熱いうちに食べよ

有名な話だが、池波正太郎は、天ぷらについてこう言った。

てんぷらは、親の敵にでも会ったように、揚げるそばからかぶりつく。鮨の場合はそれほどでもないけど、てんぷらの場合はそれこそ、「揚げるそばから食べる……」のでなかったら、てんぷら屋なんかに行かないほうがいい。そうでないと職人が困っちゃうんだよ。(男の作法(新潮文庫))

実はピッツァも同じで、出てきたら熱いうちに脇目も振らずに食べるのが正しいのだ、とランチに行ったナポリピッツァのお店で教わった。ゆっくり会話でも愉しみながら、なんてチンタラされたんじゃ、せっかくの熱々ピッツァが駄目になっちまうぜ、とナポリっ子が江戸弁でまくしたてるくらいのものなのだそうだ。知らなかったが、そのお店の熱々のピザにかぶりつきながら聞くと、たしかにその通りだと思う。いつだったか「冷めたピザ」と揶揄された首相1)がいたけれど、冷たくなってチーズも生地も固くなりかかったピザなんて美味しくない。とろりとチーズが溶けている熱々のところを、薪のスモークが香る熱々の生地と食べたい。

今でこそ高級料理になっている天ぷらは、江戸前鮨と同様、もともと庶民の手軽な屋台メシで、できたてをさっさと食べるものだった。ナポリのピッツァも、薪窯で焼いた出来たてほやほやが真骨頂であって、でも薪窯なんて家にはないから、贔屓のお店に食べに行くものだそうだ。イタリアと日本では食材やその使い方、料理の考え方に似通ったところがあるなぁと常々思っていたけれど、こんなところでも立ち位置が似通っていて面白い。

いつも食べるスピードが速すぎると言われてばかりいるので、こういう食べ物はありがたい。速すぎると言われたら、いやいや、ピザってものはさぁ、とか、池波正太郎がね、などとエラそうに言えるではないか。いやもちろん、熱いうちに食べることと、早食いとは、似て非なるものだというのはわかっているけれど。

1 98年に、ニューヨーク・タイムズが橋本龍太郎の次の首相候補を報じる際、政治アナリストのJohn F. Neuffer 曰く、小渕恵三は “Obuchi has all the pizzazz of a cold pizza”(冷めたピザほどにも魅力がない)と評した、と記事にした。