上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白
小田嶋隆 著 (ミシマ社)
かれこれ25年くらい親しくしていた友人が、この十年あまりアルコール依存症に苦しんでいた。アル中は「否認の病」と本書にもある通り、周囲から指摘されても、本人はそれを強く否定して言うことを聞かなかった時期が長く続いた。久しぶりに会ったときに、治療とセラピーに行ってすっかり状態がよくなった、と初めて自分から話してくれたのだが、それから二ヶ月くらいして急死してしまった1)。昨年末のことだ。
日経ビジネスオンラインに掲載されている著者のコラム「ア・ピース・オブ・警句」をときどき読んでいる。世代的に近いせいなのか、80年代後半から90年代のPC黎明期からの業界周辺の経験値が近いせいなのか、共感することも多いし、思わぬ角度からのものの見方になるほどと思わせられることもある。その著者が20代から30代にかけてアルコール依存症であったという告白であるから、読む。まして、友人のことがあった直後だけに読まねばならぬ。タイトルは明らかに滑っているけれど。
アルコールを媒介に手に入るものがないわけではありません。しかし、それらはいずれ揮発します。なくなるだけなら良いのですが、手の中から消えていくものは、多くの場合喪失感を残していきます。で、それがまた次に飲む理由になったりします。グラスの底には何もありません。グラスの底に何もないこともまた飲む理由になりますが、飲む理由になるすべてのことは、酒を遠ざけるため理由になります。どうか素面のまま夜明けを待つことをためしてみてください。(七日目 アル中予備軍たちへ)
自分は一般的な「依存傾向」は少ない方なのではないか、と長年自己分析してきたが、はっとさせられた一節。
(前略)そうやって自分の時間をすべて情報収集に費やしてしまう過ごし方は、これは、実のところ、アイデンティティの危機なんです。なぜなら、情報収集している間、人は頭を使わないからです。というよりも、スマホを眺めている人間は、自発的な思索をやめてしまっているわけで、外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないことそのものだからです。(八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威 何かに依存するということ)
こうして読んだ本の備忘録を書き始めたひとつの理由が、まさに、情報を消費するばかりで自分で何かを生み出すことのないアンバランスさに気づいたことにある。「自発的な思索」が自分でも気付かないうちになくなっていたのだと思う。本書は著者の「告白」(あるいは「対話」)から書き起こされている形式なので、非常に読みやすい。アルコールに限らず広く「依存」への視点を新たにするきっかけも含まれている。
↑1 | 事件性はないようだが、死因は不明。 |
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