ドキュメント 気象遭難

羽根田治著(ヤマケイ文庫・山と渓谷社)

ここで言う気象遭難とは、山での気象現象が直接的・間接的な原因となっている遭難事故を指しており、新旧の遭難事故7件を検証している。遭難した状況は様々であっても、いずれも後から検証してみると「ここで判断を誤った」というポイントがあるものだ。登山をしない自分から見ても、そのポイントの多くは、「え~、何でそんなことしちゃうかなぁ?」などと、他人事のように思うものは皆無。自分がその場にいれば間違いなく同じ轍を踏んだであろうものばかりで、肝が冷える。日常の延長にあるハイキングのレベル1)であっても、遭難は起きうるのだ。

悪天候下の山には必ず越えてはならない一線があるということだ。天気が多少悪くても、「 これぐらいの天気なら」と判断して行動を続けていると、必ずどこかで一線を越えてしまう ことがある。

(中略)

たぶん、その判断を下そうとするときには少なからず躊躇するはずで ある。だが、躊躇するということは、もう一線を越えようとしているところにいると思ったほうがいい。(初版あとがき)

都市生活者が生存のためにシビアな状況判断を要求されることはまずない。(そういった判断をしなくてよいように出来上がってきたのが都市だとも言える。)雨の天気予報だったのに雨具を持っていかずに濡れたからといって、生命の危険に結びつくことなどない。でも、もし山で濡れて風に吹かれれば、容易に低体温症を起こし、生死に直結し得る。都市の安全・安心・利便は、何重かのバリアで自然環境から命を隔離し、守ることと同義だ2)。それだけに、山で要求されるシビアな判断力は、都市での日常をすごしていて身につくものではないだろう。

そういったシビアな判断力を持つべきだと考えるか、あるいは必要なライフスタイルかは個々の問題だとして、バリアの中にいながらにして、剥き出しの自然の厳しさを垣間見る思いがした。シリーズで「道迷い遭難」「滑落遭難」(いずれも本書と同じ著者)も出版されている。

1 例えば尾瀬や日光までクルマで行って、ついでに軽装でちょっとそのへんの山に登ってみるというような。
2 登山など厳しい自然に身を置くことは、このバリアをはずすスリルだ言える。