栗のおかし

子供の頃、マロングラッセとか、栗蒸し羊羹、栗鹿の子といった栗の入ったおかしは我が家では無条件に「高級品」ということになっていて、何か特別な時にだけ出てくるものだった。この「栗」信仰のおおもとは母で、こういったおかしを出してくるときは、鼻をヒクヒクさせながらさも得意げに「ほら、栗入りよ~」と言うのが常であった。経済的には決して裕福でない家に育った彼女が、少女時代に、何か強烈に栗に憧れるような出来事があったのかもしれないが、今となっては確かめようもない。

ともかく、この母の刷り込みは、息子たちにしっかりと定着し、今でも栗入りというだけで、条件反射のように、お、高級品と思い、あ、特別だと思う。おかげで、それがたとえ近所の小さな和菓子屋さんで買った安価な栗まんじゅうだろうが、栗羊羹だろうが、栗というだけでずっと美味しく感じるのだから、舌と言うよりは脳で食べているようなものだ。安上がりで幸せなもんである。

ところで、先日、とらやで栗蒸し羊羹を買った。9月、10月の二ヶ月だけ販売される、誰もが納得の「高級品」であって、母ならばきっとよっぽど特別な時に、向こうが透けて見えるほど薄く切って、もったいぶって出してきたに違いない。どこかアタマの後ろの方で「栗入りよ~」の声を聞きつつ、わざと厚めに切る。食べてみると、まぁ、これが。たっぷりと入った新栗はほくほくと甘く、蒸された餡は、煉羊羹よりもやわらかく甘さも少し控えてあって1)、その分栗が引き立つ絶妙なバランス。これこそ掛け値なし、栗の入ったほんものの「高級品」だった。

1 賞味期限も煉羊羹よりも短い。