ボブ・ディランといえば「風に吹かれて」(Blowin’ in the Wind)、「天国への扉」(Knockin’ on Heaven’s Door)、「ライク・ア・ローリング・ストーン」(Like a Rolling Stone)といった名曲とともに、まだ存命中でありながらすでに半ば「伝説」となったミュージシャンだ。2016年にミュージシャンとして初めてノーベル文学賞に選ばれ、受けるのか受けないのか世間をヤキモキさせたが、無事(?)受けとったのも記憶に新しい。
とはいえ、僕は彼のアルバムを通して聴いたことはなく、上記の有名な曲も、ディランのオリジナルというよりは、他のミュージシャンがカバーしたものを聴いたのが最初だったりする。彼の生の姿をとっくりと見たのは、85年のUSAフォー・アフリカのチャリティプロジェクトでリリースされた「ウィ・アー・ザ・ワールド」のサビ部分を歌う姿だった。
「イフ・ノット・フォー・ユー」(If Not for You)という曲は、個人的にとても思い出深い曲だ。ニューヨーク駐在時代にお世話になったアメリカ人の先輩記者が、僕の結婚式のパーティで歌ってくれた歌だから。もう25年も前のことになる。彼はビートルズ、とりわけジョージ・ハリスンの大ファンで、それほどビートルズに熱心でなかった僕を、彼いわく、「音楽的に正しく」導かんとして、ハリスンのギターがいかに素晴らしいか、彼とクラプトンやボブ・ディランなどとの音楽的交流がいかに豊かなものだったか、といったことを事あるごとに語った。残念なことに、彼の「導き」は成功したとは言い難いのだが、それでも、ハリスンのギターに親近感を抱くようになったのは間違いなく彼のおかげである。
結婚式のパーティでは、僕と二人の弟が入ったバンドをバックに、彼がこの曲を歌った。ぶっつけ本番でいざ演奏を始めてみると、彼がすごく当惑して歌いにくそうだ。それを見た僕らも当惑して顔を見合わせつつ、ぐだぐだのままなんとか演奏を終えたのであった。実は、この曲にはいくつかバージョンがあり、彼がもともと意図したのは、ジョージ・ハリスンのバージョンだったが、僕らバックバンドはボブ・ディランのオリジナル・バージョンを練習して準備していたのだ。あとで聴き比べてみると、ハリスン版の方はテンポがかなりゆっくりで、より甘くメロディアスな仕上がりになっており、ディラン版のちょっと放り投げるような演奏とはずいぶん違うのであった。
この一件は、長いこと笑い話として、会えば必ず話のネタになった。去年の秋にも「もう一回どこかで演奏しよう。今度こそ、ハリスンバージョンだぞ」と言って笑った。でも、彼はその冬に突然この世を去ってしまった。まだ60になったばかりだった。