四万六千日分の功徳

7月9日、10日は浅草寺の「四万六千日」という縁日だ。本尊である観世音菩薩の縁日には「功徳日」といわれる特別な日があり、その日に参拝すると、100日分、1,000日分などの功徳が得られるとされている。7月の功徳日はそのうちでも群を抜いて「特別」で、この日にお参りをすると、4万6000日分の功徳があるらしい。126年分である。根拠は知らぬが1)盛り過ぎだろう。ここまでくると、あまりのいい加減さおおらかさに、マナジリを釣り上げて「どういうこと?」と問い詰める気も起きない。室町時代に始まったというから、かれこれ600年ほど前のマーケティングにいまだにうかうかと乗せられ、あーあと気の抜けた半笑いを浮かべつつ、つい行ってしまう。もう何度か行っているから、多分、400年分近い功徳を積んだはずなのだが、まだその威力を実感するには至っていない。

本堂で30分おきくらいに行われる、15分ほどの読経に行くと、お堂のそこここに、真剣な表情で一心に祈る人、頭を下げ目を閉じてお経に聞き入る人がいる。高齢の人も、中高年も、若い人もいる。きっとみな、僕らと同じく、日々働き慎ましく暮らす人々で、暮らしの中の小さな悩みや願い、あるいは感謝を心に浮かべているのだろう。功徳4万6000日分の大盤振る舞いという滑稽さの一方には、庶民のささやかでまじめな祈りが込められていて、なんというか、人の温もりや地に足の着いた生活感のようなものも、そこには同時に漂っているのだった。

この両日、境内では、ほおずき市がたつ。ほおずきの鉢植えが所狭しとならべられ、鮮やかなオレンジと緑が参道を彩って夏らしい風情になる。

1 米一升が46,000粒だとか諸説あるようだが、そもそもなぜ米一升分なのかなど謎が増える。