下位打線

もうすぐ50と数回目の誕生日。まさに光陰矢の如しではあるが、40代後半から年齢を意識することはほとんどなくなったので、実は誕生日にそれほどの感慨もない。ただ、この一年、自分も家族も、大きな病気もなく皆元気で健康で暮らせたなぁ、よかったなぁと思う。

一方で面白く感じているのは、世間における50代の扱われ方だ。40代は、どちらかと言えば30代とひとくくりで、「働き盛り」あるいは「現役世代」の中心のような位置づけだったと思うが、50代になると、60代とひとくくりにされ「壮年」あるいは「初老」の箱に入れられるようになる。野球で言えば、ついこの間まで、4番あるいは5番、クリーンナップの中核を担う選手だったはずが、気がつくと6番を飛び越えて急に7番、8番あたりに下った感じ1)。それでいて、ちゃんと成績を残さないと「老害」と言われ、すぐに代打を送られそうな哀愁漂うポジションである。まぁ自分たちだって、ついこの間まで年長者を「使えない」だの「遺物」だのと言いたい放題だったわけで、因果はこうして巡るのだなと思う。

とはいうものの、街を歩いて目にするのは、年下よりも年上と思しき方々がずっと多い。たまに病院など行こうものなら、待合室には僕なんぞまだまだ若手だと勘違いしそうな光景が広がっている2)。都心ですらそうなのだから、ちょっと地方に行けば、ニッポンの高齢化を身に沁みて感じることになる。父が入院したときに、実家のそばのわりあい大きな病院に行ったところ、待合ロビーの風景がピンクがかったうすぼんやりした灰色だった。待合ロビーに座っている人のほとんどが、白髪か禿頭かその両方だったのである。

1 イチローが、その年齢ゆえにマリナーズで8番を打つことが多いのに重なる。そういえば背番号も51だ。いや、自分がイチロー並みの選手だと言ってるわけではないんだけども。
2 高齢者の多さという点では、特に眼科が顕著だ