こつこつ、ゆっくり

津端修一(つばた・しゅういち)さん・英子(ひでこ)さんというご夫妻がいる。高蔵寺ニュータウン(愛知県春日井市)の一角にある宅地で営む、自家菜園を中心に据えた半自給生活が注目され、テレビのドキュメンタリーで紹介されたり、何冊かの本が出版されたりしている。昨年には「人生フルーツ」というタイトルで映画にもなった。

修一さんは、1925年1月の生まれ。東京大学を卒業し、建築事務所勤務を経て日本住宅公団でニュータウンの設計を手がける。高蔵寺ニュータウンは設計に大きく関わったもののひとつ1)。津端さんご家族は、後にその一角に300坪の土地を購入し、建築家アントニン・レーモンドの麻布笄町にあった自宅兼アトリエをモデルにした平屋を建て、キッチンガーデンと呼ぶ自家菜園と雑木林を配し、なるべく何でも自分の手で行う半自給生活を、妻の英子さんとともに確立する。

修一さんの学歴・経歴や生き方から、少々気難しい、厳しい人を想像するが、本に残された言葉や、ハガキや手紙類、映像の端々から見えるその人となりは、驚くほど穏やかで上品で、やわらかなユーモアにあふれている。けれど、その内側には、しなやかで強靭な芯がある。人が暮らし生きていくうえで何が大切なのか、自分はどんなふうに生きていきたいのか、についてしっかりとした哲学をもち、その根っこには、つねに、どんなことも、ゆっくり、こつこつと、時間をかけて、自分で楽しんでする、という考えがある。

こつこつやると時間はかかるけど、目に見えてくるものがあるから人に頼まないで何でも自分で

これは修一さんが英子さんに常々言っていたことだそうだ。僕は、IT業界の片隅でこの20数年仕事をしてきたが、そこでは、効率とスピードが至上命題であり、アウトソースできるものは自分でやるな、という考え方が支配する世界だ。そして、情報技術が世界の経済全体をひっぱる力が増すにつれ、このマントラが世の中のいろんなところに顔をだすようになった。どちらが正しい、という話ではないが、ずいぶんと違う。

いくつになっても、自分のことは自分で、『依りかからずに』生きていきたいね、と、英子さんと話をしているんです。

本当の豊かさというのは、自分の手足を動かす暮らしにあると思いますよ。

僕自身は、人生の折り返し点をとうに過ぎ、残された時間をどう使うかを考えることが多くなった。自分で手を動かすこと、実際に触って感じ取れる何かを欲する気持ちが強くなり、同時に、浮かんではすぐに消えていくカタカナ語の氾濫する世界への倦怠感とそこから距離をおきたいという気持ちが年々大きくなっている。仕事も含めたものごとの優先順位を組みなおすとき、修一さんの言葉は改めて示唆に富む。

修一さんは、2015年6月に午睡中に逝去された。享年90歳。英子さんはまだお元気でいらっしゃるようだ。

津端さんご夫妻の生活に興味のあるかたには、以下のような本がある:
「あしたも、こはるびより。」(2011年)「ひでこさんのたからもの。」(2015年)「きのう、きょう、あした。」(2018年)いずれも主婦と生活社刊。写真が豊富で肩肘張らずに読める。英子さんのレシピが多く紹介されている。
「ききがたり ときをためる暮らし」(2012年)「ふたりからひとり ときをためる暮らしそれから」(2016年)いずれも自然食通信社刊。「ききがたり」の方は文庫版が2018年に文藝春秋より出ている。

また、映画「人生フルーツ」は押しつけがましさが一切なく、抑制が効き、二人の生活を淡々と映し出しているよい作品だと思う2)。樹木希林のナレーションが沁みる。

1 1968年入居開始。僕が住んでいた大阪・千里ニュータウンとともに、黎明期の代表的なニュータウンである。彼の原計画では、地形を生かし、随所に雑木林を残し、風の通り道を確保する、余裕のある全体設計を提案したようだが、経済効果や効率性から、最終的に彼が当初思い描いたかたちとは相当に異なるものになってしまったという。
2 DVDやオンライン配信などはまだされていないようだ。小さな劇場を中心にロングランが続いている。