遠距離・長時間通勤については、ちょっとしたエキスパートを名乗ってもよいのではないかと思う。高校、大学と7年間、就職してからも結婚するまで8年くらい、都合15年くらい遠距離を通学・通勤していた。ここでいう長距離というのは、往復3時間以上のことである。NHKの2015年の調査1)によると、東京圏の平均通勤時間は往復1時間45分なので、平均の倍近く、ということになる。
たとえば、片道1時間半、と聞くと、「うわ、遠っ!なんでそんなとこから通ってんの?」という反応をされることが多かったが、そのうちまとまった60分ちかくを座わっていられるのなら、実はそれほど大変でもないのだ。それどころか、この1時間の移動タイムが大切な読書時間になる。経済学者の野口悠紀雄先生もツイッターで「通勤電車は独学のための最高の環境。他にすることがないので、勉強に集中できる。(後略)」とつぶやいている。
実際、一日の中で都合2時間、集中して読書する時間を確保するのは意外と難しい。10数年前に、通勤時間が30分弱に短縮されたときは、体力的に確かにラクにはなったけれど、読書時間が急減して「知的インプット」みたいなものがガタ落ちし、精神的にはかえって落ち着かなくなった。高校、大学、社会人と充実した読書習慣を継続できたのは、遠距離通学・通勤のおかげだったとも言える。ただし、たとえ座れたとしても、実際に「集中できる」環境かどうかは注意が必要だ。あなたの集中を妨げる伏兵は、いろんなところに潜んでいる。
朝の車内は静かだ。みな無言で、働けど働けどわが暮らし楽にならず、とじっと手、でなくスマホを見つめている2)。問題は帰り、夕刻である。そう、必ず酔っ払いがいる。山手線や私鉄では、夜遅い時間にならない限りあまりみかけないけれど、中・遠距離の列車には、どういうわけか、夕方4時頃でもかならず酔っぱらいがいた。僕が高校、大学の頃は、上野発の宇都宮線・高崎線の電車3)はどこか牧歌的で、上野駅で出発を待っている時点から、車内はすでにカップ酒とスルメイカのニオイが満ちていた。電車が移動酒場になっていたのである。
静かなひとり酒なら良いのだが、ご機嫌で仲間と放談するサラリーマンの二人連れ、三人連れになると相当に鬱陶しい。酔っ払って寝ててくれればよいかというと、それもまたケースバイケースで、酒のニオイと加齢臭がムンムンにミックスされたおっさんが、だらしなく正体をなくしてもたれかかってきたりすると、神仏はなにゆえ私にこのような試練を与えるのだろうかと世をはかなみたくなる。
夜が深くなって終電が近づくと、ものすごく混む上に、飲みすぎて青い顔をした人がちらほら出てくる。時折ひくっとカラダを震わせていたり、生気なく中空の一点をぼーっと見つめていたりすると、相当にヤバい兆候で、速やかに半径3メートル圏外に脱出しないと、甚大な災害に巻き込まれる恐れがある。もちろん自分が泥酔してそういう時限装置付き危険人物になる場合もある。中長距離列車のよいところは、数両にひとつトイレ付きの車両があることで、トイレのそばに乗っていると多少安心できた。まぁ、もちろんそんなときは、集中して読書どころではなく、乗り越さずにちゃんと自分の駅で降りるのが最大のミッションなのだが。
↑1 | 「東京圏の生活時間・大阪圏の生活時間」 |
↑2 | 昔はスポーツ新聞や週刊誌のエロページを見つめているおっさんも沢山いた。今思うと、朝からパブリックな場で何をやっていたのかと思う。 |
↑3 | その頃、まだ今のように東海道線とはつながっておらず、全て上野発着であった。 |
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