わる人物模様についてもっと知りたい。この興味のど真ん中を射抜き、刺激してさらに大きくしたのは、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(青木薫訳、新潮文庫)2)という本だった。たまたま空港で手にとったこの本があまりに面白くて、夏休みで行った沖縄で、ずーっと一日中読みふけった。これをきっかけに、ポアンカレ予想を証明したペレルマンについての本や、アラン・チューリングの本にも手を出した。

数学者を扱った映画も沢山ある。統合失調症に苦しんだ天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描いた「ビューティフル・マインド」、第二次大戦中ドイツ軍のエニグマ暗号を解いたアラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム」、夭折したインドの天才数学者ラマヌジャンを主人公にした「奇蹟がくれた数式」。スティーブン・ホーキングの伝記的な「博士と彼女のセオリー」3)などがある。最近みた映画では、「ギフテッド」が良かった。ナビエ–ストークス方程式の解決を期待されるほどの数学者だったが、自ら命を絶ってしまった姉。弟のフランクは、数学的な天賦の才を母から受け継いだ娘メアリーを引き取り、普通の子供として育てようとする。実話ではなくフィクションだけれど、作中「ミレニアム問題」が重要な鍵のひとつとなっている。メアリーを演じた子役のマッケンナ・グレイスが素晴らしい。

1 経済学や法学には興味がもてず、文化人類学に興味があったということもあるけれど。
2 ビッグバン理論を扱った「宇宙創成」、暗号の世界を扱った「暗号解読」も実に面白い。青木薫の訳も見事。
3 「奇蹟がくれた数式」の原題は「The Man Who Knew Infinity」、「博士と彼女のセオリー」の原題は「The Theory of Everything」。いずれも、原題はストーリーの鍵を含意しているのに、おかしな日本語題のせいで、それが台無しになっている。

Born to Run

「BORN TO RUN 走るために生まれた – ウルトラランナー VS 人類最強の“走る民族”」
クリストファー・ マクドゥーガル 著、近藤 隆文 訳 (NHK出版)

マラソンの世界記録の推移を見てみると、いわゆる先進国のランナーが活躍したのは80年代までで、その後は、アフリカ勢が圧倒的に強い。実は日本記録でも同じ傾向が見られる。80年代以降の記録の伸びは僅かなものだ。

だが、一方で、80年代以降、先進国のランニング人口は増えており、新しいサポート機能を盛り込んだランニングシューズが絶え間なく開発、発売されている。著者は、そんな最新シューズを履いている自分が、ランニングでこれほどしょっちゅう故障するのはなぜなのか突き止めようとする中で、メキシコの人跡稀な峡谷に住むタラウマラ族のことを知る。なぜ彼らは粗末なサンダルで100キロ以上もの距離をラクラクと走り抜けることができるのか。

著者の謎解きの旅は、タラウマラ族、彼らとともに生活する流れ者の白人・カバーヨ・ブランコ1)を訪ね、ウルトラマラソン、ウルトラトレイルランニングのトップランナーたちとの交流の中を進む。彼らと共にウルトラマラソンを走った著者の達した結論は、1. 人間は走るために進化し、哺乳類最高レベルの持久力をもつ。人はだれにでもその遺伝子に、走るための才能が備わっている 2. 靴を履いて走ることは人間が本来持っている足の機能を邪魔し、怪我をしやすくなる 3. 走らないから年をとるのであって、年をとるから走れなくなるのではない。

タラウマラ族の本当の秘密はそこにあった。走ることを愛するというのがどんな気持ちなのか、彼らは忘れていない。走ることは人類最初の芸術、われわれ固有の素晴らしい創造の行為であることをおぼえている。洞窟の壁に絵を描いたり、がらんどうの木でリズムを奏でるはるかまえから、われわれは呼吸と心と筋肉を連動させ、原野で身体を流れるように推進させる技術を完成させていた。それに、われわれの祖先が最古の洞窟壁画を描いたとき、最初の図案はどんなものだったか?稲妻が走り、光が交錯する – そう、走る人類だ(15章)

この本は、全世界で300万部を突破して、ベアフットランニング(裸足で走ること)ブームの火付け役になった。僕自身、1年くらい前からジョギングを習慣にしているが、数ヶ月に一度、シンスプリントを発症して3、4週間は走れなくなっていた。その度に、よりサポートの手厚いシューズに履き替えてみるものの、ずっと同じことの繰り返しでいつまでも良くならない。こうした自分の経験に照らしても、著者の主張には首肯できる点が多い。

この本を読んで、買ったばかりのアシックスをお払い箱にし、シンプルなつくりのシューズに履き替えてみた。ただ、カカトでなくミッドフットで着地するのは、小さい頃から自然に走ってきた感覚を意識的に変える必要があり、意外と難しい。そのうえ、ふくらはぎなど、いままで使わなかった筋肉を鍛えねばならず、切り替えには時間がかかる上、万人向きとも言えない側面もある。事実、すでに一時期のブームは去り、ベアフット系のシューズはカタログの片隅に残っている程度だ2)。まぁ、ベアフット用のシューズが必要かどうかはさておき、ヒトが本来持っている秘めた能力を引き出して活用するのはロマンがある。肉体的であると同時に高度に頭脳的・精神的な営みだ。これをきっかけのひとつとして、しばらく自分のからだでいろいろ試してみたい。

追記:英語版と日本語版で表紙の写真が微妙に違う。英語版では右側の人物(カバーヨ・ブランコ)がデザイン上の判断からか消されている。また、彼のドキュメンタリー映画が2014年に「Run Free – The True Story of Caballo Blanco」として公開された。

1 本名はマイカ・トゥルース。本書の「主人公」のひとりで、彼の波乱に満ちた生涯が縦糸の一本となる。2012年にいつものように朝、山中を走っている途中、不整脈による心停止で58歳で急逝。NYT記事。ウェブサイトはこちら
2 ベアフットどころか、最近はまた厚底で高反発なソールのシューズが多くなっているように見える。

銀杏

世の中には、これを最初に食べようと思ったヒトって何を考えてたのかね、っていう食べ物がいくつかある。ちょっと思いつくところでは、ウニ、ホヤ、アーティチョーク、キウイなどなど。このあたりは、形状がとても食べ物には見えない。ドリアンと銀杏は、そのニオイからして食べ物と認識するのは難しかっただろう。

そう、銀杏。この季節、おもに寺社の境内や公園にあるイチョウの木立のあたりから、あの「芳しい」ニオイが漂ってくる。家の近くの神社にも、立派なイチョウがたくさんあって、その大半がいわゆる「雌」株らしく、秋が深まると、境内に続く階段やその周辺の道路に、黄色く熟した果実(というか種子)がこれでもか、というくらいに落ちる。その実りたるや、イチョウが意図的に嫌がらせをしているのではないかと疑うほどに豊かで、神社の人も掃除してくれてはいるものの、とても追いつくレベルではない。

秋の澄み切った青空を眺めながら、きりっと冷えた空気を深呼吸しようとした刹那、あのニオイが漂ってくると、途端に、終電間近の新宿駅の階段の隅やトイレ付近のイメージが呼び覚まされ、どこだどこだと足元や周囲をキョロキョロと見回すハメになる。長い進化の年月から言えば、イチョウのほうがはるかに先輩ではあろうけれど、上から下からを問わずニンゲンの排泄したものと似たニオイの種子というのは、どういう偶然なのか。

銀杏は、あのクサイ部分(外種皮)の中にある硬い殻の、さらにその中を食べる。まぁ、そこまでして食べようとした先人がいたからこそ、秋の味覚として今我々が楽しんでいるわけだが、彼ら先人は大変なご苦労をされたことであろう。鼻をつまんで外種皮を突破したとしても、実は可食部にも厄介な毒があるのだ。ビタミンB6に似た物質を含んでいて、それがビタミンB6本来の働きを阻害するらしい。とくに子供は影響を受けやすく、だからこそ、昔から「年齢の数だけ」食べて良い、と言ったわけだ。僕などは小さい頃、茶碗蒸しに入っている銀杏が嫌いで、避けて食べていたくらいだから、銀杏を好んで食べる子供なんていないだろうと思っていたら、さにあらず。東京都福祉保健局のページによれば、「ギンナンを約7時間でおよそ50個食べ3時間後に全身性けいれんを起こした1歳の男児、50~60個食べ7時間後におう吐、下痢、9時間後に全身性けいれんを起こした2歳の女児」の例が報告されていて、かなり驚いている。

インフルエンザ パンデミック

「インフルエンザ パンデミック 新型インフルエンザの謎に迫る」
河岡義裕・堀本研子 著 (講談社ブルーバックス)

一昨年の暮れに、A型インフルエンザに罹った。症状は激烈で、体の節々が抜けるように痛く、体中の筋肉が軋んで猛烈にだるく、40度近い高熱と寒気で起き上がることもできない。水分補給とタミフルに縋りつつ、半死半生の体でうんうんと唸りながらひたすら横になっているしかない1)。朦朧とする意識の奥で、自らの免疫細胞に、しっかり頑張れと念を送りつつ、5日ほどを寝て過ごしたのであった。

ちょうど100年前、1918年から19年にかけて流行し、全世界で5000万人、一説には一億人近いともいわれる死者を出した「スペイン風邪」は、インフルエンザのパンデミック(爆発的大流行)だった。そもそも「風邪」などというのんびりした名前がついているから誤解されるけれど、スペイン風邪は、毎年流行する季節性インフルエンザよりも、はるかに伝播力と病原性が高く、当時まだ誰も免疫を持っていない「新型」だったため、瞬く間に世界中に伝播し、未曾有の死者数を出すに至った。

本書を読むまで知らなかったのだが、インフルエンザウィルスそのものが「毒性」を持っているわけではないという。病原性の違いは、ウィルスが増殖できる臓器の種類と増殖速度の違いからくる。季節性インフルエンザでは通常上気道などの一部でしか増殖できないが、スペイン風邪ウィルスは、上・下気道を含む全身の臓器で爆発的に増殖し、感染した人に異常な免疫反応を引き起こし、多くを死に至らしめたのだ。

21世紀に入って最初のパンデミックは2009年の「新型インフルエンザ」だった。これは豚由来のウィルスがヒトにも感染し、突如パンデミックが起きたものだ2)。インフルエンザウィルスは動物種の壁を超えて感染する力を持ち、感染力や病原性は変異によって容易に変化するため、いつ次のパンデミックが起きてもおかしくはない。1997年以降、東南アジア、中国、中東、アフリカで、ヒトの致死率が60%にも達する「超高病原性」ともいえるH5N1型鳥インフルエンザのトリからヒトへの感染が相次いだ。こういったウィルスがもしヒトからヒトへ容易に伝播する能力を獲得したりすれば、スペイン風邪を超える被害をもたらす可能性すらある3)

本書は、インフルエンザウィルスの特徴や、感染や変異のメカニズム、2009年時点の最新知見などが、簡潔でわかりやすい説明と研究者らしいバランスのとれた記述でまとめられている。毎年流行する身近な病気でありながら、潜在的には甚大な危険性をはらんだインフルエンザという病気を、正確に理解し適切な距離感をつかむのにとても役立つ。

1 発熱・悪寒・関節痛・筋肉痛は、我々の体がサイトカインによりウィルスの増殖を抑えようとする生体反応の副作用であるらしい。
2 ヒトに感染する直前がブタだったとはいえ、大元をたどればトリ、ヒト、ブタそれぞれに由来をもつウィルスのパーツが集合してできている
3 2016年以降、H5N1のヒトへの感染はほとんどおさまったかのように見える。ただし、H7N9という新しい鳥インフルの感染例が中国で増加中。資料はこちら

STAY (GIANT)

GIANTは87年結成のハードロックバンド。89年に「Last of the Runaways」、92年に「Time to Burn」というアルバムを発表しているが、日本での知名度はごくごく限られたものだと思う。人気セッションギタリストのダン・ハフが結成したバンドで、彼のギターがこのバンド最大の魅力だ。レコーディング・ミュージシャンとしては、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソンからケニー・ロジャース、ジョージ・ベンソン、エイミー・グラントまで、ジャンル横断的に幅広くプレイしており、その人気・実力のほどが伺える。ハードロックのジャンルでは、ホワイトスネイクのアメリカ版「Here I Go Again」のギターは彼が弾いている。

GIANTの曲では、ハードロックらしい、伸びのあるディストーションサウンドを基調としながらも、随所でスタジオマンらしい引き出しの広さを見せる。基本になるオーバードライブが美しく、音の分離がよい。歪みすぎてつぶれたりゴリゴリしたりせず、複雑なコードで音を重ねても濁って聞き取りにくくなるということがない。そこにクランチ(ごく軽くオーバードライブがかかる音)、クリーン(全く歪みのない音)が適材適所に使われて、硬軟取り混ぜた幅のあるプレイを聴かせてくれる。ピッキングの粒立ちのよさとリズムの良さも特筆すべきだろう。遅めのフレーズでも速弾きフレーズでも、音の一つ一つがくっきりと立ち上がり、すべての音符が明確な「意図」をもってプレイされているようで、惰性に流れた音がない。リズムも走ったりもたついたりせず、かといってメトロノームのように無機的なものでもなく、しっかりうねり(グルーヴ)をつくりだしている。こういった特長は、スティーブ・ルカサー、マイケル・ランドウにも共通していて、スタジオミュージシャンとしてやっていく上で欠くべからざる資質なのだと思う。

この「Stay」という曲でも、わずかにスライドさせているような出だしのリフがまず格好良い。ギターソロでは、冒頭部分のフロイドローズ・トレモロならではのニュアンスの付け方や、左手のスライド、後半部分の速弾きフレーズなどハードロックギターのお手本のようなテクニックを使いながらスケールの大きなソロに仕上げている。(ビデオは80年代MTVによくあったヘンなつくりで、今見るとちょっと滑稽だ。本人はPRSのギターを抱えているが、たぶん見栄えのために撮影用に持たされただけではないかと思う。)

GIANTは、このあと2枚アルバムが出ているけれど、バンドとしては成功していない。ダン・ハフ自身がボーカルも兼任しているけれど、やはりボーカリスト専任で尖った特徴のあるメンバーを別に入れるべきだったように思う。きっと本人が歌にも自信があり、かつ、やりたかったのだろうと思うけれど、バンドというよりはセッションギタリストのソロアルバムの域にとどまってしまい、期待をいい意味で裏切るようなものにはならなかった。

2000年代以降は、すっかりカントリー・ミュージックに軸足を移してしまい、ロックの世界では、ギタリストとしてもあまり名前も見なくなってしまった。でも、Youtubeを見ていると、最近でもGIANTとしてたまにライブもしているようなので、ロックの世界でも、また格好いいギターを聴かせてほしいと願っている。

都立中央図書館

このところ、広尾にある都立中央図書館によく行く。広くて、閲覧席も比較的空いていて、ゆっくり調べ物や書き物ができる。駐車場も無料だ。

昔から本を読むのが好きだった。小学校の頃、学校の図書室にあった本はあらかた読んでしまった。今思い出すと、自分の図書室カードの借り出し欄をいっぱいにするのが楽しいという、若干コンプリート趣味的なものがあったのは否めないのだが、それでも借りた本は全部読んでいた。図書室では飽き足らず、高学年になると市立図書館へもしょっちゅう行っては本を借りていた。何か特定のシリーズや作家にはまると、読み尽くすまでずーっと読んでる。たしか最初はモーリス・ルブランの「ルパン」ものあたりだったか。それから、「エルマーのぼうけん」シリーズ、「ドリトル先生」シリーズ、斎藤惇夫の「ガンバ」もの1)、畑正憲のエッセイ、などなど。

図書室とか図書館といった、本がたくさんつまった場所には何か特別なものがある。今でも、図書館に足を踏み入れるたびに、子供の頃の、あの静かな興奮というか心の奥の方がかすかに震える感覚が蘇る。僕にとって図書館はいつも、静かで穏やかな空気が満ちた深い森を連想させる。森の奥に何かおもしろいものが眠っていそうで、足音を立てないようにずっと深くまで入り込んで行きたくなる。

中央図書館には素敵な食堂とカフェがある。5階の「有栖川食堂」は昨年10月に、1階の「有栖川珈琲」は12月に、新しくオープンしたらしい。食堂のほうは、定食メニューが豊富で、何を食べても美味しい。1,000円前後なので、都の施設としてはやや高めかなという価格設定だが、じゅうぶんに金額以上のクオリティだと思う。食堂の窓の外には、皇室や各国大使がメンバーに名を連ね、100年を超える歴史をもつ東京ローンテニスクラブのコートが間近に見え、遠景には六本木ヒルズが秋の日差しに銀色に光っている。1階入口横にあるカフェはドイツ式のちょっと濃い目の珈琲を提供していて、こちらも大変よい。

1 「冒険者たち – ガンバと15ひきの仲間」(岩波書店)は、今まで何冊買ったか数えられないくらい繰り返し読んだり、人にプレゼントしたりした。斎藤の第一作「グリックの冒険」では、ガンバは脇役で登場する。

珈琲三昧

ここ数ヶ月、外から戻って家のドアを開けると、喫茶店のような匂いがするのに気づく。朝晩二回、週末は三回、珈琲豆を挽いて、ハンドドリップで淹れるようになったからだ。もともと珈琲好きではあるけれど、3月に「コーヒーの科学」という本を読んでから、単に「飲む」以上の興味を持つようになった。

最初はお店で豆を挽いてもらっていたけれど、どんな参考書にも「淹れる直前に挽くのが最も美味しい」と書いてある。そこで手回し式のミルでゴリゴリと挽きはじめたのだが、相当な手間と時間がかかり、気分をリラックスさせるはずのコーヒータイムが苦行になってしまいそうだったので、カリタの「ナイスカットミルG」という文明の利器を導入した。これが大正解で、電動であっという間に挽ける上、精度が高くて粒子が揃っており、手挽きに比べるといわゆる「雑味」が飛躍的に軽減された。挽く細かさもダイヤルをひねるだけで自在に変えられるので、豆のロースト具合に応じて、あるいは、ホットとアイスに応じて最適な状態を選べる。今では、台所でガスコンロと並んで「利用頻度の高い」機器第一位に君臨している。

最もお気に入りの豆は、今のところ、ホライズンラボ(Horizon Labo)のもの。岩野響さんという若き焙煎士が、毎月テーマを決めてローストする豆だ。深煎り好きの僕にはぴったりで、酸味の少ない深い味わいと苦味の中に、彼が毎月表現するテーマを感じとることができる。深さと苦さとまろやかさが同居するといえばいいのか、いわゆる「苦い」珈琲が苦手だという人にも楽しめる上質な美味しさだと思う。ほかに、渋谷・公園通り1)にあるマメヒコの「深煎り珈琲」(豆は札幌・「菊地珈琲」のものだそうです)や、猿田彦珈琲の「大吉ブレンド」もよい。

それにしても、これだけ毎日淹れていても、同じに淹れるということができない。毎回どこかが、少しずつ違う。豆の挽き方も、湯の温度も、落とすスピードも変えているつもりはないのだけれど、ある朝は、苦味が強めに出るし、ある晩には、全体にちょっとピンぼけみたいな雰囲気が漂う。絶妙なバランスで「完璧だ!」と自慢げにあごひげを撫でる日もあれば、気難しい料理人なら「こんなもの!」といって投げ捨ててしまうだろうな2)、と思う日もある。違ってしまう原因がわかればよいのだが、当人は何かを変えているつもりがないのだから困ってしまう。これが珈琲の面白さの一端でもあるのだろう。それでも、朝の珈琲が上手に入った日は、一日何事もうまくいくような気になるのだから、単純なものである。

自分で淹れるようになってから、外で飲むことが減った。お気に入りのカフェはともかくとして、レストランで食事の後に「ついで」に注文する珈琲より、家に帰って自分で淹れたほうがずっと美味しいのだから仕方がない。

1 本店は三軒茶屋にあるのだけど、僕は公園通りばかりに行く。渋谷・神山にもお店があったけれど残念ながら最近閉めてしまった。
2 別に気難しい料理人ではないので、そのまま飲む。それなりには美味い。