男らしいリスクのとり方

ふた月ほど前からジョギングを始めた。近所の公園を45分から1時間ほど、1キロ7分前後のスローペースで走る。有酸素運動は脳の毛細血管を再生し、メンタルの安定をもたらす。なんて言うと意識の高い人の御高説に聞こえるが、一番の目的は出っ張ったお腹を引っ込めようということであり、毛細血管云々なんてのはこの前たまたま読んだ本1)で知ったオマケみたいなものである。

今日も夕方に公園の周回路を走っていたのだが、途中で急にお腹の具合がおかしくなった。急な下痢の前兆のように差し込みがくる。あ、ヤバイ!と思ったが、まだ30分も走っていない。せめてあと15分くらいは走っておきたい。でも公園にあるトイレは少なく、イザという緊急時に駆け込める位置にあるとは限らない。さらに、駆け込めたとしてそこに紙がちゃんと備え付けられているかどうかもわからない。さぁ、どうする。走るのを中断して帰るか?それとも様子を見ながらもう少し走ってみるか?

痛みはやってきては遠ざかるのを繰り返している。判断を誤ればいい歳のおっさんが取り返しのつかない悲劇的な状況を招くぞ、確実に。でも現時点のぐあいから判断するに、その事態に陥る可能性はそこまで大きくないとも思う。走りながら3分ほど熟考した末、よし、ここは男らしくリスクをとろう、もう少し走ろう、と悲壮な決意を固め、ジョギングを継続した。結果として、大事に至ることなく20分以上走り続け、予定の時間をしっかりと消化して帰宅した。素晴らしい。勇気をもってリスクをとった自分を褒めてやりたい。

と、昨晩ここまで書いて今日続きを書こうとして愕然とした。なぜこのオトコはここでオレはリスクをとった、エラい!などと喜んでおるのか。駅伝の代表選手か何かならともかく、たんなるジョギングだろ?それともオマエはセリヌンティウスのもとに急ぐメロスかなんかか?リスクをとるべき場面の判断がまるでなってない。さっさと中断して家に帰れって。

1 「脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」(NHK出版)

下位打線

もうすぐ50と数回目の誕生日。まさに光陰矢の如しではあるが、40代後半から年齢を意識することはほとんどなくなったので、実は誕生日にそれほどの感慨もない。ただ、この一年、自分も家族も、大きな病気もなく皆元気で健康で暮らせたなぁ、よかったなぁと思う。

一方で面白く感じているのは、世間における50代の扱われ方だ。40代は、どちらかと言えば30代とひとくくりで、「働き盛り」あるいは「現役世代」の中心のような位置づけだったと思うが、50代になると、60代とひとくくりにされ「壮年」あるいは「初老」の箱に入れられるようになる。野球で言えば、ついこの間まで、4番あるいは5番、クリーンナップの中核を担う選手だったはずが、気がつくと6番を飛び越えて急に7番、8番あたりに下った感じ1)。それでいて、ちゃんと成績を残さないと「老害」と言われ、すぐに代打を送られそうな哀愁漂うポジションである。まぁ自分たちだって、ついこの間まで年長者を「使えない」だの「遺物」だのと言いたい放題だったわけで、因果はこうして巡るのだなと思う。

とはいうものの、街を歩いて目にするのは、年下よりも年上と思しき方々がずっと多い。たまに病院など行こうものなら、待合室には僕なんぞまだまだ若手だと勘違いしそうな光景が広がっている2)。都心ですらそうなのだから、ちょっと地方に行けば、ニッポンの高齢化を身に沁みて感じることになる。父が入院したときに、実家のそばのわりあい大きな病院に行ったところ、待合ロビーの風景がピンクがかったうすぼんやりした灰色だった。待合ロビーに座っている人のほとんどが、白髪か禿頭かその両方だったのである。

1 イチローが、その年齢ゆえにマリナーズで8番を打つことが多いのに重なる。そういえば背番号も51だ。いや、自分がイチロー並みの選手だと言ってるわけではないんだけども。
2 高齢者の多さという点では、特に眼科が顕著だ

玉ねぎ修行

玉ねぎを炒める。レシピには、飴色になるまで、などと簡単に書いてあるが、なかなか大変だ。玉ねぎ先生の様子をみつつ、ヘラで絶え間なく返し、かき混ぜねばならない。火加減は、中火かちょっとそれより弱いくらい。この間、他のことをしてはならないし、できない。玉ねぎ先生はあなたの注目がすべて欲しいタイプなのだ。放っておくとすぐにヘソを曲げ、焦げ付き始める。半時間から場合によってはもっと長く、あなたは100%玉ねぎと向き合う必要がある。スマホとSNSによって、細切れの時間をマルチタスクに使うことに慣れた現代の我々には、これが大変難しい。数分おきに他のことがいろいろと気になるが、そこをぐっと堪えて玉ねぎと心を通わせねばならない。まさに修行である。

最初は白い玉ねぎのみじん切りが、透明になり、また不透明に戻る。

ここまで20分から30分。さらに炒め続ける。あるポイントを過ぎると、ブラウンがかった象牙色に変わり始める。

さらに10分ほど炒めると、ブラウンが濃くなり、いわゆる飴色に近づいてゆく。最初、フライパンに溢れるくらいあった玉ねぎは、ここまでの間にずいぶん減って3分の2くらいになった感じだ。

ここから時間をかけるともっと飴色が濃くなるのだろうけれど、今日はそろそろいいのではなかろうか。玉ねぎ先生は、これから挽肉と合わさって美味しいミートソースになる予定。

Blue Revolution(浜田麻里)

浜田麻里といえば、88年ソウルオリンピックでNHKのテーマソングとして使われた「Heart and Soul」や、翌89年発売の「Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。」のヒットを思い浮かべる人も多いだろう。でもアルバムデビューは83年。圧倒的な声域と声量、歌唱力と美貌を兼ね備えた女性HR/HMボーカリストとして認知され、絶大な人気を誇った。当時のHR/HMファンから見ると、前述の2曲はどちらかというと、浜田麻里らしいというより、一般ウケを狙ったポップス路線に見えたのだった1)

Blue Revolutionは、意外なことに彼女の初シングルで85年リリース。同名のアルバムからの先行シングルだったようだ。作曲はMake-Upのギター松沢浩明で、彼の高度な作曲センスが凝縮されている。レコーディングでのギターは、その後B’zでスーパースターに昇りつめる松本孝弘2)。アルバム全体を彼が弾いているが、Blue Revolutionでは、そのギターが冴え渡っていて、特にギター・ソロは、日本のHR/HM史上でもベストプレイに上げたいほど素晴らしい。スケール的にかなり緊張音(というかブルーノートというか)を織り交ぜたランニングフレーズ、絶妙なリズム感、ソロ中の中ダレを防ぐリフ的フレーズの組入れかた、正確なピッキング、曲全体との調和とどこをとっても完璧だと思う。後のB’zでの成功もなるほど納得のギタリストだ。

ボーカルは、伸びやかでパワフルな高音を聴かせる浜田麻里の真骨頂3)。今も全く衰え知らずなのは驚異的だ。ちなみにサビ部分のコーラス/バックボーカルでさらに高音でハモっているのは妹の浜田絵里。姉妹に与えられた声帯のすごさを思わずにはいられない。

1 もちろん、表現力の引き出しの広さを示す好例だったわけだが、HR/HM好きはどうも「原理主義」に走りがちなので、否定的にみる向きも多かったように記憶している。
2 キーボードはVow Wowの厚見玲衣。
3 高音部でのビブラートのかけ方は好き嫌いが分かれそう。個人的にはちょっとオーバーかなと思う。

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
角幡唯介 著(集英社)

ツアンポー峡谷はネパールの東隣のブータンから更に北東方向に300キロあまり、チベット高原を流れる大河ツアンポー川がヒマラヤ山脈を突きぬけるときに削られ穿たれたチベット東部の険しい峡谷地帯のこと1)。グランドキャニオンを遥かに凌ぐ規模の大峡谷だが、チベットの奥深く、中印国境の政治的にデリケートな位置にある。「空白の5マイル」というのは、1924年に英国のフランク・キングドン=ウオードによる探検以降、この峡谷部に残された人跡未踏の空白部となっている5マイルを指す。著者は、2002年と2009年の2度に渡って、この5マイルのほとんどを踏査するが、2009年には、生死の境での選択を迫られる極限的状況を経験することになる。

生と死の境界線上に立たされた時、私は比較的冷静に事態を受け入れ、混乱せずに対応できる自信があった。しかしそんな自信など噓だった。本当に死ぬかもしれない……。そう言葉に出してつぶやいた時、私は思わず泣きそうになっていた。(第2部 第3章 24日目)

僕自身は、死の危険を伴う「冒険」をしてみたいという欲求を感じたことはない。でも、本書のような大自然に挑む冒険譚を読みたいという気持ちは強い。自分にないものに対する興味かもしれないし、あるいは、ひりひりとした極限状況を読むことで擬似的に隠された冒険への欲求を満たそうとしているのかもしれない。

現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大の リスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。(エピローグ)

著者も言うように、何をもって「いい人生」だと考えるかは人それぞれで、それに従って「リスク」の取り方も変わる。リスクのとり方というのは、多少皮肉めいた表現をすれば、何を持ってアドレナリンが出て気持ちよくなるか、だろうと思っている。博打、違法薬物、アルコールは言うに及ばず、異性との危うい関係や破産するかもしれないビジネスを回すことでアドレナリンが出る人もいるだろう。冒険家は、(主に)厳しい自然環境に身をおいて、直接的な命の危険を感じることで脳内にアドレナリンが放出され、生の実感を得るタイプなのだと思う。そのプロセスが、何万年に渡る経験を通じてヒトのDNAに深く刻み込まれた「自然」への畏怖・対峙に共鳴するからこそ、こうした冒険が広く読者の興味と共感を呼ぶのだ。

1 ツアンポー川は、グーグルマップでは「雅魯蔵布江」で表示されるようだ。著者が最後にたどり着いた集落はここだと思われる。