ストレッチリムジン

クリスマスや年末年始になると、六本木とか渋谷近辺で1)ストレッチリムジンを見かける。ハリウッド俳優なんかが中から出てきそうな、あのうなぎみたいに妙に胴体の長い高級車である。

日本だと成金か品のない芸能人くらいしか使わないような気がするが、道の広さや交通事情の違いもあってか、アメリカではもっと頻繁に見かける。マンハッタンの高級ホテルの前にはたいてい駐めてあるし、けっこう田舎の方でも走ってたりする。向こうでは高校や大学のパーティといった機会に友達同士で借りたり、男の子がここぞというデートで女の子をリムジンで迎えに行ったりなんてことが、わりと普通にあるようなので、相当に特別感のあるクルマではあるものの、もう少し身近な存在なのかもしれない。

去年、オハイオの田舎町から、6人で空港に向かうのにこのリムジンに乗った。たまたま送迎を頼んだ会社で空いているクルマがこれだけだったらしい。これが通りの向こうから、グーンと大回りして曲がってきたときには、さすがにちょっとビックリしてテンションが上がった。出てきてドアを開けてくれたのは、蝶ネクタイに白手袋の運転手さんではなく、そのへんのホームセンターにいそうな、ポロシャツ・チノパンにたっぷりとお腹の出た気のいいおとっつぁんだったが、それはまぁ良しとしよう。車内もわかりやすくキラキラと豪華で、キャビネットには、グラスとブランデーらしきボトルまで鎮座していた。

この手のクルマは、「ストレッチ」(伸ばす)というくらいで、大柄なアメリカ車を前後の真ん中で切って2)、そこに胴体の延長部分を挟んでくっつける、というけっこう大胆な方法で作られている。ドライブシャフトやら油圧やら電装系やら、みんなぐーんと延長して前後を繋いでいるらしい。乗り心地は、妙にゆさゆさとしていて、気のせいか小さな段差でもみしっと軋むので、最初はちょっと心配になるが、ハイウェイに入ればもう快適そのものである。

もうずいぶんと昔の話だけれど、ニューヨークでお世話になっていた支社長の任期が終わり、東京に戻ることになった。郊外の家を引き払い、帰国前の数日はマンハッタンのホテルにご家族みんなで移られていた。帰国の日に、最後くらいは記念にと、ホテルからケネディ空港までこの長~いリムジンを手配されていた。見送りにホテルに行くと、もう入口脇に白くて豪勢なリムジンが横付けされている。

でも、ホテルのベルボーイがゴージャスなシートに積みこんでいるのは、ダンボール箱の山。聞けば、引っ越し便に乗せきれなかった小物類とか、最後の数日に購入したお土産類が大荷物になってしまったとのこと。結局、箱を積み終えてみると、豪華リムジンはダンボールに占拠されて乗れなくなり、支社長ご一家は、リムジンの後を追ってイエローキャブで空港に向けて走り去ったのであった。

1 単に自分の会社がそのあたりだというだけで、もっとたくさん走ってる地域が他にあるかもしれない。
2 切断すれば当然強度は下がるので、もともと頑丈にできている大型のアメ車や高級車でつくる。最近だとハマーで作っているのをよく見る。日本車だとトヨタのセンチュリーあたりだろうか。

捨てたもの記録:Tシャツ

ジャケットとかジーンズとかならば、買い替え時、捨て時を認識することができる。破けたとか、時代遅れになったとか、まぁ納得のできる理由がある。でも、下着類、つまりTシャツとかパンツ1)、靴下の買い替え時となると見当もつかない。これは僕だけの問題ではなく、おそらく男性はみなわからないのではないか。

そもそも、そういった衣類について「買い替える」という発想がない。洗えば洗うほど肌に馴染み、着心地がよくなる。Tシャツであれば襟や裾がほつれてダルダルになったとしても、着心地の良さは変わらない。なんならさらに良くなっているくらいである。どうせ人から見えるものでもなし、せっかく馴染んだものを買い替える理由などない。靴下だって、さすがに親指あたりに大穴が開けば、人前で靴を脱ぐ時に恥ずかしいな、という気持ちになるが、かかとがすり減ってシースルーになっているくらいであれば、気にならないどころか、むしろ通気性が上がったくらいに思っている。パンツだって事情はまったく同じだ。

ところが女性の目は、この手の老朽化あるいは劣化を決して見逃さない。家人も、洗濯のたびに目ざとく発見しては捨てろ、買い換えろと迫る。自分に替え時を判断する目がない以上、ここは素直に従うほかはない。はーいと機嫌よく返事をして、小さなビニール袋に詰めて燃えるゴミの日に出す2)。言われなければ捨てないくせに、捨てたら捨てたで、おお、断捨離だ!などと言って喜んでいるので、今度は代替分をいつまでも購入しない。結果、洗濯と着用の自転車操業状態となり、出張にいくときなど、数が足りずに空港で買い足すというハメに陥る。

うろ覚えだが、ムツゴロウさんこと畑正憲が昔、着るものなんて、夏冬の切り替え時に、ヤドカリが住処の貝を取り替えるように、ぜんぶ捨てて総とっかえすれば面倒がなくてよい、と書いていたが、いいアイディアかもしれぬ。中崎タツヤも「もたない男」の中で、同じものを何枚か買って着回して、着なくなったら捨てる、書いている3)。こういう思い切りのよさに憧れつつも、まだその境地には至っていない。

ところで、衣類乾燥機のフィルターに、毎度毎度たっぷりと綿ボコリがつく。何度洗濯してもその量はまったく減る気配がなく、毎回同じくらいの量がとれる。同じシャツが何十回、場合によっては何百回洗濯されるのかわからないが、ひょっとするとTシャツ数枚、靴下数足が、知らない間に綿ボコリとなって忽然と消えていたとしても驚かない。そのくらいには十分な量である。

1 ここでの「パンツ」はトランクスあるいはブリーフといった下着のこと。ズボンのことではない。
2 見せるほどのものでもないので、写真は自粛。
3 「もたない男」(新潮文庫)「第三章 もたない生活」   マザー・テレサのようにできれば2枚だけでやっていきたいそうだ。

えだまめ

枝豆が好きだ。茹でたものが盛られていると、なくなるまでずーっと食べている。止まらない。居酒屋で出てくるものは、冷凍ものが多くて、正直あまり美味しくないけれど、できれば枝付きのものを買ってきて自分で茹で、よい塩を振って食べるのは夏の楽しみである。

枝豆は大豆の若い姿である。これは意外に知られていないのではないか。青々とした夏の枝豆を収穫せずにそのまま畑で放っておくと、豆は熟してより大きくなる。葉が黄色く枯れ、さやと豆も黄色っぽく色づいてから収穫されるのが大豆。大豆はほとんどの場合、納豆とか煮豆とか豆腐とか、ある程度加工もしくは調理された姿で目の前に現れるのに対して、枝豆は収穫したそのままの姿、つまり毛深いさや入りの姿でスーパーに並んでいる。その違いもあって、枝豆と大豆を結びつけて見ることはあまりないのかもしれない。ついでに言うと、完熟した豆である大豆を暗いところで発芽させるともやしになる。枝豆、大豆、もやし1)は同じ植物の異なる成長段階なのだ。

大豆はコメと並んで和食の「要」といっていい。味噌、醤油、納豆、豆腐、油揚げ、もやし、枝豆。みな我々の食卓になくてはならないものだ。これに白米があれば、他に何もなくても立派な献立が成立する。さらに、これらはみな、驚くほど安価である。納豆、豆腐、もやしなんて百円玉ふたつで、たっぷり二人分かそれ以上を買うことができる。

これほど大豆を日常的に食べているわりに、食品用大豆の国産比率は、年間需要96万トンのうちの24万トンで25%くらいである2)。国産の大豆はほぼ全量が食品用で、残りはアメリカ、カナダ、ブラジルなどからの輸入でまかなわれている。国産大豆はおよそ半分が豆腐、あとは、納豆、煮豆総菜、味噌醤油などに使われる。

豆類は概して食物繊維が多く含まれており、腸内環境を健やかに保つために良い食品だが、大豆はさらに、その他の豆類(たとえば黒豆、えんどう豆、ヒヨコ豆等)に比べて、糖質が少ない。糖質を抑えつつ、タンパク質と食物繊維を摂るには理想的な食材だと言える。腸内細菌のを読んで以来、この共生者の皆さんに多少気を使うようになったが、枝豆は彼らにもきっと喜んでもらえるであろう。夏ももう終盤。お店に並んでいるうちは、せっせと茹でて消費しようと思う。

1 もやしには、大豆を発芽させた大豆もやしと、緑豆を発芽させた緑豆もやしがある。緑豆は大豆ではない。
2 農林水産省のウェブサイトによる。油糧用というサラダ油等を作るために使われるものを入れると自給率は7%程度になる。この大豆の統計数字にはもやし、枝豆は含まれていない。枝豆は、国内生産量は6.7万トン、輸入量は7.1万トン。輸入品はそのほとんどが冷凍加工品である。

発酵の科学

日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密
中島春紫 著 (講談社・ブルーバックス)

和食の基本調味料「さしすせそ」5つのうち、過半数の3つ、すなわち、す(酢)、せ(醤油)、そ(味噌)が発酵を利用して作られる。さらに漬物、納豆、鰹節、酒、みりんなど、和食を特徴づける素材・食べ物の多くが発酵食品である。本書は「発酵」とは何か、そしてこれらの発酵食品がどのような過程で作られているのかを科学的に、かつ簡潔に解説している。

本書が挙げる発酵食品の意義は、1. 食品のpHを低下させて、雑菌の繁殖を抑え食品の保存性をよくすること、2. 微生物がタンパク質を分解して生成するアミノ酸の混合物によって、食品の旨味を引き出すこと、3. 微生物の作用により、難分解性のタンパク質を分解して消化吸収をよくし、栄養価を向上させること、である。この過程には、乳酸菌を始めとする多くの菌が関わるが、最近読んでいる「腸内細菌」の書籍1)と合わせると、より大きな絵の中で理解することができる。たとえば、「腸内細菌」が、ヒトが直接には分解できない食物繊維や難分解性のタンパク質を腸内で分解しているとすれば、この細菌の機能を、食べる前に食品加工のプロセスに組み込んだのが、発酵食品と言うこともできそうだ。

発酵食品の製造にコウジカビの一種である黄麴菌(アスペルギルス・オリゼーAspergillusoryzae)を用いるのは日本だけである。東アジアや東南アジアではコウジカビではなく、クモノスカビが発酵食品の製造に使われている 。(第三章 発酵をになう微生物たち)

細菌や発酵をテーマにした人気マンガ「もやしもん」の主人公・直保(なおやす)にいつもくっついているのがこの「A.オリゼー」という菌である。この菌は麹屋を営む直保の実家から彼にくっついてきて、しじゅうやいのやいのと話しかける。本書はこの麹菌の性質についても詳しく解説されているので、「もやしもん」のファンはぜひ読んでみるといいと思う。

捨てたもの記録:ノートPC

これまで何台のPCを購入してきただろうか。仕事柄、世間一般の人より多いかもしれない。最初に購入したのは、東芝の初代 Dynabook(J-3100SS)だった。まだWindows 3.1が出る前、MS-DOSの時代で、A4サイズの大きさで価格は20万円をわずかに切るくらい。サイズも価格も当時としてはかなり意欲的だった。

会社では、ワープロ(専用機)は一人一台に近かったが、PCはまだ実験的に導入されるかどうか、といったタイミングで部署に一台1)くらいだったと思う。そんな状況だったので、私物ではあったけれど、会社に持っていって、ワープロ代わりに活用したりしていた。その後、Windows 95が出たくらいから、会社にあるPCが少しずつ増えていった。同時に、出版の世界では、DTP(デスクトップパブリッシング)という言葉が、あちこちで聞かれるようになり、それとともにマッキントッシュも社内でちらほらと見かけるようになった。とはいえ、社内のPCがネットワークで接続されて、電子メールが仕事の中心的なツールとなるのはもう少し先の話だ。

98年に大手IT企業に転職すると、一転して最新型のPCが社内・社外ともに高速なネットワークで接続された最先端の仕事環境になった。最新バージョンのWindowsやOfficeアプリケーションをフル活用すれば「生産性」がこんなに上がるのだ、と世間にアピールする必要もあって、常に最新のハイスペックなPCを会社で使っていたため、家で使う個人用のPCを買うときも、同じようにスペックの高いPCでないとどうにも気持ちが悪く、結果として割高な機種ばかりを購入していたように思う。

写真は、IBMのThinkPad TシリーズとSonyのVAIO Zタイプ。もうずいぶん前に引退させて倉庫の肥やしになっていたものを今回処分することにした。どちらも、比較的スリムで軽く、高性能だったが、30万円近くしたはずだ。それでも、だいたい3年から4年くらいで、処理速度が遅くなったり、故障2)したりして、買い換えることになる。今は、当時よりPCの値段はさらに下がったとは言え、ちょっとスペックの良いものを買おうとすると、それでも20万オーバーは覚悟する必要がある。いまどき、20万円もする家電、それも数年で買い換えねばならない家電なんてめったにない。55型の最新型4Kテレビだって15万くらいだ。パソコン黎明期の価格を知っているから、安くなったものだなどと呑気に思っているが、PCはまだ相当高価な道具である。

1 これじゃ「パーソナル・コンピュータ」じゃなくて「パブリック・コンピュータ」(略してパブコン)だねと笑っていた。
2 ThinkPadはどういうわけかディスプレイがよく故障した。

ドーミーイン松本

どこか出張したり旅行したりするときに、泊まるところは多少のコダワリをもって選ぶ。豪快に、寝られればどこでもいいよ、と言えればよいのだが、泊まるところがしょぼいと途端に惨めな気分になり、それに引きずられて仕事も休みも台無しになりがちなので、ありていに言えば、もちろん予算が許す範囲ではあるけれど、できるだけ高級な宿に泊まりたい。グローバル展開している「高級」ブランドであっても、個別に見れば、値段ばかり高級で実体はそれに見合わないホテルもあるため、友人・同僚に聞いたり、ネットの評判を調べたり、様々な情報を総合して吟味しつつ、慎重によさそうなところを選ぶ。ちまちまと比較検討するのは、あまり男らしくない気がするが、こればかりは仕方がない。

国内の場合、いわゆる「ビジネスホテル」はほとんど選択肢に入らない。若い頃に何度か泊まってみたのだけれど、部屋の大きさ、清潔感、音などが、価格の安さをもってしても見合わないと思った。昔の職場の後輩に、アパホテルの熱烈なファンがいたが、理由を聞くと、アダルトビデオが無料でしかも豊富なんです!と力説していた。うーむ、そこに魅力がないとは言わないけれど、人がホテルに求めるものは、それぞれだ。

先日、急に長野方面に行くことになったものの、お盆の時期でシティホテルはどこも満杯。ホテル予約サイトの評価ポイントがある程度高くて、かつ、空きがあったのはドーミーインだけだった。どこかシティホテルに空きがでたら、キャンセルして乗り換えればいいか、くらいの気持ちで仕方なく予約を入れた。でも、やはり繁忙期なので、ほかに空きは出ないまま当日になり、そのままドーミーインにチェックイン。

実際に泊まってみて、いい意味で裏切られた。たしかに、ホテル予約サイトや旅行系のサイトなんかで、ちょくちょく良い評判や記事を見かけてはいたのだ。でも、どこかで「まあそうは言っても、どうせビジネスホテルでしょ」とナナメに見ていた自分がいたのも否めない。ところが、実際に経験してみると、なるほどねぇと納得させられることがいくつもあった。認識を改めなくてはならない。

全国のドーミーインがみなそうであるかどうかはわからないけれど、少なくともドーミーイン松本で印象に残ったのは、スタッフの皆さんが、快活で丁寧な対応をすること。部屋や寝具が清潔なうえ、新しい型の空気清浄機が備えられていること。カラの冷蔵庫1)が備え付けてあって、自分で持ち込んだり買ってきたものを冷やしておけること。温泉宿のように大浴場2)とサウナを備えていて、その掃除とメンテナンスが行き届いており、湯加減も丁度よいこと。無料で提供される「夜泣きラーメン」3)が優しい味で美味しいこと。朝食バイキングも地方の特色を活かした品揃えで、丁寧に作られていて美味しいこと。

華やかさや非日常のワクワク感、あるいは歴史や風格などはもちろん望むべくもないけれど、地に足の着いたとても堅実かつ丁寧なサービスで、バリュー・フォー・マネーはかなり高い。ドーミーインは、もともと学生寮や社員寮を運営する共立メンテナンスという会社がそのノウハウを生かして作ったビジネスホテル・チェーン。第一号ホテルは93年にオープンしたようだが、急速に数を増やしたのはここ10年余りのようだ。どんなに古く見える業界・セグメントにも、他とは異なるレベルのサービスを提供して新しい価値を創り出す企業が現れるものだと感心する。

1 シティホテルだと、相当に割高な飲み物がいっぱいに詰まっていて、自分の持ち込んだものを冷やす場所がないことが多いが、どうにかならんものか。ドーミーインでは、冷蔵庫そのものをオン・オフできるようにもなっている。モーターのブーンという音が気になる人向けだろう。
2 自家源泉の天然温泉らしい。
3 醤油スープのハーフサイズのラーメンが無料でふるまわれる。

船酔い

クルマや飛行機ではあまり乗り物酔いしないのだが、船だけは全く駄目だ。乗って数分ですでに酔いの予感があり、その後、強弱はあれどまず間違いなく吐き気に襲われる。船が大きくても小さくてもあまり違いはない。小型の渡し船のようなもの、中型のフェリー、双胴の観光船、大型客船、みな同じだ。

引き金になったのは、18歳か19歳のころに船で行った大島だった。大島行きの船は、夜に竹芝桟橋を出港して、翌朝大島に到着する。波・うねりの高い日だった。乗船してしばらくは、はじめての船旅で興奮し、酔うなんて思いもしなかったが、船が東京湾を出たとたん、うねりに大きく揺さぶられ、みるみるうちにやられてしまった。一緒に行った仲間のほとんども、さらには乗客の多くも手ひどくやられ、消灯して薄暗い船内では、酷い船酔いで動けなくなった人たちが、エチケット袋片手に累々と倒れているという地獄絵図を見ることになった。それでも、目的地に向かって進んでいるならなんとか気持ちの持ちようもあるけれど、船は沖合で数時間止まって時間調整をしてから大島に向かうというスケジュールで、進んでいる実感もエンジン音もなく、ひたすら数時間うねりに耐えるという理不尽さが、船酔いをさらに悪化させたように思う。

これがトラウマになって、船が決定的に苦手になった。元海上自衛隊の知人に聞いた話だと、自衛隊の新兵でも、船酔いに弱いタイプがいて、数週間から数ヶ月の訓練航海に出ても、その間のほとんどを、自分のバンクベッドで半死人のように横たわっているだけということもあるらしい。想像するだに地獄だが、悲しいかな僕はその半死人グループに100%入る自信がある。揺れに慣れる場合もあるが、内耳の問題で全く対応できない人もいるそうだ。

ハワイでサンセットディナークルーズに乗ったときもヒドい目にあった。その時は一緒に行った友人がどうしても、というので、仕方なくつきあったのだった。酔うのがわかっていたので、酔い止めのクスリを規定の倍量飲んで乗船した。クスリのおかげか、「お、これは意外と大丈夫じゃないか」と上機嫌だったのは最初の30分ほどで、その後は飲みすぎた酔い止め薬のせいで、アタマが朦朧とし、凶悪な眠気に襲われ、ディナーの前にすでにベンチで熟睡する始末。結局3時間のクルーズのほとんどを泥酔した人のように前後不覚で過ごし、船酔いこそ回避したものの、人間としての尊厳を喪失し、ほとんど荷物と化して船中を過ごしたという点では、何ら改善を見なかったのであった。

乗り物酔いは、内耳が感じる平衡情報と視覚からの情報がずれてしまい、自律神経が参ってしまうのが原因のひとつだというが、考えてみると、VRも全く駄目だ。ディズニーリゾートの「スター・ツアーズ」でも気分が悪くなって途中離脱を余儀なくされるくらいだから、こういうズレにけっこう弱い方なのだと思う。自律神経の問題と船酔いのトラウマが合わさっているとすれば、克服への道のりは遠い。

捨てたもの記録:老眼鏡

子供の頃から視力は抜群で、40になるくらいまでは健康診断でも2.0を維持していたような記憶がある。近くも遠くも、ものを見るのに苦労しないどころか、およそどんなものも常にくっきりはっきり見えていた。ところが、41、2になって、近くのものが見えにくくなり、ときおり目がかすむようになってきた。PCの使いすぎから来る眼精疲労による頭痛や肩こりもひどかったので、眼科に行ってみたところ「立派な老眼です」と、おごそかにご託宣を賜ったのであった。

この赤みがかったフレームの老眼鏡は2本めに購入したもの。1本目ははじめてのメガネ、ということでちょっと奮発して高価なものを買ったため、もう少し安価な、会社のデスクに置きっぱなしにしておけるものを、と量販店で購入した。ところがこれがぜんぜんダメで、くっきり見えるわけでもなく、文字は歪むし頭痛はするしでほとんど出番がない。最初に買った方ばかりを使い、こちらは長いことメガネ立ての中に放置されていたのだが、今回処分することにした。

子供の頃、祖母や親戚の家の小物置き場に、同じようなメガネがいくつも置いてあるのをみて、メガネなんて一本あれば十分やんと不思議に思っていた。あほちゃうか、とまで思っていた。今、気がつくと自分のデスクの小物入れに3本ほど老眼鏡が立っている。メガネというのは、けっこう微妙な調整が必要なシロモノで、ぴったり合うものを作るのが意外と難しいこと、さらに目の方の状態が年とともに変化して、ときどき作り直す必要が出てくることなど、子供の頃にはまったく想像すらできなかった。若さと健康は、しばしばとても傲慢なのだ。当時の自分に、おまえもそのうち何本もメガネ買うんやで、と教えてやりたい。

古河花火大会

夏になると、日本全国で300以上の花火大会が開かれるが、3尺玉の花火を打ち上げるのは、実は数えるほどしかない。3尺玉というのは、重さ300キロ・直径90センチの玉で、600メートル上空まで打ち上げられ、直径650メートルの巨大な花を開かせる。打ち上げるために、広大なスペースが必要なため、都内では場所がないそうだ。

古河の花火大会は毎年8月の最初の土曜日に開かれる。広大な渡良瀬遊水地に面しているので、打ち上げ会場には困らない。今年は8月4日の土曜日に開催され、3尺玉2発を含む2万発が打ち上げられた。全国でも最大規模の花火大会のひとつだ。河川敷に座って夜空を見上げるのもよいが、去年と今年は父が住む駅前のマンションのベランダから見物した。最上階の7階で遊水地側に眺望が開けて見晴らしが良い。少し距離はあるけれど特等席なのだ。

3尺玉はクライマックスで打ち上げられる。玉は黄色い光の尾を曳きながらどこまでも上がっていき、他の花火よりひときわ高い位置から、無数の黄金色の糸が傘のように広がって、光の航跡を天空いっぱいに広げ、ゆっくりと落ちてくる。光から少し遅れて、ズンという地響きのような、他の花火とは異質な野太い音が腹に響く。

3尺玉以外の花火も素晴らしい。およそ1時間に渡って様々な花火が次々と打ち上げられる。花火の世界も技術革新が進んでいるようで、大きさだけでなく、以前はあまり見ることのなかった透明感のある青い光のもの、開いた球の円周上を衛生のように色とりどりの光が走るもの、天空に小さな花びらが一面に散るように開くものなど、毎年新しい趣向が凝らされている。まさに天空のスペクタクルで、時間があっという間に過ぎてゆく。

花火大会の費用がどれくらいなのかわからないが、きっと数万人(あるいはもっと多く)の人が夜空を見上げ、歓声を上げ、夏の風情を感じ、綺麗だね楽しいねと家族や友達と頷きあい、素敵な夏の思い出をつくったことだろう。そう考えれば、数億円かかったとしても、最高のカネの使い方だと思う。

腸科学

「腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方」
ジャスティン ソネンバーグ、エリカ ソネンバーグ (著) 鍛原 多惠子(訳)
早川書房刊(ハヤカワ文庫)

以前読んだ「あなたの体は9割が細菌」に続く、腸内細菌に関する本。

「人間は細菌の詰まった一本の管」であり、その腸内には1,200種、100兆を超える細菌が住んでいる。その微生物相を「マイクロバイオータ」、そこに含まれる200万個を超える遺伝子を「マイクロバイオーム」と呼ぶ。ヒトDNAはマイクロバイオームの100分の1程度であり、ヒトは、自前のDNAにコードされていないタスクの多くを、細菌と「共生」することによってアウトソースしている。これによって、環境や必要性の変化により早く対応できるようになる。たとえば、食物繊維を消化するためのコードはほぼマイクロバイオームにアウトソースされている。長い進化の歴史を経て、この細菌との「共生」の仕組みは、ヒトの成長・生存のプログラムに深く組み込まれている。母乳に含まれるヒトミルクオリゴ糖は、赤ん坊本人のゲノムには消化する能力がコードされていないが、腸内の細菌を育てるための栄養になるというのは、興味深い一例だ。

マイクロバイオータは、ヒトの免疫系の一部として重要な役割を果たしており、脳神経系とも活発な連絡がある。現代の食生活の急激な変化、とりわけ食物繊維を摂取する量が減少していることによって、マイクロバイオータの「食べもの」が不足し、健康上の様々な不具合を引き起こしている。過敏性大腸炎といった消化器系の疾患のみならず、多くの自己免疫疾患、肥満、自閉症スペクトラム障害、うつといった「現代病」の多くが、マイクロバイオータを構成する細菌の多様性が失われたり、偏ったりすることによって引き起こされている可能性があるのだ。

食生活の変化だけでなく、抗生物質の使用もマイクロバイオータにダメージをもたらす。抗生物質によって致死的な細菌感染から多くの人が救われたが、同時に、マイクロバイオータにとっては、時には回復不能なまでの「無差別殺戮」といってよいダメージをもたらす可能性がある。耐性菌の問題だけでなく、腸内細菌の保全のためにもその使用は慎重にすべきなのだ。

ヒトが発酵食品と食物繊維を十分に摂ることは、腸内細菌の多様性を確保し、健康を維持するために重要だ。発酵食品によって有用菌1)(プロバイオティクス)が絶えず腸内環境に供給され、食物繊維は常在菌の食べ物になる。伝統的な日本食(納豆、味噌、醤油、かつお節、ひじき、昆布、切り干し大根、ごぼう、その他)がいかに、腸内環境およびマイクロバイオータにとって良いかがわかる。日本が世界一の長寿国であるのもこの食習慣に依るところが大きいのだろう。

1 腸内に留まらず一定時間後には排出されるが、常在菌や免疫系に対して有用な刺激となる細菌のこと。