相棒、といっても水谷豊のドラマではない。僕の愛車のことだ。
89年製のボルボ240GL。ボルボって販売数の大半がステーションワゴンらしいのだが、これはセダン。購入したのは叔父だが、97年にタダ同然で譲り受けて以来、21年間ずっと乗っている。全く飽きない。本当にいいクルマだと思う。幼稚園児の描く自動車の絵みたいに、カクカクした姿。さすが「タンク」と呼ばれただけのことはある1)。図体は大きく見えるが、実はそれほどでもない。タイヤの位置がボディの四隅ではなく、少し内側にあるので、小回りが効き、狭い場所やUターンなんかもラクちんだ2)。
現在の走行距離は23万キロ弱。年平均ではそれほどでもないけれど、絶対値としてはなかなか貫禄が出てきた。エンジンはまったくヘタる気配もなく、むしろ以前より静かでスムーズに回っていて絶好調である。排気量は2300ccあるが、馬力は100馬力ちょっとしかない。でも、低速域のトルクが太く、停止から発進はアクセルを踏んだ分だけグッと加速するので、街乗りではまったくストレスを感じない。そのかわり、と言っては何だが、高速側では時速110キロを超えるとエンジン音がうるさくなるばかりで、それ以上はあまり速度が伸びないうえに、燃費が急に悪化する。
乗り始めたばかりの頃、真夏の首都高速で、渋滞の中水温計がレッドゾーンに達し、オーバーヒート寸前になって肝を冷やしたことがある。それに懲りて、ラジエータ(冷却装置)を2層式の強力なものに交換した。それ以来、大きなトラブルはほとんどない。個体差もあるのだろうが、そもそも基本設計が古く、製造期間がかなり長いクルマの最終期に近いモデルだけに、バグはもうすっかり出尽くし、ややこしい電子制御も最低限しかないので、こわれにくいのだと思う。
ノスタルジーを刺激するフォルムなのか、駐車場の年かさのオジサンに「いいの乗ってるねぇ」とよく声をかけられる。懐かしい旧友とか古い親戚に会ったような笑顔で、「オレも昔乗ってたんだよ」なんて、ひとことふたこと思い出話をしてくれる人も少なくない。こちらもなんだかほっこりした気分になり、仲間とか同志みたいな気持ちを抱いたりする。
唯一といっていい「欠点」は、エアコン。まぁ、もう御老体だから仕方がないけれど、あまり効かない3)。ここ数年の東京の酷暑には、さすがに太刀打ちできず、風量を上げてブーブー回したところで、外気よりちょっとだけ冷えた空気が出てくるだけで、車内が冷える前に目的地に着いてしまうこともままある。何度か熱中症の危険を感じたので、あまりに暑い日は、携帯用アイスノンを持って乗る。太陽がギラギラと照りつける真夏日に、アイスノンを手ぬぐいで首に巻きつけたオトコが、汗をかきかき古いボルボを運転しているのを見かけたら、それはきっと僕である。

ところで、先日、とらやで栗蒸し羊羹を買った。9月、10月の二ヶ月だけ販売される、誰もが納得の「高級品」であって、母ならばきっとよっぽど特別な時に、向こうが透けて見えるほど薄く切って、もったいぶって出してきたに違いない。どこかアタマの後ろの方で「栗入りよ~」の声を聞きつつ、わざと厚めに切る。食べてみると、まぁ、これが。たっぷりと入った新栗はほくほくと甘く、蒸された餡は、煉羊羹よりもやわらかく甘さも少し控えてあって

二日目は、まずホテル観洋の立ち寄り湯へ。さんさん商店街からは、志津川湾沿いを南下してクルマでわずか3、4分。海沿いの断崖に立つホテルで、津波のときも直接の被害は免れたという。ここには温泉があって、宿泊していなくても820円で入浴できる。志津川湾を一望する露天風呂からの風景はすばらしく、遙か対岸にさんさん商店街のある志津川地区が見える。ゆっくりと温まってから、太平洋沿いの398号線を南下し、女川に向かう。1時間10分から20分くらいのドライブだが、くねくねとカーブが続き、上り下りの多い道なので、クルマに弱いひとは酔い止めを飲んでおくとよい。


吉永小百合が本を読んでいたのは1936年に建てられた本館アルプス館の一室。正面玄関のある建物がアルプス館で、入口右手にあるフロントの脇にある階段を昇ると客室に通じる。古い建物だけに、建具などは多少ガタついていて、中庭から虫やすきま風が入ってくることもあるが、そこは部屋全体の凛とした佇まいの前ではご愛嬌。障子の桟の文様や、丸い電灯がなんとも美しい。