にしんそば

関西育ちのせいか、「にしんそば」には馴染みがあり、日本中どこでも食べているものだと思っていた。それがどうやらそうではない、と気づいたのは15歳で茨城県に引っ越してからである。駅の立ち食いそばでも、町中の普通の蕎麦屋でも、品書きに「にしんそば」が見当たらないのだ。少なからずの人から「にしんそばを知らない、食べたことがない」と言われてビックリした。「にしんそば」は、主に北海道と京都(および関西)で食べられているもので、決して全国区ではない1)のだと思い知らされた出来事だった。

埼玉や茨城出身者に聞いてみると、関東にもニシンがないわけではないけれどが、正月の昆布巻の中にちんまりと入っているくらいで、食べる機会はほとんどないという。とはいえ、関西ではニシンを日常的に食べているか、といえば、それもちょっと疑問で、僕の両親は関西の出身ではなかったので関西の食習慣を代表することはできないまでも、ごはんのおかずに時々ニシンを食べている、という友人はいなかったように思う。いずれにせよ、僕にとってニシンは、ほぼ100%「にしんそば」2)として食べるものであった。

数年前、小樽に旅行したときに、保存されている「鰊御殿」を見に行った。「鰊御殿」というのは、明治末期から大正にかけて、ニシン漁で財を成した網元3)が建てた豪勢な家屋である。この鰊御殿のある祝津漁港には、干したものではなく生のニシンの塩焼きを食べられる海鮮飯屋がいくつかある。おお、これは珍しい、と喜んで食べてみたところ、あら、びっくり。焼き魚で食べるニシンはそれほど美味しいものではなかった。身は水っぽくて妙にやわらかく、旨みもそれほど強くない。江戸・明治期には、大半を鰊粕という肥料にして利用したのも頷ける。「にしんそば」に乗っているニシンの独特な旨みは、干したものを戻して甘露煮にするからこそ生まれるものだったのだ。

1 最近では東京でもずいぶんと見かけるようになった。
2 うどん文化圏の関西でも、なぜか「にしんそば」は必ず蕎麦であり、「にしんうどん」というものを見た記憶がない。
3 主に北海道の日本海沿岸

わたしの土地から大地へ

「わたしの土地から大地へ」 セバスチャン・サルガド、イザベル・フランク著 中野勉訳 (河出書房新社)

サルガドの写真展「Workers1)を見たときに受けたショックはいまだに忘れられない。露天掘りの金鉱で全身泥にまみれアリのように土塊を担いで斜面を運び上げる無数の労働者、湾岸戦争で破壊されコントロールを失って燃え盛る油田のバルブを閉じようとする特殊作業員、鉄工所の溶鉱炉のすぐそばで作業する人々、炎天下サトウキビを手作業で刈り入れる農場労働者。想像を絶する厳しい環境で肉体労働に従事する人々を切り取った写真でありながら、画面の隅々まで美しく、気高く、荘厳で、人間という存在そのものの有り様がそこに映し出されている。モノクローム(白黒写真)による写真表現のひとつの完成形と言えるのかもしれない。

中南米、アフリカを主なフィールドとし、5年からときには10年以上に渡る「プロジェクト」としてテーマを追いかけるスタイルで撮影を行う。これまでに、「Workers」のほかに、難民・移民をテーマにした「Exodus」、サハラ砂漠以南の旱魃を扱った「Sahel」、原始の自然の美しさを捉えようとする「Genesis」などのプロジェクトがある。

経済学の博士号を持ち、国際コーヒー機構でエコノミストとして働いた経験があり、フォトジャーナリズムをその基礎としているだけに、撮影対象には温かくも冷徹な眼差しが注がれており、感情や情緒に過度に流されることがない。いわゆる先進国で暮らす我々が通常目にすることのない極限といっていい風景・光景を切り取りつつ、その絵の特異さ・強烈さに頼ることなく一幅の絵として芸術表現の高みに昇華されている。

本書はサルガドの自伝であり、子供の頃の思い出、写真家への転身、どのようにテーマを選び、どう撮影するかといった過程、そして故郷の農園とその周辺の自然を再生するプロジェクトなどが、率直なトーンで語られている。常に母国ブラジルの多様性と子供の頃身の回りにふんだんにあった自然の美しさを基準点としながら、撮影対象に敬意を払い、真摯に向き合う姿勢に感銘を受けるだろう。

ヴィム・ヴェンダースとサルガドの長男、ジュリアーノ・リベイロ・サルガドが監督したドキュメンタリー「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」2)は、サルガドのこれまでの半生を縦糸に、「Genesis」プロジェクト3)と故郷の農場再生を横糸にまとめたもので、サルガドが実際にどのように撮影しているのかが垣間見えてとても興味深い。

1 写真集の日本語タイトルは『人間の大地 労働』
2 近年稀に見るヒドい邦題がついているが、原題は「The Salt of the Earth」(地の塩)という聖書の一節がつけられている。
3 ルワンダ内戦とその後の難民の苦難を撮影し続けて心身ともに疲れ切り、病んでしまったサルガドが、自らの回復のためにもはじめて人間のいない「自然」をテーマに選んだのが「Genesis」であるようだ。