御馳走帖

「御馳走帖」
内田百閒著 中公文庫・中央公論新社

数ある内田百閒の随筆本の中で、「御馳走帖」は最も好きなものの一つだ。彼のちょっとズレてトボけた感覚が遺憾なく発揮されていて、収録されているどの小品を読んでもどこか可笑しい。大笑いというのではなく、読みながらふっと可笑しみが腹の中に動く感じ。百閒は、今風にいえばやや「天然ボケ」の人で、本人は大真面目に書いているように見える。ウケを狙いにいっている訳ではないと思うのだが、そのあたりも飄々としていてよくわからない。

「御馳走」といいながら、食事というよりは、おおむね酒肴もしくは酒の話である。戦前、戦中、戦後に渡って、思い出話あり、近時の話あり。いろいろと深くこだわっているようでいて、実はそれほどでもない。かと思うと、突然、いけしゃあしゃあと次のように述べたりする。

さて、この拙稿を読んで下さつた読者に一言釈明しなければならぬと思ふのは、酒歴を述べるのだからお酒の話ばかりで、読んだ目が酒臭くなるかも知れないがそれは看板に掲げた事だから仕方がないとして、ただ四十年五十年にわたるお酒を談じながら、何の椿事も葛藤も起こらず、人の出入りも女出入りもない。なんにもなくて、つまらないと思はれたなら、それは即ち私のお酒のお行儀がいい事を示すものだと云ふ点をお汲み取り願ひたい。(「我が酒歴」)

文章表現がなんとも魅力的で、つい真似したくなる言い回しが随所に出てくる。「三鞭酒」、「誂える」、「ソップ」などの言い回しに、町田康ファンなら、彼が内田百閒から深く影響を受けているのが即座にわかるはずだ。

百閒に興味を抱いたら、「イヤダカラ、イヤダの流儀 内田百閒」(別冊太陽・平凡社)も良い。豊富な写真で著者の人となりと作品世界のイメージが具体的につかめると思う。

ところで、本書で、シャンパンとおからが合うと言っている(「おからでシャムパン」)。試してみようと思うけれど、単に百閒がおから好きなだけのような気もしている。