ホテル・チェルシー

ホテル・チェルシー(Hotel Chelsea)は、1884年の開業以来1)、有名作家、アーティスト、ミュージシャン、俳優、コメディアンが長期短期を問わず多く滞在するいわゆる「尖った」ホテルだった。とくにアメリカ文学のビート・ジェネレーションの作家(ウィリアム・バロウズ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ等)がここを住処としたことで、世を外れたアウトロー的創作者たちが集まる場としての引力を獲得し、時代の象徴として明暗様々な話題を提供してきた。「暗」で最も有名なのは、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ビシャスが恋人のナンシー・スパンゲンを殺したとされる事件だろう。二人はこのホテルでドラッグ三昧の日々を過ごしていたが、1978年10月13日、ナンシーが部屋のバスタブで刺殺体で見つかる。凶器のナイフがシド・ビシャスの持ち物だったため彼は殺人の疑いで逮捕される2)が、保釈中にヘロインの過剰摂取で後を追うように死亡。この事件は「シドアンドナンシー」として映画化されている。

この有名なホテルに、僕は2000年ごろに泊まったことがある。当時ニューヨークはホテル料金が高騰していて、ちょっとまともなホテルに泊まろうと思うと一泊4万円くらいは覚悟せねばならなかった。なんとか2万円台で収まるところはないかと探したところ、ここに行き着いたのだ。場所は、ニューヨーク・マンハッタンの23rd Streetの南側、7thアベニューと8thアベニューの間にある3)

ホテルの前でタクシーを降り、正面のガラス戸を押して中に入る。途端にえもいわれぬ違和感に襲われる。エントランスホールはそこそこの広さがあり、格式ある古い建物の残り香のようなものは感じられる。でも、思いつくままに追加されたようなユニークな絵や彫刻、その他デコレーションのせいで、よく言えば個性的、普通に表現すれば、アブナイ雰囲気を醸し出していた。チェックインカウンターの向こうはあちこちに古い紙束が積まれて雑然としており、安宿の帳場といった方がふさわしい。背面の壁には部屋ごとに小さく区切られた棚。カウンターにいる崩れた感じの中年男は、くたびれたスーツにだらしなくネクタイを締め、愛想のかけらもない。チェックイン用紙に名前を書いていると、どこからか、体に食い込む網目シャツに革パンツというボンデージ・ファッションのような格好をした男が、子牛くらいありそうな真っ黒なドーベルマンを連れて歩いてきたので、目が点になった。

泊まった部屋の番号はもう忘れてしまった。吹き抜けのエレベータホールから格子扉の古いエレベータに乗った記憶があるので、たぶん3階か4階だったように思う。ドアを開けた途端、なんとも落ち着かない色の壁、殺風景でいてどこか雑然とした調度品、どんよりと淀んでねばつくような空気。リラックスして長旅の疲れを癒やすどころではなく、部屋にいると気が滅入る。何か雰囲気を変えるものでも買おうと外に出ると、街はちょうどハロウィンのお祭り。そこでプラスチックでできた陽気そうなハロウィンかぼちゃの入れ物と、なるべく明るい色の花束を買って部屋に帰り、テーブルの上に飾ってみたところ、部屋が余計に毒々しくなるという悲しい悪循環。

夜ベッドに入っても、ホテルのどこかで変な音はするわ、悪夢を見るわで、全く安眠なんてできなかった。僕に霊感なんてないけれど、あのホテルには、なにか禍々しいものが、長い年月をかけて建物の隅々まで染み付き実体化していたんだと思う。結局、二晩で音を上げ、大枚はたいてミッドタウンの「普通の」チェーン系ホテルに逃げ出した。

2011年からリノベーションのためにホテルは休業状態に入ったが、その間、長期入居者やテナントとの調整がうまくいかないなどのため、所有者が何度か変わったようだ。いくつかの記事によると、どうやら今年(2018年)にブティックホテルとして再オープンを予定しているらしい。かつてこのホテルに住み、今はホームレスの男性が、リノベーションのために外され廃棄された部屋のドアを集め、誰が泊まった部屋なのかを調べ上げたそうだ。ドアはオークションにかけられるという4)

 

1 当初はホテルというよりコーポラティブ(co-operatives)として運営されたようだ。ホテルとしての開業は1905年。
2 ナンシーが殺された時間、シドはドラッグで昏倒しており、犯人は別にいるという説が根強い。
3 マンハッタンを、42丁目と5thアベニューを上下左右の真ん中とする長方形のストライクゾーンに例えるなら、右打者に対して真ん中より若干外角低めあたりの位置。余計わかりにくいか。
4 参考:AFPの記事、ニューヨーク・タイムズの記事