極太字の万年筆

万年筆が好きだ。万年筆を持つと、何かいい言葉、気の利いた表現、ステキな文章が書けそうな気がする。まぁ、現実には、気がするだけで、実際に書けるかといえば、それはまた別のハナシだ。でも、なんとなくいっぱしの表現者になったような気分になるだけでも楽しい。ただし、極太字の万年筆に限る。細字は、ちいさな手帳にちまちまとした細かいことを書くためのもの、という感じで、全くワクワクさせてくれない。あくまで極太字でなくてはならないのである。

極太字の原体験は、大学を出て最初に就職した会社の上司だった1)。まだ電子メールやイントラネットが普及する前の話だ。その人はいつも穏やかでダンディで、声を荒げたり、酒席で乱れたりした様子を見た覚えがない。部下に指示をしたり、伝言を残すときは、いつもウォーターマンの万年筆で薄黄色のメモパッドに2、3行、丸い丁寧な文字でメモを残した。メモの最後には必ずイニシャルを2文字。極太字の万年筆で書かれたその文字が、スマートでどこか温かみがあって、僕は好きだった。僕が一年くらいで転職したために、その上司とはそれきりお会いする機会もなく、もうずいぶんな年月が経つけれど、今でもたまにメモ書きの文字を思い出したりする。

トリムがシルバーなのがよい。

今、愛用しているのはペリカンのM405。大井町にあったフルハルターという小さな(でも万年筆愛好者の間ではとても有名な)お店で購入した2)。ここは店主の森山さんが、顧客ひとりひとりの手、ペンの持ち方や書き癖に合わせてペン先を研磨調整してくれるという稀有なお店。森山さんに調整してもらったペンは、受け取って紙の上にペン先を置いた瞬間から、何年もかけて馴らしたペンのように、何の引っ掛かりもなくインクが滑り出る。万年筆がひとりでに動き出すような感覚。書くことそのものが気持ちよくて、ずっと書いていたくなって、余計なことまで書いてしまうという「弊害」すらある。とはいえ、メールやチャットが仕事のみならず日常のコミュニケーションの大半を占める現代では、万年筆の出番はそれほど多くない。なんとか出場機会を増やすにはどうしたものかと頭を悩ませている。

1 万年筆そのものへの憧れは、小学生の頃、旺文社の学年雑誌についていた付録がきっかけだったと思う。
2 2018年2月末で大井町の店舗は閉鎖してしまったようだ。4月か5月に我孫子に移って再開とのこと。